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カテゴリ:神武東征・古戦場を訪ねる( 18 )

⒙アマテラスと神武天皇の国家戦略。その3

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饒速日命は神武天皇にひのもとをお譲りになられました。気づかされるのは、ニギハヤヒはひのもとを奪回されなかったことです。そうではなく、裏方に回られて歴代天皇をサポートされてきたのです。

神話では神武天皇がこの国を治められるようになってから、疫病、災害、飢饉、干ばつ、戦争といった宇宙とは逆回転の消耗系エネルギーが現象化しました。それを何とか食い止めようと、宇宙の回転と同じ方向(左回転システム=循環型システム)の神であるニギハヤヒの子孫たちにより、表の天皇になり代わって御神事を執り行うことで、地球上の大難を小難におさえてこられたのです。おそらく、これはすべて実験であり宇宙の計画だったのだと思います。

宇宙は回転しています。この天の川銀河が所属している宇宙は左回転です。太陽系も惑星の公転もすべて左回転です。神とは仕組みであり、秩序であり、システムです。出雲系の神は左回転システム。伊勢系の神は右回転システム。左回転の星に右回転システムが採用されると、すべてが逆向きになるわけです。この地球は宇宙の二極性を和合するために作られた星。出雲系の神々が国造りをしたあと、伊勢系の神々が降臨し、この地球は相反するシステムを体験してきたのです。

おそらく、実験の対象はわたしたち人間です。太古の時代、左回転システムの中にいたころは大調和を実現していた。しかし後に右回転システムがもちこまれることになったわけです。「神武東征」はシステムの交代を物語りにした神話です。これを読み解くと、この星はエヴァを体験した後、エゴを体験することになったのですが、人間はエゴの体験を味わい尽くし、エヴァの記憶を失っても、いつか記憶を取り戻してエゴからエヴァへ方向転換できるかどうかを試されていたのだと思います。

だから逆向きのシステムの神々は滅ぼされなかったのです。その計画の意図は、逆回転の彼らをジャッジせず意識で抱擁することができれば回転方向を転換することができるということを体験するため。それは個人レベルでも惑星レベルでも同じことなのです。令和を最後に逆回転システムは終了し、新たなる進化への道へと進むことになるのです。


⒗アマテラスと神武天皇の国家戦略。その1

⒘アマテラスと神武天皇の国家戦略。その2

の続編です。今回はその3となっております。


そして、悲願の大調和のひのもとの国(大和国)を手に入れた神武天皇は、橿原の宮で初代天皇として即位します。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

新しき王は平和と安全を願いました。

それは「一族にとっての」平和と安全でした。

なぜなら、自分もいつかはうばわれるのではないかとつねに心配だったからです。

そのために、つねに武装していなければなりませんでした。

平和ということばは、戦争ということばがあってはじめて存在する。

だからこの相対する概念は実はひとつ。

戦争がなければ、平和という言葉も存在しない。

わたしたちは、戦争という体験をして、平和とは何かを学んでいたのです。

それを教えてくださったご存在のおかげで学ぶことができたのです。

わたしたちのたましいは、体験したくてここに来ている。

だからどんな体験も、感謝しかないのです。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

明治政府による戦争ムード満載の最中に建てられた橿原神宮は、ご鎮座されて130年という新しさにビックリです。思わず二度見しました。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

「平成三十二年四月二日」

平成は三十一年四月三十日で終わります。なぜ「平成三十二年四月二日」なのでしょう。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

整然とした美しさは、人の手が加えられた箱庭の美。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

まるで皇居に向かうような面持ちで鳥居をくぐりました。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

思えば日の丸もまた、この国の新しきシンボル。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

新しきたたずまいは、まるでコマーシャルに出てくる〇〇ハウスを思わせられます。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

神武天皇からはじまった天皇時代は2678年間続いてきました。世界一長く続いている国(王朝)です。

けれどもそれ以前は、1万6500年も続いていた。それ以前にもいくつも文明があったのです。その痕跡が発見されているにもかかわらず、一切だんまりを決め込んでいるのが日本という国なのです。

なぜなら、太古の時代にもスメラミコトは存在していたから。

それは日本人には知られたくないもっとも封印しておきたいことだから・・・。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

「『てんのうへいかばんざーい』はおかしいのとちがう?

『したにー、下に』とちがうん?

『てんのうへいかばんざーい』って、

これ以上ないほど頭が高いやん。

あんなことしたら、

『頭が高い、ひかえおろう!』

って、お侍さんに成敗されるやん。

あ、そういえば、お侍さんはもういなくなってしまってたわ。

お侍さんはもう、この国にはいないんやなあ・・・。』

とある見習い学生のつぶやき。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

この国で最も古いとされる戦争は、神話時代の「神武東征」です。

ニギハヤヒはナガスネヒコを東北に逃がして戦争を回避し、国を譲りました。

ナガスネヒコは東北で「ひたかみのくに(日上国)」をつくりました。

「ひのもとのくに(日下国)」でニギハヤヒとつくった大和(やまと)の文化を東北の地で守り続けたのです。子孫・アテルイの時代(800年ごろ)まで。

神武天皇の子孫・桓武天皇は、ナガスネヒコの子孫アテルイから「ひたかみのくに」をうばいました。

大祓詞(おおはらえのことば)の祝詞にこうあります。


「おおやまと ひたかみのくにを

 やすくにと さだめまつりて」


橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

アマテラスの国ゆすりにより、国づくりをしてきた大国主は国をゆずりました。

神武天皇の国ゆすりにより、国づくりをしてきたニギハヤヒは国をゆずりました。

アマテラスは神武天皇。

大国主はニギハヤヒ。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

「しーたのほんとうのなまえは、りゅしーた・とえる・うる・らぴた。

むすかのほんとうのなまえは、ろむすか・ぱろでぃ・うる・らぴた。

しーたはにぎはやひ。

むすかはじんむ。

ぱずーはながすねひこ。

らぴたびとはじょうもんじん。

そらからふってきたしょうじょはてんそんこうりん。

ばるすはすばる

すばるはすべる。

ちきゅうはまわる きみを かくして」

理想の彼氏はぱずーだったむかしの女子中学生のひとりごと。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

