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⑤女帝を立てれば国が滅びる。

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宇宙には秩序があります。

男は太陽、女は月。


男は陽、女は陰。


男は火、女は水。


男は上、女は下。


男は天皇、女は皇后



男女の性質がそれを決定づけていてこのことは不文律なのです。(ヒミコは天皇ではなかったことに気づかされます)


それが女性が天皇に即位してしまった。逆さまの道理が神界と人間界の乱れの根本の原因だったのです。これは女性差別でもなんでもありません。役割のちがいなのです。


歴史上大きな政変が起きた裏には必ず女性天皇が関わっています。天皇とは本来神と人をつなぐ役目。それが王たる真の務め。しかし女が天皇になることで、神と人がひっくり返ってしまったのです。これが世界の仕組みの大混乱のもとであり、宇宙の法則に逆らったシステムの根本だったのです。




「めんどりが時を告げれば国が滅びる」法則。


  • 初代女性天皇【推古】
  • 側近【聖徳太子】
仏教伝来(宗教)冠位十二階(序列)十七条憲法の制定(戒律)。物部氏没落(古代祭祀一族の役職が奪われる)

  • 二代目女性天皇【皇極】
  • 側近【中大兄皇子】
蘇我入鹿暗殺される。先住の有力豪族の滅亡(地方自治から中央集権制の導入へ)* 二代目・三代目女性天皇は同一人物。


  • 三代目女性天皇【斉明】
  • 側近【中大兄皇子】
大化の改新。唐の律令制導入。白村江の戦(敗戦)。日本初の天皇生前譲位(斉明天皇→孝徳天皇)。

  • 四代目女性天皇【持統】
  • 側近【藤原不比等】
大宝律令』完成(天皇による中央集権制の完成)。日本初の太上天皇(上皇)。日本初の火葬(唐の風習)。藤原京造営(唐の都に倣う)。

 

  • 五代目女性天皇【元明】
  • 側近【藤原不比等】
『古事記』完成。和同開珎鋳造(貨幣制度の導入)。女性天皇同士の生前譲位は唯一の事例(元明→元正)

  • 六代目女性天皇【元正】
  • 側近【藤原不比等】
『日本書紀』完成。日本初の独身の女帝。生前譲位は(元正→聖武)

●藤原不比等亡き後、文武天皇と藤原宮子の間に生まれた聖武天皇が即位しました。以来、藤原氏による外戚政治の開始。

「よみがえる藤原京」より


『日月神示』


下つ巻


第十三帖


「逆立ちして歩くこと、


なかなか上手になりたれど、


そんなこと長う続かんぞ。


あたま下で


手で歩くのは


苦しかろうがな、


上にゐては


足も苦しからうがな、


上下逆様と申してあるが、


これでよく分るであろう、


足はやはり下の方が気楽ぞ、


あたま上でないと


逆さに見えて苦しくて


逆様ばかりうつるぞ、


この道理分りたか。


岩戸開くとは


元の姿に返すことぞ、


神の姿に返すことぞ。」




磐戸の巻


第十帖


「家の中が治まらんのは


女にメグリあるからぞ、


このこと


よく気付けておくぞ、


村も国々も同様ぞ。


女のメグリは


コワイのざぞ。」




春の巻


第二十五帖


「神界の乱れ


イロからぢゃと


申してあろう。


男女の道


正されん限り、


世界はちっとも


よくはならんぞ。」




碧玉の巻


第二帖


岩戸がひらけたから、


さかさまのものが


出て来てゐるのぢゃ、


この行(ぎょう)


中々であるなれど、


これが出来ねば


岩戸はひらけんのぢゃ、


マコトの神さえ


魔神のワナに


かかって御座るのぢゃ、


人民がだまされるのも


無理ないようなれど、


だまされてゐては


今度の御用は成就せんぞ。」


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このように、女帝を立てることにより「ふひとのしくみ」が発動し、日本はこれまでとは逆のシステムが導入されてしまったのでした。

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日本神界の神々は、愛子さまの即位を猛反対しておられました。そして生前譲位をよく思っておられません。天皇制は令和をもって終了することが決まっています。


『日月神示』


雨の巻


第十七帖




「大峠とは


王統おうとうすのざぞ。


新しき元の


生命いのちと成るのざぞ。


神の心となれば


誠判るぞ。」



万世一系とは、長男から長男へ。直系から直系へと受け継がれる魂の原理です。日本で最初で最大の内乱「壬申の乱」は皇統が直系(大友皇子:天智天皇の長男)から傍系(大海人皇子:天智天皇の弟=天武天皇)へと変わってしまいました。女帝や傍系への皇位継承は万世一系の秩序を守られなかったために、世の中は逆さまになってしまったのです。飛鳥時代にしくみが変えられてしまったために、あとは天皇の座を争うめちゃくちゃな世の中になってしまいました。


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「よみがえる藤原京」より

逆さまの世とは、水が上から下へ流れる自然のしくみではなく、下から上へ捧げさせるしくみです。それは自然界にはありえないことなのです。本来は上から与えられるのが道理なのですが、長きに渡りわたしたちは搾取され続け奴隷にされていることが当たり前になってしまいました。そのことについてはこちらも併せてご一読いただけましたらより深められると思います。


③嫉妬の正体は「フヒトの仕組み」だった!



『大日月地神示』

【後巻】

七十


「世を操る魔の企て


知らねばならん。


人は無知であるから、


まんまと騙されるのぞ。


(まこと)と嘘の区別できねば、


いつまで経っても


(まこと)の世は創れん道理ぞ。


地の靈人(れいじん)


人民、


いつまでも


騙されておるでないぞ。


金と力で支配する者らおるから、


世は悪しきこと


起こりてきたのじゃぞ。


魔の靈団靈人の


(しもべ)となりてきた人民らが


思考をいいように操られ、


世をかき乱しても来たのじゃ。


何万年


何千年と


繰り広げてきた


人の歴史であるから、


ますます人民には


何がなんだか分からんのう。


歴史そのものがみな


支配されて


作られてきたものであるのぞ。


雨、風、雷、


地震、津波、


難病奇病、


何もかも


学使いて引き起こして、


神に成りすまし、


神を悪者に仕立て上げ、


好き勝手し放題し続けてきた


悪魔の(しもべ)たちよ、


いよいよ立場ひっくり返りて、


因縁相応にみな


苦しまねばならん時


参りましたぞ。


すべては


御魂(みたま)に刻まれておるから、


誰も逃げ隠れ嘘は


つけんのでありますぞ。


大神から御魂に


まことの薬つけてやるから


病治るぞ。


悪さいたした分だけ、


もがき苦しまねば


毒出しできぬから、


おのおの辛抱なされよ。


苦しむのは


己もたらした因果じゃぞ。


神は御魂の中から


すべて視ておるのぞ。


隠しごと一切できぬ


お仕組みじゃ。


人民には知るはずもなく、


靈団靈人(れいだんれいじん)とて


分からんのじゃから、


ここで申しておくぞ。


神と学の(いくさ)


決着はとうに


ついておるのじゃぞ。


学は神のものじゃ。


神から与えられた学を


悪しき使い方したきたゆえに、


皆々苦しむことに


なりたのじゃから、


学は神にお返しせねばならんぞ。


神に成りすましてきた


悪魔や(しもべ)の者らも皆々、


これまでの悪さすべて暴いて、


罪と罰のお仕組みで


(まこと)学ばすぞ。


悪魔、


(しもべ)らよ、


そなたらは


神に創り出された御魂ぞ。


ゆえにどこまでいっても


神には(かな)わんのじゃ。


そなたらを創りたものぞ。


敵う訳があるまいに。


散々世を


しっちゃかめっちゃかいたし


気も済んだであろうぞ。


そろそろ宇宙全体の者たちが


始末つけに参りますぞ。


地の掃除洗濯しに入りますぞ。


地の星、


救わねばならんから、


いよいよ時来たぞ。


地の靈人。


人民皆々、


悪しき思い手放せよ。


洗脳されてきた歴史、


いよいよ終わるのぞ。


意識、変わるのぞ。


大神の氣流れ、


次々と良き意識となりますぞ。


掃除洗濯とは、


意識の浄化でありますぞ。


(まこと)の意識に戻りますぞ。


浄化に苦しみ喜び下されよ。


分相応じゃから、


大神、


悪く申すでないぞ。


自業自得ゆえ


改心なされよ。


縁ある人民、


心込めて


神示読み上げて下され。


皆々様方に


読み聞かせて下されよ。


洗脳解くお役目でありますぞ。


目覚めた人から順に、


(まこと)伝え


皆に聞かすお役目いたし、


世の立て替え立て直し


いたし下されよ。


言葉、


力放ちてまこと顕れる時


来ておるのじゃから、


真に目覚めた人、


心勇んで動き出しなされよ。


すべてそなたの魂の中から


視ておりますぞ。


魂は内なる宇宙ぞ。


大神の雛型ぞ。


何もかも


お見透しでありますぞ。


寂しくないぞ。


そなた独りではないのぞ。


守護靈殿や指導靈殿、


縁ある良き靈人らに


支えられて生きておりますのぞ。


そなた、


愛されておりますから、


喜びに生きて下されよ。


良き世創る御魂として


生きなされよ。


お蔭は何万倍にして


喜び次々与えて参りますぞ。


仕組み隆々、


後の仕上がり楽しみになされ。


生きる歓喜の念に浸り下されよ。


むーうーるーうーおーー、


あーらーわーれーるーー、


おーおーおーおーおーー、


わーらーわーらーわーー。



二〇一七年十二月十五日


大日月地大神御靈(おおひつきちおおかみおんたま


はーー〇◎、。



今回もおめどおしいただきありがとうございました。

日本人を目覚めさせるためにブログを書いています。


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by new-jomon | 2019-08-29 15:13 | 世界の作り方 | Comments(2)

④ニギハヤヒが神武天皇に国を譲ったのは壮大な神の計画だった。

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天の川銀河は左回転です。


神仕組みとは、宇宙の摂理であり、法則であり、秩序のことであり、神の意思のことです。

宇宙は自由でありますが、星々はバラバラであるように見えて決まった方向に回転しているということにお気付きだと思います。宇宙にもルールがあるのです。

太陽を中心に惑星は軌道を保って回転しています。もしも惑星がルールを守らなかったらどうなりましょう。宇宙は自由だといわれていますが、それは創造神の壮大な計画として、あらゆる体験を許しているということです。ルールを守らない場合は悪自由となり、宇宙に多大なる悪影響を与えてしまうことになります。

ルール違反を選択した結果、あらゆる面でひずみが起きてしまうことになります。わたしたちはこの地球であらゆる理不尽さを体験し、それに伴う感情を味わい尽くしてきました。わたしたちはどんなことも体験してみてはじめて学ぶことができるのです。

前回、「ふひとのしくみ」について書かせていただきました。道理とは何か、秩序とは何か、もっとも封じられた女神がなぜ瀬織津姫だったのかを知るためには、自然の道理に逆らったしくみを表に出す必要があったのです。ルール違反してみてルールとは何か、ルールを守らないとどうなるのかを知ることができるのです。

「ふひとのしくみ」の言葉が降りてきたとき、ようやくそのことを書かせていただくことが許されたのだなあと思い記事にさせていただきました。

わたしの産土神社は元春日・枚岡(ひらおか)神社です。枚岡神社は河内の国一之宮で、神武天皇即位3年前に創立された神社です。ご祭神は神武東征の際に神武天皇をおたすけされた神事宗源・天孫輔弼(ほひつ)の神様アメノコヤネノミコト様。中臣氏の氏神様です。
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枚岡神社(筆者撮影)

春日神社の神様は、中臣氏の氏神さまのほかに、タケミカヅチ・フツヌシ・ヒメカミという神様がセットになっています。わたしはタケミカヅチ・フツヌシの神様はニギハヤヒでヒメカミは瀬織津姫だと思っています。なぜならこの二柱の神様はもともと生駒山にいた神様ですから、存在を消すことはできないため名前を書き換えて祀られているからです。
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枚岡神社(筆者撮影)

老婆がこの池で死んだとされる伝説の姥ヶ池。瀬織津姫は鬼や姥の姿に変えて封じられてきました。
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枚岡神社(筆者撮影)

水の女神である瀬織津姫が祀られている場所には必ず水場があります。

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枚岡神社(筆者撮影)

檻に閉じ込められた鹿=ニギハヤヒ。そして元春日の所在地は出雲井町なのです。下は下鴨神社。

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下鴨神社(筆者撮影)

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枚岡神社(筆者撮影)

タケミカヅチ=武甕槌=武⇒もののふ 甕⇒ニギハヤヒの暗号 槌⇒大国主
タケミカヅチの神使=鹿=「イコマ」はアイヌ語で「鹿が群れている」の意味。
「なで鹿」ニギハヤヒは和魂(にぎみたま)なので子を慈しむやさしい神様であることがわかります。

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枚岡神社(筆者撮影)

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枚岡神社(筆者撮影)

わたしは元春日でお宮参りと七五三をしていただきましたので、枚岡神社はとても深いご縁があるのです。春日大社宮司を務めておられた葉室頼昭先生(故人)は枚岡神社に昭和54年まで宮司をされておられましたので、お宮参りのときに御世話になったかもしれません。わたしは数年前に何気なく「神道のこころ」という本にひかれて読んでみたところ、著者の葉室頼昭先生が枚岡神社の宮司をなさっていたということが書かれておりビックリしたものです。葉室先生のご本に感銘を受け何度も読みました。
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物部守屋公墳墓(筆者撮影)

葉室家は皇室の血筋を引く由緒ある家柄です。葉室先生は母方が公家、父方が武家の血筋を引いた方です。つまり反発しあう家同士を両親に持たれたのです。そして葉室先生ご自身は形成外科の医師でした。東大阪市で形成外科の開業医をなさりつつ、のちに神職に従事されたという異色の経歴をお持ちの方でした。医師と神官という相反するけれども根本は同一のお仕事の両方をされたのです。そして西洋医学の医師でありながら東洋医学の鍼灸もされたという、これまた相反する医学の両方を統合されたのです。わたしは鍼灸師なのでこの点に大変感銘を受けました。西洋医学と鍼灸の統合医療は大変すばらしい治療効果があることを見事に実証されたのです。葉室先生の著書には常に「見える世界だけでなく、見えない世界も同じくらい大事なのです」ということをお伝えされていました。
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枚岡公園(筆者撮影)

藤原氏の血筋の方は、現代においても神職についておられ、対極の関係を和合させるお役目を担われておられるのだなあと感じています。この時代に生まれさせていただいた日本人は、かつて成し遂げられなかった和合を今生で果たすべく役割を何らかの形で担っています。その根本に家族の学びが与えられているのです。

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神武東征ルート

わたしは直観を得てその地に赴き、導かれた記録をこのブログで綴ってまいりましたが、常に藤原氏の存在が裏で関わっていました。そのことについてこれまで触れてきませんでしたが、「フヒトの仕組み」を開示させていただいたのでようやくご説明させていただける段となりました。

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生駒山(筆者撮影)

