人気ブログランキング |

<   2019年 01月 ( 12 )   > この月の画像一覧

新しい地球に移行する方法。

b0409627_05515411.jpg
(*'▽')(*'▽')(≧◇≦)「アイドルの○○くん、チョーカッコE~」

(*'▽')(*'▽')(≧◇≦)「昨日の○○ちゃんのドラマ、見た~?」

(*'▽')(*'▽')(≧◇≦)「○○ちゃんの持ってたバーキン欲しい~」

(*'▽')(*'▽')(≧◇≦)「Can Can に載ってたけど~チョー高くて無理~」

(*'▽')(*'▽') (^^;)「・・・そ~なんや~」(筆者の学生時代の会話)


渡来系の文化は嫉妬と宗教。

自己愛を欠如させて他者を崇めさせる。その実態は拝金システムとその序列。

渡来系は「ドラマ」がすべて。その価値観は表面的な虚栄、学歴、財力、権力にあり、内面的な質は偽善に支配されている。

それは愛してほしい奪い愛。それにともなう嫉妬、疑念、略奪、不倫、裏切り、対立、闘争、殺人、詐欺、暴行、奸計、欺瞞・・・という果てない憎しみが繰り返される。ゆえにドラマを愛憎劇という。

彼らにとって「ドラマ」こそ人生そのもの。

もちろん演じる者も渡来系。なぜなら演じることは彼らの人生そのものだから。

渡来系の特技はなりすまし。自己愛なきゆえに自分以外の存在に羨望を抱き、その人生を演じることで満たされる。ゆえにマネはできてもオリジナルを創造することができない。

日本人の特技はモノづくり。自己愛強きゆえにとことん自分の追い求めるオリジナルを追求する。ゆえに自分以外の人生を強いられるのは苦痛でしかない。

ちなみに日本人はタレント養成所に入れても、授業料を吸い上げられるカモ葱なのだ。


さて、地球は銀河の回転周期にあわせてどんどん周波数を上げている。

地球の周波数の上昇に我々人間もついていくことが課題なのであるが、このことを知らされていないため、大多数の人類が無知のまま眠っている。

断続的な大災害により魂が揺さぶられ、個々の魂が目覚めつつあるとはいえ、いまだ明確に宇宙レベルの変革の時期であることを知らされていない。

毎日朝からネガティブな情報ばかり流されているのは、人間をネガティブの想念に染めておきたい意図があるからだ。

テレビ新聞マスコミ関連はそもそも、戦後の人類白痴化洗脳プログラム機関である。それはいまだ継続中である。

もちろん芸能界(女衒)もその組織である。自虐史観を植え付けられた人間は、自分よりも他人に価値をおいてしまう。そのために、アイドルを使ってエネルギー(お金)を捧げさせ、崇めさせる。偶像崇拝の現代版だ。

そのアイドルたちも組織の枠組みに縛られ続けることを魂が拒絶しはじめている。かつては芸能界に所属している個人が組織のシステムから脱することは許されなかった。そのシステムから外れようとした者はたいてい命を奪われた。

しかし、巨大プロダクションのオーナーが第一線を退いたことにより拘束力が低下し、個人レベルでの目覚めに歯止めをかける力を失っている。年間3249億円もの経済効果を稼ぎ出すアイドルの活動停止が認められたということは、もうこの世界の拝金システムは機能不全に陥っている証拠でもある。その期限は2020年だと定められた。

2020年は教育改革、働き方改革の指針が建てられた。AIにより、これまでの人間の在り方の変革が迫られている。もうこれまでの経験は使いものにならない。東京オリンピックはそのとどめ。

過去の経験的知識の蓄積作業はAIが担い、人は新たなる次元へと進化が求められる。

人が求められることは未来から情報を受信し創造してゆくこと。

それは人が進化するにともなう、神化への道。

失われた人類の能力を目覚めさせる、古代人への先祖返り。

人類は数千年間も宇宙のシステムと逆のシステムに組み込まれてきたため、幾重にも組み込まれた洗脳プログラミングを解除することが求められる。

それが脱エゴ・自我意識だ。


自我意識とは、五感(視覚・嗅覚・聴覚・味覚・触覚)のみで善悪・概念・常識・批判・否定・感情・偏見・反感・排除・損得・先入観・固定観念・過去の経験・希望的観測などの分離意識で物事をとらえること。

自我意識では、表面的かつ側面的にしか現象をとらえることはできず、原因を洞察することができない。


自我は善悪、陰陽、表裏などを分けた二元性の意識。分離意識=自我意識ではなく、統合意識で物事を見る目を持てば、相反することを束ねて観ることができる。これを繰り返すことにより、何が自我で何が愛なのかがわかってくる。
。。。
その結果、表裏一体、陰陽和合といった両側面を一度に観て結果ではなく原因を洞察することができるようになり、神の視点を体得したことになる。

発してしまった自我は、気づいて受け止め、感謝することで波動が変換(中和)される。これを中庸、中道、という。
。。
意識エネルギーをコントロールできるようになると、自分の現実を良化することができるようになる。

未来から情報を受信し、自分の人生を意図的に創造してゆけるようになる。

b0409627_05515411.jpg

こういうことは親からも学校からも教えてもらうことはない。むしろ社会では通用しないとされている。

しかし、このことは古来より秘儀参入者やごく一部の権力者のみが秘密裏に手に入れていた。

しかし文明の転換期となった今、このような情報を書籍やネットで共有できる時代となった。

通常はこれらの情報は高次元領域からもたらされることはないが、地球の次元が上昇する転換期には高次領域から情報が降ろされるしくみ。人類を目覚めさせるためだ。

艮金神(国常立命)からのメッセージは大正時代の『伊都能売神示』から昭和の『日月神示』、そして平成になって『大日月地神示』が2017年を最後に降ろされてきた。

これまでの洗脳されてきたあらゆる固定観念を捨て去り、真なる情報を入手し
自身の周波数を上げておくことが何よりも大事だ。

我々は宇宙でも類まれな体験をしているということの自覚が大変重要である。

情報を知識として蓄えておくのではなく、実践することが最も大事であることを申し添えておく。

自我意識を変換する作業は、地道ではあるが、実践すればするほど自分に恩恵が返ってくる。誰のせいにもできない。

自分の内奥に入り、自我を精査し変換することの連続だ。この作業は染みついた洗脳を解くための必須作業だ。

この作業を怠った場合、地球の周波数と自己の周波数にかい離が起こり、様々な心身の症状が現れる。感情のコントロールが周波数を支配するからだ。


不安や嫉妬などのネガティブな感情も肉体のホメオスタシス(恒常性)を著しく狂わせてしまう。これらの感情が日常繰り返されることにより、心身の病気を引き起こしてしまう。


しんどい時期ではあるが、自分を客観的に見る視点を持ち、自暴自棄にならずにどうか謙虚で感謝を忘れず素直であることをおすすめする。

わたしはどんどんアホになっている。

しかしアホになれば思いもよらないことが思い付く。

悩みが多い人はきっと、かしこい人なんだ。

わたしはもともとかしこくないから難しいことは考えられなかった。

アホは悩まないからメンタルはキープできる。だから健康でいられる。

その証拠に認知症の老人は、とても健康なのだ。

なぜなら悩みがないからだ。

そして子どもに還っている。

それが健康の秘訣なのだとつくづく思う。

人間がみんな単純になれば、こんなややこしくて難しい世の中にならないはずだ。

新しい時代は子どもでも分かる楽ちんでハッピーな世界になっているだろう。


今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

カテゴリ:宇宙( 7 )




by new-jomon | 2019-01-31 17:47 | Comments(0)

日の本はよみがえっている。

b0409627_12111022.jpg

大坂なおみさん、全豪オープン優勝おめでとうございます。

大坂さんは昨年の全米オープンに続く四大大会2連勝で、大会後に日本勢初の世界1位となることが決まった。

各メディアは「大坂時代到来」と称賛している。


そう、大阪はかつて大坂だった。さらにさかのぼると古代の大坂は「ひのもとの国」だった。

2019年1月に大阪は「世界の大坂」として世界中にアナウンスされたことにより、「大坂時代が到来した」と世界の集合意識にインプットされた。大阪は「ひのもとの国」としてよみがえってきているのだ。


ふりかえって

2017年

縄文復活!

振り返れば2017年11月のご神事で封印されていた三柱のアラハバキ神(縄文神)が日高見の国から京都の地におでましになった。
奇しくもその日、京都国立博物館で、国宝縄文土偶が京都に来ていたのだった。
b0409627_16514112.png
▲「そうだ京都、行こう。」HPより


2018年

そして2018年夏。日本初の「縄文展」が東京国立博物館で開催された。
6点の国宝縄文土偶と土器を筆頭に、全国の縄文秘宝が一挙に人々の前に姿を現したのだった。

b0409627_16541417.png
▲縄文一万年の美の鼓動 東京国立博物館

そして、同年、記念すべき夏の甲子園大100回大会では生駒山にある大阪桐蔭高校が優勝。秋田県立金足農業の地元ナインと熱い戦いを繰り広げた。東北は最後まで縄文が残った日高見国であり、縄文神・艮金神の復活の現象だった
b0409627_17105873.png

生駒「あわわ」あわ=女性性(縄文)の復活を暗号化している。


そして同年9月大坂なおみ選手がセリーナ選手を相手に日本人初の全米オープン初優勝を果たした。

大坂が日本人で初めて世界を制覇したのだ。

2018年は災害の連続だったことは記憶に新しい。

6月にはだれも予想できなかった大阪北部で震度6弱の地震があった。震源地に注目。
b0409627_17153086.png
7月には西日本豪雨により、200人を超える死者が発表された。


9月には北海道で震度7の地震があった。


夏は記録的猛暑日の連続だった。熱中症で亡くなる方が多かった。

そして台風の連続。
2018年7月には左回転で左方向に進むという、前代未聞の逆方向に進行する台風12号が到来。(ちなみに、朝鮮半島に近づいたときには右回転に変化したとのこと)
b0409627_00051592.png
このことは、これまでのシステムの反転を示唆する自然現象と読むことができる。

ちなみに、左回転システムは宇宙に沿った回転方向。これまでの地球は右回転システムだったために、宇宙に逆らった不調和な世界が何千年間も現象化していたのだ。

。。。。

台風21号は大阪を直撃。関空が水没&損壊。大ダメージを受けた。これにより外国人客がめっきり減った。

b0409627_17262720.png
そして2017年初の日本縦断コースの再来が2018年の台風24号だった。このときも記録的大雨だった。
b0409627_00012061.png

日本はもう、過去の経験がまったくあてにならない新たな領域に移行したことを実体験した2018年だった。
。。。。
自然災害ならば、日本列島を祓い清め浄化するためだろう。
人工災害ならば、日本列島への攻撃を意図したものだろう。

いずれにしても、日本という国が世界のひな型であるためにあらゆる現象が起きているということは言うまでもない。

そして。
そして迎えた

2019年。。。。。

大地震・記録的台風・大雨・大洪水・・・10年に一度の災害が一年間に10年分も経験した2018年を終え、2019年一月。嵐が活動休止を発表。日本中に速報で知らされた。報道各局、新聞社もこぞって「嵐の活動休止」をアナウンスした。

1月28日のスポーツ新聞各紙の1面は

スポニチ 嵐 活動休止
ニッカン
 活動休止 嵐
サンスポ
 嵐 活動休止
スポーツ報知
 嵐 無期限休止
トーチュウ
 嵐 活動休止
デイリー 嵐 無期限休止

となっていた。
スポーツ新聞のみならず、読売・朝日・産経・毎日といった全国紙も一面で嵐活動休止を報じていた次第である。
。。。。
この現象は新聞テレビネットを通じて大々的にアナウンスしたことにより、

集合意識に「2020年をもって嵐(=災害)の活動が休止する」とインプットされたことを意味する。つまり、大多数の日本人の意識(想念)に印が入れられることにより、その現象化が起こるということだ。


以下、MSNの記事より一部引用。

―17年6月、どういう形で切り出したのか。

 大野「大阪で5人で仕事して、その前の日に仕事の後、ホテルの部屋でちょっと話したいことがあると伝えた。」

 相葉「デビューの時に僕が『世界中に嵐を巻き起こしたい』って言って始まった20年だったけど、まだ巻き起こせていないと思う

 大野「たくさんの方に驚かせてしまい申し訳ありません。僕らでできること、僕個人でできることをみんなで考えながら残り2年間、嵐として走り抜きたい

上のインタビュー記事を読み解けば、

嵐リーダー大野氏が解散を切り出したのは2017年6月。大阪のホテルの部屋だった。大阪(大坂)がこれまでの重要のキーワード。

「『世界中に嵐を巻き起こしたい』って言って始まった20年だったけど、まだ巻き起こせていない。残り2年間、嵐として走り抜きたい


2020年12月末までの残り約2年、世界中に嵐が巻き起こるということ。これは大峠のことなのか!?
。。
。。


今年の6月には日本初のG20が大阪で開催される

これは次の時代の中心地(大阪)に世界の首脳が集結するという現象である。

そして、2025年には万博が大阪で開催される。

新たなる大阪=「ひのもとの国」で世界の最新テクノロジーが集結されるという現象を予兆している。それまでに大峠があり、地球を浄化したあと地ならしが整い、新たな日本文明が大阪を拠点に開始されるのは6年後(2025年)ということだ。

このように、三次元の現象は高次元と密接にかかわりあっていて、人間の想念が現実をつくっているという仕組みがあることを知っておくと、テレビや新聞などのメディアで何が喧伝されているか洞察することができる。ゆえに仕掛け人の意図を見抜くことで、扇動されなくなる。


「大阪」がキーワードなのは次の日本文明発祥の地である東経135度+1.4度エリア内の中心地だからだ。ここはかつての日の本の国だった。

b0409627_12111022.jpg
b0409627_12022248.png
かつてひのもとの国が縄文文明の中心地だった頃、後から来た弥生の神に国譲りをしてから数千年。唯物主義の物質文明をとことん追求してきた。しかしその方法論では地球がもたなくなってしまった。


地球は極限まで忍耐してきたが、銀河の回転周期にあわせてどんどん周波数を上げている。

地球の周波数の上昇に我々人間もついていくことが肝心なのである。

地球と人間の周波数が著しくかい離すると、肉体面、精神面の病気が引き起こされる。これはかなりきつい現象だ。

そうならないためには、身魂磨きが最も大事なのだ。次はその方法を書いていきたい。




今回も最後までお読みくださりありがとうございました。



カテゴリ:宇宙( 7 )
[ 2019-03 -10 21:10 ]
  • [ 2019-02 -28 16:19 ]
  • [ 2019-02 -22 12:38 ]
  • [ 2019-01 -29 14:04 ]
  • [ 2019-01 -27 10:41 ]
  • [ 2019-01 -24 21:34 ]
  • [ 2019-01 -22 20:11 ]
  • [ 2019-01 -20 03:12 ]
  • [ 2019-01 -18 00:40 ]
  • [ 2019-01 -14 14:51 ]
  • [ 2019-01 -10 19:39 ]
  • [ 2019-01 -08 19:14 ]

  • by new-jomon | 2019-01-29 14:04 | 日本の歴史を蘇らせる | Comments(0)

    スサノオの潔白②

    b0409627_00000908.jpg

    スサノオの潔白①のつづき。

    スサノオは『古事記』最古の和歌を残している。


     
    八雲立つ

    出雲八重垣

    妻籠みに

    八重垣作る

    その八重垣を

    ヤマタノオロチを退治し、クシナダ姫との新居を構えたスサノオの胸の裡がこめられた和歌だ。


    b0409627_01291064.jpg
    ▲八ツ房杉(筆者撮影)