もしも許されるのなら、本当の歴史書を書いてみたい。

ねつ造、虚飾、改ざん、隠ぺいという「創作」ではない真実を。

見たくない、見せたくない、つらく厳しいことも隠さずにありのままを書く。

それは神の目を通した目線。

三人称視点は神の視点。

『日本書紀』は三人称視点で書いていない。勝者の視点で書かれているから。

けれど今の日本人が真実をどれだけ受け止められるだろう。真実を目の当たりにすることの準備ができていない方々には、とうてい受け入れられないだろう。

けれどたましいを揺さぶることはできる。それがきっかけでたった1%の日本人が目覚めれば、また誰かを目覚めさせることができるかもしれない。

そして、目覚めない自由も宇宙から与えられている。

けれど現在はもう最終輪廻のタイムリミット。肉体を持たされたのは今生で最後。どんなにあがいても、今生で最後なのです。

わたしたちはやり残したことが山積みであることに気が付いた時点で、即実践することが何よりも大事だったと気づかされるのです。

神と人。霊と肉が一体になってはじめて、魂の進化が可能であったのだと。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

日本神界を統べる御神業師様は、「わたしに降ろされた神々からの莫大な情報は、わたしの全人生をもってしても書ききることはできないくらいの膨大なものです」とおっしゃいました。

そして「現時点で人類に伝えられることを許されているのは、大海の水のひと匙ほどです」とも。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

わたしは思う。現代人に必要な情報量など、ごくわずかでいい。

「うそをつかない。だまさない。うばわない。しはいしない。よごさない。ぼうりょくをふるわない。おごりたかぶらない。」

「しょうじきでいる。しんせつにする。よろこばせる。あたえる。たすける。せいけつにする。かんしゃする。けんきょになる」

これでも多いくらい。

「やったことは自分にかえる」という法則を知ること。そして「かんしゃする」ということ。

今の人類には、このふたつだけでも実践できたら御の字。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

日本神界の神々は、女性天皇の即位を猛反対しておられました。

わたしはそのとき、ある言葉が思い浮かびました。

「めんどりが時を告げれば国が滅びる」

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

カモさん夫婦があいさつにきてくれました。ごはんをもってくればよかったね。

橿原神宮(筆者撮影)
橿原神宮(筆者撮影)

亀さんもお顔を見せてくれました。

神武天皇御陵(筆者撮影)
神武天皇御陵(筆者撮影)

橿原神宮のすぐ横に神武天皇御陵がありました。ここは古墳もなくてただの盛り土だけなのだそうです。

伝説の天皇は、長らくひっそりと祀られていただけだったのですが、明治の時代に突如英雄としてもてはやされたのでした。それが紀元2600年記念行事。

明治政府は宗教弾圧、神社合祀を推し進め、昭和15年には神武天皇ゆかりの地に「神武天皇聖蹟顕彰碑」を建設するにともない、日本は戦争へと突き進んでいったのでした。

神武天皇御陵(筆者撮影)
神武天皇御陵(筆者撮影)

2018年より人間選別がはじまると御神業師さまは教えてくださいました。

神々の世界は和合されます。そのご神事の際、縄文、弥生、歴代天皇の御霊がご同席されたことが、その御意思の表明だったとかんじます。これぞ神界の「完成」なのだと思いました。

神々さまそれぞれの御立場のお役割をまっとうされるのです。そのタイミングに日本人として生まれさせていただいたことに、本当に深い感謝を抱かずにはいられません。

そしてわたしはなぜ、その場所にいたのでしょう。たった数名で執り行われた重大なご神事の場に、なぜわたしはなにも知らされずに導かれたのでしょう。

そして、わたしはなぜこのような記事を書いているのでしょう。

ストⅡのリュウさんをはじめて見たときに、脳天に稲妻が落ちたかのような衝撃を感じたのは、いま=未来を感じていたから?

もしも対話できるのなら問いてみたい。

リュウさんはなぜ、わたしにインスピレーションを与えてくれたの?

リュウさんは、自分に込められていた暗号を解いてほしかったの?

春麗さんと出会える日を待っていたの?

封印された魂のかたわれを探し出し「火と水」の統合を果たして、闇の支配者を抱き参らせる。これがこのゲームに込められた神のシナリオ。

それは和合することこそが日本人に与えられた真の使命であったことを思いださせるための「神しくみ」。

藤原京跡(筆者撮影)
藤原京跡(筆者撮影)

橿原神宮を出た後、藤原京跡を通りました。

藤原京跡(筆者撮影)
藤原京跡(筆者撮影)

この広大な土地に、かつての女帝・持統天皇が藤原京をつくったのです。

藤原京跡(筆者撮影)
藤原京跡(筆者撮影)

持統天皇はアマテラスのモデルです。女性天皇としての地位を確たるものにするために、天照大神を女神にする必要があったのです。その背後には渡来人の藤原不比等がいました。彼らにとって女性天皇は好都合だったのです。そしてもっとも都合の悪い縄文を封じるためにナガスネヒコは惨殺されたことにしたのです。それが『日本書紀』。そして瀬織津姫を封印したのでした。


2018年7月23日追記:

わたしは小5のときに大阪府四條畷市に引っ越したのですが、先日気になる地名を通ったので調べてみました。「讃良」という地名です。

たしか、持統天皇の幼少名が「うののさらら」だったはずだとピンときたのです。それで四條畷市のホームページを調べてみましたらやはり・・・!