わたしの生まれ故郷は生駒山麓です。そこは神武天皇vsナガスネヒコの戦(孔舎衙くさか坂の戦)の古戦場でもあったのです。枚岡神社と石切神社はどちらも徒歩10分ほどで行ける所に住んでいましたので両神社は遊び場所でした。枚岡神社(藤原氏本拠)と石切神社(物部氏本拠)は歴史を紐解けばもともと祭祀をしていた物部氏(のちに忌部氏)から藤原氏(中臣氏)が独占するようになったのです。生駒山にもともといた皇祖神ニギハヤヒと瀬織津姫夫婦に表から裏に下がってもらい、神武天皇が治めるようなって日の本から日本になったのです。
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石切神社 ニギハヤヒ命(筆者撮影)

わたしは歴史にも神社にも神様にもまったく興味がなかったのにもかかわらず、このようなブログを書かせていただいています。なぜこのようなことを書かせていただいているのかと申しますと、体験したことが日本の歴史と神様に関わることだったからです。わたしは歴史の知識がなかったために、わけがわからないまま実践行動することになっていったのです。
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石切神社(筆者撮影)

分かってきたことの一つは、歴史は何度も何度も和合を成し遂げるために戦いを繰り返して来たということです。そして戦の本質は、神と神の戦いであったということです。それは記紀神話の原点となる「神武東征」からはじまったということです。これは正統なる我が国の建国物語の原点とされています。よって、「神武東征」は文明と文明の転換であり、神と人との交代劇であり、あらゆる物語の型となっているのです。そして日本に起こるすべての因縁は「神武東征」に集約されており、その根拠となる「記紀神話」の編纂が弥生文明の基点だったということがわかったのです。
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神武天皇vsナガスネヒコは、弥生vs縄文です。
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神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)
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神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)


神武天皇即位が弥生のスタート地点です。ナガスネヒコは東北に逃れて縄文を守ってきました。このとき弥生と縄文は棲み分けてきました。

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平安時代、桓武天皇vsアテルイの戦いがありました。これまで朝廷が見向きもしなかった東北地方(日高見国)は金が豊富な埋蔵地だと知った桓武天皇は、大仏建立の際に必要な金を欲して東北地方を律令国家に組み入れて支配しようとしました。抵抗したアテルイ軍は少数精鋭で大変強かったため、20年以上にわたる戦に一度も負けませんでした。

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「アテルイ平安朝廷とたたかった東北の英雄」より

結局、長い戦に終止符を打つ決心をしたアテルイは降伏することにしました。このとき、共に戦ったライバルの坂上田村麻呂がアテルイの助命を強く懇願しました。
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アテルイとモレの塚(筆者撮影)

桓武天皇の取り巻きには藤原氏が関わっていました。藤原氏は桓武天皇の親戚ですので絶対的な発言力があるのです。彼ら藤原一族はそれぞれ五摂家を設けてそれぞれの役職についたため、天皇一人に対して藤原一族の意見は相当な影響力を持っていました。公家たちは「獣の心を持つ者は、いつ逆らうか分からない。殺してしまえ」と無慈悲に坂上田村麻呂の懇願を却下してしまいました。
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『日本紀略』より

「アテルイ平安朝廷とたたかった東北の英雄」より

結局桓武天皇は、和合を果たせずアテルイを河内で処刑したのでした。

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アテルイとモレの塚(筆者撮影)

鬼といわれた真のヒーロー阿弖流為

南北朝時代、南朝vs北朝の天皇同士の戦いがありました。このとき、それぞれの天皇を戴いて武士同士が戦いました。南朝の楠木正成公と北朝の足利尊氏はともに戦いました。戦上手といわれながら戦を好まない楠木正成公は後醍醐天皇に足利軍との和睦を奏上しました。公武一体こそ天の道でありますと。
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大楠公誕生の地(筆者撮影)

後醍醐天皇はエゴが一切ない楠木正成公を心から信頼し、楠木正成公は後醍醐天皇に命を捧げてまで忠誠を尽くしていました。ですから後醍醐天皇なら大楠公の提案を受け容れられたかもしれません。しかし、天皇の取り巻きの公家たちは一斉に「愚策だ」と却下したのです。後醍醐天皇は藤原氏の血を引いています。一人の天皇に対して多くの公家たちの発言力は絶大ですから、天皇は最善の選択をすることができなかったのです。わたしはこのシーンを見て泣けて泣けて仕方なかったのでした。
太平記で見る大楠公のすべて 時代を超えて語り継がれる英雄(ユーチューブ)
(⇧後醍醐天皇と大楠公と公家のやり取りのシーン。必見ですよ!⇧
武田鉄矢さんをはじめ俳優さん方の迫真の演技は、神憑りです)
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 『小河ドラマ・楠木正成』より

このときも和合が為されずに戦は続けられ、大楠公は湊川で戦死してしまいました。

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四條畷神社(筆者撮影)

桜いの別れ「父の死後は足利軍の天下になるだろうがどこまでも正統の天皇を御守りせよ。それが父への孝行となるのだ」と諭し天皇から賜った短刀を与え身も心も我が子に伝えて出陣された。

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四條畷神社(筆者撮影)

何時の時代も天皇は藤原氏に動かされてきました。天皇は神武天皇が即位してから表と裏の天皇に分かれました。南北朝時代は南朝と北朝の天皇に分かれました。表(北朝)の天皇はアマテラスを奉じ、裏(南朝)の天皇はニギハヤヒを奉じてこの国の国体を維持してきたのです。
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ニギハヤヒは神武東征の際、この国を神武天皇にお譲りされたのであって敵対したのではないのです。アマテラスと天皇を裏から補佐する役目をしてこられたのです。ニギハヤヒはもともとの皇祖神ですから、日本はこの神を無視しては国体を維持することはできないのです。なぜなら災害や疫病、干ばつなどの大難を鎮めることができるのは、元の神の血統の子孫だけだからです。そのため表の天皇になり代わり、祭祀を執り行う裏方としてニギハヤヒの血筋の方が御神事を歴代担ってこられたのです。記紀では大物主(ニギハヤヒ)のお告げによってオオタタネコがその役目を担われたことがわかります。
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大神神社(筆者撮影)

神武東征のときに天皇が誕生してから日本は二本になりました。それは縄文の精神文明に幕を閉じ、弥生の物質文明の幕開けでした。日本は物質文明を体験することにより、精神と物質を両立させてより進化することが神々の計画だったのです。

明治維新までは公家が日本を動かしてきました。明治維新になりイギリスが、昭和の時代でアメリカが日本を動かすようになりました。戦中戦後はアメリカが表の天皇を洗脳懐柔作戦することにより、日本は天皇を取られてしまったのです。それまでは公家のなかから皇后が選ばれ、皇后としての作法や皇室のしきたりを踏襲してきたのですが、GHQが送り込んだ美智子様との結婚により、これまで守られてきた皇室が開かれていきました。開かれるということは、天皇の在り方が変えられてしまったということです。「象徴天皇」として。神武天皇以来、表の天皇はいつの時代も外国人に動かされてきたということです。ふひとのしくみで。

いつの時代も天皇という役目を担われてこられた方は大変な人生でした。一般人として生かされているわたしたちには到底分かりえないご苦労があるのです。それは王たる器の魂の持ち主だったからこそ役目を務めてこられたのです。

本来天皇とは、権力を争ってその地位を勝ち取るものではありません。神の意思により天命を与えられるものであり、その天命を受けた方は相当な覚悟を必要とされるのです。なぜなら、「私」を捨て去らなければ神の意思の通りに動くことができないからです。「則天去私」というのは、自我を一切捨て去り、天の御心のままにいかようにでもお使い下さいませと神に自分を捧げるということです。

そこには個人的力、個人的自由、個人的知恵といった一切の自我は介入されません。真我一体、神人合一になってはじめてその役目を果たすことができるのです。神の意思の通りに神事を執り行い、地上天国を創造するのが天皇の本当の役目です。それは誰もが務められるものではありません。皇祖神の血筋を受け継いだ男系男子であり万世一系なのです。そしてそれはすべて秩序どおりであれば、決して男子が絶えることはないのです。そして結婚の縁も結ばれるのです。

家系というのは遺伝子の継承であり、結婚というのは異なる家系を和合させる不変のシステムです。家系を和合させつつ長男から長男へ。これが万世一系なる神仕組みです。両家の家長の魂を受け継ぐ子孫は長男だけなのです。そして長男に嫁いで長男を生むことができるのは、長男嫁だけなのです。ここには深淵なる魂の原理というしくみがあります。

かつて神の御意思の通りに神事が為されていた時代、万世一系は守られてきました。スメラミコトは長男から長男へ受け継がれてきたのです。(この時代には天皇という称号はありませんでした)それが本来の皇統を守ることだったのです。神のしくみに沿っていれば必ず男子は誕生するのです。なぜなら神は男子にしか降りることができないからです。ゆえに天皇は男系男子という秩序があるのです。

しかし、古墳・飛鳥時代に仏教が入り込んできたことにより、神仕組みが崩されはじめました。それから女帝が擁立されはじめ、神仕組みはさらに崩されて行きました。それから天皇は権力争いで取り合いになってしまいました。これらはすべて神のしくみを無視したから起きた争いだったのです。

神のしくみとは秩序です。宇宙に遍満するミクロからマクロまでいきわたるシステムです。これを守っていれば大難を小難に、小難を無難にすることができるのです。そこで因縁を生んでしまえば家系レベルの因縁を背負ってしまいます。

このしくみについては改めて書かせていただきます。瀬織津姫は秩序の女神です。この神様が封じられたために神仕組みがめちゃくちゃになってしまったのです。

今後はニギハヤヒと瀬織津姫の教えは何なのかをお伝えさせていただきます。(やっとここまでたどり着きました~)

同時に、鬼さんからのメッセージ、スサノオ様に掛けられた濡れ衣を払拭し、わたしたちの親神様でありわたしたちの誇り高き英雄の神様であるということもお伝えさせていただきます。日本人が真に立ちあがるには、記紀神話によって書き換えられてしまった神々への誤解を解き、日本人の自尊心を取り戻すことです。そして封じられた万世一系の神仕組みを思い出して一般人が実践することなのです。
万世一系とは、万人に共通する秩序です。天皇だけではありません。ゆえに一般人も知らなければならないことなのです。ちなみに天皇制は記紀神話とともに令和をもって終わります。

今回も長文のおめどおしをいただきまことにありがとうございました。
このブログは日本人を目覚めさせるために書いています。


by new-jomon | 2019-08-25 14:02 | 世界の作り方 | Comments(0)

③嫉妬の正体は「フヒトの仕組み」だった!

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「記紀は呪詛」


これはわたしが畳の上に寝っ転がっていた時に降りて来た言葉でした。

そして昨日、仕事を終えて自転車に乗ろうとしていたときに降りてきた言葉がこれでした。


「ふひとのしくみ」


目が覚めるような思いになりました。

フヒトの仕組み?

それが日本の呪詛だった・・・!?


「ふひと」といえば「ふじわらのふひと」。気になったので「藤原不比等」と調べてみましたら「不比等」とともに「史」と言う字が出てきました。藤原不比等さんは


藤原史(フヒト)


とも書くとのことです。(゚д゚)! 気になったので「ふひと(史)」を辞書で調べました。


史(ふひと/ふみひと)とは、

古代の日本において文筆や記録の職務にあたった渡来人系の官人組織。



なんと、藤原不比等さんの御名前は本名ではなく役職名だったようです。ということは、フジワラのフヒトさんは渡来人で記紀編纂者としてのおはたらきをなさった人だったのです。

『記紀は呪詛~天皇誕生物語~』

監督・脚本

藤原史

出演

神武天皇:天武天皇。

アマテラス:持統天皇。

ナガスネヒコ:瀬織津姫。

ニギハヤヒ:饒速日命。

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テーマ

=新しき世は神から人へ=

我が国に新たな王が誕生した。

神になり代わりこの国を統治する初代日本の王。

それは天皇。

これからは外国の最先端の文明を取り入れ、

外国に負けない先進国になるのである!

8世紀からの建国物語のはじまりはじまり~。


さて、ニギハヤヒの方法論とは正反対の方法論で国の運営がはじまりました。まずは国家事業計画書を書かなければなりません。701年に大宝律令が制定されましたが、時の天皇は持統天皇。もちろんフヒト先生が「大宝律令」に関わりました。

そして、国家事業の方法論を確立するには、日本がどのようにして創られたのかという歴史書が必要です。それが記紀です。

記紀は天武天皇の代に編纂を命じられたとされていますが、天武天皇はまもなく崩御され、歴史書を目にされることはありませんでした。

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『よみがえる藤原京』より

「大宝律令」は701年に持統天皇に献上されました。

『古事記』で712年に元明天皇に献上され、『日本書紀』は720年に元正天皇に献上されました。

いずれの天皇も女帝です。天皇だった夫が亡くなったから皇后が天皇になったのですから未亡人です。

さあて、女帝のフィクサーはだあれ?

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有名無力、無名有力。


これは古代中国の教えであり、昭和の黒幕・安岡正篤(まさひろ)先生のモットーでした。

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そして飛鳥時代の黒幕・藤原不比等先生もそれをモットーにしていたのでしょう。フヒトさんに思いを馳せるとなぜかどうしてか安岡先生のご存在が浮かび上がってくるのです。安岡先生は天才でした。フヒト先生もまちがいなく天才だったと思うのです。ただ、同じ天才であっても安岡先生と違っていたのは正反対の方法論で国を動かした方だったということです。

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善根寺春日神社(筆者撮影)

天武・持統天皇夫妻は日本の神話に登場する神のモデル像になった天皇です。


物語というのは、何を書いても許されるのです。小説家は殺人事件をいくら書いても逮捕されません。小説がベストセラーになれば映画化され、架空の人物が実在性を帯びてきます。シリーズ化が何十年も続いたら、キャラたちは人々の集合意識によって完全に生きた存在となります。そして原作者が死んでも作品は半永久的に語り継がれ、何百年も人々の記憶の中でキャラクターは生き続けるのです。


思いが先、現実化は後。


この原理を知っていたら、日本を思いのままに動かすことができる。このことをフヒト先生は当然ご存知だった。

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『よみがえる藤原京』より

『大宝律令』は唐の律令制度を倣って日本に初めて導入された、天皇を頂点とする政治体系です。唐の文化を取り入れた法律と、初代天皇を誕生させた歴史書との両輪で天皇の存在を絶対的地位に位置づけたのですから、国家事業計画は万全です。そして都は唐にならって作られた「藤原京」でした。

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『よみがえる藤原京』より

そういえば、藤原史さんの娘が藤原宮子。藤原宮。藤原フヒト先生は、持統天皇の孫・文武天皇と自分の娘を結婚させることをずっとお望みだったのでしょう。そしてその暁には、藤原姓を名付けた首都を造成することを夢見ておられた。

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『よみがえる藤原京』より

これまでの天皇は皇統を維持するために皇族の中から妃が選ばれていたのですが、藤原宮子は日本ではじめて皇族以外から天皇の后になりました。それは天皇が外国人と結婚したということでした。

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『ファジョン』より

故国を失って渡来してきた藤原氏は、こうして絶対的な地位を確立することに成功したのです。

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『ファジョン』より

藤原宮子の夫は文武天皇。持統天皇の孫です。フヒト先生は造成した都を藤原氏のものにすることを目論んで娘を「藤原宮子」と名付けて皇后にさせた。さすが天才!