    ヤマタノオロチは八つ頭に八つの尾をもつ山のごとく巨大な大蛇。

    毎年クシナダ姫の七人いた姉をひとりずついけにえにさらってきた。

    最後に残ったクシナダ姫が年老いた両親と泣いているところにスサノオは出会った。

    スサノオはクシナダ姫を嫁に貰うことを条件に、ヤマタノオロチを退治することを申し出た。

    スサノオは頭脳戦で八つの頭それぞれに酒を飲ませて酔わせ、



    クシナダ姫を櫛の形に変えて、スサノオの髪に刺した。

    男神と女神が一体化したということだ。

    完全体となったスサノオは、見事にヤマタノオロチを倒したのだった。

    注目すべきは、
     
    イザナギ、イザナミの夫婦神が死に別れたことと反対の、

    男女の分離から統合を果たしたということ。

    b0409627_00262412.jpg
    ▲素戔嗚の命 ウィキペディアより。


    八雲立つ

    出雲八重垣

    妻籠みに

    八重垣作る

    その八重垣を
    b0409627_09153686.png
    ▲出雲大神宮(筆者撮影)

    ヤマタノオロチを退治し、クシナダ姫との新居を構えたスサノオの胸の裡。

    うれしい、いとしい、すがすがしい、うつくしい、ほこらしい。

    その様子がありありと伝わってくる。


    b0409627_09190746.jpg
    ▲出雲大神宮(筆者撮影)

    勇敢で、素直で、力強く、頼もしいスサノオ。

    乱暴で暴れまわる悪者ではなく、英雄としてのスサノオ像が明瞭に描写されている。

    この美しい短歌からわたしたち日本人の自尊心が高まってくるから不思議だ。


    ▲ミク姫の高らかな歌声がすがすがしい。


    スサノオは、勇敢で力強いだけではない。

    ヤマタノオロチを退治した際、オロチから生じた剣が三種の神器・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。草薙の剣とも言う。スサノオはこれをアマテラスに献上しに高天原に行く。


    アマテラスは弟が反乱を起こしに来たと疑い、男装して武装するのだ。

    スサノオは他意はないとして、占いを提案する。これがアマテラスとスサノオの誓約(うけい)だ。


    スサノオが潔白なら、生まれてくる子が女の子、アマテラスの疑いが正しければ男の子としたが、生まれてきたのは三柱の女神だった。

    これが宗像(むなかた)三女神


    これでスサノオの潔白は証明された。



    スサノオには邪心がない。清らかな心で素直なのだ。

    そもそもヤマタノオロチを退治して手に入れた剣を自分の物にしないで姉に献上するのだから欲がない


    姉に敵対心がないから高天原に行けたのだ。


    しかし姉は
    弟が攻めてきたと疑い、武装した。


    姉は弟が来るのを追い払おうとしていて、歓迎しもてなす心がないことに気づかされる。




    「蘇民将来」という民話にもスサノオ像が浮かび上がってくる。

    b0409627_00092345.jpg
    ▲枚岡神社(筆者撮影)

    みすぼらしい身なりの武塔(むとう)の神が一夜の宿を借りに二軒の家に訪ねる。

    一件の家は巨旦将来(こたんしょうらい)というとても裕福な弟の家だったが、

    薄汚い身なりを見て泊めることを拒み、追い払ってしまった。

    そこでもう一軒の貧しい家を訪ねた。そこは蘇民将来(そみんしょうらい)という兄の家で、

    貧しいにもかかわらず、喜んで迎え入れ、出来る限りのもてなしをした。


    数年後、武塔の神はいつかのお礼を言うために、蘇民将来の家を訪ねた。

    神は、「これを身に付ければ末永く幸せになるだろう」と茅で作った茅の輪を蘇民将来の家族に託した。

    その後、村に疫病が流行り、村人は蘇民将来の家族以外みな死んでしまった。武塔の神はこう言った。

    我はスサノオの命である。

    また疫病が流行したら、

    蘇民将来の子孫である

    と言えば災難は免れるべし
    b0409627_00000908.jpg

    ▲枚岡神社 茅の輪くぐり(筆者撮影)

    興味深いのは、伊勢神宮周辺の家には「蘇民将来」の文字とともにしめ縄が飾られていたことだ。

    b0409627_10513675.jpg

    ▲楽天市場 伊勢のしめ飾り。

    これは伊勢の住民は「出雲系」であることを示している。伊勢に住んでいながら出雲系であることを示しているのは「日本人」であることの意味が込められている。出雲系=Yap遺伝子=日本人ということだ。


    出雲には「まれびと」という教えがある。

    来客が来たら、おもてなしをしなさいという教えだ。


    わたしは大阪生まれの大阪育ちだが、河内の人は来客があったら「お茶でも飲んでいき」と言って、食事とともにお酒をふるまってもてなす。


    しかし、京都は逆なのだ。夫の両親は京都生まれの京都育ち。親戚も皆京都。

    注意:京都=京都市内のこと。京都府○○市と言うのは京都ではない(京都人談)

    ちなみに、京都人でも御所のある中京区がいちばん格上で、その次に左京区、その次に右京区、という暗黙の格付けがされている(笑)


    京都の親戚の家に訪ねに行った場合、

    「ごはん(ぶぶ漬け)でも食べて帰り」と言われたら、とっとと帰ってくるように教えられた。


    本当に食事をいただけるのは、前もって「ごはんを作っておくから」と連絡がある。これは京都のルールなのだ。

    夫いわく、盛り皿のお菓子を「これ持って帰り」と言われても、一つだけしか持って帰ってはならないという暗黙のルールがある。これを守らなければ母親につねられたそうだ(笑)

    大阪は逆で、ありったけのお菓子を与えて持ち帰らす。手ぶらで返すことはありえないのだ。


    大阪人のわたしは京都のカルチャーショックを少なからず覚えたものだ。人前ではその人をほめておきながら、その人がいなくなると、途端に悪口を言う怖さ・・・。裏表のない大阪人からすると信じられないことだが、これは本当だった。あ~コワ。

    京都の遠い親戚に公家の血筋の女性が嫁に来た人がいるが、衝撃的エピソードが満載だった。いや~身分違いの結婚程不幸なことはない。小室さん、ホンマに宮さんと結婚しはるんかいな!? あ~コワ。


    大阪と京都はまったく違う。大阪は出雲系で京都は伊勢系。文化の違いは土地の産土神の違いなのだ。

    大阪が出雲系なのは、スサノオの息子饒速日が生駒山を日ノ本の国の拠点としていたからだ。


    出雲系はスサノオの血脈。自然神を祀っている。

    伊勢系はアマテラスの血脈、つまり天皇(人)を神として祀っている。



    ところで大阪で特に馴染み深い天皇といえば、仁徳天皇。(第16代天皇)
    b0409627_09230633.jpg

    ▲大仙陵古墳 ウィキペディアより。

    大阪堺市にある大仙陵古墳の第16代仁徳天皇は聖帝といわれている。仁徳天皇は人民の家のかまどから立ち上る煙がないことに気づいて、人民が豊かな生活ができていないことを悟り、三年間の年貢を取りやめた。その間、天皇の邸宅は修理することができず退廃してしまっていた。皇后がその旨を問うと仁徳天皇は、

    そもそも、天が君を立てるのは、人民のためである。

    従って、君は人民を一番大切に考えるものだ。

    そこで古の聖王は、

    人民が一人でも飢え凍えるような時は、顧みて自分の身を責める。

    もし人民が貧しければ、私が貧しいのである。

    人民が豊かなら、私が豊かなのである。

    人民が豊かで君が貧しいということは、いまだかつてないのだ


    と言った。



    三年後、人民は豊かになると、自ら天皇に年貢を納めるようになったという。




    土地の気質というのはとても密接だとつくづく感じさせられる。

    和歌山県と奈良県と大阪の人は気質が似ている。かつての日の本の国は河内から和歌山一帯がひとつの国だったからだろう。

    しかし京都は気質がまったく違う。

    グルメ本を出すのに、京都がいちばん難しいと知り合いの編集者が言っていた。みなプライドが高くて譲らないそうだ。(笑)


    ただし、大阪人と京都人の気質について書いたことはすべての人に当てはまるわけではないことを記しておく。


    素戔嗚命は荒々しく粗暴な悪い神だという誤解を解きたい。

    勇敢で、困っている人を助けてくれるヒーローの神様。

    邪心がなく、清々しい心意気の素直な神様。

    わたしはスサノオが日本人の親神さまであることをとても誇らしく思っている。

    ▲ヤマタノオロチ神話のアニメーションが素晴らしい。

    素戔嗚の命は出雲の神。

    出雲の神は自然の神。

    ゆえに自然に沿ったシステムの神様なのである。




    今回もお目通しいただきありがとうございました。下はHPです。



    カテゴリ:宇宙( 7 )
    [ 2019-03 -10 21:10 ]
  • [ 2019-02 -28 16:19 ]
  • [ 2019-02 -22 12:38 ]
  • [ 2019-01 -29 14:04 ]
  • [ 2019-01 -27 10:41 ]
  • [ 2019-01 -24 21:34 ]
  • [ 2019-01 -22 20:11 ]
  • [ 2019-01 -20 03:12 ]
  • [ 2019-01 -18 00:40 ]
  • [ 2019-01 -14 14:51 ]
  • [ 2019-01 -10 19:39 ]
  • [ 2019-01 -08 19:14 ]

  • by new-jomon | 2019-01-27 10:41 | 日本の歴史を蘇らせる | Comments(0)

    スサノオの潔白①

    b0409627_00262412.jpg


    前回はアマテラスについての記事を書いた。

    (前回記事:天の岩戸に隠された神々




    なぜかスサノオについても書かなくてはならない気がしたので記すことにした。


    わたしは過去現在の文献を推理推論したものではなく、


    直観ー決心ー行動ー体験ー検証といった形で書き記して来た。


    それはシンクロニシティの連続の体験であり、自ら答えを出した後に、明確な答えがが示されるしくみだ。


    その体験は、過去現在の文献を超えた「実体験」として知らされるものであり、


    時空間と次元を超えた領域から三次元にいながらにして体験させられるということだ。


    五感を通して受けた印象。


    五感を通さずにひらめく直観。


    印象と直観は同義語だ。


    インプレッションとインスピレーション。


    それは思考を超えたゆるぎない確信。


    自我を通さず受け取る瞬間のひらめきは、宇宙から降ろされるメッセージ。


    ちなみに、直観の反対は、違和感。


    高校の日本史の授業で先生が話した「天の岩戸開き神話」を聞いたときに感じた違和感。


    あのとき、先生は


    「アマテラスの弟のスサノオが亡き母(イザナミ)会いたさに泣きわめき、


    暴れまわってアマテラスを困らせてしまい、アマテラスは岩戸に隠れてしまった」


    と話したが、このときわたしは違和感を覚えたと同時に


    「スサノオはわるくない!」


    と直観的に感じたのだ。


    先生の授業を真剣に聞いていたわけではないのに、なぜかどうしてか、


    「スサノオはわるくない!」


    と反応してしまった理由が当時はまったくわからなかった。



    アマテラスとスサノオ。


    わたしが子どもの頃に受けたこの二柱の神の印象は数十年間の時を超えて答えを示されることになる。


    1300年間もの長きにわたり受けてきた、神々の世界への誤解。


    神々の世界を知らされた者として、日本人が知るべき本当の歴史を伝えなければならないと感じている。



    2017年11月。


    意図せずわたしは人の身体に降りた神の姿を生まれてはじめて見ることになった。



    わたしが見せられた「復活の儀」は富士山で執り行われた十数年前の映像だった。


    そのときの様子は、衝撃的なものだった。


    白装束に身を包んだ神業師は突然別の人格(神格)となった。


    人間の肉体に降りた神は明らかに人間を超越していた。


    まるでスーパーサイヤ人のごとくすさまじきエネルギー。


    発せられる声はオペラ歌手をはるかにしのぐ声量。


    その立ち居振る舞いは、どんな名役者でも演じられるものではなかった。


    スサノオは降臨した瞬間、伸びと大あくびをして、


    「よく寝たの~~~」


    と長い眠りから目覚めた。


    そして立ち上がり、武将のごとく口調で語りつつ振る舞う姿はまるで時代劇を見ているかのようだった。


    スサノオは誰かに対して何かを話していたようだ。


    ひとしきり語ると、神業師は別の人格(神格)に変わった。


    先ほどの勇壮な男性的振る舞いとはうって変わって、


    女神らしくしとやかで雅な口調で語り始めた。


    そのとき降りてきたのはアマテラスだった。最高神らしくとてもプライドが高い女神だった。


    姉と弟の関係は、何らかの確執があるかのように感じられた。


    会話の内容の詳細は覚えていないが、


    わたしが覚えているスサノオの言葉は以下のとおりだ。




    「我はこの国で

    もっとも忌まわれし


    祟り神じゃ。

    我に掛けられし

    呪いを解き放てば、

    この国に掛けられし

    闇も取り払われよう。

    ・・・長かった・・・

    長かったああああああ!!!!!」

    b0409627_00262412.jpg
    ▲素戔嗚命 ウィキペディアより。


    スサノオは天に向かって大声で慟哭したのだ。


    その涙は、ゲリラ豪雨となって現象化したのだった。


    スサノオの魂の叫びは、人間の時間にして気の遠くなるような悠久の時を経て、


    やっと吐露することができたことを思わせる、涙なしには見られない光景だった。


    そのときのわたしにはまだ、スサノオが言わんとする言葉の意味がわからなかった。


    しかし、今ならわかる。


    スサノオがすべての罪を背負って、根の国に葬られてしまっていたということを。


    それは、



    誰かの意図により、天照大神となるべき系譜がすり替えられたということだ。


    神の世界は末子相続。


    天孫族はニニギも神武も末子である。


    イザナギの子(三貴神)ならば、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの三姉弟のうち、スサノオが末子だ。


    しかもスサノオは男神。


    天照大神は太陽神。


    天照大神は男神が務めるのが自然の摂理。


    スサノオは末子であり男神なのだから、


    天照大神はスサノオがなるべきではなかったのではないか。


    それならスサノオは高天原から追放されることなく天照大神となっていたはずなのだ。


    スサノオの息子であるニギハヤヒが男神天照大神だったのは、それが理由。


    そしてその子孫である物部氏は、正統なるスメラミコトの系譜を受け継ぎ、神と人をつなぐ最高神官の役目を果たしていたのだ。



    しかし渡来人によりその座を奪われ、神話が書き換えられてしまった。


    神話を書き換えられなければ、神の世界の秩序が乱されることもなく、


    人間界もめちゃくちゃな世界になることはなかったのではないか。

    b0409627_00120484.jpg
    ▲石切神社 雄牛の親子像。牛はスサノオ(牛頭天王)。つまり、ニギハヤヒはニニギの兄(伊勢系)ではなく、スサノオの息子であることを暗号化している。物部氏は立場上朝廷側ではあるが、本音は出雲系であることを示している。