第41代天皇である持統天皇は、四條畷とかかわりの深い天皇でした。

天皇は名を鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ)といいます。

このうち「讃良」は、

四條畷市全域と寝屋川市・大東市の各一部を含む

古代「讃良(さらら)郡」の地名からとられたものです。

また、「鸕野」も、『日本書紀』によれば讃良郡の中にある地名として

「鸕鷀野邑(うののさと)」が出てきます。

この地名は、市内の清滝にあった古代寺院正法寺にのちにつけられた山号が

「小野山(おのさん)」であることなどから、

現在の四條畷市域の一部を指すのではないかといわれています。

このように地名を皇族の名に使う場合、

その地で生まれ育ったか、領地をもっていたか、

その地出身の豪族から乳母が出たためその豪族に養育された

といった理由が考えられると言います。

いずれにしても、

持統天皇の名には四條畷市域のこととみられる地名が使われており、

四條畷とゆかりの深い天皇だったと言えるでしょう。

(以上、四條畷市HPより引用)

四条畷市周辺地図
四条畷市周辺地図

やはり「讃良」は持統天皇ゆかりの地名であり、四條畷市はかつて讃良郡だったのでした。この讃良のすぐ近くにイオンがありまして、ここから生駒に向かって写真を撮りました。このごく狭い地図に役者がすべてそろっている奇妙な偶然。

讃良付近から生駒方向を望む(筆者撮影)
讃良から生駒方向を望む(筆者撮影)

持統天皇がこの土地で過ごした史実が確かにある。ニギハヤヒがご降臨された天の磐船が磐船神社の御神体であり、そのすぐ近くにナガスネヒコ本拠の碑があります。

ニギハヤヒとナガスネヒコの伝承の地すぐ近くに持統天皇は住んでおられたのです。きっと『古事記』の「神武東征」も熟知されていたはず。

磐船神社御神体(筆者撮影)
磐船神社御神体(筆者撮影)

持統天皇の人生は、生まれたときから権力争いの渦中にいました。大変な人生だったと思います。天皇家の血統の争いのもとをたどれば「神武東征」にたどり着きます。

持統天皇にとってのご先祖様は神武天皇です。人として天下った神武天皇にとっての最大のかたきはナガスネヒコでした。ナガスネヒコはもう一つの正統なるスメラミコトの系譜。持統天皇にとっても、ナガスネヒコはかたきの血統となります。その憎き血筋を絶たせたい思いが『日本書紀』に現れているように思えてくるのです。

ご自分の人生と、ご先祖である神武天皇を重ねておられたのかもしれません。あの憎きナガスネヒコさえいなければという神武天皇の思いは、夫である天武天皇亡き後、我が子である草壁皇子のライバル大津皇子を葬った持統天皇の行動と重なります。

その溺愛する草壁皇子が死んでしまった持統天皇の悲嘆は想像するに難くありません。結局は御自ら天皇に即位するのです。

それまでの天皇は神道の最高祭祀を司る立場にすぎなかったのですが、持統天皇以来三代つづいた女帝の時代に身分制度と戸籍、貨幣、税金制度が導入されました。律令制度は唐が由来です。この国のシステムは女帝の背後で渡来人の藤原不比等が作ったのです。

長髄彦本拠の碑(筆者撮影)
長髄彦本拠の碑(筆者撮影)

でも、もうそのシステムも終焉も迎えます。天皇は大変なお役目を担ってこられました。心からのねぎらいと感謝を申し上げたい気持ちになりました。

よみがえる藤原京 時を駆けたファイターたち
よみがえる藤原京 時を駆けたファイターたち

カプコンさんは、1995年にストリートファイターたちを藤原京にタイムスリップさせて当時の様子を丁寧に教えてくださっていました。ストリートファイターシリーズは日本神界の神々からのメッセージを刻印して宇宙から降ろされた創作物です。リュウさんは、バブルがはじけた後の混迷の時代に生み出された、日本魂を目覚めさせる使命を担った偉大なる主人公だったのです。


どうぞ、今一度カプコンさんが辻本会長様の総指揮の下、日本の地で日本人の手によって制作された大変貴重なアニメーションをあらためてごらんになってみてください。そして持統天皇が手掛けられた藤原京がどんな都だったのか、当時の人々の暮らしに思いを馳せてみてください。『よみがえる藤原京』についてはこちらへ。




今回も最後までお読みくださりありがとうございました。

お気に入りにいれていただけましたらうれしいです。


=ブログ拡散のお願い=

一人でも多く日本人が目覚めるためのご協力を
よろしくお願いします。

令和のはじまりとともに眠っている魂をゆさぶるためにこのブログを書いています。
皆様のおかげ様で成り立っております。感謝。


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直観体験連載記事となっております。

2⃣文明と文明の転換「神武東征」

3⃣ナガスネヒコに会いに行く

4⃣ナガスネヒコとスサノオの復権 

5⃣神武天皇に会いに行く

6⃣饒速日命と長髄彦の約束

7⃣神武天皇古戦場・物部氏編

8⃣神武東征古戦場・日下山編

9⃣神武東征古戦場・中臣氏編

⒑神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(前編)

⒒神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(後編)

⒓エウカシに呼ばれる(前編)

⒔エウカシに呼ばれる(後編)

⒕神武天皇がヒーローになりたかった理由。

⒖エウカシに呼ばれる(番外編)