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首都:藤原宮

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藤原宮跡(筆者撮影)

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藤原宮跡(筆者撮影)

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『藤原宮跡』(筆者撮影)

文武天皇と藤原宮子との間に生まれたのが、聖武天皇でした。フヒト先生が亡くなった後に即位されました。中臣鎌足ー藤原史ー藤原宮子ー聖武天皇。藤原氏は三代目にして悲願の天皇の血脈に絡みついたのです。この天皇が藤原氏の血を引くはじめての天皇の誕生となりました。さあ、フヒト先生のかわいい孫が天皇になりましたよ! 


藤原氏による外戚政治のはじまりはじまり~。

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『よみがえる藤原京』より

『大宝律令』も『古事記』『日本書紀』も献上したのが女帝です。持統天皇は実権を握った女帝だといわれていますが、実際は最高責任者にすべてフヒト先生が関わっていた可能性は絶大です。

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藤原宮跡(筆者撮影)

四代目女帝・持統天皇 

701年『大宝律令』


五代目女帝・元明天皇 

712年『古事記』


六代目女帝・元正天皇 

720年『日本書紀』


編纂者

藤原史(不比等)

(720年没)


唐の律令制度にならって王を頂点とする仕組みを日本に取り入れたのが『大宝律令』でした。これにより土地も人もすべて天皇の所有物になりました。初代天皇誕生の物語を書くことによって、天皇の存在と地位を明確にすることができます。そうすれば、天皇を頂点とした政治を正当化し、これまで古代豪族が取り決めて来たまつりごと一切とは違うシステムを立ち上げることができる。

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『ファジョン』より

そして天皇の血脈に絡みつけば末代まで地位と名誉が保障される。故国で成し遂げられなかった王の座を得、その血縁者である藤原一族が要職を牛耳ることができればこの国をほしいままに動かすことができる。

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『小河ドラマ - 楠木正成』より。

フヒト先生、初代藤原氏なんですよ。さすがです。初代や創業者となれる方は、やはり偉大なんです。器が大きくなければ後世まで名を残すほどの偉業を為すことはできません。初代藤原氏は天皇の側近として国を裏から動かす確固たる座を得、後世にわたって栄える藤原時代の道筋を切り開いたのでした。


ただ、安岡先生と同様、天皇の側近であってもその方法論は正反対だったのが大きな違いです。ここが重要なポイントなのです。

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「終戦の詔勅」

安岡先生は宇宙の仕組みに沿った方法論で昭和天皇の「終戦の詔勅」を書かれました。

【ニギハヤヒ命】に導かれて②「終戦の玉音放送」の原稿を書いた昭和の裏天皇。

フヒト先生は宇宙の仕組みに逆らった方法論で「大宝律令」と「記紀神話」を編纂されました。

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『日本書紀』

ではなぜ、フヒト先生は宇宙の仕組みに逆らった方法論を採用されたのでしょう。本来天皇とは神の意思を降ろす役目を担う血筋の男系男子。この国は神国なので、人の意思よりも神の意思を尊重して国を動かしてきました。仏教が入ってくるまでは。

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勝軍寺(筆者撮影)

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勝軍寺(筆者撮影)

藤原氏は7世紀後期の渡来人。彼らがこの国で生き延びるために、故国のシステムをこの国で確立させて絶対的地位を得ることを第一に考えました。外国人である彼らは天皇になることは絶対にできません。しかし天皇を利用すればこの国を意のままに動かすことができる。

天皇を利用するためには、女帝を立てれば自分が側近として政治に関わることができる。

そもそも天皇の仕事はご神事です。神様のご意思を世に降ろし、地上天国を実現させることが天皇の役目。神国日本は神の国。

天才フヒトは考えました。神の世界を書き替えれば人の手による政治が実現できるのではないかと。


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「天の岩戸開き神話」

もともとこの国にいた古い神を封じて新たな神を最高神にすれば新たな国としてスタートさせることができる。神事宗源の神を中臣氏の始祖とすれば、神の世界を動かすことができる。

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枚岡神社(筆者撮影)

そのためには神話を改ざんすれば思いのままだ。こんなところでしょうか。

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五字神社(筆者撮影)

神話は二元性の対立が物語のテーマになっています。生と死、男と女、海と山、天と地。

本来はそれぞれ一対でひとつなのです。もともと夫婦だった神々は夫婦でおはたらきになることにより、国を生むことができた。けれども片割れが死んでしまい、夫婦が別れ別れになってしまいました。

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イザナギ・イザナミ命。国を産み給う図。


国産みのイザナミが死んだのは火の神を産んだときにやけどをしたから。その火の神をイザナギが殺すのです。火の神はニギハヤヒでもあります。そのときイザナミは苦しみながらおしっこをするのです。それが水の神「みつはのめ」です。水の神様がおしっこだなんて・・・。水の神は縄文女神の瀬織津姫です。このとおり『日本書紀』では最初から火と水の神は尊厳を侵されていたのです。

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籠神社(筆者撮影)

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石切神社(筆者撮影)

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建水分神社(筆者撮影)

そしてイザナミは死んで黄泉の国へ行ってしまわれました。イザナギは黄泉の国でイザナミを見てしまい、魑魅魍魎の姿になってしまいました。国産み神産みという重要な女神がとんでもない姿にされています。しかも妻は夫に


「わたしの姿を見てしまったこの恨み、

あなたの国の子どもを毎日1,000人殺して復讐してやりましょう」


と、神様なのに日本人を大量殺人宣言されるのです。恨みという感情はどうも日本人には共感が得られない。そして恨みには復讐する行動様式がともなっています。記紀神話は日本人が書いたものではありません。この国は渡来人が基点をつくったために、現在も外国帰化人が法律を作っているという因縁がある。日本人から奪い続ける仕組みをつくりつづけているのです。


嫉妬がこの国を動かして来た。

ふひとのしくみで。


この国を根本から建て直すためには日本人の手で神話を書き直さなければならないのです。



現在から神話時代を書き直す。


そしてこの国の集合意識を再構築する。



これがわたしが直観を得て何度も神武東征古戦場に導かれたことでわかったことだったのです。


科学、医学、教育、政治、金融などすべてが理論によって体系づけられています。そのしくみどおりに発展させてきた現在、どの分野も八方ふさがりになってしまいました。それは、すべての理論が宇宙の回転方向と逆向きの方法論だからです。


なぜこの国でもっとも封印された女神が瀬織津姫だったのか。それはセオリーの神だから。セオリーとは理論。理論とは道理であり秩序であり法則。宇宙の法則に逆らったしくみをこの日本に持ち込むためには、セオリーの神を封じておかなければならなかったから。

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「大祓の詞」より


けれどもう瀬織津姫は復活されました。ということは、わたしたちはこれから宇宙のしくみどおりに生きてゆかなければ存在ごと祓われてしまいます。

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「大祓の詞」より

宇宙の回転方向に逆らうことは悪仕組み。わたしたちは神仕組みの世を体験をしたあと、悪仕組みの世を体験してきました。どちらも体験してみてどちらがよいかがわかる。宇宙は壮大な計画でこの地球を実験の場として作られました。日本人は被験者だったのです。神の遺伝子が埋め込まれた太陽の民族としてどのように生きてどのように国をつくっていくのかが試されていたというわけです。

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善根寺春日神社(筆者撮影)

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善根寺春日神社(筆者撮影)

藤のつるは右回転。

樹齢は1,000年。

花言葉は「決して離れない」

藤のつるに絡みつかれた木は必ず枯れると言われています。


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枚岡神社(筆者撮影)


日本史は藤原史だった。

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『日月神示』


碧玉の巻


第十帖



 岩戸しめの始めは


ナギ(伊邪那岐命)


ナミ(伊邪那美命)の


命の時であるぞ、


ナミの神が火の神を生んで


黄泉国に入られたのが、


そもそもであるぞ、


十の卵を八つ生んで


二つ残して行かれたのであるぞ、


十二の卵を十生んだことにも


なるのであるぞ、


五つの卵を四つ生んだとも


言へるのであるぞ、


総て神界のこと、


霊界のことは、


現界から見れば


妙なことであるなれど、


それでちゃんと


道にはまってゐるのであるぞ。


一ヒネリしてあるのぢゃ、


天と地との間に


大きレンズがあると思へば


段々に判りてくるぞ。


夫神、


妻神、


別れ別れになったから、


一方的となったから、


岩戸がしめられたのである道理、


判るであろうがな。


その後、


独り神となられた夫神が


三神をはじめ、


色々なものを


お生みになったのであるが、


それが一方的であることは


申す迄もないことであろう、


妻神も同様、


黄泉大神となられて、


黄泉国の総てを


生み育て給ふたのであるぞ、


この夫婦神が、


時めぐり来て、


千引の岩戸をひらかれて


相抱き給う時節


来たのであるぞ、


うれしうれしの時代と


なって来たのであるぞ。


同じ名の神が到るところに


現はれて来るのざぞ、


名は同じでも、


はたらきは逆なのであるぞ、


この二つがそろうて、


三つとなるのぞ、


三が道ぞと


知らせてあろうがな。


時来たりなば


この千引の岩戸を倶にひらかんと


申してあろうがな。


次の岩戸しめは


天照大神の時ぞ、


大神はまだ岩戸の中に


ましますのぞ、


ダマシタ岩戸からは


ダマシタ神がお出ましぞと


知らせてあろう。


いよいよとなって


マコトの天照大神、


天照皇大神、


日の大神、


揃ふてお出まし


近うなって来たぞ。


次の岩戸しめは


素盞鳴命に


総ての罪をきせて


ネの国に


追ひやった時であるぞ、


素盞鳴命は


天下(あめがした)を治しめす


御役(おんやく)の神であるぞ。


天ヶ下(あめがした)


重きもののつもりて


固まりたものであるから


ツミと見へるのであって、


よろづの天の神々が積もる


(と言ふ)ツミ(積)


よく理解せずして


罪神と誤って了ったので、


これが正しく


岩戸しめであったぞ、


(みこと)をアラブル神なりと


申して伝へてゐるなれど、


アラブル神とは


粗暴な神ではないぞ、


あばれ廻り、


こわし廻る神ではないぞ、


アラフル(現生る)神であるぞ、


天ヶ下、


大国土を守り育て給う


神であるぞ、


取違ひしてゐて


申しわけあるまいがな。


このことよく理解出来ねば、


今度の大峠は越せんぞ。


絶対の御力を発揮し給ふ、


ナギ、ナミ両神が、


天ヶ下を治らす


御役目を命じられて


お生みなされた


尊き御神であるぞ。


素盞鳴の命にも


二通りあるぞ、


一神で生み給へる御神と、


夫婦呼吸を合せて


生み給へる御神と


二通りあるぞ、


間違へてはならんことぞ。


神武天皇の岩戸しめは、


御自ら人皇を名乗り給ふより


他に道なき迄の御働きを


なされたからであるぞ。


神の世から人の世への


移り変りの事柄を、


一応、


岩戸にかくして


神ヤマトイハレ彦命として、


人皇として


立たれたのであるから、


大きな岩戸しめの一つであるぞ。


仏教の渡来までは、


わずかながらも


マコトの神道の光が


さしてゐたのであるなれど、


仏教と共に仏魔わたり来て


完全に岩戸がしめられて、


クラヤミの世と


なったのであるぞ、


その後はもう


乱れほうだい、


やりほうだいの世と


なったのであるぞ、


これが五度目の


大き岩戸しめであるぞ。



日本には古来より秩序の乱れを戒める教訓があります。


「ならぬことはならぬのです」



今回も最後までお読みくださりありがとうございました。

お気に入りにいれていただけましたらうれしいです。

更新を通知する


令和のはじまりとともに眠っている魂をゆさぶるためにこのブログを書いています。

感謝。



by new-jomon | 2019-08-22 18:52 | 世界の作り方 | Comments(0)

②もうひとつの天皇誕生物語

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我が国の

「正統なる歴史書」である

『日本書紀』のクライマックス

「神武東征」では

神武に帰順することを拒み、

ニギハヤヒに忠誠を尽くそうとした

ナガスネヒコに対して

ニギハヤヒは


「神と人は違うのだ。ナガスネヒコはねじれたところがある」


と言ってナガスネヒコを惨殺し、

神武に帰順したことになっています。


わたしは直観ー実践行動―体験記録を書き記していくうちに

日本神話が改ざんされていたことに気づかされたのでした。

そして

ストリートファイターシリーズに

『日本書紀』の「神武東征」が

隠されていたことに気づいたのです。


今回は

神話のメインキャストである

神武天皇とニギハヤヒ、

そしてナガスネヒコに

感謝と敬意を込めて

創作させていただきました。

高千穂峰(筆者撮影)
高千穂峰(筆者撮影)

天孫(アマテラスの孫)族

ニニギノミコトのひ孫にあたる

神武(イワレビコ)は

出雲族

ニギハヤヒが治めていた

賑わい栄えていた

日下国(ひのもとのくに)の

うわさを聞きつけると

「天孫である我こそが

その地を統治するにふさわしい」と

日下国を支配するために

日向(ひむか)から

軍を引き連れてやってきました。

生駒山(筆者撮影)
生駒山(筆者撮影)


もともと生駒の地にいた

勇猛な土豪

トミノナガスネヒコは

十種の神宝(とくさのかんだから)を携えて

生駒山にご降臨してこられた

太陽の神ニギハヤヒ

天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命

(アマテル

クニテルヒコ

アメノホアカリ

クシミカタマ

ニギハヤヒノミコト)

がもたらした

生活水準向上のための

国土開拓と農水産業、医薬等、

生活に必要な道具の

あらゆる恩恵を受け、

その徳の高さに帰順し

忠誠を尽くしてきました。

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磐船神社 御神体(筆者撮影)

ニギハヤヒは

ナガスネヒコの妹を娶り、

息子のウマシマジ

(後の物部一族)をもうけ、

ナガスネヒコとともに

皆が豊かで幸福で平和な

「大いなる和の国」づくりに

励んでいました。

その地は大調和の

「ひのもとのくに」

(日下国)

と呼ばれました。

ストⅤトレーラーより
ストⅤトレーラーより

ある日

ナガスネヒコは

神武軍が攻めてくることを察知し、

専守防衛するべく

生駒山のふもと

(孔舎衙くさか坂)で

待ち構えていました。

日ごろから野山を駆け回り

狩猟で弓矢の腕を鍛えていた

ナガスネヒコは

とても手強く、

太陽を背にしていたために

目がくらんだ神武は

一度も勝つことができませんでした。

ストⅢ3rdエンディングより
ストⅢ3rdエンディングより

神武が敗因を天に問うと

返ってきた答えは

天孫であるにもかかわらず

「太陽に向かって戦ったから」

でした。

ストⅢ3rdエンディングより
ストⅢ3rdエンディングより

どうしても豊穣なるパラダイス

日下国(ひのもとの国)を

手に入れたかった神武は

自ら太陽を背にするべく

紀伊半島をまわって

熊野から攻め入るのでした。

それがナガスネヒコとの決戦、

縄文と弥生の文明の分水嶺となる

「孔舎衙(くさか)坂の戦」でした。

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」

神武は

紀伊半島に住み着いていた

女たちを奪って切り刻み、

男たちは容赦なく惨殺しながら

進軍していきました。

これまで愛とよろこびに

満ち溢れていた人々は、

神武によって

恐怖におののき

絶望に打ちひしがれ、

いのちを奪われていきました。

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」

ナガスネヒコが

神武にこの地を奪いに来た理由を問うと、

神武は

「天孫である我にこそ

この地を平定する権利がある」

と主張しました。

多くの仲間たちのいのちを奪い、

さらには土地までも奪おうとする神武に

ナガスネヒコは

帰順を迫られても従いませんでした。

「この地は我が主君・

太陽神ニギハヤヒノミコト様が

お造りになられた

日下国(ひのもとのくに)。

貴神が天孫であらせられようとも、

この地をお譲りするわけにはまいりません」

とナガスネヒコは言いました。

話し合いで決着がつかなければ、

武力で決着をつけざるを得ません。

両者が戦いの火蓋を切ろうとしたそのとき。



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ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」