    「我はこの国で

    もっとも忌まわれし


    祟り神じゃ。

    我に掛けられし

    呪いを解き放てば、

    この国に掛けられし

    闇も取り払われよう。

    ・・・長かった・・・

    長かったああああああ!!!!!」





    スサノオに掛けられた呪い・・・それは秩序がひっくり返されたこと。


    呪いを解き放つことは、ひっくり返された秩序を元に戻すこと。


    それは神話を正しく書き換えるということ。


    この国に掛けられし闇とは、


    逆さまになってしまった人間界の悪仕組み。


    要するに、神話の世界を元に戻すことなくして、


    人間界の世界に平和はもたらされないということだ。



    ことの発端は、スサノオが亡き母会いたさに泣き喚いたこと。


    そもそも神の世界に死が持ち込まれたことがすべての原因。


    イザナミが死ななければすべては秩序どおりだったのだ。



    ちなみに、神話で大国主は二度死んでいるのに二度とも生き返っている。


    なのに、なぜ国生みの女神は蘇らなかったのか。


    イザナギ、イザナミ夫婦が引き裂かれ、


    正と死の二極が生じてしまったことも


    人間界にあまやった死生観が植え付けらえた原因だろう。




    神話は教科書通り読んでも何も見えない。


    教師からスサノオが悪者だと植えつけられれば、生涯その認識は変わらない。


    学校教育では、小学生に「やまたのおろち」神話が国語の教科書に載っている。


    ヤマタノオロチ退治前に、スサノオが高天原で狼藉を働き追い出された話が前段階として教師から教えられる。

    b0409627_00055405.jpg
    ▲小2の国語の教科書。息子は「すさのおのみことがお母さんに会いたいと泣いて暴れておんなのかみさまを困らせたんやで」と教えてくれた。


    日本人の親神様はスサノオなのだ。


    そのスサノオが貶められ、悪者にされ、葬られたということは、


    われわれ日本人も同じ扱いを受けてきたことに等しい。


    わたしはスサノオが悪者にされている神話が1300年間も疑うことなく「正統なる我が国の歴史書」とされ


    教科書を使って洗脳されつづけてきたことが、


    どれだけ日本人の自尊心を傷つけてきたかを痛いほど思い知った。


    神武東征はひのもとの国の侵略と日本民族虐殺物語。


    日本人は今まで1300年間、このような意図が込められていた神話をスタンダードにしてきたのだ。


    改ざんされた神話とこの国に持ち込まれた逆向きのシステム。


    いずれも正す時がきた。


    これ以上放っておけば、この世界も地球ももたなくなる。


    いま、封印されてきた神々がよみがえっている。


    タイムリミットが来たからだ。


    わたしたち日本人は、親神様の子ども。


    まずは親神様にこれまでの過ちをお詫び申し上げ、


    自然に背いた生き方を改心して


    親神様の御心に沿った思いに改め謙虚になること。


    これまで与え続けてくださった空気、水、土、木、すべての元素と、


    それらが物質化して与えられてきたものすべてに感謝すること。


    わたしはそれがすべての原点だと思っている。


    つづく。






    カテゴリ:宇宙( 7 )
    [ 2019-03 -10 21:10 ]
  • [ 2019-02 -28 16:19 ]
  • [ 2019-02 -22 12:38 ]
  • [ 2019-01 -29 14:04 ]
  • [ 2019-01 -27 10:41 ]
  • [ 2019-01 -24 21:34 ]
  • [ 2019-01 -22 20:11 ]
  • [ 2019-01 -20 03:12 ]
  • [ 2019-01 -18 00:40 ]
  • [ 2019-01 -14 14:51 ]
  • [ 2019-01 -10 19:39 ]
  • [ 2019-01 -08 19:14 ]


  • More
    by new-jomon | 2019-01-24 21:34 | 日本の歴史を蘇らせる | Comments(0)

    天の岩戸に隠された神々

    b0409627_01334166.jpg

    わたしは小学生のころから、「決められた正解以外はすべて不正解」と決めつけている教育の仕組みにずっと疑問を抱いてきた。


    国語の文章問題は特にそう感じていた。わたしは出題者の意図する答えの枠を超えた領域まで意識を拡大させてしまう癖があったので、不正解と断定されることがとても理不尽に感じたものだった。



    とにかく幼稚園の頃から不合理なやり方を変えたくてしかたない子どもだった。歯みがき表の色ぬりも「赤=磨いた」「黒=磨かなかった」と勝手に決めた。先生からは磨かなかったら「ぬってはいけない」と何度も注意された。


    小中学校時代の担任の先生からは必ずと言っていいほど「感受性が強い」と言われてきたが、それが学校にとって良い生徒であることを言っているわけではないことは明らかだった。


    小1,2年の担任にはことあるごとにいじめられた。0点をとったときに教卓の前に立たされて晒し者にされたり廊下にバケツを持って立たされたりした。


    わたしには担任の意地悪さが見え透いていた。今なら担任がわたしのような児童をいじめた心理もわかる(笑)今では大問題になるはずの人権問題だが、今となっては実に懐かしく良い経験をさせてもらったと思う。


    この先生の顔は忘れられない。グリコ森永事件の犯人のキツネ目の男にそっくりな女の先生だったから(笑)


    やがて学年が上がるにつれて目立つことは得策ではないと気づき、自分を隠す知恵を覚え周りと同化していった。ただ、いじめられ排除されている子には毎日電話をかけていた。ただし毎日だったので通話は1分以内だったが(笑)


    さて前回の枚岡神社の記事を書いていて、七五三のときの記憶が思い出された。


    小1のころ、枚岡神社でお稚児さんの衣装を着て、白塗りの顔に麿(マロ)の眉を書かれ、卒園した枚岡幼稚園まで7歳児が練り歩いた。終わってから二冊の絵本をいただいたのを覚えている。


    「天の岩戸開き神話」と「因幡の白兎神話」だ。


    「天の岩戸開き神話」を最初に読んだとき、文字と絵がわたしの印象に映し出された。詳細なストーリーは覚えていない。しかし、おんなのかみさまがきらいだと感じた印象が鮮烈に残された。


    幼心に、かみさまをきらいと思うなんて、絶対に人に言えないと思った。


    でも、見え透いてしまったのだ。このおんなの神様の魂胆が。


    ストーリーは弟スサノオが悪さの限りを尽くして姉のアマテラスがひきこもる。


    (わたしにはスサノオが悪者に思えなかった。なぜなら悪意が感じられなかったから。)


    アマテラスが天の岩戸に隠れてしまったために、世の中は暗闇に包まれ、悪神悪霊がはびこり、生命は育つことができず世界中が困り果てた。


    高天原の神々は、岩戸からアマテラスを出そうと策を練る。


    岩戸の外でアメノコヤネが美しい声で祝詞をあげ、アメノウズメが裸踊りをしてどんちゃん騒ぎした。


    その様子を覗こうとアマテラスが岩戸を開けたそのとき、力持ちのタヂカラオが岩戸をこじ開けて中からアマテラスを出した。


    「あなたよりも尊い神様が現れたので、皆でお祝いしていたのです」


    とアメノウズメがアマテラスに言うと、鏡を出してアマテラスを映した。


    「あなたさまのことですよ」


    と、光り輝くアマテラスを皆がたたえた。

    b0409627_01334166.jpg
    ▲天照大神 ウィキペディアより


    わたしはこの絵本を読んで、この女の神様が本能的にきらいだと思ってしまった。


    あろうことか、この絵本をおもちゃ箱に投げつけたのだ。


    あのとき、絵本を踏みつけたい衝動さえ湧き起った。


    わたしは下に開いた状態になった絵本をじっと見つめていたのを鮮明に覚えている。


    とにかく二度とこの絵本を読むことはなかった。


    大人になっても最高神であるアマテラスに対して特別ありがたい神様と思ったことがなかった。


    なぜ人々はこの女神をありがたがるのだろう、とさえ思ったものだ。こんなこと口が裂けても言えなかったが。


    こんな自分は確実に非国民扱いされると思う反面、どうしてもこの神様が好きになれなかった。


    このことを去年HPではじめて書いた。(その記事。)


    自分の感覚というのは理屈では説明しようがなかったが、


    2017年に導かれて八百万の神々と歴代天皇の御霊の神集いの場に立ち会った際、神々の事情を初めて知らされた。



    なんと出雲の神とアマテラスの対立関係を知らされたのだ。


    人間の体に神が降ろされ、神が人間を肉宮(にくのみや)として語らい神のご意思を世に降ろす。これを神業という。


    肉宮に降りてきた出雲の神・大国主と国之常立命がアマテラスに怒りまくっていたのだ。


    おそらく出雲の神々の怒りは、国を譲ったものの世界がエゴと争いに満ち溢れ、神国である日本が堕落してしまったことへの怒りだ。


    天照大神とは役職である。人間界でいえば総理大臣に相当する。


    政治がうまくいかなければ政権交代をするのと同じで、神界も天照大神の交代の時期に来ていることを知らされた。


    わたしは子どものころから世の中がおかしいことに気が付いていた。神様がいるなら、こんなひどい世の中を放っておくはずがない。そのときわたしはこう思うのだった。


    「神様がこんな地獄の世界をつくったの?」


    と。もちろんそんなこと人に言えるわけがなかったが、神々の世界を実際に知らされたとき、


    この世界が二元性で対立関係にあるのは、神々の世界も対立しているからだったと確信した。


    その原因が何であるのかはわかっている。


    神仕組みとは秩序のことだ。その秩序が崩壊してしまった現代においてはなかなかわかる人はいない。


    しかしわかる人が一人でもいる限り、伝えなければならない。


    乱れた人間界の秩序を元に戻すことが必須であることを。

    b0409627_19243754.jpg


    この宇宙も神々の次元も天使界も、人間界と同じように対立関係にある。実際この宇宙はネガとポジの戦いなのだ。


    だからご神事で知らされたことは、至極納得できるものだった。


    この地球は銀河の縮図。そして日本は地球の縮図である。


    銀河の対立構造がこの小さな日本に縮小されているということだ。


    宇宙に二元性がある限り、宇宙レベルの統合が課題となる。


    この三次元地球領域はネガとポジの対立を統合することを意図してつくられた星。


    その中で最も古い日本が要というわけだ。

    広大な領土を持つ諸外国がこの小さな日本を虎視眈々と狙っているのはこの日本を支配できれば世界を支配できたも同然だからだ。

    そしてそれは銀河レベルに拡大されることになる。


    悪の計画を実行するために日本人は洗脳され、骨抜きにされ、無知な奴隷にされ、ついには絶滅危惧種にされてしまったのだ。


    支配者にとっては神の遺伝子が埋め込まれた日本人が邪魔なのだ。


    しかし宇宙には支配してはならない、奪ってはならないという掟がある。


    人類が支配され、搾取されつづけているのは、誰かがその掟を破り、闇(ネガティブ・エゴ)を持ち込んだからだ。


    かつてはすばらしい周波数域にあった地球は、人間のエゴによって、著しく周波数を落としていった。


    その結果、重い低次元の地球になってしまい、このままでは地球自体が持たなくなる。


    高次元領域の存在が懸命に地球人の周波数を上げるよう働きかけている理由がそこにある。


    しかしこんな地獄の星にあえて高次元存在が介入したがるのは、彼らの因縁を解消したいからでもある。


    原因と結果の法則はたとえ高次元であろうとも、すべてにゆきわたる宇宙の法則。


    彼らもかつて、何らかの原因を生み出した結果を刈り取らなければならないわけで、


    地球での実験が成功できれば、晴れて高次元領域の因縁も解決できる。


    だから高次元存在たちは、どうにかして人間の洗脳を目覚めさせ、ポジティブ側の比率を上げようと必死なのだ。


    神話が書かれた時代は、文字が最先端のプログラミングツールだった。


    その最新のツールを使って集合無意識を構築し、三次元物質世界を作り上げた。


    1300年間かけて、完璧に集合無意識が投影されたエゴの世界はこのとおりだ。


    しかし、現代の最新のプログラミングツールは文字を超え、インターネットという三次元を超えた情報ツールにとってかわった。


    かつては、洗脳から目覚めたごく一部の人間が、真実を隠しながらわかる人にだけ伝えてきたが、現在はネット空間でいくらでも情報を得ることができるようになった。


    この世界のしくみを知る者が徐々に増えてきた。


    洗脳され、コントロールされてきた人間界が、少しずつ目覚めてきた。


    そして日本神界から降ろされた神示が人々に読まれるようにもなってきた。


    明治時代から降ろされはじめた神示は、時代に応じて内容が変わっていった。


    わたしはその神示を読んで、まったく違和感なく受け取れた。


    五度の岩戸閉めこそが、この世界の混沌の原因だったということも至極得心できた。


    だから七五三のときに感じた思いは、まちがいではなかったのだ。

    b0409627_01111457.jpg
    枚岡神社(筆者撮影)

    『日月神示』

    碧玉の巻

    第十帖


     岩戸しめの始めは


    ナギ(伊邪那岐命)


    ナミ(伊邪那美命)の


    命の時であるぞ、


    ナミの神が火の神を生んで


    黄泉国に入られたのが、


    そもそもであるぞ、


    十の卵を八つ生んで


    二つ残して行かれたのであるぞ、


    十二の卵を十生んだことにも


    なるのであるぞ、


    五つの卵を四つ生んだとも


    言へるのであるぞ、


    総て神界のこと、


    霊界のことは、


    現界から見れば


    妙なことであるなれど、


    それでちゃんと


    道にはまってゐるのであるぞ。


    一ヒネリしてあるのぢゃ、


    天と地との間に


    大きレンズがあると思へば


    段々に判りてくるぞ。


    夫神、


    妻神、


    別れ別れになったから、


    一方的となったから、


    岩戸がしめられたのである道理、


    判るであろうがな。


    その後、


    独り神となられた夫神が


    三神をはじめ、


    色々なものを


    お生みになったのであるが、


    それが一方的であることは


    申す迄もないことであろう、


    妻神も同様、


    黄泉大神となられて、


    黄泉国の総てを


    生み育て給ふたのであるぞ、


    この夫婦神が、


    時めぐり来て、


    千引の岩戸をひらかれて


    相抱き給う時節来たのであるぞ、


    うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。


    同じ名の神が到るところに


    現はれて来るのざぞ、


    名は同じでも、


    はたらきは逆なのであるぞ、


    この二つがそろうて、


    三つとなるのぞ、


    三が道ぞと知らせてあろうがな。


    時来たりなば


    この千引の岩戸を倶にひらかんと


    申してあろうがな。


    次の岩戸しめは


    天照大神の時ぞ、


    大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、


    ダマシタ岩戸からは


    ダマシタ神がお出ましぞと


    知らせてあろう。


    いよいよとなって


    マコトの天照大神、


    天照皇大神、


    日の大神、


    揃ふてお出まし近うなって来たぞ。


    次の岩戸しめは


    素盞鳴命に総ての罪をきせて


    ネの国に追ひやった時であるぞ、


    素盞鳴命は


    天下(あめがした)を治しめす


    御役(おんやく)の神であるぞ。


    天ヶ下(あめがした)は


    重きもののつもりて


    固まりたものであるから


    ツミと見へるのであって、


    よろづの天の神々が積もる


    (と言ふ)ツミ(積)を


    よく理解せずして


    罪神と誤って了ったので、


    これが正しく岩戸しめであったぞ、


    命(みこと)をアラブル神なりと


    申して伝へてゐるなれど、


    アラブル神とは


    粗暴な神ではないぞ、


    あばれ廻り、


    こわし廻る神ではないぞ、


    アラフル(現生る)神であるぞ、


    天ヶ下、


    大国土を守り育て給う神であるぞ、


    取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。


    このことよく理解出来ねば、


    今度の大峠は越せんぞ。


    絶対の御力を発揮し給ふ、


    ナギ、ナミ両神が、


    天ヶ下を治らす御役目を命じられて


    お生みなされた尊き御神であるぞ。


    素盞鳴の命にも二通りあるぞ、


    一神で生み給へる御神と、


    夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と


    二通りあるぞ、


    間違へてはならんことぞ。


    神武天皇の岩戸しめは、


    御自ら人皇を名乗り給ふより


    他に道なき迄の御働きを


    なされたからであるぞ。


    神の世から人の世への


    移り変りの事柄を、


    一応、


    岩戸にかくして


    神ヤマトイハレ彦命として、


    人皇として


    立たれたのであるから、


    大きな岩戸しめの一つであるぞ。


    仏教の渡来までは、


    わずかながらも


    マコトの神道の光が


    さしてゐたのであるなれど、


    仏教と共に仏魔わたり来て


    完全に岩戸がしめられて、


    クラヤミの世となったのであるぞ、


    その後はもう乱れほうだい、


    やりほうだいの世となったのであるぞ、


    これが五度目の


    大き岩戸しめであるぞ。


    b0409627_01114127.jpg
    枚岡神社(筆者撮影)