⒗アマテラスと神武天皇の国家戦略。その1

⒘アマテラスと神武天皇の国家戦略。その2


by new-jomon | 2019-05-30 23:34 | 神武東征・古戦場を訪ねる | Comments(0)

⒘アマテラスと神武天皇の国家戦略。その2


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この記事は⒗アマテラスと神武天皇の国家戦略。その1 のつづきとなっております。先にその1 からどうぞ。

神武天皇は、宇陀でエウカシを倒し、桜井で土蜘蛛ら全員を食事に招いて背後から惨殺して滅ぼした後、歌を歌いながら暗峠とおって神津嶽を目指します。

『古事記』に神武天皇が詠んだ歌が残されていますから、紹介していきますね。

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▲菟田の高城(筆者撮影)

宇陀うだの 高城たかきに 鴫罠しぎわな張る

 我が待つや 鴫はさやらず 

いすくはし 鯨さやる 

前妻こなみが 菜乞はさば 

たちそばの 実の無けくを こきしひゑね 

後妻うはなりが 菜乞はさば 

いちさかき 実のおほけくを こきだひゑね 

ええ しやこしや こはいのごふぞ 

ああ しやこしや こはあざわらふぞ


【通釈】


宇陀の高台に、鴫を獲ろうと罠を張る。


俺が待ってると、鴫は掛からず、


りっぱな鯨が掛かった。


さあ、皆に御馳走だ。


古女房がおかずに欲しがったら、


ソバの木の実のように中身の無いのを、


たっぷり切ってやれ。


新しい女房がおかずに欲しがったら、


ヒサカキの実のように大きいのを、


たっぷり切ってやれ。


ええい、ばかものめざまあみろ、


これはののしっているのだぞ。


あっはっは、ばかものめざまあみろ、


これはあざ笑っているのだぞ。


※兄宇迦斯(えうかし)を倒したあと、

弟宇迦斯(おとうかし)によって献上された御馳走を

兵士らに賜わった時に詠んだ歌。


暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

みつみつし 久米の子等が 粟生あはふには


臭韮かみら一茎ひともと そ根がもと 


根芽ねめつなぎて 撃ちてしやまむ



【通釈】


いさましい久米の者どもの、


粟の畑には臭い韮が一本。その韮じゃないが、


根元も茎もいっしょに、やっつけずにおるものか。


※打倒ナガスネヒコを詠んだ歌。


暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

みつみつし 久米の子等が 垣下かきもとに 


植ゑしはじかみ 口ひびく 


われは忘れじ 撃ちてしやまむ



【通釈】


いさましい久米の者どもの、


陣営の垣の下に植えた山椒。


その山椒じゃないが、


口がひりひりするような恨みを俺は忘れないぞ。


やっつけずにおるものか。


※打倒ナガスネヒコを詠んだ歌。


暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

神風かむかぜの 伊勢のうみの 大石おひしには


ひもとほろふ 細螺しただみの 


ひもとほり 撃ちてしやまむ



【通釈】


神風が吹く伊勢の海の、


大岩にびっしり這いまつわってる、


細螺(しただみ)のように敵を隙間なく囲んで、


やっつけずにはおるものか。


※打倒ナガスネヒコを詠んだ歌。


暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

神武天皇はアマテラスの5代子孫にあたる伝説上の天皇とされています。


けれど日本人の集合意識には存在していて天皇を語るうえで欠かせない存在となっています。なぜならば、


神武天皇が存在しなければ、歴代天皇も存在しない。


アマテラスが存在しなければ神武天皇も存在しない。


アマテラスの存在なくしてこの国は存在しないからなのです。


神武天皇はどうしてもこの国の王様になりたかった。


王様のいなかったこの国で、はじめての王様になりたかった。


アマテラスは一度岩戸に隠れて、ふたたび現れた神様。


神々の上に立ってあがめたてまつられた女神さま。


神武天皇は、人の上に立って神としてあがめられた最初の人。


さて、アマテラスとはいったい誰なのでしょう。


神武天皇とはいったい誰なのでしょう。


わたしは神武天皇の歌を読んだとき、ある「歌」がひらめいたのです。


その歌を実際にお聞きください!! どうぞ~~(^^♪


ジン、ジン、ジン、ジンム、デスカ~?




草原の風のごとく馬を走らせる幾千もの兵隊


先頭を駆ける男こそジンギスカン!


地を鳴らす馬蹄の音と共に


あらゆる場所に不安と恐怖を運ぶ


稲妻も彼らを止めることはできない


*1:
ジン、ジン、ジンギスカン


ヘイ、騎兵たちよ! ホウ、騎兵たちよ!


ヘイ、騎兵たちよ! 進め!


ジン、ジン、ジンギスカン


*2:
奮い立て兄弟ども、飲め兄弟ども、


戦え兄弟ども、何度も!


もっとウォッカを持ってこい!


俺たちはモンゴル人だからな!


飲んだらまた悪魔の腕の中だ


(*1)


*3:
ヘイ、兵隊たちよ、ホウ、兵隊どもよ


踊れ、兵隊どもよ、いつもどおりにだ


奴の高笑いが聞こえる


だんだん大きくなる


そして奴は一気に飲み干す



気に入ったブツは全部テントに奪い取る


彼を嫌いになる女なぞ この世に居ない


一晩で7人の子種を仕込み


仇にはあざ笑うのみ


彼の力には誰も立ち向かえないから


(*1)(*2)(*1)

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

わたしはこの世界が乱れた原因は、神様の世界が乱れたことが原因だということに気がついていました。神様は、自力で答えを出したときに、正解を教えてくれるようです。その答えを以下に掲載しました。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

『日月神示』


碧玉の巻


第十帖



 岩戸しめの始めは


ナギ(伊邪那岐命)