金色のトビが飛んできて、

神武の弓の先に止まりました。

その黄金の輝きに、

ナガスネヒコは

目がくらんで戦えなくなりました。

争いと戦いを好まないニギハヤヒは、

戦うことでナガスネヒコの

縄文人としての本性が

失われてしまうのを止めたのです。

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」


ニギハヤヒは


ナガスネヒコに言いました。


「この地とこの地に住まう者たちを


守るための最善の道として、


わたしの娘をイワレビコに娶らせ和合を結び、


この地の統治権をイワレビコに譲ろう。


我が一族はこれより始まる統治権力に


迎合する道を歩むことになろう

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」

「しかしそなたはここに留まるわけにはまいらぬ。


天孫族は必ずやそなたのいのちを奪うだろう。


そなたは一族とともに東へと落ち延びよ。


東の果てには天孫族の手の及ばぬ土地がある。


我らと同族の国津神・アラハバキ神が


その地を守護しておられる。


わたしの名をその神に伝えるのだ。


さすればそなたら一族は受け容れられよう」

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」


「わたしとともに造りあげた


日下国(ひのもとのくに)を


東の果ての地に住まう者とともに


造りあげるがよかろう。


その地を日上国


(ひたかみのくに=日高見国)


と称するがよい。


必ずやアラハバキ神は


そなたらに力を与えてくださるだろう」

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」


「東の果ては寒くつらいことも多くあろう。


長きにわたる苦難を強いられることもあろう。


しかし、


そなたらにはわたしと同じいのちが宿っておる」

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」


「忘れるでないぞ。


いのちは永遠なのだ。


わたしはいつどこにあろうとも


そなたとそなたの子孫とともにある」


ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」


「悠久の時の流れのなかで、


そなたの子孫がいつしか


そなたの存在を忘れようとも、


いのちはすべてを記憶しておる。


大地から芽吹く新芽のように


必ずいのちはそなたを思い出すであろう。


そして真の和合が結ばれる時を迎えるであろう」

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」

「すこやかであれ」


ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」

「饒速日命様。


我らはどこにあろうとも


あなた様の忠実なしもべ。


これまでの数々の御恩、


たとえこのいのちが果てようとも


未来永劫忘れませぬ」

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」


「我らの子孫は必ずや


あなたさまとともに


復活いたしましょうぞ。


そして必ずや、


真の和合を果たさんことを!!」

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」

ニギハヤヒは

生駒山から三輪山に御移りになられ、

太陽神の御名を隠されました。

ナガスネヒコは

兄のアビヒコとともに東の果てに逃れ、

土着のツボケ族と統合して

アラハバキ族となり、

日上国(ひたかみのくに)を造りました。

日下国(ひのもとのくに)が東へ流れたので

その地は「東日流」=「つがる」

と呼ばれるようになりました。

青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 遮光器土偶
青森県つがる市木造亀ヶ岡出土 遮光器土偶
     

そして8世紀末、

ナガスネヒコの子孫アテルイは

蝦夷(えみし)一族として

神武の子孫である桓武天皇と

対決することになるのです。

金の豊富な埋蔵地・

日上国(日高見国)をめぐって。

「もののけ姫」
「もののけ姫」より

アテルイは

二十年以上も故国を守り続けました。

その強さを恐れた桓武天皇は、

蝦夷一族を「鬼」や「獣」と蔑んで忌み嫌いました。

そして

アラハバキ神を封印し、

徹底的に蝦夷一族の弱体化を図りました。

一方、

石上神宮(筆者撮影)
石上神宮(筆者撮影)
  
「日出処の天子」より物部の斎王・布都姫
「日出処の天子」より物部の斎王・布都姫

ニギハヤヒの子孫である物部一族は、

軍事として朝廷に仕えました。

物部はもののふ=武士と呼ばれました。

戦わない神を始祖とする物部一族は、

時勢に翻弄される運命をたどりながらも、

いのちのやりとりを求められる

武士の生き方とその技に

精神性と霊性を

極限まで高めることを見出しました。

そしてその結果、

和合の道こそ最善であると悟るのです。

ストリートファイターⅣムービー
ストリートファイターⅣムービー

文明の転換以来、

太陽神と祖先の記憶を失い、

アラハバキ神(縄文女神)を封じられた日本人は、

男性性の極致にさまよい、

破壊と収奪と闘争を繰り返してまいりました。

混迷を極めた暗黒時代は、

光を知るためには必要な体験であり、

対極の関係を統合することが

日本人に課せられた使命だったのです。


ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」

ストリートファイターⅤ「HOT!パッケージ」

ストリートファイターⅤ「HOT!パッケージ」

悠久の時を超え、

別れていた魂の再会を果たした

ナガスネヒコは

封印された縄文女神と神人合一し

太古の記憶を取り戻すことができました。

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー」

『日月神示』

第二十三巻

「海の巻」第七帖

「今度はまず心の建て直しじゃ 

どうしたら建て直るかと云うこと 

この神示読んで覚って(さとって)下されよ

今度は悪を無(のう)にするのじゃ 

無にするには善で抱き参らせることじゃ 

亡くすることでないぞ

このところが肝腎なところじゃから 

良く心にしめて居って下されよ 

(中略) 

神と人と一つになって

一つの王となるのじゃ

上下揃って一つになるのじゃ 

善も悪もあなない(融合し)て

 ひとつの新しき善となるのじゃ 

王となるのじゃぞ」 

ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー 」
ストリートファイターV 「ゼネラルストーリー 」

ナガスネヒコは

自身の中の陰陽和合を為したことで

かつて成し遂げられなかった

反転子の錬金術で

闇を光に反転させ、

対極の存在と真の和合を

果たすことができたのでした。

闇はその役割を終えて、

光へと帰ってゆきました。

神々とともにあった

太古の記憶を取り戻した日本人は

ようやく神との再会を果たすことが許されるのです。

それが、

神々が待ち望まれていた

「新たなる時代」の幕開けなのです。

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ストリートファイターⅢ3rd エンディング


和をもっとも大切にする神々は、

いのちの誕生と子孫繁栄をよろこばれ、

子どもの笑顔、笑い声、

無邪気な歓声、無垢の瞳、

皆がにぎやかで明るく

よろこびで満ちあふれている様を

  微笑ましく見守っておられます。

ストリートファイターⅢ3rd エンディング
ストリートファイターⅢ3rd エンディング

新たなる地球は

よろこびを分かち合い、

与えあう世界。

いのちを生み出す力をもっとも尊ぶ

愛と感謝と創造の世界。

奪い合いの世界での学びを卒業した者たちが集う次元界。

ストリートファイターⅢ3rd エンディング
ストリートファイターⅢ3rd エンディング

卒業とは?


「エゴの次元界で十分学ばせていただきました。

ありがとうございました。

次なる進化への道を進ませていただきます」


と決心するということです。

人が進化の道を歩むのは、

古(いにしえ)の頃の人間に戻るため。


ーーピュアな本来の人に戻るーー。


それは

身魂を磨いていくこと。

それが意識エネルギーの修練。

自ら学んでゆかなければならない孤独の道。

けれど神は昔のように

神と人が交流できる日を

心待ちにしておられます。

新たなる領域は、

神々と人類の再会を待ち望んだ世界。

二度目の「天の岩戸開き」はもうすぐです。



今回も最後までお読みくださりありがとうございました。
一人でも多く日本人が目覚めるためためにこのブログを書いています。

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皆様のおかげ様で成り立っております。

ひふみのしくみ

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直観ー実践行動ー記録は

知識ゼロからはじまった封じられた古代の神々の記憶を取り戻す探訪記です。

わたしは神武東征の古戦場で生まれ育ったということを

何も知らずに導かれることになったのでした。


by new-jomon | 2019-08-19 22:38 | 世界の作り方 | Comments(0)

①天皇制は嫉妬とともにやって来た。

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縄文と弥生の文明の転換は「神武東征」にあります。「神武東征」をはじめて読んでもっとも感じた違和感が、神武天皇が紀伊半島まわりで進軍したという点でした。

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生駒市誌より。

神話の時代は生駒山は島だったので、わざわざ紀伊半島をまわらなくても、京都方面から海で進むことができたはずなのです。楽ちんルートで攻めれば三人の兄を失うこともなかったはず。(いや、兄たちがいなくなった方が好都合だったかも。粛清しなくて済むわけですからね)

神武東征ルート(筆者作成)
神武東征ルート(筆者作成)

神武天皇が遠回りしてまで紀伊半島をまわってこられた理由は、


出雲系縄文神の住まう原日本の信仰の聖地を

征服したかったから


なのだと思います。

なぜ神武天皇は名草トベを殺してバラバラにし、新宮でニシキトベを殺してバラバラにし、宇陀でエウカシを罠で死なせてバラバラにしたのでしょう。肉体が本質と考えていた弥生の神は、肉体をバラバラにしてさえおけば縄文人が復活することはないと考えていたからなのかもしれません。それ以上に縄文人の親切さを恐れ、創造力に嫉妬したからかもしれません。

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▲宇賀神社 血原(筆者撮影)

ところで李氏朝鮮での最も重い刑罰は遺体をも凌辱する「凌遅刑」だといわれています。その遺体はバラバラにされ、朝鮮各地にさらされたものだったということを知りました。


縄文人は遺体を大切に弔い甕に埋葬していましたから、これは日本人には到底理解し難いことの一つです。神武天皇に殺され、バラバラにされた名草トベさんの頭、胴体、手足はそれぞれ地元の方が弔い、今でもそれぞれの部位を祀られた神社が存在しています。遺体をも凌辱するという行為。その実態は、


相手を殺してもなお「奪いたい」から。


思考回路が


宇宙の回転方向と逆回転の彼らにとって


遺体を凌辱する行為は


優越感と支配欲を満たす最たる行為。


その根底にあるのは、


嫉妬と劣等感。


嫉妬は自己愛不足により常に相手と自分を比較して、不足している自分のエネルギーを相手から奪い続けなければなりません。そのため日本人はいつの時代も搾取され続けて来ました。


しかしオリジナルを創造することに長けている日本人は、無から有を生み出す物づくりの民。それが太陽神の遺伝子が埋め込まれて創り出された人類のプロトタイプなのです。


しかし渡来人はオリジナルを生み出せないために、序列を生み出し、宿主に寄生してエネルギーを奪い続けて生き伸びる民族。半島で民族間の闘争に敗れ、日本列島に逃れて来た彼らは、原日本人を宿主と見定めました。

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神武天皇以来始まったとされる天皇制は、宿主である日本人がいなければ維持できません。彼らにとって最も重要なのは、序列の最上位に君臨することなのです。

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▲八つ房杉(筆者撮影)

神武東征はひのもとの国への羨望からはじまり、ナガスネヒコへの嫉妬と恨みが原動力になっています。おとなしく戦う術を持たない縄文人を皆殺しにできたのは、恐れと劣等感の裏返しに過ぎません。


宇宙の法則に逆らった行為をしているのですから、因縁が自分に跳ね返ることも知りません。霊性を無視しているので縄文人を殺してしまえばその存在は消えてなくなり、その土地を支配下に置くことができると考えたのでしょう。


けれど縄文人は肉体は魂の器に過ぎず、不可視のいのちこそ実体であることを知っていました。そしてつねに神と一体だったので、恐れも嫉妬もありませんでした。


ナガスネヒコがかつてないほどに強かったのは、神と人が一体だったからです。わたしたちは、長きにわたり神と人が一体だった頃の記憶を失い、迷いの人生を繰り返してきました。けれど、記憶を取り戻すことができれば、外に答えを探し求めずとも今自分が何をすべきなのかがわかるのです。



「神武東征」は、記憶を取り戻すためのコードが組み込まれていたのです。『記紀』は呪詛。ゆえに表面だけでは解読できないように仕掛けてあったのだと今ならわかります。


わたしは小説を書いた経験から、書き手の意図が読めてしまうのです。


国生み神生みの美しき女神を

魑魅魍魎の姿にしたこと。

もっとも勇敢な神を

泣き虫のマザコンにし、

悪事の限りを尽くした悪者にしたこと。

もっとも慈悲深き神が

家臣を無慈悲に惨殺したこと。
もっとも清らかな水の女神を

土豪にすりかえて

主君に惨殺されたこと。

そして
天の岩戸を自ら閉めて

世界を暗闇にして出てきた女神は

最高神として崇め奉られ、

土着の人々を大量殺りくし、

死体をバラバラにしてきた

猟奇的殺人侵略者が英雄となったこと。

、、
物語のすべては嫉妬からはじまった。
うらやましい。
妬ましい。
奪いたい。
この国を奪って支配するためには
もとの神々を封じておきたい。
もとの神々にとって
もっとも不本意であろう
正反対の姿に書き換え、
もっとも封じておきたい元の神を
もっとも恥ずべき国賊にし、
もっとも忌まわれた祟り神にしておきたい。
もっとも不本意な形で。
もっとも残酷な方法で。
すべては日本人の親神を忘れさせ、
日本人の意識に自虐史観を植え付けて
自尊心を傷つけ
自己愛を欠如させて
外国の神を崇めさせるために。
日本人にうそを信じ込ませ、
、、
後世にわたって洗脳し続け、
六道輪廻の世界に
、、
とどまり続けるように。
、、
もっとも封じておきたい日本人に
、、
宇宙の法則と

創造の原理を教えず
、、
無知無明で
、、
無秩序な世界で
、、
因縁をつくり続け、
、、
永遠に目覚めさせないように。


我が国の「正統なる」歴史書にはこのような意図がしかけられていたのです。しかし見破ってしまえば無効になるのです。気づかれた方々の意識エネルギー拡散によって次々と伝播してゆくのです。


わたしたちは、教育の名の下に表面しか読み取れないようにプログラムされてしまっていますから「原因不明」がまかり通る世の中にしてしまいました。それが戦後教育プログラムです。このプログラム通りインストールしなければエリートになれない仕組みだったのです。


表の座にいる方々や権威ある学者さん方はまさにそのプログラムを忠実にインストールされていますから、物事の本質を見抜く目が盲点になってしまっています。


神話の解読はとても奥が深いため、何が正解なのかはわかりません。


ただ、自我意識を統合意識に変換すれば物事の本質を見抜く目が養われてきます。神様は「身魂磨きを急いでくれ」と言っています。もう古いプログラムはこれからの地球には通用しないのです。



今までは誰もが公の場で「神武東征」の血なまぐさい描写の本質について語ることは控えてきた感があります。けれど、



「神武東征」は神武天皇による原日本人の猟奇的大量殺戮(民族浄化)の武勇伝であるということと、縄文と弥生のシステム(神)の交代、もともと「ひのもとの国」にいたニギハヤヒこそ神武の先代にあたる天皇だったということはこれまでの最大のタブーだったのだろうとわたしは思います。