    『日月神示』

    磐戸の巻

    第15帖

    「天照皇太神宮様

    (テンショウコウタイジングウサマ)

    の岩戸開きは、

    だました、

    間違ひの岩戸開きぞ、

    無理にあけた岩戸開きざから、

    開いた神々様に大きなメグリあるのざぞ、

    今度はメグリだけのことはせなならんぞ、

    神にはわけへだて無いのざぞ、

    今度の岩戸開きはちっとも間違ひない、

    まぢりけのない、

    マコトの神の息吹でひらくのざぞ。

    まぢりありたら、

    にごり少しでもありたら、

    またやり直しせなならんから

    くどうきつけてゐるのざぞ。

    何時迄もかわらんマコトでひらくのざぞ。」


    b0409627_01124613.jpg
    枚岡神社(筆者撮影)


    海の巻

    第十一帖

    「だました岩戸からは

    だました神が出て、

    ウソの世となったのぢゃ、

    この道理判るであろう、

    ニセ神やら、

    だました神やら、

    次々に五度の岩戸閉めと申してあろが」


    b0409627_01513538.png
    枚岡神社(筆者撮影)


    梅の巻

    第十三帖

    「ダマシタ岩戸開きでは

    ダマシタ神様お出ましざぞ、

    この道理判らんか、

    取違ひ禁物ぞ、

    生れ赤子の心になれば分るのぢゃぞ。

    今の臣民お日様明るいと思ふてゐるが、

    お日様、

    マコトの代のマコトのお日様

    どんなに明るいか見当とれまいがな。」



    b0409627_01131456.jpg
    枚岡神社(筆者撮影)



    碧玉の巻

    第二帖

    岩戸がひらけたから、

    さかさまのものが出て来てゐるのぢゃ、

    この行(ぎょう)、

    中々であるなれど、

    これが出来ねば岩戸はひらけんのぢゃ、

    マコトの神さえ

    魔神のワナにかかって御座るのぢゃ、

    人民がだまされるのも

    無理ないようなれど、

    だまされてゐては

    今度の御用は成就せんぞ。」


    b0409627_00084376.jpg



    天の岩戸が閉められた際に闇の世界を生んでしまった。闇は悪霊魔物の類が住む世界。これが仏教の六道すなわち幽界だ。



    闇がこの世界に入り込んでからというもの世の中は争いが繰り返されるようになったのだ。



    岩戸開きで出てきたおんなのかみさまは、出てきてはならない神だった。



    なぜなら太陽の神は男神でなければならなかったから。



    太陽は男。月は女。



    これを秩序という。



    『日本書紀』を書いた藤原不比等は女帝の側近。



    天皇は男。皇后は女。



    しかし推古以来、皇后が天皇になり女帝が現れるたびに世の中は混乱し悪仕組みがはびこっていった。



    神の世界も人間界も、ともに秩序をひっくり返してしまったことが、この世界の結果なのだ。



    持統天皇は、自らの女帝としての権威を知らしめるために、天照大神を女神に変えて女帝を正当化する必要があったのだ。


    そして側近・藤原不比等はこの国を意のままに仕組みを変えた。



    神の世界と人間界の秩序をひっくり返してしまったゆえに逆さまの世界が現象化し、世の中が乱れたのだ。



    だまされた神もだました神も、ともに因縁がある。



    この国でだまされ続けた日本人も、だまし続けた渡来人も、因縁がある。




    日本人は720年から1300年間も日本魂が目覚めぬようプログラミングを受け続けてきた。



    国生みの女神が死んで女性性が封じられ、



    スサノオを悪者にして排除し、真の男性性がおとしめられた。



    アマテラスの岩戸開きで男と女の役割が逆転して秩序が乱れ、



    神武天皇が来てから神と人が分離し、人が神の上に立つようになり、



    仏教伝来により幽界が持ち込まれた。



    これが五度の岩戸閉めの真相だ。



    五度の岩戸閉めは国譲り前の縄文のころにはなかった自然のシステムとは逆のシステム。



    渡来人が持ち込んだ日本統治の方法論は、元の神が国造りした方法とは逆の方法論。


    b0409627_18111332.png

    与えるのではなく、奪う。


    もてなすのではなく、武装する。


    喜ばせるのではなく、苦しめる。


    弱いものを守るのではなく、いじめる。


    ことごとくがねじれているのは、逆向きの方法論だからだ。


    逆向きにねじれてしまった秩序を元に戻すことがこの世界の不調和を正す根本なのである。


    神話を正しく書き換えることで自然に沿った集合意識が再構築され、調和した世界に作り替えることができるのだ。


    b0409627_13210734.jpg
    ▲六道輪廻


    わたしたちは、教育の名の下に、表面しか情報を読み取れないようにプログラムされてしまっている。


    表の座にいる権力者や政治家、権威ある学者の方々はまさに洗脳プログラムを忠実にインストールされているため、物事の本質を見抜く目が盲点になっている。



    だから神話に隠されたしかけを見抜くことができない。


    しかけとは、洗脳プログラムのことだ。


    その洗脳が解けないように幾重にもトラップを施しているのが戦後教育プログラムである。


    このプログラム通りインストールしなければエリートになれない仕組みだ。


    それゆえ権力の座に就くものは洗脳された人間で占められ、


    洗脳から解けた人間を異端視し、攻撃するのだ。


    そして仕入れたうその知識を後生大事にし、


    時代遅れで使い物にならない知識を守ろうとするのだ。


    だから世の中はいつまでたっても変わらないのである。


    教育の根本をなし、国民のアイデンティティの礎となる神話がねつ造されている限り、


    大多数の目覚めていない人々の集合意識は変わらない。


    ゆえに世の中はいつまでも変えられなかったのだ。


    今の政治家は憲法を書き変えようとしているけれど、神話を書き変えようとはしないだろう。


    なぜなら、今の神話が現象化した世界で権力の座を得て、名誉と財を成しているのだから。


    しかし、いつまでもこの世界はこのままであり続けることはできない。


    エゴの文明はもうタイムリミットをとうに迎えているからだ。


    そして神話プログラミングも終焉を迎える。ゆえに天皇制も終焉する。


    国家が神話を書き換えるのを待っている時間はない。


    ならば、自分自身で書き換えればいい。


    エゴではなく愛に満ちた世界観を自分の内側に構築すればいい。


    意識が世界を作っているから。


    石・木(意識)を神と見て、自然界の意識が大調和世界を作っていた縄文の記憶を思い出して人生を創り上げればいい。


    身魂を磨けば思い出せる。


    それが本当の人生のプログラミング。神と人との共同創造なのだ。


    神は愛そのもの。


    神と自分は一体なのだから。




    Hpはこちら。

    今回も最後までおめどおしいただきありがとうございました。







  • by new-jomon | 2019-01-22 20:11 | 日本の歴史を蘇らせる | Comments(0)

    元春日に隠された神々

    b0409627_02043683.png

    前回の記事を書いた後、枚岡神社にまつわるエピソードが思い出された。

    枚岡神社はわたしの産土(うぶすな)神社。


    創立は神武天皇即位3年前。創立2679年の古の歴史が刻み込まれた格式高い河内国一之宮。

    わたしはここでお宮参り、七五三の御祈祷をしていただいた。

    境内には「なで鹿」という親子の鹿の像があり、子供のころはいつもこの鹿さんになでなでしていた。

    b0409627_01101189.jpg



    b0409627_01102936.jpg

    ▲枚岡神社 なで鹿(筆者撮影)

    枚岡神社は元春日。春日の神は四柱。

    中臣氏の氏神である天児屋根命。アメノコヤネ命はアマテラスが天の岩戸にお隠れになった際、祝詞を奏上して天の岩戸開きを行った神である。アマテラスに天孫を助ける役目を授けられ、ニニギノミコト(アマテラスの孫)と神武天皇(アマテラスの5代目子孫)がご降臨するのを助けた神で天津神である。

    天津神とはアマテラスのいる高天原の神をいう。

    春日には天児屋根命のほか、武甕槌命(タケミカヅチ)、経津主命(フツヌシ)、比売神(ヒメカミ)の三柱がともに祀られている。

    武甕槌、経津主は出雲の国譲りの際にアマテラスに命じられて切り札として大国主に交渉した神である。タケミカヅチの神使が鹿。だから奈良の春日大社周辺には野生の鹿がいるのだ。

    タケミカヅチ、フツヌシはともに武道の神であり、地震を抑える神である。そしていずれも天孫が降臨する前にいた国津神である。

    比売神(ヒメカミ)は、女神ではあるがよくわからないと神とされている。

    さて、ここからはわたしの妄想エピソードとしてお読みいただければ幸いである。

    2017年から、気づきが起きてこの枚岡神社に何度かご参拝してきた。

    そのたびに「アッ!」と目が覚めるようなひらめきを得て、腑に落ちるということが繰り返された。

    そのエピソードはHPに記してきた通りだが、春日の神々はやはりあの神だった。

    過去現在の文献を読んだわけではない。でも「アッ!」とわかる瞬間というのは揺るぎのない確信を伴うのだ。

    武甕槌と経津主の正体は、石切神社の主祭神・ニギハヤヒである。この思いに至ったときの目が覚めたようなすがすがしい爽快感は、これまでの謎がいっぺんに溶けた証でもあった。このことについては、一度に書ききれないため改めて書かせていただくことにする。

    そして正体不明の女神とされている比売神(ヒメカミ)は、ニギハヤヒの妻・瀬織津姫だ。

    アメノコヤネ命以外の三柱は、生駒にもともといた国津神。出雲系の神。縄文の神。

    ニギハヤヒは天照大神の和魂(にぎみたま)。

    瀬織津姫は天照大神の荒魂(あらみたま)。

    夫婦一対で天照大神のおはたらきをしていた出雲の神でもともとの皇祖神だ。

    神話はそのことに一切触れていないが、もともとの天照大神が国造りをしたひのもとの国を、神武天皇が奪いに来たのが神武東征だ。

    女神オオヒルメをアマテラスにしておかなければならない朝廷としては、もともといた天照大神の存在を神話に書くわけにはいかない。

    そこで出雲系のニギハヤヒを伊勢系のニニギノミコトの兄とし、セオリツヒメを生駒の族長ナガスネヒコとしてキャスティングした。神武はニギハヤヒから国を譲ってもらい、反逆したナガスネヒコをニギハヤヒの手によって惨殺させたと書いたのが『日本書紀』バージョンの「神武東征」だ。

    神武天皇がどうしても勝てなかった強い強いこのナガスネヒコ、その正体は天照大神荒魂の龍神・瀬織津姫だとわかった記事を過去に書いた。



    もともと日の本の国を守っていた夫婦神から天津神が国を奪ったのだから、奪った神の名を変えて祀り、守護神としての強力な力を味方につけたのが怨霊信仰だ。春日の神はまさに、それなのだ。

    藤原氏は中臣の祖神とともに日ノ本の国の天照大神(ニギハヤヒとセオリツ姫)を祀っていたという直観は、理屈を超えた理解に至った。

    枚岡神社には、その証拠がそこかしこにあった。神の名は暗号化されて痕跡が残されていたのだ。

    ニギハヤヒは和魂。戦わない神。物部の始祖。物部は軍事を司るため、ニギハヤヒは武神の一面も備えている。

    ゆえに、武道の神でもあるのだ。しかし、武道の神と言えば、鹿島、香取の神だ。この二柱の神はニギハヤヒ。

    鹿島=武甕槌。

    香取=経津主。

    鹿島は鹿が神使。

    鹿はおとなしくやさしい草食動物だ。アイヌ語でイコマは鹿が群れているという意味がある。

    b0409627_01093945.jpg


    b0409627_01101189.jpg


    b0409627_01102936.jpg

    ▲枚岡神社 なで鹿(筆者撮影)

    母鹿は子を優しくいつくしみ、父鹿は母子を守る。これが武道の神の姿なのだ。武士は弱い者を守るのが務め。江戸時代が平和だったのは、武士が不届き者から治安を守っていたからだ。武士道精神が高潔だったのは、武道の神の神徳が宿っていたからこそ。

    b0409627_01114127.jpg


    ▲枚岡神社 姥ヶ池(筆者撮影)

    一方、セオリツヒメの存在は枚岡神社の奥にある小さな池から読み取れる。「姥ヶ池」だ。セオリツ姫はその名を書き換えられ、醜い姿や鬼の姿に変えて恐れられた。そのわけは大浄化のはたらきを為す水の神であるがゆえ。強いと恐れられたのは津波をもたらす龍神だからだ。

    b0409627_01121959.jpg


    ▲枚岡神社 姥ヶ池(筆者撮影)

    説明にはこの池に老婆が身を投げて死んだいわれがあるとされている。伝説ならばもっと美しいものであるが、「老婆」であることがセオリツ姫を隠している証。池の奥には祠があった。

    b0409627_01124613.jpg


    ▲枚岡神社 姥ヶ池(筆者撮影)

    伝説というものはたいてい悲しい物語だ。それは人々の想念に痕跡を残すからだ。セオリツヒメは忌み嫌われ封印された女神だったからこそ、日本人の魂はその痕跡をたどって隠された女神を探そうとするのだろう。

    b0409627_01131456.jpg


    ▲枚岡神社 お滝場(筆者撮影)

    セオリツ姫は水の神であり龍神である。この女神の名を書き換えて祀る神社には必ず水場がある。池や滝だ。

    もっとも清らかな水の女神が醜い姿にされ、国と民を守るために戦った族長が国賊に貶められた。

    セオリツ姫は罪穢れをもっとも嫌う神。日ノ本の国を乗っ取った権力者はこの神の最も不本意とする内容に神話を書き換えたのだ。

    主君ニギハヤヒに一途に忠誠を尽くし最後まで神武に従わなかったナガスネヒコを、「性格がねじれている」と言ってニギハヤヒはナガスネヒコを惨殺した。これが『日本書紀』の「神武東征」のラスト。

    忠誠心を裏切らない日本人の性格が「ねじれている」ということは、渡来人にはそのように映るということだ。

    一方、渡来人にとってはより強いものになびくことが正しき道。主君を捨て敵方に乗り換えることが平気でできるのは、自身が生き延びるために最善の道を選択しようとする視点にあることだ。

    日本人と渡来人とは視点が異なることを注視しなければならない。両者の視点を統合しなければ神話を真に読み解くことはできない。

    日本人の一途で義理堅い性質が、渡来人にはねじれて見える。日本人の潔さが渡来人には醜く見える。

    それは「妬み」あるがゆえ。妬みは奪い滅ぼすエネルギー。渡来人が持ち込んだのは、宗教と妬みだったのだ。

    b0409627_01111457.jpg


    ▲枚岡神社 手水舎(筆者撮影)