ナミ(伊邪那美命)の


命の時であるぞ、


ナミの神が火の神を生んで


黄泉国に入られたのが、


そもそもであるぞ、


十の卵を八つ生んで


二つ残して行かれたのであるぞ、


十二の卵を十生んだことにも


なるのであるぞ、


五つの卵を四つ生んだとも


言へるのであるぞ、


総て神界のこと、


霊界のことは、


現界から見れば


妙なことであるなれど、


それでちゃんと


道にはまってゐるのであるぞ。


一ヒネリしてあるのぢゃ、


天と地との間に


大きレンズがあると思へば


段々に判りてくるぞ。


夫神、


妻神、


別れ別れになったから、


一方的となったから、


岩戸がしめられたのである道理、


判るであろうがな。


その後、


独り神となられた夫神が


三神をはじめ、


色々なものを


お生みになったのであるが、


それが一方的であることは


申す迄もないことであろう、


妻神も同様、


黄泉大神となられて、


黄泉国の総てを


生み育て給ふたのであるぞ、


この夫婦神が、


時めぐり来て、


千引の岩戸をひらかれて


相抱き給う時節来たのであるぞ、


うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。


同じ名の神が到るところに


現はれて来るのざぞ、


名は同じでも、


はたらきは逆なのであるぞ、


この二つがそろうて、


三つとなるのぞ、


三が道ぞと知らせてあろうがな。


時来たりなば


この千引の岩戸を倶にひらかんと


申してあろうがな。


次の岩戸しめは


天照大神の時ぞ、


大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、


ダマシタ岩戸からは


ダマシタ神がお出ましぞと


知らせてあろう。


いよいよとなって


マコトの天照大神、


天照皇大神、


日の大神、


揃ふてお出まし近うなって来たぞ。


次の岩戸しめは


素盞鳴命に総ての罪をきせて


ネの国に追ひやった時であるぞ、


素盞鳴命は


天下(あめがした)を治しめす


御役(おんやく)の神であるぞ。


天ヶ下(あめがした)は


重きもののつもりて


固まりたものであるから


ツミと見へるのであって、


よろづの天の神々が積もる


(と言ふ)ツミ(積)を


よく理解せずして


罪神と誤って了ったので、


これが正しく岩戸しめであったぞ、


命(みこと)をアラブル神なりと


申して伝へてゐるなれど、


アラブル神とは


粗暴な神ではないぞ、


あばれ廻り、


こわし廻る神ではないぞ、


アラフル(現生る)神であるぞ、


天ヶ下、


大国土を守り育て給う神であるぞ、


取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。


このことよく理解出来ねば、


今度の大峠は越せんぞ。


絶対の御力を発揮し給ふ、


ナギ、ナミ両神が、


天ヶ下を治らす御役目を命じられて


お生みなされた尊き御神であるぞ。


素盞鳴の命にも二通りあるぞ、


一神で生み給へる御神と、


夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と


二通りあるぞ、


間違へてはならんことぞ。


神武天皇の岩戸しめは、


御自ら人皇を名乗り給ふより


他に道なき迄の御働きを


なされたからであるぞ。


神の世から人の世への


移り変りの事柄を、


一応、


岩戸にかくして


神ヤマトイハレ彦命として、


人皇として


立たれたのであるから、


大きな岩戸しめの一つであるぞ。


仏教の渡来までは、


わずかながらも


マコトの神道の光が


さしてゐたのであるなれど、


仏教と共に仏魔わたり来て


完全に岩戸がしめられて、


クラヤミの世となったのであるぞ、


その後はもう乱れほうだい、


やりほうだいの世となったのであるぞ、


これが五度目の


大き岩戸しめであるぞ。


枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

さて、神武天皇は、大和国(ひのもとのくに)こそ中州(世界の中心)と見定め、大和を平定する必要性を訴え、その協力を仰ぐため、枚岡の神様に会いに行きます。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

枚岡の神様は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)様。そのお役割は、天孫補弼(てんそんほひつ)。すなわち天孫をお助けすること。アマテラスに命じられて、その子孫をサポートされる御役を担われた神様です。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

そして、天児屋根命様は「神事宗源」の神様でもあります。ご神事を司る神様です。神道奥義は、「天の岩戸開き神事」です。この神様のご協力なくして、大和平定することはできないと知っていた神武天皇は、枚岡の神様を神津嶽(かみつたけ)でお祀りされるのです。神武天皇ご即位三年前のことでした。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

暗峠を登って降りて膝が((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルになりながら、枚岡神社にご参拝しました。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

思えば産土の神様である枚岡神社から絵本をいただいたことが、神様の世界を知るきっかけだったのだなあと思い至ります。けれど、ちょうど一年前までまったく神様のことに関心がありませんでした。神様関連の本など、手に取ったこともありませんでした。それくらい無知だったのです。


それが、ストリートファイターシリーズを読み解いていくにつれて、神様の世界が隠されていたことに気が付き始めたのです。その実体験の記録として暗号解読シリーズを書いてきました。


子どものころから変わった子だと言われたくなくて普通に振る舞ってきましたけれど、心の中はいつもこの世界の方が変な世界で、大人の方が変な人に見えていました。今は変な世界をおもしろく見ています。変な大人も愛すべき人に思えます。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

鹿さんは神様の遣いです。元春日にはやはり鹿さんが守っておられました。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

「なで鹿」さんですから、親子の鹿さんになでなでしました。子どもの頃はいつもこの鹿さんになでなでしていたことを思い出しました。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

茅(ち)の輪だ! 実際に見たのはこれがはじめてです。この輪っかをくぐると無病息災なのだそうです。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

「蘇民将来」といえばスサノオ命です。人に親切にしていればスサノオ命が疫病から守ってくださるのです。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