『記紀は呪詛~天皇誕生物語~』

監督・脚本

藤原不比等

主演

神武天皇:天武天皇。

アマテラス:持統天皇。

ナガスネヒコ:瀬織津姫。

ニギハヤヒ:饒速日命。


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by new-jomon | 2019-08-17 21:44 | 世界の作り方 | Comments(0)

表と裏の天皇はひとつ。表の天皇がアメリカに懐柔されてしまったことが敗戦の原因だった。

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天皇には表と裏があります。

前回は昭和天皇の裏ではたらかれた安岡正篤(まさひろ)先生についての記事を書かせていただきました。

表と裏は両方そろってひとつなので、今回は昭和天皇の見解をアップさせていただきます。なお、この記事と前回記事はセットとしてご一読いただけますようお願いいたします。

(前回記事)



では今一度、曇りなき眼でご一読いただけますようお願いいたします。



『ホイットニー文書

この文書は、

昭和天皇ヒロヒトが

占領軍司令部に対し表明した見解の

要約が全編にわたり記された、

「極秘」扱いの、

英文三頁以上にわたるメモランダムである。

1946年4月から6月の間に、

東京駐在の国務省員によって作成され、

マッカーサーの腹心であった

コートニー・ホイットニーの

私物として保管された後、

1970年代前半に

ヴァージニア州ノーフォークの

マッカーサー記念に寄贈され、

1978年に機密解除されている。


資料名
General Whitney to C-in-C, dated 24 April 1946
年月日
24 April 1946
資料番号
GHQ/SCA 民政局文書 GHQ/SCAP Records Government Section;
Box No. 2225
所蔵
国立国会図書館
原所蔵
米国国立公文書館




『ホイットニー文書』



「二、三週間前に


占領が長く続くべきであるとの


希望を述べた根拠を説明したい。


日本人の心には


未だ封建制の残滓が


多く残っており、


それを根こそぎにするには


長い時間がかかるだろうと


感じている。


日本人は全体として、


自己の民主化に必要な


教育に欠けており、


さらに


真の宗教心にも欠けており、


そのため


一方の極端から


他方の極端へと揺れやすい。


日本人の封建的特徴の一つは、


進んで人に従おうとする性格にあり、


日本人はアメリカ人のように、


自分で考える訓練を


受けていない。


徳川政権は、


民は指導者に従うべきであり、


そのため忠誠心以外は


いかなる道理も


与えられてはならない、


という論理のうえに


築かれていた。


かくして、


平均的な日本人は、


自分で考えることにおいて


昔からの障害に直面している。


かなり闇雲に従うという


本能によって、


現在、日本人は


アメリカ的な考えを


受け容れようと


熱心に努力しているが、


例えば


労働者の状況を見れば、


彼らは自分本位に


権利ばかりに注意を集中し、


本分と義務について


考えていない。


この理由は、ある程度、


長年の日本人の


思考と態度における


氏族性に求められる。


日本人が


藩に分割されていた時代は、


完全には終っていない。


平均的日本人は、


自分の親戚は


その利益を


追求すべき友人とみなし、


他の人間は


の利益を


考慮するに値しない


敵と考えている。


日本人の間には


宗教心が欠如している。


私は


神道を宗教とは考えていない。


それは儀式に過ぎず、


合衆国では


甚だ過大評価されてきたと


考えている。


しかし、


たいていの神道信者は


超保守的で、


彼らと神道と超国家主義を


一視していた復員兵と


その他の者は、


しっかりと結びつく傾向を


持っているので、


依然として危険な面がある。


政府は、


信教の自由に関する命令を


厳守する立場にあり、


現在彼らを取り締まる手段を


持っていないために、


こうした状況は危険だ。


神道を奉じる分子と


その同調者は反米的なので


警戒を要すると考えている。


以上のようなことから、


私は


今は日本人のもつ


美点を述べている場合ではなく、


むしろ


その欠点を考える時だと


感じている。


私は、


マッカーサー元帥と


元帥の行っていることに


たいへん大きな感銘を受けている。


また、


対日理事会における


アメリカの態度に


とても感謝し、


それが安定効果を持つと


感じている。


しかし私は今、


この国の労働状況を


かなり憂慮している。


日本の労働者は、


物事を真似する事において、


義務を等閑にして


自分の権利を


利己的に追求しやすく、


米国のストライキから


有害な影響を受けるので、


米国の炭坑ストが


速やかに解決するよう


希望している。


(以下省略) 」





この文章を読まれてどのように感じられましたでしょうか。わたしは、なるほどなあ~~と思いました。


「日本人の封建的特徴の一つは、進んで人に従おうとする性格にあり、日本人はアメリカ人のように自分で考える訓練を受けていない。」


確かに自分で考えるということを教育されていません。さらに戦後教育は「天才を出さない」ことが大義名分にされてしまいました。それが日教組の教育です。


そして、


「闇雲に従うという本能」


これは「主君に忠誠を尽くす」という日本人の特性なのです。


ただし、その特性は「真の太陽神」に祀ろうことにより発揮されるということを申し上げたく存じます。


真の太陽神とは、男神の天照大神のことです。つまり大調和を実現したニギハヤヒ命の御代の太陽神です。


ナガスネヒコはニギハヤヒに忠誠を尽くし、主君と一体になってひのもとの国造りをし、大調和の国を実現したのです。


しかし現在の太陽神は女神様。この女神様が天照大神になった御代は、ずっと戦争、疫病、災害、貧富の差が続いています。昭和時代、戦争に駆り出された日本人は、女神のアマテラスを祀る国家神道に従うことを余儀なくされ、若い命がたくさん散っていきました(涙)


(修学旅行は、広島、長崎よりも知覧が良いと心底思います)


ニギハヤヒの父であるスサノオは強い神です。この神のはたらきは、欧米支配されてきたアジア諸国を解放し独立させることでした。


表の天皇は、女神のアマテラスの系譜。


裏の天皇は、男神天照、つまりスサノオ、ニギハヤヒの系譜です。


日本の天皇は表と裏でひとつなのに、この戦争で昭和天皇がアメリカに懐柔されてしまったことが敗因だったのかもしれないと思いました。表の天皇がアメリカに取られてしまった。それにより、日本国土もアメリカに取られてしまったのです。


(アメリカは王様がいない国だったため、それができたのでしょう。英国は王国だったから日本の天皇に手を付けることができなかった。なぜなら天皇は世界の王侯貴族の序列の頂点だから。)


しかし裏の天皇(ご本人はそうおっしゃっていませんが)安岡正篤(まさひろ)先生は、アメリカ(GHQ)が日本の精神性をコテンパンに打ちのめし、二度と立ち上がれないように洗脳しようとしていることを知っておられました。日本人の強さの本質は日本魂にあることにアメリカは目を付けたのです。それは諸外国の国民性にはない、主君に忠誠を尽くす特性そのものこそが日本人魂だったからです。


それは、


強さをくじき、弱きを助ける正義性、


嘘をつかない、


だまさない、


裏切らない、


うばわない、


親切にする


といった日本人に埋め込まれてきた遺伝子のはたらきです。



その特性は神話や日本の伝承、伝説、おとぎ話に織り込まれるようにして刻み込まれています。


真の太陽神は、宇宙の法則に沿ったシステムの神ですので、人民は太陽神と一体になって行動することが、地上天国を創造するはたらきに寄与することにつながるのです。



神話時代から神武天皇に日本人が殲滅されてきたのは、誰かが日本人を滅ぼしたい意識があったからです。


その根底にあるのは、嫉妬。その嫉妬を持ち込んだのは誰?


このことについては次回に。


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今回もご一読いただき誠にありがとうございました。

いつも拡散していただきまして心より感謝申し上げます。

お気に入りにいれていただければとてもうれしいです。




by new-jomon | 2019-08-15 01:45 | 日本の歴史を蘇らせる | Comments(0)

【ニギハヤヒ命】に導かれて②「終戦の玉音放送」の原稿を書いた昭和の裏天皇。


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G20以来、明らかに日本のスタンスに変化が見られるようになりました。アメリカは

「日本はもう、アメリカの属国ではないのだから

自立しなさい」


と意思表示したのでしょう。アメリカもまた、これまでの世界の覇者としてのスタンスから自国第一の守りの政治に転換しました。

戦後の日本は、アメリカ様のしもべとなり、政治はアメリカ様の仰せの通りに動かして参りました。それがもう、

「自分で考えて国造りしていきなさい」


とアメリカ依存を脱却する道を余儀なくされたのです。

G20が日本で、しかも大阪で開催されたということは大変示唆に富んでいます。世界の首脳が次の文明の拠点に集まって、イノベーション(新たな価値観の創出)とSDGs(持続可能な社会の仕組み)を議題にこれからの国際社会の進むべき指針を話し合われたからです。

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ふり返れば戦後の日本はどん底からよくぞ這い上がって来れました。アメリカ様の言いなりとはいえ、アジアで唯一先進国となったのですから。

あの戦争は負けたのではなくて、日本は自ら戦争に終止符を打ったのだと思います。かつて日高見国が朝廷軍と20年にわたる戦に自ら終止符を打つためにアテルイが降伏したように。アテルイは負けたのではありません。自ら戦を降りたのです。子や孫たちの代まで戦をもちこませないために、自ら首を差し出したのです。律令国家に反発していた日高見国はその後、日本になりました。

もっとさかのぼれば、ナガスネヒコが守ってきた日の本の国を奪いに神武天皇が攻めてきた際も、ナガスネヒコの主君ニギハヤヒは神武天皇に国を譲りました。だからナガスネヒコは戦に負けたのではなくて、戦をやめたのです。そして日の本の国は神武天皇の国になりました。

昭和天皇は、終戦の詔勅(玉音放送)で国民に戦を終える宣言をされました。それから日本はアメリカの属国になりました。それは負けたのではありません。諸外国は日本が負けたと思っていますが、本当はアメリカに勝ちを譲ったのです。

しかし日本人自身が自虐史観を植え付けられているためにそのことに気づいていません。

もしも日本がアメリカと同様に破壊殺傷の手段を使って世界を征服したならば、国レベルの大きな因縁を生じることになってしまいます。武力で世界を制圧するという方法論は、日の本の神々の御神意に沿うものではなかったのです。戦いを止めることが神々の御神意だったということは、過去記事に書かせていただいた通りです。

龍神様は強いからこそ戦わない。本当に強い人は相手と戦わず受け止められる人。



戦いを終わらせるために自ら降伏することができたのは、日本人特有の精神性にあったのかもしれません。なぜなら精神的に成熟していなければ勝ちを譲ることができないからです。

昭和天皇が読み上げられた終戦の詔勅(玉音放送)の原稿は安岡正篤先生が作成されました。このような文章をどうして安岡先生は書けたのでしょう。安岡先生が天才だったからだけではありません。安岡先生はニギハヤヒの御神意を降ろされたのだと思います。ニギハヤヒは神武天皇以来、天皇の補佐役として裏で支えてこられた神様だからです。

安岡先生が、神武東征孔舎衙坂古戦場に住んでおられたことは偶然ではありません。安岡先生はニギハヤヒこそ日の本の皇祖神であることをご存知だったはずです。だからこそニギハヤヒが祀られている神社に安岡先生の碑がご奉納されていたのです。

そしてGHQと対等に交渉されたこと、戦後の高度経済成長期に日本人が拝金主義に暴走しないように、日本の上に立つ方々に精神的指導をなされたのです。金鵄の役割として。

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どうか今一度、以下に挙げる「終戦の詔勅」の現代語訳のお目通しを願います。


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「終戦の詔勅」の原稿


昭和天皇 終戦の玉音放送 


(昭和20年8月15日)



私は


深く世界情勢と


我が国の現状を考え、


非常の手だてをもって


事態を収拾しようと思い、


私の忠義で善良なる


臣民に告げる。


私は帝国政府に


米国、英国、中国、ソ連の


4か国に対し、


共同宣言(ポツダム宣言)を


受諾することを通告させた。


そもそも帝国臣民の


安らかな生活を図り、


世界の国々と共に


栄えていくことは、


歴代の天皇が残してきた


手本であり、


私もそのように念じてきた。


先に、


米英2国に宣戦布告した理由も、


実に我が国の自存と


アジアの安定を願ったためで、


他国の主権を排し、


領土を侵すようなことは


もとより私の意志ではない。


しかし、


交戦は既に4年を経た。


私は、


陸海将兵は勇戦し、


閣僚たちも職務に励み、


一億国民も努力し


それぞれ


最善を尽くしたと思っているが、


戦局は必ずしも好転せず、


世界の情勢もまた


私たちに不利である。


そればかりか


敵は新たに残虐な爆弾を使用して


罪のない人びとを殺傷し、


その悲惨な被害の及ぶところは


計り知れない。


それでもなお、


交戦を継続すれば、


ついには


わが民族の


滅亡を招くのみならず、


ひいては人類の文明をも


破却させることになってしまう。


そのような事になれば、


私はどうして


多くのわが子とも言える


臣民を保護し、


歴代天皇の御霊の神殿にて、


私の誤りの責任を


謝することができようか。


これが私が帝国政府に


共同宣言に応じさせた


理由である。


私は、


我が帝国と共に


終始アジアの解放に


協力した盟邦諸国に対し、


遺憾の意を表さざるを得ない。


帝国国民においては


戦場で死亡したり、


職場で殉職したり、


不幸な運命で


亡くなった人々や、


その遺族を考えると


悲しみに堪えない。


さらに戦場で傷を負い、


災禍を被り、


家や職場を失った者の


厚生にいたっては


私が深く


胸を痛めるところである。


思うに、


今後我が帝国の受ける苦難は


もとより尋常なものではない。


私の臣民の窮状も


私は良く理解している。


しかし、


私は時運(時の流れ)の


赴くところ(従い)、


耐えがたきを耐え、


忍びがたきを忍び、


将来のために


平和を実現しようと思う。


私はここに


国体を護持し得て、


忠義で善良な


臣民の良心を信じ、


常に臣民と共にある。


もし、


感情の激するままに


みだりに争い事をしたり、


同胞同士が互いに


手をけなし、


陥れたりして


時局を混乱させ、


そのために


道を誤り、


信義を世界に失うようになれば、


私が最も戒めることだ。


どうか、


挙国一家して


それぞれが子孫に伝え、


固く神州(神国)の


不滅を信じ、


私は国家の再生と


繁栄を念じ、


そこに至る道は


遠いと心に刻み、


持てる力を


将来の建設に傾け、


道義心をあつくして、


志を固くして、


日本の能力を発揮し、


世界の進運に遅れないように


努力しなければならない。


あなた方臣民には


私の思いをよく理解して


身につけてほしい。


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安岡正篤先生 刪修筆跡(けずって修正した筆の跡)


この終戦の詔勅には裏があります。
安岡先生が古代中国の先哲の教えから学ばれ引用された、大変重要かつ詔勅の核となる部分が、当時の内閣によって改ざんされてしまったのです。