    セオリツ姫は罪穢れを払う祓戸四神の筆頭の神。渡来人がこの女神をもっとも封印しておかなければならなかったのは、この神が人々の集合意識に存在したままでは妬みをこの国に持ち込むことができなかったからだ。

    ちなみに神社を参拝する際は、必ず手水舎で手と口を清めることを強くお勧めする。必ず水で自身の穢れを祓ってからご参拝されますように。

    さて、春日大社の宮司様は宮家の血筋を引いた葉室頼昭様だ。昭和54年までここ枚岡神社で宮司を務めてこられた。わたしは葉室宮司様にお宮参りの御祈祷をしていただいたかもしれないのだ。

    〈神道〉のこころ(旧版)

    葉室 頼昭/春秋社

    undefined



    以前、神道とは何だろうと疑問に思ったので、この本を手に取って読んでみたら、著者の方が枚岡神社の宮司をなさっていた方だったので驚いた。


    葉室様は形成外科病院を全国ではじめて東大阪市で開業され、のちに宮司の資格を取られて枚岡神社の宮司をなさっていたエピソードが書かれていた。

    葉室様は母は公家で父が武家という反発しあう家柄のもとにお生まれになり、西洋医学と東洋医学(鍼灸)を融合した治療をなさっていた。

    相反する立場を統合するということを実践してこられた御方だと知り、まさに神のご意思を体現された生き方をなさっておられた。

    藤原家の血筋を引く方はやはり神職に就かれるようになっていて、わたしたちに神の道を教え導くことが天命なのだと思った。

    葉室宮司さまがお伝えされるお言葉は、すーっと心に染み入るようだ。わたしはこの本を読んで魂がとても共振したことを覚えている。 すばらしい本なので、ぜひご一読されることをおすすめする。
    b0409627_01513538.png
    ▲枚岡神社 天の岩戸開き神事(筆者撮影)

    ところで、わたしは2017年12月23日天皇誕生日に枚岡神社で執り行われた天の岩戸開き神事に意図せず導かれた。宮司様のお話の後、「大祓詞(おおはらえのことば」を奏上されたときに「瀬織津姫」の神名が出てきたことに改めて驚かされた。
    b0409627_02043683.png
    b0409627_02044903.png


    ミク媛の大祓詞は声とメロディと映像が大変美しく、心の穢れをすばらしく祓ってくれる。わたしはすっかりこの祝詞を覚えてしまった。

    地球の神々、大自然の神々様のご神威により、われわれ生命は生かされている。人間の思い癖やネガティブな想念を祓い清められたいなら、自然の大循環システムに素直にゆだねることだ。都会の喧騒や人工物の中での生活を続けているのなら、なおのこと。

    さて、春日の神で謎の女神とされている「比売神(ヒメカミ)」だが、名前を見ただけですぐに瀬織津姫だとわかってしまった。

    その証拠にこの楽曲を聞かれてみることをおすすめする。ヒントは映像・文字・音楽の中に込められていて魂がすぐに反応するはず。

    答えは最後のクレジットに最大のヒントが隠されている。きっとお分かりになるに違いない。


    神社に導かれるという体験・・・それは、その地に赴き、実際に土地のエネルギーを感じてみることだ。すると今までわからなかったことが理屈を超えてわかってくるから不思議だ。

    神様は様々な現象を起こして言語を超えたメッセージを送ってくださる。感じたことを素直に受振するだけでよいのだということがわかる。その記録がこちら。

    今回もお読みいただき誠にありがとうございました。

    https://joumon33.jimdo.com/





    カテゴリ:宇宙( 7 )
    [ 2019-03 -10 21:10 ]
  • [ 2019-02 -28 16:19 ]
  • [ 2019-02 -22 12:38 ]
  • [ 2019-01 -29 14:04 ]
  • [ 2019-01 -27 10:41 ]
  • [ 2019-01 -24 21:34 ]
  • [ 2019-01 -22 20:11 ]
  • [ 2019-01 -20 03:12 ]
  • [ 2019-01 -18 00:40 ]
  • [ 2019-01 -14 14:51 ]
  • [ 2019-01 -10 19:39 ]
  • [ 2019-01 -08 19:14 ]

  • by new-jomon | 2019-01-20 03:12 | 日本の歴史を蘇らせる | Comments(0)

    物部氏と藤原氏

    一連の記事を書いていくうちに、幼き頃の思いがよみがえってくる。

    わたしは物心ついたころから世の中に対しての疑問で満ち溢れていた。

    それは単に疑問形として問うだけで答えを導き出すことはできなかったが、

    その疑問に対して大人は誰一人、わたしを納得させることはできなかった。

    それどころか、変なことを聞く子供だとレッテルを貼られるだけだというのはわかっていたので、

    疑問を疑問のままにして大人になった。

    その疑問が、今になってやっと解けた。

    子供のころは、石切神社と枚岡(ひらおか)神社はいずれも徒歩10分ほどで行けるところにあったので、

    どちらもわたしの遊び場所だった。

    本当に楽しい思い出がてんこ盛りの聖域だった。

    石切神社の神様は「でんぼ(できもの)の神様」としか知らなかったわたしは、

    いつもでんぼの神様の像の前で父に決まってこう尋ねていた。
    b0409627_00443971.png

    ▲石切神社 饒速日命(筆者撮影)

    「でんぼの神様の名前はなんていうの?」

    「にぎやはひのみこと」

    「ふ~ん」

    わたしは何度もこのような質問を、この神様の像の前に立つたびに父に尋ねていた。

    父は、「にぎはやひのみこと」と言ったが、わたしは一度もインプットできなかった。

    「なんとかのみこと」としか覚えられなかった。だから結局「でんぼの神様」に戻ってしまっていた。

    父は佐賀県の人だが、この生駒山から見渡す夜景の美しさが気に入って、この地に住み着いた。
    b0409627_18003214.jpg

    ▲生駒山上から望む大阪平野(筆者撮影)

    だからなのか、地元の神社のことをよく知っていた。

    わたしの口癖が「でんぼの神様の名前って、なんて言うの?」なら、父の口癖はこうだった。

    「石切神社は道祖神。枚岡神社は元春日。だから枚岡神社のほうが格上なんや」

    わたしは「どうそじんって何?」と聞くと、父は「土着の神様」だと教えてくれた。

    「土着の神様って何?」と聞けば、「地元の神様」と答えてくれていた。

    なぜかそのことはよく覚えている。

    しかし同時にわたしの疑問が決まって沸き起こるのだ。

    「石切神社はいっつも人がいっぱいで、大人気やのに、何で人がいない枚岡神社のほうが偉いの?」

    「元春日といって、奈良の春日大社だった神社だから」

    と父は答えてくれていたが、当時のわたしには奈良の春日大社がどのような神社なのか知らなかったために、

    「ふ~ん」で終わっていた。

    「格上の神社?なのになんでひっそりしているの?」

    「地元の神社はいつも人がいっぱいでにぎわっているのに、なんで格下なの?」

    わたしの中の疑問はほんの2年前まで疑問のままだった。

    その疑問の奥底には、石切神社が大好きだったわたしのささやかな反抗が隠されていた。

    石切は参道にびっしりと店が並んでいて、おいしい食べ物がいっぱいあって、いい匂いで充満していた。

    病気になったときは、石切神社の参道の内科に連れられて行った。

    病院に行った帰りには、明石焼きを食べさせてもらうのが決まりだった。

    神社は広くて、馬も亀も鳩もいて、わたしの最も身近な動物園だった。その動物たちに餌をやるのが楽しみだった。

    子どものころからここの神社のご神氣がとても好きで、なぜかわからないけれどもとにかくここの神様が大好きだった。

    なのに「格下」扱いされていることが、とてもわたしを不機嫌にさせた。

    今ならわかる。石切神社が「格下」なのは、ここの神様を「隠した」からなのだと。

    河内の秋祭りという盛大なお祭りがある。

    河内(中河内)一帯の24基の布団太鼓が夜に一斉に神社に集結する、この地域のメインイベント。
    b0409627_01212367.png

    ▲石切神社 布団太鼓(筆者撮影)


    わたしは当然、石切神社にすべての布団太鼓が集結して、でんぼの神様にご奉納するのだと思っていた。

    しかし、すべての布団太鼓が集結する神社は、枚岡(ひらおか)神社だった。
    b0409627_17013765.jpg

    ▲枚岡神社(筆者撮影)


    なぜならそこが「河内の一之宮」だから。一之宮とは、その地域で最も格上の神社をいう。

    子どものわたしが「一之宮」の意味を知るわけもなく、なぜいつもひっそりしている神社にすべての布団太鼓が集まるのかがはなはだ疑問だった。

    わたしは誰にも言うことはなかったが、なぜ石切神社にすべての布団太鼓が集結しないのだろうかとずっと疑問に思っていた。なぜなら秋祭りが神様への感謝のご奉納ならば、普段からたくさんの人たちがお世話になっている大人気の石切神社の神様へご奉納したほうがいいと思ったから。

    枚岡神社はひっそりしていたとはいえ、格式高い雰囲気を子供ながらに感じていた。だから遊ぶのは枚岡神社の境内というよりも、そのすぐ隣にある枚岡公園だった。枚岡公園の中に、神社があるような感じだった。

    枚岡公園はとても広く、山も川も梅林も桜もたくさんあって、自然豊かな国定公園だった。ここもよく遊びに来た。
    b0409627_02341883.jpg

    ▲枚岡公園(筆者撮影)

    父がよく言っていた「元春日」の意味がわからなかったが、

    神武天皇即位3年前に創立した枚岡神社は神武東征にかかわる最重要な役目を担ってきた。

    神事宗源の枚岡の神は中臣氏の祖神。のちに藤原姓を名乗るも神事の要の役職に就いた。

    ゆえに枚岡は元春日であり、河内の一之宮なのであったのだ。

    明治時代、枚岡神社は官幣大社になり、石切神社は神社合祀で潰された。のちに地元の人達の強い要望があって再建したのが今の石切神社だ。

    つい最近までそのことを知らなかったが、要するに枚岡神社は藤原氏の本拠ということだったのだ。

    わたしは一連の記事を書いているうちに枚岡神社には石切神社の神様が祀られていることに気づいた。名前を書き換えられて。

    藤原氏が物部氏の神を抑え、その神の神威を味方につけていたのだ。

    それを示すのが枚岡神社の住所「出雲井町」。この土地はもともと出雲の神が守っていたことの証。

    石切神社は物部氏。(出雲系)

    枚岡神社は藤原氏。(伊勢系)

    文明の転換は「神武東征」。そして日本の政治の転換が大化の改新。「公式なる」日本の神話を書いたのが藤原氏。

    かつてより物部氏と中臣氏は神事を司る氏族だった。古墳時代は物部守屋と中臣勝海はともに外来の仏教に激しく抵抗した。

    しかし物部氏は蘇我氏との宗教戦争で滅ぼされてしまった。一方、中臣氏は滅ぼされるどころか藤原を名乗って権力を掌握していった。

    もともといた有力豪族を滅ぼし渡来系が日本を乗っ取った際に勃興したのが藤原氏。

    中臣はなぜ藤原に姓を変えたのか。

    このあたりの真相が隠蔽され続けている限り、日本の真なる歴史が明らかになることはない。

    後生大事に「記紀」神話を日本の正統なる歴史書にしておきたい者たちに、日本人は歴史の根底から搾取されてきた。

    このことはHPで洞察してきたことによりわかったことだが、さらに深く洞察するとこの世のからくりがわかってしまった。このことについては改めて書いていきたいと思う。

    ところでわたしは歴史が面白いと思ったことがない。

    年表の丸暗記から何を見出すのかという根本的な齟齬があることは明確であるが、

    この教育の名をかたった洗脳術は、歴史の裏に隠されてきた重要な真相を悟られないための詐術である。

    645年に起こった出来事は? 答え:大化の改新。正解!以上・・・。これで何を知ることができるというのか。

    わたしは小6のころ、大化の改新の主犯がまるでヒーローのような扱いをしていることにとても違和感を感じたものだった。

    いんぼう、かいじゅう、かけひき、むほん、だましうち、のっとり、さつじん。

    これらが物語のように正当化されていることに、小6女子は心の中でショックを覚えたものだった。

    こんな「犯罪者」を英雄扱いしているなんて・・・。

    二年前、日本神話「神武東征」が国盗り物語の英雄譚として日本書紀に書かれていることを知ったときのショックと同じだった。

    だからこの世の中は1300年間も彼らのような「犯罪者」たちが表に出て人の上に立ち、堂々と政治をしてきたというわけだ。

    そして「正直者」の日本人はだまされ、はめられ、のっとられ、奪われ続けてきた。1300年間も同じ轍を踏み続けてきたのだ。

    なぜなら歴史書がその国の集合意識を構築するプログラミングそのものだから。

    歴史書を正しく書き換えない限り、世の中の仕組みを根本から変えることはできないのだ。

    この国は神話からねつ造されている。

    だから日本の土着の神が後から来た神に抑えられていて、渡来系によって日本人は封印され続けてきたのだ。

    神と人は一体。

    神の封印を解除し、日本人が目覚めなければこの国を元に戻すことはできないしくみなのだ。

    その封印の術が歴史書による集合意識の構築プログラミングだったのだ。

    プログラミングのもう一つの技法は「宗教」。

    もともと日本にいた物部と蘇我を敵対関係に仕向けるために仏教を持ち込んだのは神武と共に渡来してきた秦氏だった。

    秦河勝は蘇我氏の聖徳太子の側近。聖徳太子は篤く仏教を信仰し、法隆寺を建立した。ここには飛鳥時代に輸入された国宝級の百済美術がいくつも宝蔵されている。
    b0409627_02354708.jpg


    ▲法隆寺「五重塔」(筆者撮影)

    仏教だけが宗教ではない。

    中臣氏は、物部氏にルーツをもつ忌部氏とともに神事を担っていたが、のちに忌部氏の役職を奪い、天皇と婚姻関係を結んで神事(中臣)と政(藤原)の両方を独占した。

    ところで石切神社は神社庁に入っていない。その理由は推して知るべし。

    神社本庁は国の公的機関でもなんでもなく、民間の一宗教法人にすぎない。

    神社本庁は各都道府県にある神社庁を傘下に置き、伊勢を頂点とするすべての神社を統括して伊勢への上納金がここへ納められる仕組みになっている。神社本庁はその上納金をピンはねしているのだ。特筆すべきは日本会議とつながっていることだ。

    神道は自然崇拝だった神の世界に序列、格付け、中央集権が持ち込まれ、お金を徴収する「宗教」となった。そのシステムを導入したのが藤原氏だ。そのシステムは現在も続いている。

    物部の始祖は、宗教が持ち込まれる前からいた神。ゆえに山、木、岩、滝、水などの自然が神であり、自然物がご神体だった。
    b0409627_16533789.jpg

    ▲磐船神社 御神体(筆者撮影)


    外国から仏教が持ち込まれると、仏像や立派な建物が建てられるようになった。

    人々は、目に見えない自然の神よりも目に見える仏像を拝むことを覚え、

    山や木、岩そのものよりも、立派な建造物の中に鎮座している人間の姿をした仏像にすがるようになった。

    それから自然を祀っていただけの神社は、寺にならって社殿を設けるようになった。

    そのうえ、それまでご神体として祀っていた自然物にしめ縄と鳥居で結界を貼り、封印を施すようになった。

    この技法を導入したのが、仏教を持ち込んだ秦氏だ。秦氏は神社も寺も建立し、日本人の信仰を「宗教」にした。
    b0409627_16564593.png

    ▲東大寺(筆者撮影)