去年の天皇誕生日に、ここで「天の岩戸開き神事」が執り行われたのでした。そのエピソードはここに書きました。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

産土の神様とのご縁とお導きにあらためて神恩感謝しました。

金剛生駒紀泉国定公園案内図(筆者撮影)
金剛生駒紀泉国定公園案内図(筆者撮影)

そして神武天皇は、枚岡から石切の方へ大軍を引き連れて「神武東征」のクライマックスを迎えるのです。そのエピソードはここに書きました。


「いざ行かん!憎きナガスネヒコを討ち取り、ニギハヤヒへの国ゆすりへ!!」ザッザッザッザ。

近鉄奈良線 石切駅に向かう(筆者撮影)
近鉄奈良線 石切駅に向かう(筆者撮影)

by new-jomon | 2019-05-29 21:33 | 神武東征・古戦場を訪ねる | Comments(0)

⒗アマテラスと神武天皇の国家戦略。その1

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▲日本一の傾斜角・暗峠(くらがりとうげ)


わたしは神武東征古戦場に生まれ育ちました。そのことに気付いたのはたった二年前のことです。そのことに気づかされてからというもの、直観ー実践行動ー体験を繰り返してまいりました。その記録をHPやブログに記して参りました。

アマテラスは大国主に、神武天皇は饒速日命に国を譲ってもらった神様です。そしてその神様が今の日本を治めておられるのです。

ところで令和元年は『日本書紀』編纂1299年。今の日本はどうなっておりますでしょうか。すでに今の日本は外国人が押し寄せ、土地を買い占められ、会社は乗っ取られ、技術は奪われ、オレオレ詐欺で貯蓄を奪われ、日本人の忠誠心により成り立っていた終身雇用制は破壊されて、社員に行きわたるはずの給料を派遣会社に奪われ、薄給で若者は結婚できず、子どもは生まれず、年金は減額されて老人も労働しなければならず、忍耐強い日本人もさすがに満身創痍です。

このとおり、日本人は絶滅危惧種であり亡国の危機にさらされていることは明らかです。テレビで「人生100歳時代」とアナウンスしているのは、老人に100歳まで長生きさせて骨の髄まで吸い尽くして奪いたいのです。

その一方で移民を大量に受け入れ、外国人が起業しやすくなり、国立大学は外国人が優遇され、外国人が経済を動かし、政治家はほとんど外国人(帰化人)です。実質この国を動かしているのは外国の人たちなのです。なぜ日本人はこんなに奪われ続けなければならないのでしょう?????? 

その1、その2、その3の構成となっております。では、どうぞ!(^o^)/

筆者、神武天皇も歩いた「暗峠」を歩く!!


さて、2018年6月30日にある深い気づきが起きまして、ひとり静かに涙しておりました。それは、神武天皇を愛の思いで包み、寄り添うことでした。そのとき「暗峠」が何度も脳裏に浮かんできました。

(ああ、やはり暗がり峠はスルーできなかったようですね・・・)


昨年の天皇誕生日の日に執り行われた枚岡神社での「天の岩戸開き神事」では、宮司様がこうおっしゃっていました。


「神武天皇様が


大和平定するにあたって


生駒山入りされた際に、


ナガスネヒコという強い豪族に


阻まれてしまいました。


そこで今度は


熊野から吉野に入り


「暗がり峠」を通って


枚岡の神様・


天児屋根命様をお祀りして、


大和平定することができました」と。


そのとき「暗峠」のキーワードに、ギク(゚A゚;)ッ!!!! としたのです。宮司様のおっしゃった「神武天皇様が暗がり峠を通ってこられた」という言葉に異常に反応している自分がいました。なぜならば「暗峠」がどんなに過酷な峠道なのかを知っていたからです。そして、その峠道をもしかしたら歩くことになるかもしれない予感がしていたからでした。

金剛生駒紀泉国定公園案内図(筆者撮影)
金剛生駒紀泉国定公園案内図(筆者撮影)

2018年も半分が終わろうとしていた時に、脳内に赤ランプがついたかのように「暗峠」が点滅してしまったわたしは、もう腹をくくるしかないと思い、その翌日に行ってきました。暗峠またの名を「酷道308号線」に。

暗峠案内標識(筆者撮影)
暗峠案内標識(筆者撮影)

この日は2018年7月1日。大阪府と奈良県の県境に位置する生駒山を超える峠道。日本有数の急勾配で狭隘路「暗峠」はれっきとした国道308号線であり大阪枚岡奈良線という名称があります。自動車の方はこの看板の案内の通り、狭すぎていきなりう回路からスタートです。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

筆者は徒歩なので、堂々と本道のスタート地点から歩くことにしました。ごらんのとおりコンクリート舗装の丸型の滑り止めが道全体を覆い尽くしています。すでにかなりの坂道ですが、これはほんの序の口なのです。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

この狭い道の両側には、民家が立ち並んでいます。この狭い暗がり峠は生活道路になっているのです。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

約10分ほど歩いたところに売店兼食事処があります。ここから先は売店も自販機もありません。ここでお水を買いました。ついでにこの橋を渡ってみます。

くらがね橋(筆者撮影)
くらがね橋(筆者撮影)

なんと懐かしい・・・。ここは子どもの頃、この川に入っていつも遊んでいた場所です。川に入ってさわがにを捕まえたり、橋の下で秘密基地を作ったりしました。ここ一帯の森林は枚岡公園で桜や梅林があり、滝もあります。生駒山麓で生まれ育った筆者は、自然に恵まれた環境だったのだなあと今さらながらありがたく思いました。

枚岡公園(筆者撮影)
枚岡公園(筆者撮影)