そのことについて大変悔やまれていました。日本は神話が改ざんされているために、国レベルの公文書も改ざんされるという因縁があるのです。

記紀は呪詛。

日本が真に立ち直るためには、神話から正しく書き直さなければならないのです。


終戦の詔勅刪修について

*刪修(サンシュウ ) 不要な字句をけずり改めて、文章をよくすること。

以下、安岡正篤記念館名誉館長・林 繁之

(月刊『致知』1984年3月号より)引用。




「私も師のお側にあって45、6年になるが、


自分にその学問を語る資格はない。


ここでは、


人口に膾炙


(かいしゃ:世の人々の評判になって知れ渡ること)


されている終戦の詔勅刪修


(サンシュウ )について


正確に記しておきたいと思う。


毎年8月15日、


終戦の日が近づくと、


マスコミはその秘話を語ってほしいと、


先生に面会を求めて止まなかった。


そのつど先生は決まって、


「“綸言(りんげん)汗の如し”という。


詔勅は、陛下のお言葉で絶対のものである。


これがひとたび渙発


(かんぱつ:詔勅を広く国の内外に発布すること)されたなら、


その起草にどういうことがあったかなど


当事者が語ってはならない」


といって決して語ろうとはされなかった。


その先生が、この詔勅には多少の誤伝があり、


私が刪修したと語られるなら、


「私の学者として後世より問われる悔いも残るので、


君たちだけには話しておく」


と、側近の者に一晩しみじみと語られたことがある。


先生はその刪修に当たって、


「義命の存する所」と、


「万世の為に太平を開かむと欲す」


の二点を挿入されたほか、


陛下の重いお言葉として


文章についても手を入れられた。


「義命」については詔勅の中で、


陛下が「堪へ難きを堪へ」よ、


とおおせられておられる


宸襟(しんきん:天皇のお気持ち)を拝察して、


それにふさわしい天子としての


重いお言葉がなくてはならない。


そこで「義命」という言葉を選ばれた。


出典は中国の古典である『春秋左氏伝』。


その中の成公八年の条に


「信以て義を行い、義以て命を成す」とある。


従って、


普通にいわれる大義名分より


もっと厳粛な意味を持っている。


国の命運は義によって造られて行かねばならない。


その義は列国との交誼においても、


国民との治政においても信でなければならない。


その道義の至上命令の示す所によって


終戦の道を選ぶのである。


「万世の為に太平を開かむと欲す」も


「永遠の平和を確保せむることを期す」


より強く重々しい。

これは宋初の碩学・張横渠(ちょうおうきょ)の有名な格言


「天地のために心を立て、


生民の為に命を立て、


往聖の為に絶学を継ぎ、


万世の為に太平を開く」


からそのままとったものである。


いずれにしても先生は、


終戦の詔勅の眼目は、


「義命の存する所」と


「万世の為に太平を開かむ」


の二つにあると考えられた。


わが国は、


何が故に戦いを収めようとしているのか、


その真の意義を明確にしておかなければならない。


従って、


内閣書記長官をしていた迫水氏には、


どのような理由や差し障りがあっても、


この二つの眼目は絶対に譲ってはならない、


とくれぐれも念を押されたのだが、


閣議の席で、


閣僚から二つとも難しくて国民には分りにくいから


変えてはとの意見が出されたのである。


結局、「義命の存する所」という一番の眼目を、


「時運の趨く所」という最も低俗というより


不思議な言葉に改められてしまった。


これは永久にとりかえしのつかない、


時の内閣の重大な責任といわねばならない。


「時運の趨く所」の意味は


いってみれば成り行き任せ。


終戦が成り行き任せで行われたということは、


天皇道の本義に反する。


時運はどうあれ、


勝敗を超越して「義命」という


良心の至上命令に従うことで、


はじめて権威が立つのである。


戦後、日本は大きく繁栄した。


しかしこの繁栄の基礎に、


「信以て義を行い、義以て命を成す」。


義命が存していたならば、


物が栄えて心が亡ぶと


識者が顰蹙(ひんしゅく)するほど、


人の心は荒廃せずに済んだであろう。」


(引用以上)


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善根寺春日神社(筆者撮影)

わたしは「終戦の詔勅」(玉音放送)の原稿をはじめて拝読した際、なぜか涙があふれて仕方ありませんでした。わたしは戦後生まれの親に育てられた昭和50年代生まれです。特別な感情などないはずなのに、なぜか号泣してしまっていました。自分は感情的になっているのかもしれないと思い、数日後に再度原稿を読みました。するとまた泣けて泣けて仕方なかったのでした。


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善根寺春日神社(筆者撮影)

深く思いを鎮めてみました。・・・これはニギハヤヒの思いだ!と思いました。そのとき「神武東征」の国譲りの際に、ナガスネヒコに語った言葉と同じだったのかもしれないと思えてきました。


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善根寺春日神社(筆者撮影)

ニギハヤヒは勝てたはずの理不尽な戦を止めることでひのもとの国の国譲りをしたのです。異質であることを受け入れて和合させることがこの地球が生み出された目的。和を重んじる日本人だからこそあえて苦難を甘受したのです。わたしはナガスネヒコは主君ニギハヤヒの真なる思いに触れ、涙を流したにちがいないと思いました。


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善根寺春日神社(筆者撮影)

勝利は敗者を生み、恨みを買う。それでは永遠に戦争を終わらせることはできない。勝てる戦争に自ら終止符を打つという選択はもしかしたら和合の精神を備えられた日本人にしかできないことだったのかもしれません。しかし諸外国は勝ちを譲るなど思いもしないことであるため、日本は負けたと認識されることは承知の上の道の選択だったのでしょう。

そして2019年。

日本は自立の道を歩みだすことになりました。

国は「これからは国は国民の面倒を見れないから国民も自立するように」

と宣言されましたが、

日本政府はどの道を選択されるのでしょう。




『日月神示』


マツの巻


第七帖



神の国


一度負けた様になって、


終ひには勝ち、


また負けた様になって


勝つのざぞ


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善根寺春日神社(筆者撮影)


雨の巻


第九帖


「三エスの神宝


(かんだから)と、


3S(スリーエス)の


神宝とあるぞ、


毒と薬で


うらはらであるぞ」


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善根寺春日神社 安岡正篤先生記念植樹(筆者撮影)


次回につづきます。


長文のおめどおしをいただきありがとうございました。

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【ニギハヤヒ命】に導かれて①昭和の裏天皇・安岡正篤。


by new-jomon | 2019-08-12 00:00 | 自己開示・神化への道 | Comments(0)

【ニギハヤヒ命】に導かれて①昭和の裏天皇・安岡正篤。



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昭和の黒幕・安岡正篤(まさひろ)先生のことについて書かせていただきます。

「自己開示・神化への道」シリーズ
この一連のブログには合氣道開祖と五井先生とのご縁についてのエピソードを書かせていただきました。

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その中で、安岡正篤(まさひろ)先生とのご縁についても書かせていただかなければならないと感じていました。ことに、終戦の日が近づくにつれその思いがますます強くなっていました。

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熊野本宮大社(筆者撮影)

わたしは20代後半に熊野が源流の代々神官をしておられる鈴木先生と出会い、数年間薫陶を受けて参りました。この方は前世の父でした。奇しくも熊野本宮大社で合氣道開祖と霊線がつながる以前のことでした。

当時わたしは東洋思想を独学で学んでいまして、老子の宇宙観に衝撃を受けたところでした。その直後、現代の老子のごとく生き方を実践しておられた鈴木先生に出逢ったのです。その中で鈴木先生から安岡正篤先生のことを教わりました。

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鈴木先生からは、皇族・歴代総理大臣・財界人たちはこぞって安岡先生の教えを学んでいたということを教わりました。当時のわたしは安岡先生を東洋思想家(陽明学者)としか存じませんでした。

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阪神高速 東大阪線 水走(みずはい)出口(筆者撮影)

なんと奇遇にも、安岡先生はわたしの生まれ育った土地とごく近いところで少年時代を過ごされていたことを知りました。そのときは既に安岡先生は神界へ召されておりましたが、なんともいえない親近感とご縁を感じたものでした。

鈴木先生に、わたしが安岡先生と同郷だということをお伝えしましたら、

「あなたが安岡先生の意思を受け継ぐように」

とおっしゃったのですが、当時のわたしにはそのことの意味がわからずスルーしていました。

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石切神社 ニギハヤヒ命(筆者撮影)

2017年7月、生まれ故郷にある石切神社に呼ばれてご参拝したときに、安岡先生の石碑があることに気づかされました。このときのわたしにはまだ、安岡先生と石切神社のご祭神・ニギハヤヒ命との関係を存じませんでした。

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石切神社 安岡正篤先生石碑(筆者撮影)

それから自分の生まれ故郷が神話の「神武東征」のクライマックス・神武天皇vsナガスネヒコの古戦場だったと気づかされていったのです。

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たまたま国道170号線沿いの飲食店の駐車場に降り立った時、直観がきて「ここはたしか孔舎衙(くさか)だったはず」と気付いた瞬間、撮った写真。

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そして、神武天皇vsナガスネヒコのクライマックスの図。

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神武東征図

神話で違和感がどうしてもぬぐえなかったのは、生駒山には「孔舎衙(くさか)」はあるけれども「孔舎衛(くさえ)」という地名はどこにもないことでした。わたしはこのことが気になって仕方なく、毎晩悩まされていたのです。なぜなら、当時のわたしは神話が書き換えられているなど思いもしなかったからです。しかし後になってから神話は為政者の都合で書き替えられたものだとわかったのです。
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神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)



×「孔舎衛坂」(くさえ)

〇「孔舎衙坂」(くさか)


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孔舎衙小学校前(筆者撮影)

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東大阪市日下町(筆者撮影)

孔舎衙と日下は同じ地区に存在します。つまり、孔舎衙は日下。日下はひのもと。神話で孔舎衙(くさか)と書かなかったのは、孔舎衙=くさか=日下=ひのもとを封じておきたかったからではないでしょうか。日本書紀では「草香」と書かれてもいます。

難読地名は土地の記憶を消されないための先人の知恵だったのです。わたしはこの難しい地名をよく覚えていました。なんと安岡先生はこの孔舎衙小学校に通っておられたのです。

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安岡正篤先生旧宅(筆者撮影)

わたしは孔舎衙小学校前のバス停から安岡先生の旧宅に向かう途中、スマホの回線が切れて迷子になってしまいました。まあ、いいかと思い、十数分生駒山に向かって歩いていた時に導かれたのがここ、善根寺春日神社でした。ここはまったく知らない神社でした。

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善根寺春日神社(筆者撮影)

驚きました。ここは「孔舎衙坂」と書かれていたからです。ここを上がれば神武天皇vsナガスネヒコの戦った場所ということだからです。

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善根寺春日神社(筆者撮影)

ここはまさに

「神武天皇 御東征 孔舎衙坂 古戦場」

とありました。
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善根寺春日神社(筆者撮影)

しかも日本最初の春日神社だったのです。ということは、元春日の分社であり、地元の方々が守ってこられた神社だったのです。

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善根寺春日神社(筆者撮影)

安岡正篤(やすおかまさひろ)先生は、少年時代にこの近くに住んでおられました。安岡先生が明治四十三年四条畷中学に入学された頃、ここ善根寺春日神社の神官をされていた浅見晏斎氏に師事し「学校外で最も良き師に巡り会えた」と伝えられています。


安岡先生は昭和天皇の裏天皇としてのお役目を担っておられました。戦時中はGHQと直接交渉された日本人唯一の人でした。日本人白痴化政策の一環である3S政策を日本国民に知らされたのです。



「昭和史を裏で動かした謎の人物」


上の動画はアップしても削除されてしまうので、音声だけになっています。戦後生まれのわたしたちは何も知らされていません。この動画(音声だけですが)ぜひご視聴ください。元ネタは「やりすぎ都市伝説」です。これは必聴です。



終戦の玉音放送の原稿を書いた方は、安岡先生です。終戦の玉音放送の内容を、わたし達日本人は知っておかなければなりません。その内容は次回に続きます




今回もおめどおしをいただきありがとうございました。

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by new-jomon | 2019-08-10 23:12 | 自己開示・神化への道 | Comments(0)

伊勢は「〇〇」!? 元伊勢の鬼さんとつながる。

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わたしはまたもや鬼さんネットワークにつながってしまったようです。前回のブログに

「鬼は神」

と書いた翌朝、こんなテレビ番組を見ました。2019年8月7日の朝のNHKで「日本の鬼の交流博物館」の紹介をしていたのです。丹波地方の言い伝えを紹介されていました。

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京都綾部の高津八幡宮にある「阿」と「吽」の鬼板。これは魔除けとして取り付けられていたと言われています。

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兵庫丹波の高座神社にある「お払い箱」。これは伊勢神宮から配られる御札を納めた木箱で、次の年には処分することから「お払い箱」と呼ばれるようになったとのこと。

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「『なんだこりゃ』と思う物に興味を持ってもらって」

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「その地域の歴史なり文化財なりをまた再評価する機会になればうれしい。」日本の鬼の交流博物館 館長さんのコメント。

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この特別展は「日本の鬼の交流博物館」で9月1日まで開かれています。
我が家にとって「日本の鬼の交流博物館」のある京都府福知山市はとてもご縁の深いところです。夫の親せきが住んでいまして、毎週福知山まで通った時期がありました。数年前まで由良川の近くにある親戚の畑を借りて野菜をつくっていたんです。


ところで鬼さん方がどうしても伝えて欲しいようですので、以下、長文ですが丹波地方(大江山)に伝わる鬼伝説を下に転載させていただきました。


大江山の鬼伝説
 丹波と丹後がまだ分立せず「大丹波時代」といわれた古代、この地方は大陸の文化をうけ入れ、独自のすぐれた古代文化をもっていた。

 しかし、平安京が政治の中心となってから、この地方は、都に近い山国として、日本の歴史の中で、王城の影の地域としての性格を色濃くにじませるようになる。
隠田集落であると伝承する山里が散在することは、そのことを如実に物語っている。また、王朝時代、大きな役割を果たした陰陽道で、乾(北西)は忌むべき方角とされたが、当地は都の乾の方角に当たっていた。

 酒呑童子や羅生門の鬼に代表されるように、京の都に出没する鬼は、王権を脅かす政治的な色合いの強い鬼である。天皇が勅命を下し、武将に鬼を退治させる物語―それは、王権が自らの権力を誇示し、その物語を通して王権を称掲する手段にしようとして、つくり出したものではなかったのか。あるいは、中世に入り、地に堕ちた王権を支えようとした人々の願望としての王権神話ではなかったのか。

 丹波山地の中で、もっとも著名な山であり高山でもある大江山連峰―時代によって与謝の大山、三上ヶ嶽、御嶽、大江山と名をかえつつも、丹波と丹後を扼する要地にそばだってきた大江山―ここに鬼退治伝説が三つ残されていることは偶然ではないのかもしれない。

大江山の鬼伝説(その一)
「陸耳御笠」
-日子坐王伝説―
大江山に遺る鬼伝説のうち、最も古いものが、「丹後風土記残欠」に記された陸耳御笠の伝説である。青葉山中にすむ陸耳御笠が、日子坐王の軍勢と由良川筋ではげしく戦い、最後、与謝の大山(現在の大江山へ逃げこんだ、というものである。

 「丹後風土記残欠」とは、8世紀に、国の命令で丹後国が提出した地誌書ともいうべき「丹後風土記」の一部が、京都北白川家に伝わっていたものを、15世紀に、僧智海が筆写したものといわれる。