    日本神界と人間界をつなぐ役目である天皇が、仏教を信心するようになり、自らの威厳を示すために大仏をつくりはじめた。

    人々は大仏建立のために駆り出され、金を確保するために土地を追いやられた。

    仏教はこれまでの人々の想念になかった六道を植え付けた。地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天の世界を。

    地獄に落ちる、極楽に行く、という概念は人間の想念が作り上げた幻想の世界。

    死んだらそこへ行くと思い込んだものはそこへ行くようになっている。

    宗教というのは、人間の想念が作り上げた制限の世界。

    宗教が持ち込まれて1300年もたてば、人は疑うことなく「そこ」へ行く。想念が作り上げた幻想の世界に。

    人間界は、宗教に閉じ込められてしまったのだ。ゆえに魂は幽閉され、幽界と人間界の往来を繰り返してきた。

    本当は、神界へたどり着かなければならないのに。

    しかし三次元の俗世にまみれた人間は、自我意識に染まっているため波動が重く、神界にたどり着くことができない。

    このからくりを知らなければ、自我意識を変換しようと真剣本気に思わないだろう。

    そして、死んでも、人間の思いは生前と変わらぬ思いを持ち続ける。

    だから死んだら楽になる、というのはまやかしにすぎない。

    生きているうちに思いを改めておかなければ、死んでからの改心はとても大変なのだ。

    魂は、肉体に宿って霊肉一体となってはじめて、進化することができるしくみだから。

    逆に、生きている間の失敗は、生きているうちに何度でもやり直せる。

    その体験がどんなにつらいものであろうとも、

    「今日もいろいろな体験させていただきました。ありがとうございました。」

    と受け止めて、リセットすることができる。

    どんなに落ち込むようなことがあっても、その体験は良い悪いではなく「体験」なのだ。

    その体験をしたことに感謝すれば、リセットすることができる。

    明日もまた、がんばろう。そう思える。

    わたしはいつだってリセットの繰り返し。

    今日もブログを書かせていただいてありがとうございました。

    そして今日もブログをお読みいただきましてありがとうございました。







    カテゴリ:宇宙( 7 )
    [ 2019-03 -10 21:10 ]
  • [ 2019-02 -28 16:19 ]
  • [ 2019-02 -22 12:38 ]
  • [ 2019-01 -29 14:04 ]
  • [ 2019-01 -27 10:41 ]
  • [ 2019-01 -24 21:34 ]
  • [ 2019-01 -22 20:11 ]
  • [ 2019-01 -20 03:12 ]
  • [ 2019-01 -18 00:40 ]
  • [ 2019-01 -14 14:51 ]
  • [ 2019-01 -10 19:39 ]
  • [ 2019-01 -08 19:14 ]





  • by new-jomon | 2019-01-18 00:40 | 日本の歴史を蘇らせる | Comments(0)

    八大龍王と八岐大蛇(ヤマタノオロチ)

    b0409627_01300703.jpg

    前回の続きです。
    ナガスネヒコの正体は瀬織津姫だった!①
    ナガスネヒコの正体は瀬織津姫だった!②

    わたしの脳内では

    ナガスネヒコ=八大龍王=瀬織津姫=天照大神(荒魂)

    という新たな図式が出来上がってしまった。

    これは過去現在の文献を分析して推理したものではなくて、あくまでもわたしの直観であります。

    それはゆるぎない確信になりつつあります。

    ナガスネヒコは神話上の登場人物ですから、このことを実証しようがありませんが、伝説とか伝承といったものは、真実をオブラートに包んで後世に伝えてきたものであり、真実が含まれているからこそ、人類に継承されてきたのだと思います。

    記紀神話は朝廷の視点で書かれた歴史書ですから、ナガスネヒコはあくまでも神武天皇にとって逆賊でありラスボス的存在です。

    わたしは気づきを得て故郷である生駒山=ニギハヤヒ山=日下山(くさかやま)の神話伝承の地に導かれてHPに記録してきましたが、もともとの天照大神(ニギハヤヒ・セオリツ姫)の神名がその本拠である生駒山のそこかしこに別の神の名に書き換えられていたことは明らかでした。

    同時に、ナガスネヒコを祀る神社はどこにもないことに気づいていました。彼は逆賊なのだから当然とはいえ、ひのもとの国の指導者であり、ニギハヤヒの家臣でもあった彼の名前がどこにもないことが不自然に思われてならなかったのです。

    だからなのか、八大龍王はもしかしたらナガスネヒコかも?と感じていたのです。それが前回まで書いてきたようにナガスネヒコの正体は瀬織津姫だ!とひらめいてからというもの、神武天皇の本当の宿敵は瀬織津姫(天照大神・荒魂)という龍神だったとわかったのです。

    神武天皇は日向から大軍を引き連れて日下(ひのもと)を奪いに行くのですが、生駒山に攻め入る前に孔舎衙(くさか)坂で太陽を背にして迎撃したナガスネヒコ(瀬織津姫)が大変強かったために神武軍は敗走します。
    b0409627_15024164.jpg
    ▲神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)

    そこで神武天皇は悔しさのあまり、入り江に戻って雄たけびを上げるのです。その雄たけびを上げたといわれている場所に顕彰碑が建てられています。神武天皇聖蹟盾津顕彰碑です。ここは隠されるようにして建てられていました。
    b0409627_01335240.jpg
    ▲神武天皇聖蹟盾津顕彰碑(筆者撮影)

    神武天皇は天に問います。「天孫である我がなぜゆえ、負けなければならなかったのか」と。天は言いました。「太陽に向かって戦ったからである」と。

    神話ではこのような表現になっていますが、行間を読むとこのように読むことができます。

    「太陽に向かって戦ったから」=「太陽神(天照大神)に向かって戦った」からであると。

    要するに、神武天皇はもともとの天照大神に向かって戦いを挑んだわけです。けれどもあえなく撃退されてしまった。しかし神武天皇はあくまでも神話では主人公。ここで退散することはしなかったのです。

    「しからば、太陽を背にして攻め入ればよいのであろう?」と作戦を変更したのです。
    b0409627_02210714.png
    神武天皇は、紀伊半島を回って、名草の女酋長ナグサトベを殺してバラバラにして土に埋め新宮の女酋長ニシキトベを殺してバラバラにて土に埋めました。そして熊野から吉野の難所をヤタガラスに案内されて宇陀にたどり着きます。
    b0409627_23412441.jpg
    ▲宇陀の高城(筆者撮影)

    神武天皇が宇陀のエウカシを攻め入る際に植えたとされる一本の杉が、八つの枝に分かれた八つ房杉があります。
    b0409627_01291064.jpg
    ▲八ツ房杉(筆者撮影)

    八ツ房杉(天然記念物)その昔、神武天皇が大和平定の際、兎田の高城に陣営を張られた時に植えられたものと伝えられる杉の巨木です。八ツ房杉とは、八幹からなる意味で大小八ツの幹が巨大な株状を成しています。


    樹形は、極めて奇態、一つの株から伸びた八本の幹が互いに絡み合い、ある幹は途中で一本になり、再び分かれるといった極めてめずらしく目をひきます。
    (八ツ房杉説明文より)

    b0409627_01300703.jpg
    ▲八ツ房杉(筆者撮影)


    神武天皇は宇陀の豪族エウカシを殺した後、土蜘蛛(縄文人)と呼ばれる豪族たちを食事に招いてうしろから惨殺し、土蜘蛛らを残滅します。そして憎きナガスネヒコへの恨み歌を歌いながら暗がり峠を通り進軍していきます。

    この八ツ房杉は、写真に収まらないほど大きく、太い幹は大人の腕を広げても一回り以上はあり、まるでヤマタノオロチ(八岐大蛇)のごとく姿でした。この杉は神武天皇の姿を表していたとしたら?
    b0409627_02273275.jpg
    ▲八ツ房杉(筆者撮影)

    実は、『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎだいせいきょう)』に神武天皇の姿を書き記した歴史書があります。

    「身長一丈五寸、身太一囲五寸、頭有両角、三寸週猶雪、尻有素龍尾、長六咫四寸、尾背有太鱗、数七十有二、年百十有五立為皇太子」

    ⇒「身長約3メートル15センチ、胴回りは両手を伸ばして一抱えした長さに15センチ足した長さ、頭には9センチの角が二本あり、雪のような色。背中には龍のような背びれがあり、長さ1メートル20センチ、尾の裏側には大きな鱗が72枚ある。115歳のときに皇太子の位に就かれた」

    この『先代旧事本紀大成経』は『古事記』成立の90年前の推古天皇の命によって成立した文献とされる。

    この書物は1679年江戸の書店で発見されたもので、たいへんショッキングな内容であるために話題となった。

    天皇が龍の姿をしていること、伊雑宮のほうが伊勢内宮よりも格上であることを示す記述があったため、内宮の神職たちがこの書物を禁書とし、出版した書店主は追放、その書を持ち込んだ者は流罪、さらに偽書を依頼したとして、伊雑宮の神官をも流罪にしたのです。

    このいわくつきの文献は、もちろん偽書扱いされていますのでアカデミックで取り上げられることはありません。けれどわたしは神武天皇が龍であったとしても何ら不思議に思わないのです。

    突飛な話に飛躍すると思われるかもしれませんが、この地球はレプティリアン(爬虫類人)が支配しています。姿が龍とか爬虫類系だったとしても、宇宙レベルの視野で物事を見れば、哺乳類人だけしか存在しないということのほうが不自然です。

    昆虫類人、鳥類人、両生類人など多様な生命体が宇宙には存在しています。人間の価値観では到底想像できない種族も存在しています。そして彼らは大変高度に進化しているため、エゴ(第一段階)レベルの地球人とは周波数が共振できるはずもないので「いない」ことになっていますが、いないのではなくて感知することができないのです。

    第二~第三レベルの進化を遂げた段階に存在しているのが爬虫類人です。エヴァからスィーラーの進化度にあります。彼らは遺伝子操作のエキスパートであるため、地球のホモサピエンスに彼らの遺伝子を埋め込んで人間を創造したのです。

    爬虫類人にも第一段階(エゴ)にある種族がいます。彼らは肉体を持たず幽界(低層四次元)にいて人類をコントロールしているということです。三次元にいて人間の姿に変身している爬虫類人はこの世界の王侯貴族だということです。

    幽界は仏教界のいわゆる六道(地獄,餓鬼,畜生,阿修羅,人間,天)です。それは衆生が輪廻(因縁)を繰り返す世界。人類はこの輪廻の中にいる限り救われることはないのです。ゆえに、輪廻から解脱すれば因縁がすべて解消でき、輪廻転生を終えることができるということです。
    b0409627_13210734.jpg
    ▲「六道輪廻図」中華人民共和国西蔵自治区ラサ市のセラ寺


    地球がかつて素晴らしい文明を誇っていた縄文をはじめとする超古代文明にあったころは、幽界がなかったのです。その時代は物質(三次元)ではなく霊的(五次元)地球だったからです。

    その霊的に進化を遂げていた縄文末期に、地球外からエゴの爬虫類人がやってきて、幽界(低層四次元)を作って振動波を落として物質化したのが現在の三次元世界なのです。

    もともとこの地球創世から関わっていた高度生命体のうち、特に日本列島と日本人に深く関わってきた種族が日本神界の神々だった。そのなかでも国津神といわれる神々が日本人を生み育ててくださっていたのです。YAP遺伝子は国津神の遺伝子のことです。

    彼らは幼き生命体である人間を自分たちと同様に進化させて、やがては地球を守れる神となれるように、自立支援し共存共栄循環型社会をつくっていた。

    そこへ天津神がやってきて、無知で愚かな人間たちには、統治して支配するべきだという考えに立脚し、彼らが幽界レベルから地球を支配するようになったのです。

    国津神と天津神は、方法論のベクトルが違っていたために対立構造になっていたのです。しかしこれらもすべて宇宙の計画であり、宇宙レベルの対立構造を地球という宇宙のひな型を作って和合を成し遂げられるよう、実験の場を設けた。それが地球であり、彼らの目的どおり行動するために人間が作られたというわけなのです。これはあくまでもわたしの現在の時点においての理解です。


    人間は享楽や刹那主義、物質、拝金主義のようなまやかしの世界に押し込められ、六道輪廻の幽界(低層4次元)をぐるぐる回るために生まれてきたのではありません。

    人間はそれら幽界レベルにいつまでもとどまっているのではなく、幽界から抜け出して、再び素晴らしい地球に戻す役割があるのです。
    そのためには、自分自身の意識をエゴからエヴァ(愛)に周波数変換しなければ波動の法則により、幽界の周波数から脱出できず役割を実践することができないのです。

    ゆえに、日月神示は、「身魂を磨いてくれよ」と口酸っぱく伝えているのです。

    諸外国の方々は自己主張が強い特徴があります。自己主張はエゴに同調するため、大多数の人類がエゴを拡大してしまっています。そしてエゴとエゴでは対立してしまうため、和合をなすことが難しいのです。

    日本人は和合をなすことのできる特殊な人種です。その日本に、これまでの神と逆向きの方法論の神々が降り立った。それはおそらく実験だったのです。日本人はエゴに共振してしまうのか、あるいは2000年以上かけてエゴに傾いてしまった日本人の意識をエヴァに転換することができるのか。

    八大龍王 VS 八岐大蛇はまさに「神武東征」の国津神vs天津神。そして方法論のベクトルの転換が起きたことを示唆する神話。それが縄文から弥生への転換だった。

    要するに「神武東征」とは、龍神と龍神の戦いだったのです。

    この日ノ本の国は、東経135度+1.4度のエリアにあり、新たなる文明の発祥エリアとなっています。この最重要エリアにもともといた天照大神(和魂・荒魂)が後から来た神武天皇に統治権を譲った(奪われた)ということだったのです。
    b0409627_12111022.jpg
    b0409627_12022248.png

    b0409627_02210714.png


    ▲神武東征ルートは東経135度+1.4度エリア内にある。

    神武天皇がわざわざ紀伊半島を回って熊野を攻め滅ぼしていったのは、この地が国津神の聖地であり、熊野一帯はひのもとの国だったからです。神武天皇はひのもとの国の各地を攻め入り、その土地の豪族を滅ぼしていった。そしてひのもとの国の本拠である生駒山を陥落させたというわけです。

    神武東征は渡来系が土地を奪うことを正当化する「国盗り物語」です。神武天皇即位後、第二代~第九代天皇については神話では触れられていません。初代神武天皇の次は第十代・崇神天皇の代に飛躍していて、この頃の人間界は病と飢餓に苦しみ、死体の山ができる世の中になっています。縄文から弥生に転換してからの日本は、著しく振動波を低下させてしまったことがわかります。
    b0409627_12533296.jpg
    ▲金鵄(1937年発行の葉書料面に描かれた金鵄)
    b0409627_18111332.png


    神武東征のクライマックスでは、神武天皇の味方として金鵄が飛来したように描写されていますが、金鵄は戦争を回避させるために飛来したニギハヤヒの化身とも考えられます。ニギハヤヒは戦争を好まない和魂。戦争することで殺戮の宿業を背負うことよりも国を譲ることで戦争を回避したのです。

    縄文の世界には争い対立する概念がなかったので、元の神々は争い対立を避けたけれども、後から来た神に統治権を譲ってみたところで、その方法論ではどこまでいっても不調和路線でしかなかったのです。

    日本人はこの不調和路線に染まり切り、神々の計画と役割をすっかり忘れてしまった。だから国津神の代表・国之常立命と大国主は日本の有様と日本人に大変お怒りになっていたのです。