ここ一帯がまさか日本神話の舞台となった場所など夢にも思いませんでした。学校の先生は郷土の歴史を何一つ教えてくださいませんでした。

子どものころから産土の神様や神話の神様と親しむ機会があれば、神様に恥じない生き方をしようと子どもながら日本人としての誇りを抱くことができたはずなのに・・・。

この国がいかに強力に封印されてきたかをあらためて思い知らされます。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

さて、気を取り直して暗峠に戻ります。あまりの急斜面に一瞬クラクラしますが、気合を入れて登ります。

今回は、筆者が子どものころからずっと秘めていたある思いをこのページのどこかで打ち明けようと思います。なぜか告白する時期が来たと観じたので。 (; ∀ )ドキドキ

歴史の道 暗峠 奈良街道(筆者撮影)
歴史の道 暗峠 奈良街道(筆者撮影)

ひたすら歩いていくと右手に面白い形をした碑が立っていました。刻印された碑文を読んでみました。


歴史の道 


暗峠 


奈良街道


枚岡の地は、


生駒山西麓の扇状地にあって、


縄文時代から集落が営まれ、


周辺には鬼塚遺跡など


多くの遺跡があり


中臣氏の祖神降臨したという


伝承の地です。


枚岡公園は額田山と


枚岡山にまたがる森林公園で、


府営公園になったのは


昭和十三年です。


またここは、


金剛生駒国定公園の一角で


元春日と呼ばれる


河内の一之宮の枚岡神社を中心に


梅林や桜広場があります。


松尾芭蕉の碑もありました。

松尾芭蕉句碑(筆者撮影)
松尾芭蕉句碑(筆者撮影)

松尾芭蕉句碑


江戸時代の俳人であり


紀行本『奥の細道』の著書として有名な


松尾芭蕉(1644~1694)は


伊賀国で生まれ、


生涯を旅にすごしました。


元禄7年(1694)、


病をおして伊賀を発った芭蕉は、


旧歴9月9日の


重陽の節句(菊の節句)に


奈良から大坂に向かって


暗峠を越えました。


そのとき詠まれたのが


「菊の香に くらがり登る 節句かな」


の句です。


この暗峠超えが


芭蕉最後の旅となり、


大坂に入って間もなく、


10月12日に亡くなりました。


(以下省略)


伊賀生まれの松尾芭蕉は旅する俳人でしたがその裏の顔は忍者(伊・甲賀茂)すなわち八咫烏です。「菊の香に」の「菊」は天皇を指しているのだろうと思われます。


生駒山を拠点に暗躍した楠木正成公も八咫烏です。生駒山で修行した修験道の開祖・役行者(えんのぎょうじゃ)も神楽や神通力を体得していたため、ありとあらゆる情報網と人脈網を一手に束ねて裏で暗躍したようです。よって、山伏は古来よりスパイとしての役割を担っていました。


山が拠点となって活動した歴史上の人物の裏の顔は八咫烏だったようです。天皇の権力争いの実行部隊は彼らによるものですから日本の歴史の闇はとても深淵です。歴史の教科書の内容のほとんどが真実を隠した後世の創作といってよいでしょう。


「桜、鶴、菱、茨タブー」これらは実質日本を動かしてきた闇です。その頂点に「菊タブー」があるのです。


「菊の香に くらがり登る 節句かな」


松尾芭蕉

豊浦橋(筆者撮影)
豊浦橋(筆者撮影)

さらに歩いていくと、右手に「豊浦橋」がありました。渡ってみることにしました。

豊浦橋(筆者撮影)
豊浦橋(筆者撮影)

橋の下はハイキングコースになっているようでしたが、通行止めにされていました。川の水を触ってみたかったのですが、通れないようになっていました。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

坂の急勾配はごらんのとおりどんどんきつくなってまいります。心臓破りの熱中症コースですな~。この時点でかなりバテています。


神武天皇はこの暗峠を奈良・桜井から生駒山を越えて来られたのです。奈良から生駒までの暗峠も上り坂ですが、大阪側ほどきつくはなかったようです。大軍を引き連れての歩兵軍団の大移動。甲冑をつけていたのならこの峠道だけで戦力ガタ落ち確定です。

禊行場(筆者撮影)
禊行場(筆者撮影)

生駒山は霊山ですから暗峠の道すがらに宗教施設が点在しています。この鳥居の下にはお寺がありました。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

坂は続くよどこまでも。まだまだ続くよこれからも。・・・もうあかん・・・。体力持久力の滅法弱い筆者は何度くじけそうになったことか。


この道の模様をみるだけで嫌だった恒例の学校行事の暗峠の登山(年二回)。本気で休もうとしたこと数知れず。。まさか神武天皇が打倒ナガスネヒコへの執念を燃えたぎらせて通った道などつゆ知らず。まさかその道を今、こうして歩いているなんて・・・。


ニギハヤヒは十種の神宝を携えて天の磐船に乗ってご降臨してきた神様だと神話にありますが、神武天皇は天孫とはいえ軍隊を引き連れてきた人間だったのでしょう。わざわざ苦労して六年間もかけて大和平定にきたのです。神様なら、こんな苦労はしなかったはずです。


「神武東征」は先住の神が守る土地を神武が平定(滅ぼ)し、初代天皇に即位するまでの英雄物語ですが、苦難に遭うたびに神武天皇はご先祖アマテラスに助けられるのです。

暗峠 石碑群(筆者撮影)
暗峠 石碑群(筆者撮影)

赤い鳥居の向こうには、八百万の神様がご鎮座ましましておられました。ご挨拶と感謝をお伝えしました。

暗峠 不動明王(筆者撮影)
暗峠 不動明王(筆者撮影)