 この陸耳御笠のことは、「古事記」の崇神天皇の条に、「日子坐王を旦波国へ遣わし玖賀耳之御笠を討った」と記されている。

 土蜘蛛というのは穴居民だとか、先住民であるとかいわれるが、土蜘蛛というのは、大和国家の側が、征服した人々を異族視してつけた賎称である。

 陸耳御笠について、興味ある仮説を提示しているのが谷川健一氏で、「神と青銅の間」の中で、「ミとかミミは先住の南方系の人々につけられた名であり、華中から華南にいた海人族で、大きな耳輪をつける風習をもち、日本に農耕文化や金属器を伝えた南方系の渡来人ではないか」として、福井県から鳥取県の日本海岸に美浜、久美浜、香住、岩美などミのつく海村が多いこと、但馬一帯にも、日子坐王が陸耳御笠を討った伝説が残っていると指摘されている。

 一方の日子坐王は、記紀系譜によれば、第九代開化天皇の子で崇神天皇の弟とされ、近江を中心に東は甲斐(山梨)から西は吉備(岡山)までの広い範囲に伝承が残り、「新撰姓氏録」によれば古代十九氏族の祖となっており、大和からみて、北方世界とよぶべき地域をその系譜圏としているといわれる。

「日子」の名が示すとおり、大和国家サイドの存在であることはまちがいない。「日本書紀」に記述のある四道将軍「丹波道主命」の伝承は、大江町をはじめ丹後一円に広く残っているが、記紀系譜の上からみると日子坐王の子である。

 この陸耳御笠の伝説には、在地勢力対大和国家の対立の構図がその背後にひそんでいるように思える。

大江山の鬼伝説(その二)
「英胡・軽足・土熊」
―麻呂子親王伝説―
 用明天皇の時代というから六世紀の末ごろのこと、河守荘三上ヶ嶽(三上山)に英胡・軽足・土熊に率いられた悪鬼があつまり、人々を苦しめたので、勅命をうけた麻呂子親王が、神仏の加護をうけ悪鬼を討ち、世は平穏にもどったというものである。

 大江町の如来院や清園寺をはじめ、寺社の縁起として、あるいは地名由来として、両丹における麻呂子親王伝説の関連地は70カ所に及ぶといわれている。麻呂子親王は用明天皇の皇子で、聖徳太子の異母弟にあたる。文献によっては、金丸親王、神守親王、竹野守親王などとも表記されているが、麻呂子親王伝説を書きとめた文献として、最古のものと考えられる「清園寺古縁起」には、麻呂子親王は、十七才のとき二丹の大王の嗣子となったとある。

 この伝説について、麻呂子親王は、「以和為貴」とした聖徳太子の分身として武にまつわる活動をうけもち、仏教信仰とかかわり、三上ヶ嶽の鬼退治伝説という古代の異賊征服伝説に登場したものであろうといわれているが、実は疫病や飢餓の原因となった怨霊=三上ヶ嶽の鬼神の崇りを鎮圧した仏の投影でもあり、仏教と日本固有の信仰とが、農耕を通じて麻呂子親王伝説を育て上げたものであるともいわれる。

 この麻呂子親王伝説は、酒呑童子伝説との類似点も多く、混同も多い。酒呑童子伝説成立に、かなりの影響を与えていることがうかがえる。

大江山の鬼伝説(その三)
「酒呑童子」
―源頼光の鬼退治―
 酒呑童子は、日本の妖怪変化史のうえで最強の妖怪=鬼として、今日までその名をとどろかせている。

 平安京の繁栄―それはひとにぎりの摂関貴族たちの繁栄であり、その影に非常に多くの人々の暗黒の生活があった。そのくらしに耐え、生きぬき抵抗した人々の象徴が鬼=酒呑童子であった。

 酒呑童子という人物は史実に登場しないから、この話はフィクションの世界のできごとである。

 酒呑童子物語の成立は、南北朝時代(14世紀)ごろまでに、一つの定型化されたものがあったと考えられており、のち、これをもとにして、いろいろな物語がつくられ、絵巻にかかれ、あるいは能の素材となり、歌舞伎や人形浄瑠璃にもとり入れられ、民衆に語り伝えられていった。
酒呑童子は、フィクションの中の妖怪=鬼ではあるけれども、日本の文化史の中で果たした役割は、きわめて大きいものがある。

そしてその物語の背景となった、破滅しながら、しぶとくあくどく生きた、底辺の人々の怨念が見えかくれする。

 酒呑童子という名が出る最古のものは、重要文化財となっている「大江山酒天童子絵巻」(逸翁美術館蔵)であるが、この内容は現在私たちが考えている酒呑童子のイメージとはかなりちがっている。


 
まず「酒天童子」であり、童子は明らかに「鬼王」であり「鬼神」である。

 また大江山は「鬼かくしの里」であり、「鬼王の城」がある。あるいは、「唐人たちが捕らえられている風景」、「鬼たちが田楽おどりを披露する」など興味深い内容がある。

 そして頼光との酒宴の席での童子の語りの中に、「比叡山を先祖代々の所領としていたが、伝教大師に追い出され大江山にやってきた」とある。

 また「仁明天皇の嘉祥2年(849)から大江山にすみつき、王威も民力も神仏の加護もうすれる時代の来るのを待っていた」とあるから、神仙思想の影響もうかがえる。

 ところで、童子といえば童形の稚児のことで、神の化身でもある。したがって、酒呑童子は、山の神の化身とも考えられるわけだが、酒呑童子は仏教によって、もとすんでいた山を追われる。

 それは山の神が仏教に制圧されていく過程であり、酒呑童子を迎えてくれる山は、仏教化されていない山―もっと古い時代から鬼のすんだ山―土着の神々が支配する山である大江山しかなかったのである。

 酒呑童子は、中世に入り、能の発達と共に謡曲「大江山」の主人公として、あるいは日本最初の庶民むけ説話集である「御伽草子」の出現により、広く民衆の心の中に入り込んでいった。

 中世的怪物退治物語の代表作としての酒呑童子物語には、源氏を標榜した足利将軍家の意向をうけた「頼光=源氏の功名譚」としての要素、地におちた王権を支えようとする人々の願望としての「王権説話」、あるいは「神仏の加護」など多様な内容をもりこんでいるがもう一つ、この大江山に伝わっていた「大江山の鬼伝説」が大きな要因となっていることを見落としてはならない。

 酒呑童子は頼光に欺し殺される。頼光たちは、鬼の仲間だといって近づき、毒酒をのませて自由を奪い、酒呑童子一党を殺したのだ。このとき酒呑童子は「鬼に横道はない」と頼光を激しくののしった。

 酒呑童子は都の人々にとっては悪者であり、仏教や陰陽道などの信仰にとっても敵であり、妖怪であったが、退治される側の酒呑童子にとってみれば、自分たちが昔からすんでいた土地を奪った武将や陰陽師たち、その中心にいる帝こそが極悪人であった。

 「鬼に横道はない」酒呑童子の最後の叫びは、土着の神や人々の、更には自然そのものが征服されていくことへの哀しい叫び声であったのかもしれない。
(「大江山の鬼伝説」より転載)





奇しくも、息子の合宿先が福知山の大江山なのです。なんたる偶然。そこは酒呑童子の里にありまして「日本の鬼の交流博物館」がすぐ横にあるのです。


ところで福知山は綾部、宮津などを含めた丹波・丹後地方(両丹)にあり、元伊勢があります。

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『ガイアの法則』より

このエリアは東経135度ライン+1.4度内にあり、元伊勢、元出雲があります。現在の伊勢はこのエリアに入っていないのです。

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丹後一之宮 元伊勢籠神社(筆者撮影)

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丹波一之宮 出雲大神宮(筆者撮影)


『日月神示』


海の巻


第十一帖


「タンバはタニハ、


田庭とは日の本の国ぞ、


世界の事ぞ、


タンバとはタンバイチとは


世界の中心と云ふ事ぞ、


日の本と云ふ事ぞ、


キミの国ざぞ、


扶桑の国ざぞ、


地場ざぞ、


判りたか。」


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天橋立(筆者撮影)

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『ガイアの法則』より



福知山といえば、七夕の日にもニュースになっていました。福知山市動物園のおサルさんが脱走していなくなっていたのが、七夕の日に無事見つかったそうです。このことについてはこちら。【七夕祝②】ニギハヤヒと瀬織津姫がここにも暗号化されていた。
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WANTED 「みわ」去る? 福知山市動物園から脱走 /京都


行方不明のニホンザル「みわ」見つかる 

行方不明の日本去る「みわ」見つかる

行方不明の日本去る「三輪」見つかる

行方不明の日の本の三輪の神が見つかる

大物主(ニギハヤヒ)が表に出る(7月7日に)


京都府福知山市は新たな文明発祥エリア内。


ちなみに園長さんは「二本松」さん。

「日本待つ」さん。



いよいよ元の神様がお出ましになられる時節を迎えたようです。

ところで、鬼さんについて書いておりますと、なぜか青森県が気になりだしました。

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青森と天橋立は非常に深い関係があります。

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天橋立(筆者撮影)

去年の3月にこの地を訪れたときに、籠神社の参道で店番をしているおばあちゃんに声を掛けられて下の貝殻を購入したのでした。

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この貝がらは、後に「砂」に隠されたニギハヤヒと瀬織津姫の封印を解除せよ!の記事を書かせていただくことになったのでした。天橋立もまた、ニギハヤヒと瀬織津姫と深い関わりがあるのです。

青森と丹波。共通するのは鬼さんです。

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青森県はかつて蝦夷と呼ばれ、朝廷から鬼と恐れられていた人たちがいました。彼らの頭領こそが阿弖流為です。アテルイはあまりにも強かったので鬼として恐れられたのです。圧倒的な大軍を率いていた朝廷軍は、20年以上も阿弖流為に勝つことができませんでした。

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アテルイとモレの塚(筆者撮影)

阿弖流為は副将モレと500人の部下を率いて降伏を申し出、坂上田村麻呂とともに上京しました。これまで棲み分けてきた縄文(日高見国)と弥生(日本)。そもそも桓武天皇が大仏の建立の際に金が必要だったので、天皇は金の豊富な埋蔵地である日高見国を欲しがったのです。

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阿弖流為と母礼の塚(筆者撮影)

みんなが仲良く平和に暮らしていた日高見国の人たちは、不条理にも住んでいた土地を奪われることになったのです。朝廷は東北に移民を連れて来て住まわせたり、城壁を設けたりして東北の土地を浸食していったのです。

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阿弖流為と母礼の塚(筆者撮影)

阿弖流為は物部の支援を受けて20年以上も朝廷軍と戦い続けましたが一度も負けませんでした。アテルイの強さを恐れた朝廷は、彼らを鬼として人民を恐れさせて滅ぼす大義名分を立てたのです。「鬼退治」として。

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阿弖流為と母礼の塚(筆者撮影)

ここは河内。鬼門封じの片埜(かたの)神社のすぐ隣にアテルイとモレの首塚があります。ここは怨霊が祀られているとして恐れられていたそうです。けれどもわたしはここが恐いと感じたことはありません。いつ来ても子どもたちがこの塚で遊んでいるからです。アテルイは子どもをとても大事にしたやさしい人だったと思います。そうでなければ自分の命と引き換えに日高見国と人民の命を守ることはしなかったはず。

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アテルイとモレの塚(筆者撮影)

ここはもともとアテルイの先祖・ナガスネヒコが守っていた土地。神武天皇が来てから東北に追いやられたのです。だからアテルイにとって先祖の故郷の地で埋葬されたことはせめてもの救いだったのかもしれません。桓武天皇はアテルイの怨霊を恐れて京都から外れた河内にアテルイを封じたのです。その土地を鬼門として。

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『日本紀略』

坂上田村麻呂はともに戦ったライバル阿弖流為の助命を桓武天皇に懇願しました。この戦の不条理さを最もよく知っていた坂上田村麻呂は、アテルイたちが鬼などではなく同じ人間として生きていることを朝廷の中で誰よりも知っていたからです。彼らは誰よりも平和を愛する民だったことを。

しかし公家たちは、その願いを聞き入れませんでした。『日本紀略』にはこのような記述があります。


「野獣の心を持つものは、いつ背くか分からない。

殺してしまえ」



日本は、ことに朝廷は古来より、もともといた土着の人々を鬼として追いやってきました。前述の鬼伝説は、『風土記』ですが、記紀神話でも神武天皇が土着の豪族を滅ぼしていきました。

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宇賀神社 血原(筆者撮影)

歴史と言うのは、表に出せない悲しい史実が多く、タブーにされていることの方が多いのかもしれません。わかったことは、わたしは日本の歴史について何も知らないということだけです。けれど、ご先祖様の存在が確かにあって、命を受け継いできたからこそ、ここに存在している不思議を感じます。


わたしは東北にはあまりご縁がないのですが、青森出身の人と唯一お会いした方がいました。

15年くらい前、〇村エサさんという大正生まれのおばあちゃんがおられました。その方は青森出身でした。変わったお名前についてご本人から伺ったのは、昔は役所での出生届けは口頭で済ませたのでこんな名前になったんだ、ということでした。

青森では、

「い」を「え」

「え」を「い」


と発音するのだそうで、この方のお母さんは「イサ」と命名したのに、役所の人は「エサ」と認識したのだそうです。

じゃあ、「エサ」と言ったら「イサ」になっていたのでしょうか? 本人さんは当時の役所のいいかげんさに文句を言っておられました。


ところで福知山には鬼伝説だけでなく、

元伊勢内宮皇大神社

元伊勢外宮豊受大神社

天岩戸神社


があります。そして、宮津にあるのは

元伊勢籠神社

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元伊勢籠神社(筆者撮影)


「籠(かご)」と書いて、「この」神社。元伊勢はこの神社ですよ、とお伝えされているのでしょうか。言霊と音霊にまことを隠して暗号化するのは日本オリジナルの妙技ですね。


今、世の中は膿出し、禊ぎの時期にあり、タブーにされてきたことがどんどん明るみになっています。業界の闇が暴かれているのがリアルタイムに情報が入ってきますね。

ところで、ドエライことになってしまう「タブー」をここでひとつ・・・。

青森の方言で伊勢と言ったら、どうなりましょうか!? 青森方式で「い」を「え」に変換すると、現在の伊勢は・・・「〇〇」!?