    わたしは御神業師様より、神様が「幽界をなくす」と聞かされました。地球の周波数が上昇することで、幽界は存在できなくなるのだそうです。いずれにしても、実験の場として作られた地球のタイムリミットが迫っていて、地球の周波数に同調できない存在は消滅することになっているとのことです。

    『大日月地神示』

    【後巻】

    七十

    神に成りすましてきた

    悪魔や僕(しもべ)の者らも皆々、

    これまでの悪さすべて暴いて、

    罪と罰のお仕組みで

    (まこと)学ばすぞ。

    悪魔、僕らよ、

    そなたらは

    神に創り出された御魂(みたま)ぞ。

    ゆえにどこまでいっても

    神には(かな)わんのじゃ。

    そなたらを創りたものぞ。

    敵う訳があるまいに。

    散々世を

    しっちゃかめっちゃかいたし

    気も済んだであろうぞ。

    そろそろ宇宙全体の者たちが

    始末つけに参りますぞ。

    地の掃除洗濯しに入りますぞ。

    地の星、

    救わねばならんから、

    いよいよ時来たぞ。

    地の靈人。

    人民皆々、

    悪しき思い手放せよ。

    洗脳されてきた歴史、

    いよいよ終わるのぞ。

    意識、変わるのぞ。

    大神の氣流れ、

    次々と良き意識となりますぞ。

    掃除洗濯とは、

    意識の浄化でありますぞ。

    (まこと)の意識に戻りますぞ。

    浄化に苦しみ喜び下されよ。

    分相応じゃから、

    大神、

    悪く申すでないぞ。

    自業自得ゆえ

    改心なされよ。

    縁ある人民、

    心込めて

    神示読み上げて下され。

    皆々様方に

    読み聞かせて下されよ。

    洗脳解くお役目でありますぞ。

    目覚めた人から順に、

    (まこと)伝え

    皆に聞かすお役目いたし、

    世の立て替え立て直し

    いたし下されよ。

    言葉、

    力放ちてまこと顕れる時

    来ておるのじゃから、

    (まこと)に目覚めた人、

    心勇んで動き出しなされよ。

    すべてそなたの魂の中から

    視ておりますぞ。

    魂は内なる宇宙ぞ。

    大神の雛型ぞ。

    何もかも

    お見透しでありますぞ。

    寂しくないぞ。

    そなた独りではないのぞ。

    守護靈殿や指導靈殿、

    縁ある良き靈人らに

    支えられて生きておりますのぞ。

    そなた、

    愛されておりますから、

    喜びに生きて下されよ。

    良き世創る御魂として

    生きなされよ。

    お蔭は何万倍にして

    喜び次々与えて参りますぞ。

    仕組み隆々、

    後の仕上がり楽しみになされ。

    生きる歓喜の念に浸り下されよ。




    上は艮の金神(国之常立命)のご神示の一部引用文です。神様は愛に満ち溢れていてどこまでも強いんだなあ、と改めて思い至ります。なんというか、わたしにとってあこがれの存在は神様で、少しでもお役に立てたらとてもうれしいと思うのです。親孝行したいという気持ちがとてもあります。まだまだですけど(笑)

    b0409627_12111022.jpg


    今回も最後までご一読いただきまことにありがとうございました。



    カテゴリ:宇宙( 7 )
    [ 2019-03 -10 21:10 ]
  • [ 2019-02 -28 16:19 ]
  • [ 2019-02 -22 12:38 ]
  • [ 2019-01 -29 14:04 ]
  • [ 2019-01 -27 10:41 ]
  • [ 2019-01 -24 21:34 ]
  • [ 2019-01 -22 20:11 ]
  • [ 2019-01 -20 03:12 ]
  • [ 2019-01 -18 00:40 ]
  • [ 2019-01 -14 14:51 ]
  • [ 2019-01 -10 19:39 ]
  • [ 2019-01 -08 19:14 ]

  • by new-jomon | 2019-01-14 14:51 | 日本の歴史を蘇らせる | Comments(0)

    ナガスネヒコの正体は瀬織津姫だった!②


    b0409627_01052044.jpg
    b0409627_00005650.png
    ▲水神社

    前回の続きです。



    振り返れば瀬織津姫との最初の思い出は、石切神社の「水神社」でした。わたしは小学生のころ近所の子らを引き連れてここの神社の中に入ってザリガニ釣りをしていたのです。今思うとなんと恐れ多いことをしてきたのだろうと驚愕するのですが、いつもここの神社の神様に手を合わせてご無礼のないように(すでに十分ご無礼を働いた後ではありますが)ごみを持ち帰り、ありがとうございましたとお伝えしていました。本当は神社内の生き物、石ころ、草花一つ、持ち帰ってはならないのです。(;^ω^)ザリガニモ…。

    当時この「みつはのめの神様」の漢字があまりにも難しすぎてどうしたら「みつは」と読めるのかがずっと疑問でした。今なら権力者があえて難読な漢字をあてて書き換えたのだろうと思います。

    調べてみると「罔」という文字にはあざむくという意味がありました。なるほど、納得です。だからわたしは初めて『君の名は。』を見た時に、宮水三葉は「みつはのめ」だ!とすぐにわかったのです。あの映画は暗号が満載です。声優さんのキャスティングまですべてが暗号であり、完璧なシンクロだったのです。(神木隆之介さんと上白石萌音さんの名前を見た瞬間にわかっていました)

    b0409627_01471165.png

    その気付きをHPに書き記してきました。くわしくはこちら。


    わたしの人生は、もしかしたら瀬織津姫をずっと探してきたのかもしれません。そうでなければ26年前にストⅡのリュウさんをはじめて見たときに稲妻が脳天に落ちてこなかったはず。単なる一ゲームキャラである彼に憑りつかれた理由がずっと分からなくて、でも気になってどうしようもないジレンマ。ゲームはめっちゃ下手やったのに(笑)

    b0409627_12172917.png
    b0409627_12181272.png
    上のイラストから、あきまん様がリュウさんに込められた思いを初めて知ったのが、2016年のことでした。

    わたしはHPを書いていくうちに彼にはナガスネヒコが転写されていると直感し、導かれるままに神話を紐解いていったのです。

    そのナガスネヒコの正体が瀬織津姫だったという二日前に得た気づきは衝撃的でしたが、わたしにとってはとても納得のいくものでした。なぜならすべてがつながっていて矛盾がなかったからです。

    『君の名は。』の男女の入れ替わり現象も、瀬織津姫(女)がナガスネヒコ(男)に変えられていたことの暗示だったのかもしれません。

    わたしはずっと瀬織津姫を探していたのかもしれません。

    名前を書き換えられ、醜い女神や鬼の姿に変えられ、隠され封印されて日本人が見失ってしまった天照大神の荒魂を探し出すことを、生まれる前に神様と約束したのかもしれないな~と今なら思うのです。

    2017年に神話がねつ造されていることに気づいたこと、日月神示の「五度の岩戸閉め」を洞察してきたこともすべてが日本の根源に関わる重要な問題だったことに気づかされていきました。

    自分の実体験、シンクロの数々、出会う人々、守護霊、指導霊、守護神すべてこのためにサポートをいただいてきたんだなぁと思い至っています

    b0409627_00570348.jpg
    b0409627_00572456.jpg
    b0409627_00575331.jpg
    ▲元出雲 出雲大神宮

    b0409627_00074686.jpg
    b0409627_00083309.jpg
    ▲元伊勢 籠神社 

    b0409627_00061840.jpg
    b0409627_00070002.jpg
    ▲真名井神社

    b0409627_00125783.jpg
    b0409627_14525186.jpg

    ▲冠島 天橋立


    b0409627_00121128.jpg
    b0409627_00111354.jpg

    伊勢 外宮


    b0409627_00345251.jpg
    b0409627_14540502.png
    b0409627_16055128.jpg

    ▲大神神社


    b0409627_18390273.png
    b0409627_15090508.png

    ▲八大龍王弁財天大神 


    b0409627_00043193.jpg

    ▲八代龍王社


    b0409627_00292535.jpg
    b0409627_00303387.jpg

    ▲宇賀神社


    b0409627_00142619.jpg
    b0409627_15005851.jpg
    ▲龍の口霊泉

    b0409627_01001733.jpg
    b0409627_00593291.jpg

    ▲水神宮


    b0409627_01013253.jpg
    ▲六甲比命大善神

    まだありますがこの辺にしておきます。過去には熊野三山にとりつかれたように6、7回も参拝していましたが、今思えば熊野三山も瀬織津姫が祀られていたのです。もちろん名前を隠して。
    b0409627_15122522.png


    ▲熊野本宮大社


    b0409627_15054516.png

    ▲熊野那智大社

    b0409627_15041526.png

    ▲熊野速玉神社


    当然なのですが日本中に瀬織津姫が祀られています。持統天皇は日本中に祀られている瀬織津姫の名前を書き換えるために相当神経質になっていたのでしょうけど、その命令を受けた人たちの労力も相当だったと思います。

    為政者の思惑がどうあろうとも、長いこと日本人は八百万の神様を大切にすることが当たり前でした。そしてたとえ神様の名前が書き換えられていようとも、神様の名を知ろうとすることなど恐れ多いことだという謙虚さがあった。だから〇〇神社の神様というような言い方をしていたのです。

    それが明治になって政府による神社合祀政策で多くの神社が消滅させられ、身近にあった多くの神社がつぶされていったのです。その意図は八百万の神々と人との分離を意味していました。(本当は分離などしていないのですが)そのうち生活の西洋化とともに日本人は八百万の神様を忘れていったのです。

    自然豊かだった日本は近代化するにつれて都市化が進み、自然と共生するよりも便利さを追求していき、環境汚染が問題になっていきました。

    わたしたちは空気を汚し、水を汚し、土を汚してきたことに気が付かないまま、人工的な空間に身を置いているうちに、万物に神様が宿っているということを忘れていったのでした。

    それでもときどきは神様の存在を思い出すこともあります。このとき思い出すのは、八百万の神さまというよりも、困った時の神頼みの神様です。ピンチのときは神様にすがり、のど元過ぎれば神様を忘れてしまう。日本人はご都合主義の現世利益を求めることが当たり前になってしまいました。

    日本人は万物への感謝と謙虚さを失い、ますます自我を拡大してしまった結果が今のあり様です。

    わたしは今の今まで無知のままで生きてきたことの愚かさに気づいてやっと、自分のしてきたことが見えてきたのです。自分の行いを認めてはじめて悔い改め生き方を変換することができたのです。それでやっと、曇り切った魂のままでは決して思い出すことのなかった、清らかな水の女神の存在にやっと気づくことができた。

    この女神様は龍神であり天照大神の荒魂。龍とはエネルギーのことであり、そのエネルギーは人類が求めてきた原子力のごとくすさまじい破壊力をはらんでいる。ゆえに封印しておかなければ人類がこの世界を支配することはできなかった。

    そして、瀬織津姫を封印しつつも、この神の力をもっとも取り込んだのが今の権力者たちだった。秦氏による稲荷信仰はその代表だといえる。権力者たちが最も恐れ忌み嫌ってきた神を、権力者たちが最も独占してきたのです。なんと皮肉なことか。ベガ様がリュウさんの肉体を欲しがっていたのはそういうことだったのです。

    日本人は世界を牛耳ってきた権力者から瀬織津姫を取り戻さなければならないのです。日本人の親神さまを忘れ、神無きものにしてきた罪を心の底からお詫びして、身魂を磨くことに努めなければならないのです。

    瀬織津姫を思い出しただけでは片手落ちで、人間が汚してきた地球を人間の手できれいにしていくことの行動がともなわなければならないのだと、強く気づかされたのでした。

    面白いことに「ナガスネヒコの正体は瀬織津姫だった」と気づかされた後、我が家にストⅤがやって来たのでした。ワーイ(^o^)/

    b0409627_15344750.jpg

    息子はさっそく鬼のリュウ(影ナル者)さんをゲットしていました。わたしはなるほどな~、リュウさんが瀬織津姫だったなら、鬼のリュウさんがいてもおかしくないよね~と思いました。

    b0409627_14574531.png

    ▲瀬織津姫の聖地・奈良吉野・天川村を舞台にした『天河伝説殺人事件』の雨降らしの面。

    日本は古来より、鬼は「強い」という意味がありました。だから瀬織津姫は鬼にされてきたのです。影さんの開示は偶然とはいえ、なんとも示唆的ですね。まあ、わたし個人の妄想にしておくことにしましょう(笑)

    b0409627_15535018.jpg

    ▲ストリートファイターⅤ 「影ナル者」



    by new-jomon | 2019-01-10 19:39 | 日本の歴史を蘇らせる | Comments(0)

    ナガスネヒコの正体は瀬織津姫だった!①


    b0409627_15314031.jpg


    今日の朝、掃除機をかけているときに、「ハッ」と気づいたことがありまして、慌てて忘備録的にブログに書き記しています。本当は違うことを書くつもりだったのですが、書かなきゃいけないような気がどうしてもしたので書くことにしました。

    掃除機をかけているときに、「八大龍王」が脳裏にちらついていたんです。ちょうど10日ほど前に石切神社にある八代龍王社はご参拝してきたところだったのですが、妙に気になる。

    b0409627_16255521.png
    ▲石切神社 八代龍王社(筆者撮影)

    b0409627_16262185.png
    ▲石切神社 八代龍王社(筆者撮影)


    八大龍王は瀬織津姫なのか、ナガスネヒコなのか、以前から疑問だったんです。生駒山は八大龍王の総本山があります。
    b0409627_20450854.jpg
    ▲八大龍王総本山(筆者撮影)

    b0409627_22492751.jpg
    ▲八大龍王総本山(筆者撮影)
    b0409627_23191008.jpg
    ▲八大龍王総本山「菊水に龍」


    三輪山にも八大龍王弁財天があります。これは瀬織津姫を隠して祀っているに違いないと思っていたんです。瀬織津姫は龍神ですから。
    b0409627_18390273.png
    ▲三輪山 八大龍王弁財天大神(筆者撮影)

    b0409627_15090508.png
    ▲三輪山 八大龍王弁財天大神(筆者撮影)

    一方、ナガスネヒコはナーガ(インドの蛇神)スネイクが転じてナガスネヒコ。ナーガ族はのちに中国の龍伝承と習合して八大龍王となったという説もある。だから八大龍王はナガスネヒコかもしれないな~とも思っていました。インドの神様といえば、生駒山にはニギハヤヒと瀬織津姫の名前を隠して宝山寺に双身歓喜天としてインドの神様が祀られています。

    b0409627_16325629.png
    b0409627_16293711.png

    ▲石切駅高架下(筆者撮影)

    ナガスネヒコとは、日本神話に登場する河内・生駒(ひのもとの国)の豪族の長です。以下、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

    長髄彦(ながすねひこ)は、
    日本神話に登場する人物である。神武天皇に抵抗した大和の指導者。

    神武天皇に降伏しようとするも、ニギハヤヒ物部氏穂積氏熊野国造らの祖神)に殺されたという。


    概要
    古事記』では那賀須泥毘古と表記され、また登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネヒコ)、登美毘古(トミビコ)とも呼ばれる。神武東征の場面で、大和地方で東征に抵抗した豪族の長として描かれている人物。安日彦(アビヒコ)という兄弟がいるとされる。 (引用以上)


    トミノナガスネヒコ・トミビコは神話上の人物ですので、古代史研究者によってさまざまな見解がなされていますが、引用文はナガスネヒコに関する神話の共通の概念です。

    わたしは神武東征の決戦の地(東大阪市・中河内)で生まれ育ちました。物部氏の本拠である石切神社と藤原氏の本拠・枚岡神社(元春日・河内国一ノ宮)はわたしの遊び場所でした。のちに、持統天皇ゆかりの地である四條畷市(北河内)に引っ越しました。四條畷の地名には持統天皇の幼名がそのままつけられていたのです。うののさらら=讃良(さらら)郡。現在でも讃良と言う地名は残っています。