今回も長文のおめどおしをいただきありがとうございました。

日本人を目覚めさせるためにこのブログを書いています。

ツイッター、フェイスブック等、皆さまご利用のツールで情報を広めていただけますことを何卒よろしくお願いいたします。

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by new-jomon | 2019-08-08 20:01 | 日本の歴史を蘇らせる | Comments(0)

【サムハラ龍王・スサノオ命】に導かれて その5「再臨!」

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わたしがはじめて合氣道の稽古中にスサノオ命の御神氣を感じたのは、一年前のことでした。その日は先生とふたりで稽古していたのですが、先生が道場の中央で「印」を結んでおられたのです。わたしは道場の隅で正座してその様子を見ていたのですが、なぜかどうしてか、


「このご神氣はもしかして・・・

スサノオ様!?」


と感じたのです。そのときは何でそう感じたのかわからなかったのですが、いまなら氣のせいではなかったと思います。

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熊野本宮大社(筆者撮影)


開祖は「わしは本宮の申し子じゃ」と日頃おっしゃっていたとおり、熊野本宮大社の御祭神は家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)であり、素戔嗚尊(すさのおのみこと) のことだからです。

合氣道は相手に攻撃の思いがあってはまったくうまくいきません。

相手を抱き参らせる。そして氣結びして一体となる。

これが合氣道です。逆に、攻撃した分、自分にすべて跳ね返る。作用反作用の法則がそのままあらわれるのです。

合氣道は勝負はしないので、受けと取りの役を交互にし、技も表と裏があり必ず両方稽古します。これは宇宙の真理を体現しているのです。

スサノオ命は強い神様ですが、暴れ回る乱暴な神様ではありません。横のつながりで連合体をつくって地方自治をしたのがスサノオの建国した倭国(和国)でした。ヤマタノオロチを退治したのも、クシナダ姫を助けるためでした。これは強きをくじいて弱きを救う日本魂の顕れです。

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素戔嗚命と八岐大蛇


一方、スサノオの姉のアマテラスは高天原から追放された弟が戻ってきた際、男装して武装し、軍隊を配備して待ち構えていた女神様です。

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右)武装するアマテラス像(東逸子画)


スサノオはヤマタノオロチを退治したあと、オロチのしっぽから出てきた「天の叢雲劔(あめのむらくものつるぎ)」を姉のアマテラスに献上しに行ったのです。それを姉は弟が高天原を奪いにきたと思い恐れたのです。

戦闘態勢になっているアマテラスに対して、スサノオは「他意はない」として、占い(誓約)で真意を確かめるよう提案するのです。ふたりの間に女神が産まれたらスサノオの真意の通りだとし、その結果三女神が産まれました。心の清らかなスサノオは潔白が証明されたのです。

スサノオ命は強いけれども戦争の神様ではありません。戦争の神様はアマテラスであり、その子孫の神武天皇です。だからこそ、国は昭和15年の紀元2600年記念に神武天皇を英雄の神として祀り、戦争へと突き進んだのです。

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神武天皇御東征の図

そしてアマテラスを最高神とした国家神道(神社本庁・日本会議)は、戦争を反対した出雲系の神道(大本)を弾圧したのでした。大本は艮の金神を祀り、スサノオ命を英雄の神としていました。

戦争時のスサノオのはたらきは欧米による支配からアジア諸国を解放させたことでした。

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橿原神宮(筆者撮影)

ところで、熊野本宮大社の御祭神は家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)であり、素戔嗚尊(すさのおのみこと) とされていますが、


けつみみこ・みけつかみ


このふた柱の御神名が似ていることに気づかされました。みけつかみとは、食べ物を与えてくださる神様で、伊勢外宮の神様です。

みけ‐つ‐かみ【食津神】

1 食物をつかさどる神。

大宜都比売神(おおげつひめのかみ)

保食神(うけもちのかみ)

宇迦御魂(うかのみたま)

豊受大神(とようのおおかみ)

若宇迦乃売神(わかうかのめのかみ)など。


2 宇迦御魂(うかのみたま)、

すなわち稲荷(いなり)の神の異称。


つまり、みけつかみとは瀬織津姫のことです。

ちなみに、河内ではきつねうどん(おあげの入ったうどん)を「けつね」と言います。
(稲荷=きつね=けつね=みけつ神)

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熊野本宮大社(筆者撮影)

スサノオと瀬織津姫は荒魂的性質です。鬼にされているのも同じです。

けつみみこ

みけつかみ

は同じはたらきをする神と考えられます。

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熊野本宮大社(筆者撮影)


熊野一帯はニギハヤヒの直系・玉置家が熊野の神社を統括しておられました。
現在は神社庁が宮司を任命しているため、玉置家と玉置神社は関係が絶たれてしまいました)

ニギハヤヒに捧ぐ

瀬織津姫は隠されてきた女神ですが、ニギハヤヒとつねに一体なので熊野本宮大社にも御神名を変えて瀬織津姫が祀られているのです。

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熊野本宮大社(筆者撮影)


わたしはかねてからナガスネヒコとスサノオの復権が必要だと感じていました。

神話ではナガスネヒコとスサノオはアンチヒーローにされています。日本にもともといた神様が悪役にされているのですから、その子孫である日本人は飛鳥時代から自虐史観が植えつけられていたのです。

神話を正しく書き直してナガスネヒコとスサノオの濡れ衣を払拭し、本当は日本人にとって尊い神様であることを知らさなければなりません。ニギハヤヒの直系である玉置家の方は

「ナガスネヒコが朝敵にされているのは

完全な誤解です」


とおっしゃっていました。わたしはナガスネヒコの正体は瀬織津姫だと感じています。


ナガスネヒコ=瀬織津姫=八大龍王

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八大龍王総本山の神紋



そして、ナガスネヒコの子孫が阿弖流為で、楠木正成公の氏神は瀬織津姫。

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建水分神社(筆者撮影)

つまり


ナガスネヒコ(瀬織津姫)ー阿弖流為ー楠木正成

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楠木家の家紋


そういえば、今朝見た夢は、「神のシンボル」というメッセージを受け取ったときにハッとして目覚めたんです。午前一時でした。

「神のシンボル!?」もしかして、スの神様?」

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12年前に合氣道開祖の直弟子の先生からマルにチョン=「ス」の神と教えられたこのシンボル。当時はこのシンボルすら知らなかったのです。そしてつい二年前にこのシンボルが『日月神示』に記された記号だと知ったのです。

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『日月神示』

「天の日月の神」

「ひふみの神」

「国之常立命」

「艮の金神」

とさまざまな御神名で表されています。そして2006年から2017年まで降ろされたのが『大日月地神示』です。

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神示が降ろされる、ということは激変の時代を迎えるということのようです。人間界が平和であれば神々様はただお見守りになられるだけだからです。『日月神示』が降ろされた時代も戦争がありました。

現在が宇宙レベルの激動の時代であることは、世界中の人々が認めざるを得ない状況です。この時代にどの高次元の存在と繋がっておくかが重要だと思われます。特に日本人は。

耳触りの良いメッセージよりも、我が子を叱ってくださる日本の神様こそ真なるメッセージだと感じます。

「日本人を目覚めさせない」意図を持った存在もありますから気を付けなければなりません。日本人はだまされやすいですから・・・。


艮(うしとら)は東北です。
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東北にはアラハバキといって祭ろわない神々、つまり、封印されていて表に出ておられない古い神様のことで、後から来られた神様に日本をお譲りになった神様です。古い神様とは自然の神様です。この神様はかつて縄文時代まで日本を中心とした大調和の文明を築いて来られました。

縄文時代の最末期の日の本の国の皇祖神はニギハヤヒ命。その妻は瀬織津姫でした。後から来られた神様にこの国をお譲りになり、日の本の国(日下国)は東に流れ、つがる(東日流)の地で、日高見国(日上国)を建国して縄文を守ってこられたのです。

神武東征・古戦場を訪ねる

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神武東征古戦場・東大阪市日下町(筆者撮影)

神話は為政者の創作ですから、元の神様は悪者にされたり、名前を書き換えられたりして封じられてしまったのです。なぜ封じる必要があったのか?それは、元の神と後から来た神とはシステムが逆回転だからです。

この天の川銀河は左回転に回転しています。太陽系も、惑星の公転もすべてが左に回転しています。この地球の自然の神様も左回転システムです。つまりすべてが循環するように仕組みをつくられたのです。

しかし後から来た神様は、右回転システムです。これまでの大調和の仕組みとはすべてが逆の仕組みを持ち込まれました。それゆえ、現在は逆回転システムの神様がつくられた世界の集大成をわたしたちは体験しているわけです。

循環しないシステムとはどんな世界なのかは、わたしたちが現在体験していることのすべてが答えです。

その世界をつくってこられたのがスサノオ命のお姉さまである、いちばんえらいおんなのかみさまです。

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宇宙の回転とは逆のシステムでは、この地球も自然界も人間界もどんづまりになってしまいました。地球自体がもうボロボロなのです。だからこの地球を救うためにもともとの古い神様が表に出られて、不調和になってしまった自然界を元に戻すためにはたらかれる時が来たのです。

瀬織津姫は日の本の国を夫婦で守ってこられた中心(主=ス)の神様なのに、神話に出てこないのです。しかし、神話には重要な登場人物として登場されていたのです。日の本の国の頭領「ナガスネヒコ」という縄文人として。


ナガスネヒコの正体は瀬織津姫だった!①

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縄文文明はニギハヤヒ命から神武天皇へ国譲りをされたときに終わったのです。しかし、ナガスネヒコ(瀬織津姫)は東北(艮)に御移りになられて、縄文を守ってこられたのですが、800年ごろに日本の天皇に滅ぼされてしまいました。それがナガスネヒコの子孫である阿弖流為でした。アテルイは日高見国の頭領でした。

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阿弖流為と母礼の塚(筆者撮影)

阿弖流為は奇しくも始祖ナガスネヒコが国造りしていた故郷(河内)で桓武天皇に処刑されてしまったのです。坂上田村麻呂が桓武天皇に阿弖流為の助命を強く懇願しても聞き入れられなかったのは、もうひとつの正統なるスメラミコトだと知っていたからです。皇族は古代より王の座を奪い合い、有能な次期天皇候補はことごとく粛清するのが彼らの流儀でした。

鬼といわれた真のヒーロー阿弖流為

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(アテルイとモレの塚)


しかし、ナガスネヒコ、アテルイの精神は絶えることなく再び河内の地に楠木正成となって息づいていたのです。その精神とは、真の太陽神に祀ろうこと。すなわち男神天照大神(ニギハヤヒ)に忠誠を尽くすことでした。そのシンボルが楠木家の菊水の家紋の証です。

悪党といわれた陰の立役者・楠木正成
後醍醐天皇と楠木正成公
新天皇と安倍総理が背負われた因縁。
新天皇と安倍総理は後醍醐天皇と大楠公。

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千早赤阪村・楠木正成公誕生地(筆者撮影)

本当の日本は日の本。

日の本の国の皇祖神はスサノオ命の息子であるニギハヤヒ。
平和を愛する天照大神(太陽神)の和魂(にぎみたま)。
水の神であるニギハヤヒの妻・瀬織津姫は天照大神の荒魂(あらみたま)。

水の女神・瀬織津姫は龍神。

この神のシンボルは菊水に龍。
見方を変えれば、水流に日の出。つまり太陽と水に住まう龍。

瀬織津姫からのミッション①八大龍王総本山へ

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そして、この神を氏神とする楠木家の家紋は菊水。太陽と水の神が一体になったシンボル。

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そしてこの神のシンボルは、阿弖流為の名前にも刻印されている。文字をシンボルとして。

阿弖流為と楠木正成

阿弖流為
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阿弖流為の始祖・ナガスネヒコは弓の名手だった。

ナガスネヒコの正体は水の神。

弓と水流。

神のシンボルが阿弖流為の名前に刻印されていたのです。消された水の神を記憶から失わせないために。
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東北で封印されていた神とは瀬織津姫。

東北は艮。

もっとも封じられ恐れられた艮の金神は瀬織津姫。
そのはたらきは、スサノオ命と同じ荒魂。
最も封じられてきたゆえに、鬼として恐れられてきた。

しかし、
もっとも恐れてきたのはいちばんえらいおんなのかみさまの系譜。
日本人にとっては鬼にされてきた神様こそが親神様なのです。

天の岩戸に隠された神々


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スの神は、主の神。

主の神は、シュメールの神。

シュメールの王はスサノオ。

シュメールの王はスメラミコト。

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シュメールのレリーフ


スサノオの系譜が元のスメラミコト(天皇)。
だからスサノオは牛頭天王。

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五字神社(筆者撮影)

牛頭天王と鬼子母神

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石切神社(筆者撮影)

牛はスサノオ。牛の親子はスサノオとニギハヤヒ。

神武東征古戦場・物部氏編

鬼門鎮護の神社にはスサノオ、ニギハヤヒ、瀬織津姫が祀られている。

京都の鬼門鎮護は賀茂神社。

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賀茂御祖神社(下鴨神社)(筆者撮影)


河内の鬼門鎮護は片埜(かたの)神社が担ってきました。
いずれも元の神様を祀っておられます。
元の神はスサノオ、ニギハヤヒ、瀬織津姫。

鬼にされたリュウさんと素戔嗚と阿弖流為

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片埜神社(筆者撮影)

スサノオと瀬織津姫は祟り神としてもっとも封じられてきた。
祟りとは、逆回転システムを元に戻す荒魂のはたらきの現象。
だから本当は祟りじゃない。

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五字神社(筆者撮影)


神話ではスサノオとナガスネヒコ(瀬織津姫)はアンチヒーローにされてしまった。
スサノオは狼藉の限りを尽くした乱暴な荒ぶる神として。
ナガスネヒコはいちばんえらいおんなのかみさまの子孫(神武天皇)に最期まで逆らった逆賊として。

スサノオと瀬織津姫が最強だった理由。
ナガスネヒコは英雄だった。

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神話は呪いのプログラミング。
もともとの神を悪神扱いにしたのは、
右回転システムの為政者にとって、左回転システムの神は脅威だから。
日本人の集合意識を構築するためのツールが神話。
なぜなら神話がその国を形成する集合意識の根幹だから。

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日本書紀

記紀は呪詛。

記紀はウソ。


日本人は1300年間もの長きに渡り、嘘を信じ込まされてきた。

記憶がよみがえる藤原京【洞察編その1】

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片埜(かたの)神社 (筆者撮影)


鬼は神だった。

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片埜(かたの)神社 (筆者撮影)

この記事を書かせていただいたきっかけは、夢を見たからです。
昨日の夜中、「神のシンボル」というメッセージを夢の中で受けまして、
目が覚めました。午前一時でした。
神のシンボルとは何やろ?
と思ったときに思い浮かんだのがこのシンボルでした。



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スの神様は再臨されます。

艮の金神として。

スサノオ命として。

瀬織津姫として。





『大日月地神示』



「い」の巻



この御魂、



そのかしこに在られます



伊邪那岐(いざなぎ)の大神、



伊邪那美(いざなみ)の大神、



百々(もも)の神々様の大前に、



今一つの役割をいたし



ここに在られます。



そがため



いかようにでも



お使い下さいませと



誓うことの(よし)



お聞き入れ下さいますよう、



かしこみかしこみ申す。



唄う役、



もの申す役、



これからの〇、(もと)



となる御魂でありますぞ。



お聞き入れ下さり、



誠ありがたき思い奉ります。



そのこと



皆の者に



伝え下さいますよう、



かしこみかしこみ申す。



 ウシトラの金神様、



いよいよ



人民界に



お降りなされましての



御活動ぞ。



いよいよ



すべてが明らかとなる



時節(とき)となりましたぞ。



この御魂に



多くの神々様



お移りなされての



ご活動、



それぞれに



分かるように



いたしておるから、



その覚悟良いか。



皆々



改心結構結構。



改心せずとも良い御魂



一つも無いぞ。



 この御魂でさえ、



日々改心いたしての



お役目であるがゆえ、



上下



ひっくり返ることと



なりますぞ。



これまで



隠れ御魂と



いたしておいた



この御魂、



多くの者には



分からぬように



いたしていたゆえ、



分からぬのも



無理ないなれど、



世に遣える御魂



あまりに少ないぞ。



食べ物気つけと申して



お聞き下さった人民



あまりに少ないぞ。



すべては



そがためにあったもの、



今からでは



大したお役も