    第41代天皇である持統天皇は、四條畷とかかわりの深い天皇でした。天皇は名を鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)といいます。


    このうち「讃良」は、四條畷市全域と寝屋川市・大東市の各一部を含む古代「讃良(さらら)郡」の地名からとられたものです。また、「鸕野」も、『日本書紀』によれば讃良郡の中にある地名として「鸕鷀野邑(うののさと)」が出てきます。(中略)


    このように地名を皇族の名に使う場合、その地で生まれ育ったか、領地をもっていたか、その地出身の豪族から乳母が出たためその豪族に養育されたといった理由が考えられると言います。いずれにしても、持統天皇の名には四條畷市域のこととみられる地名が使われており、四條畷とゆかりの深い天皇だったと言えるでしょう。

    ▲四條畷市HPより

    b0409627_17072065.png
    行政区分のなかった縄文の時代、河内、生駒、大和、熊野一帯がかつてのひのもとの国でした。四條畷市砂には縄文遺跡があったのです。ここはわたしの母校(四條畷北高校。現在は交野支援学校)造成の際に見つかったのです。大阪府で縄文遺跡が発掘されたのはきわめて稀なことでした。
    b0409627_17301474.jpg
    ▲砂遺跡(筆者撮影)

    この高校に通っていたわたしは、かつてここが縄文の遺跡だったことを教えられた覚えはありません。なぜここに縄文遺跡があったことを知ったかといいますのは、直観に導かれたからです。

    「砂」に隠されたニギハヤヒと瀬織津姫の封印を解除せよ!
    b0409627_17303136.jpg
    ▲砂遺跡(筆者撮影)

    この周辺には縄文中期の河川遺構があり、また古墳時代中期から後期に至る住居跡も発見されている。畷古文化研究保存会
    b0409627_17311384.jpg
    ▲砂遺跡(筆者撮影)

    砂遺跡には隠されるように石仏が祀られていました。二柱の夫婦神。まちがいなくニギハヤヒと瀬織津姫だと思いました。砂遺跡からすぐ近くにニギハヤヒが天の磐船に乗って降臨してきたとされる巨石が祀られています。
    b0409627_23160825.png
    磐船神社(筆者撮影)

    b0409627_23123498.jpg
    磐船神社(筆者撮影)

    日本の歴史の拠点ともいうべく「ニギハヤヒとナガスネヒコの本拠地」=「神武東征決戦の地」に生まれ育ちながら、学校は郷土の歴史も神話も縄文の史跡さえも一切教えることはありませんでした。わたしは学校が教える歴史は全く興味がなかったので、ほとんど知識はありません。(学校が教える歴史=戦乱の時代の時系列。つまり弥生時代~現代のこと。縄文文明は完全に無視されている。縄文遺跡に学校が建っているというのに・・・。)

    b0409627_05525917.png
    四條畷市讃良より生駒を望む(筆者撮影)



    2017年より気づきが起きまして、地元の史跡探訪をしはじめ、その記録を書き綴ってまいりました。直観による導きに従い、回を重ねるごとに歴史には表に出せない事情があることがわかりはじめ、とうとう神の領域まで踏み込んでしまいました。

    その中で、決して表に出ることなく裏で日本神界を統べる御神業をされる方と出会い、この三次元で八百万の神々・歴代天皇の御霊とご交流させていただくことにまでなったのです。(HPの記録では現時点で表に出すことは許されないことは書けませんので、歯がゆい思いをしています。裏と表が反転しなければ明かせないことです)

    わたしのミッションは一段落して終わったと思っていたのです。それが今年になってまだ続きがあるの!?という思いがよぎったのです。

    トミノナガスネヒコは、ニギハヤヒとともに「ひのもとの国」の国づくりをしました。のちに神武天皇がひのもとの国を奪いに来たのですが、ナガスネヒコは専守防衛戦に勝利します。しかし、神武天皇はルートを変えて再び攻め入ります。結局は
    戦わない神様(和魂)であるニギハヤヒは神武天皇に国を譲ります。

    b0409627_02210714.png
    ▲神武東征ルート

    『古事記』ではナガスネヒコの行方は書かれていません。『日本書紀』ではニギハヤヒがナガスネヒコを惨殺しました。(記紀だけが日本の歴史書と認められている)『先代旧事本紀』ではニギハヤヒの息子ウマシマジがナガスネヒコを惨殺したことになっています。東北の歴史書である『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』ではナガスネヒコは兄と東北に逃れ、アラハバキ族となったと記されています。

    b0409627_16440185.jpg


    朝廷にとって不都合な歴史書は焼かれたり、偽書として無視されたりするのは世の常。物部氏が秘蔵している『物部文書』は秋田県の唐松神社に隠されています。やはり東北には重要な秘密が隠されているようです。

    【閑話休題】これを書いている最中、夫が「ツイッターで東北の人とつながったわ!秋田県の人と」と言いました。ビックリです。夫はわたしの気づきを知る由もありません。(^^;)

    要するに、今の時点では「表」がスタンダードである以上、「裏」を出すわけにはいかない。この日本は二本であり、表裏の関係にあります。よって、日本を知るためには表と裏を統合してはじめて歴史が紐解かれるのです。

    わたしは直観を得てその地に赴き、直観のままに動かされてきたのですが、よくわからないことも多々あったのです。わからないことは、その時点でのテーマではないのだろうと思い、わからないままにしてきました。

    神様は、ヒントを与えてくださるけれども、答えは自分で出しなさいと言わんばかりに、答えを見つけたときに初めて、答えを示されます。これは何回も実体験してきたことなので、そういうルールになっているようです。


    瀬織津姫は神話には登場しない神です。しかし中臣氏の祝詞「大祓詞」には瀬織津姫の名が出てくるのです。なぜあえて中臣氏は祝詞に瀬織津姫の名を出したのか。それはこの神を鎮めなければ、中臣氏(藤原氏)が後からこさえた日本のしくみがひっくり返されてしまうからです。

    b0409627_02043683.png
    ▲『大祓の詞』より

    ところで瀬織津姫は天照大神の荒魂とされています。男神・天照大神は饒速日。その妻が瀬織津姫です。天照大神は、男と女、和魂(にぎみたま)と荒魂(あらみたま)の二柱にして一体です。

    もともとの神の存在は消すことはできない。しかし名前を書き換えて怨霊信仰として神の御神威を鎮めなければ、後から来た渡来系の神を表に出すことはできない。

    つまり、表の神は伊勢系の天照大御神(内宮:オオヒルメ。外宮:トヨウケ=瀬織津姫)、裏の神は出雲系の天照大神(男神:ニギハヤヒ。女神:瀬織津姫)ということです。

    持統天皇は自らの女帝の権威を示すために男神天照大神を女神にすり替えて書かせたということになっています。『日本書紀』の編纂者は藤原不比等です。

    b0409627_00491339.jpg
    藤原宮(筆者撮影)

    神武東征には瀬織津姫が出てこない。では、ナガスネヒコは誰なのか。

    「アッ!(゚д゚)!」

    と、わたしは掃除機をかけているときに

    「ナガスネヒコの正体は瀬織津姫だ!」

    とひらめいたというわけです。
    b0409627_15143694.jpg
    ナガスネヒコ本拠の碑(筆者撮影)

    ナガスネヒコ=瀬織津姫=龍神=瀬織津姫が祀られている場所には必ず水場がある。ナガスネヒコ本拠の碑にも池があるのです!

    b0409627_02474433.png
    ナガスネヒコは太陽を背にしていたため、とても強かったのです。このとおりナガスネヒコ本拠の碑も太陽が背になるように建てられています。この碑に差し込む日光に、スメラミコトの証である赤いハチマキを巻いた縄文人の顔が写り込んでいます。


    「ニギハヤヒと瀬織津姫力を合わせてひのもとの国造りをしました」

    というところを、


    「ニギハヤヒとナガスネヒコ力を合わせてひのもとの国造りをしました」


    と書き換えたということだったのです。

    では、神武天皇が戦ったのは瀬織津姫だったのか?

    b0409627_18111332.png

    神武天皇は、とても強いナガスネヒコにどうしても勝てなかったんです。天孫(アマテラスの子孫=天皇)が勝てない相手。それはナガスネヒコであり、その正体は瀬織津姫だった。なぜならば瀬織津姫は龍神。天照大神の荒魂。津波を起こす水の神。天皇とはいえ、人間が龍神に勝てるわけがない。自然に人間がかなうはずがないのですから。
    b0409627_21065889.jpg
    日本書紀

    持統天皇はどうしても瀬織津姫の名前を神話に書きたくなかった。日本の正統なる歴史書にもともとの女神の天照大神の存在を隠しておきたかった。しかし神武天皇にはどうしても英雄的存在として日本を統治させたかった。そのためには元の神と戦わせて勝たせたい。

    しかし元の神は龍神。龍神に天皇が勝てるわけがないけれども、日本人の集合意識を構築させるプログラミング(日本書紀で洗脳)するためには神武天皇に勝利させなければならない。

    ならば瀬織津姫を縄文人(ナガスネヒコ)にすり替えて書けば、ストーリーは成り立つ。クライマックスで饒速日の手によってナガスネヒコ(瀬織津姫)を惨殺したことにすれば、もともとの天照大神を引き裂くことができる。

    そしてスサノオの息子であるニギハヤヒを出雲系から伊勢系の系図に改ざんすれば男神天照大神の存在を消すことができる。日本を支配するためにねつ造した神話を日本の正統なる歴史書とすれば、日本人の集合無意識に共有され、誰もそのことを疑うことはないだろう。

    為政者の意図はこういったものかもしれません。
    b0409627_15143694.jpg
    ナガスネヒコ本拠碑(筆者撮影)

    偽書扱いされている『東日流外三郡誌』ではナガスネヒコは東北でアラハバキ族となりのちに蝦夷の日高見国を建国します。日高見国は縄文の国。ひのもとの国が東へ移動したために、つがるは東日流と書くのです。

    平安時代、日高見国の族長アテルイは20年以上も桓武天皇と戦うも、ついに遠く離れた河内で桓武天皇に処刑されてしまいました。800年ごろまで棲み分けていた縄文(蝦夷)と弥生(朝廷)。しかし中央集権はついに蝦夷までも支配してしまいました。天皇は仏像を造るための金の埋蔵地が欲しかったのです。

    蝦夷は物部の支援を受けていたからこそ、20年以上も朝廷軍と戦い続けられたのです。しかも、一度も負けなかった。つまり蝦夷と物部は同族なのです。

    b0409627_17441721.png

    ▲伝アテルイとモレの塚(筆者撮影)

    ニギハヤヒ(物部)とナガスネヒコ=瀬織津姫(蝦夷)こそが日本の皇祖神。日本最大のクーデターである大化の改新以降、ひのもとの国は百済系渡来人(中臣氏)によって支配され、もともとの神を隠されてしまった。
    b0409627_00220250.jpg
    ▲乙巳の変(大化の改新)

    持統天皇は天智天皇の娘であり、天武天皇の妻。天智天皇の息子(大友皇子)と天武天皇(大海人皇子)といえば日本最大の内乱である壬申の乱。この辺を掘り下げたら、あらゆることが芋づる式につながっていきます。忘れてはならないのは中臣氏の存在。
    b0409627_00084376.jpg
    ▲天野岩屋戸開き

    神道奥義は天の岩戸開き神事。天孫補弼・神事宗源の神(アメノコヤネ命)を祖神にしたのが中臣氏だった。中臣鎌足の次男フヒトが初代藤原氏となり、娘の藤原宮子を文武天皇(持統天皇の孫)と結婚させました。天皇の外戚関係となった藤原氏は五摂家をもうけ、それぞれが朝廷の役職について日本の中枢を完全支配。やがて明治維新にはイギリス、戦後はアメリカが日本を支配。その手下に半島人(〇〇学会)が日本人に成りすまして日本中枢機関を完全支配している。
    b0409627_15534045.jpg
    ▲元春日 枚岡神社(筆者撮影)

    このように多重支配体系下に置かれた日本は幾重にも洗脳を施され、本当の日本(縄文)を思い出せなくなってしまった。


    いろいろ書いてきましたが、わたしがなぜ神話を知らないうちからナガスネヒコを知っていたのかの理由がわかったような気がします。きっと産土神のお導きだったのでしょう。


    b0409627_15314031.jpg
    ナガスネヒコ本拠碑(筆者撮影)

    ナガスネヒコが瀬織津姫だとわかったときの爽快感。それはまぎれもない正真正銘の日本の魂を見出したような清々しい発見でした。

    長きに渡り我が国最大の国賊扱いされてきたナガスネヒコ。わたしはナガスネヒコに掛けられた誤解を払拭し、日本人に本当のことをお伝えさせていただかなければならないと強く感じています。

    物部氏と蝦夷は同族。こちらが(裏)のスメラミコト。縄文。自然崇拝。まつろわぬアラハバキ神。艮の金神。国常立命。スの神。自然の神。


    天皇と藤原氏は同族。こちらは(表)のスメラミコト。弥生。序列・戒律・中央集権制。崇め奉られたい意識が生み出した宗教の神。


    ゆえにこの国は裏と表の二重構造になっているのです。銀河の計画で二元性の地球が作られた理由は、二元性を和合させるため。


    ナルちゃんは、らすとえんぺらー。

    ナルちゃんの代でなりすましの日本が終わる。だまして奪った日本とだまされて奪われた日の本はついに和合できるのでしょうか。わたしは子どものころからナルちゃんがなぜか好きなんです。きっとナルちゃんならこの日本を何とかしてくれる。そんな気がするんだなあ。


    新天皇と安倍総理は後醍醐天皇と大楠公。

    b0409627_19075902.png
    ▲三輪山から撮影した太陽(筆者撮影)


    今回もご一読いただき、ありがとうございました。

    関連記事






    縄文と弥生の転換は「神武東征」です。

    真に日本の歴史を知るためには、神武東征に隠された鍵を紐解けばよいのです。なぜなら神武東征が我が国最古の戦争であり、神の政権交代が行われた転機だからです。

    以下は神武天皇vsナガスネヒコの戦った古戦場を直観ー実践行動―体験してきた記録です。
    1⃣でんぼの神様に呼ばれる
    2⃣文明と文明の転換「神武東征」
    3⃣ナガスネヒコに会いに行く
    4⃣ナガスネヒコとスサノオの復権
    5⃣神武天皇に会いに行く
    6⃣饒速日命と長髄彦の約束
    7⃣神武東征古戦場・物部氏編
    8⃣神武東征古戦場・旧生駒トンネル編
    9⃣神武東征古戦場・中臣氏編
    ⒑神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(前編)
    ⒒神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(後編)
    ⒓エウカシに呼ばれる(前編)
    ⒔エウカシに呼ばれる(後編)
    ⒕神武天皇がヒーローになりたかった理由。
    ⒖エウカシに呼ばれる(番外編)
    ⒗アマテラスと神武天皇の国家戦略。その1
    ⒘アマテラスと神武天皇の国家戦略。その2
    ⒙アマテラスと神武天皇の国家戦略。その3


    直観ー実践行動ー体験記録は継続中です。

    by new-jomon | 2019-01-08 19:14 | 日本の歴史を蘇らせる | Comments(0)

    新時代に必要なしくみを開示し、次世代型のモノを生み出し広めていきます。


    by そま
    プロフィールを見る
    画像一覧
    更新通知を受け取る