その対岸にはお不動様がご鎮座ましましておられました。お不動様のうしろには川が流れていました。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

「転がり峠」はますます傾斜が増し増してきたご様子。けれど今回ばかりは這いつくばってでも登らねばならぬのです。必携アイテム(水+岩塩)で微量にHP回復を繰り返しつつ坂を上ります。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

長年筆者の胸に秘めておいたこと。。。それはとても人には言えなかったこと。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

七五三のとき、枚岡神社で絵本をもらいました。二冊あったと思います。

最初に『天の岩戸神話』を、次に『因幡の白うさぎ』を読みました。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

「おんなのかみさま、おひめさまあつかいしてもらいたかっただけ」


「おんなのかみさま、わがまま」


「おんなのかみさま、きらい」


「もうこのえほんいらん」

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

「おとこのかみさま、かみさまやのにいじめられてはった」


「おとこのかみさま、おおきなにもつをせおっていっぱいはたらいてはる、えらいかみさま」


「うさぎさんをたすけてくれはったやさしいかみさま」


「このかみさまはきっとにんげんもたすけてくれはる」


「このかみさまはすき」

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

「おんなのかみさま、かみさまのなかでいちばんえらいねんて。


いちばんえらいかみさまはなんでもできるんやろ?


せやのに、このせかいはなんでせんそうがあるの?


なんでたべられへんでしんでいくひとがおるの?


もしかしてこんなせかいをつくりたかったん?」

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

「おんなのかみさまのこどものこどものこどものずーっとこどもがてんのうへいかやねんて。


せやからてんのうへいかはこのくにでいちばんえらいひとやねんで。


てんのうへいかがこのくにをつくったんやで。


ほな、なんでかねもちとびんぼうがおるん?


なんではたらくおとなとぱちんこであそんでるおとながおるん?


なんであこむやさんがあるん?


あこむやさんでおかねをかりたらなんでやくざやさんがくるん?


てんのうへいかはなんでもできるえらいひとなんやろ。


びんぼうなんかなくしたらええのに。


ぱちんこやさんなんかなくしたらええのに。


あこむやさんなんかなくしたらええのに。



やくざやさんなんかなくしたらええのに。」



あるようちえんじのこころのつぶやき

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

「れきしのじゅぎょう、しょーもない。


じょうもん時代がいちばんいいのに、みんなはじょうもん時代をやばんやっていう。


先生はじょうもん時代をぜんぜん教えてくれへん。


しらんからやろな。


じょうもん時代は電気も石油もない時代やった。


その時代の生活をべんきょうしたら、かんきょうおせんを直せるのに。


じょうもん時代は物物こうかんやった。


お金なんかなかった。


あこむさやんもなかった。


会社に行かへんでもよかった。


そしたらお父さんも朝早くから夜おそくまで会社に行かへんでもええのに。


むかしのひとはえらかったって、おとなはいうけど


いっぱいはたらいたからえらかったんやろ?


先生、えらかったむかしのひとのくらしを教えてくれへん。


えらいのはきぞくなんやて。


しょみんはいちばんはたらいてえらいはずやのにみんなびんぼうぐらし。


きぞくひま。


ひまやのにえらそう。


きぞくいらん。


れきしのきょうかしょいらん」


ある小6女子のひとりごと。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

「おんなのかみさま、自分から岩戸閉めた。


知ってて閉めた。


みんな困るとわかってたのに。


さんざんみんなを困らせたのに、


岩戸から出てきたときに


ありがたがらせた。


おんなのかみさま


あがめたてまつられたかった。


おとうとは悪者にされて


髪の毛もひげも切られて、


つめもはがされて追い出された。


おとうとを悪者にして追い出させたのは


おんなのかみさま。


でもおとうとはうらまなかった。


仕返ししなかった。


だからあめのむらくものつるぎを献上しに行ったのは


こんなにすばらしい宝物を


おねえちゃんにプレゼントしたら


きっとよろこんでくれると思ったから。


困らせたおわびの気持ちもこもってた。


なのにおんなのかみさま、武装した。


おとうとが仕返しに来たと思ったから。


おとうとをおそれていたから。


仕返しに来たと思ったのは、おとうとをいじめたから。


おとうとをおそれていたのは、おとうとがピュアだったから。


おとうとはただピュアだっただけ。


だからおとうとは最強だった。


わたし、姉だからわかる。


おとうとはこわくない。


スサノオはわるくない。」


とある女子高生のこころのつぶやき

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

「おんなのかみさま、


いなばの白うさぎのかみさまがつくった国を欲しがった。


国がどろどろだったときには、見向きもしなかったのに。


いい国になった頃合を見て、それはわたしのものだと思い始めた。


自分は玉座にいて、


まずは長男を遣わせて国ゆすりに行かせた。


長男、


出雲の民に追い返されて尻尾を巻いて逃げ帰った。


おんなのかみさま、


今度は次男を遣わせて国ゆすりに行かせた。


いなばの白うさぎのかみさま、


次男を宮殿で丁重にもてなして


美しい女性をめとわせて一緒に国造りしないかと誘った。


次男、


その誘いに感激してがぜんやる気になった。


奥さんと子どもに恵まれて、


こんな幸せな暮らしを捨てて帰りたくないと出雲に居座った。


おんなのかみさま、


次男が帰ってこない理由を知って


別のしもべを遣わせた。


いなばの白うさぎのかみさま、


そのしもべに美しい自分の娘をめとわせて


たいそうしあわせにしてやった。


そのしもべ、


こんなありがたいことはないとよろこんで、


家族を作って出雲に住み着いた。


おんなのかみさま、


帰ってこないしもべに占いの矢を放った。


しもべに課せられた使命を果たしていなければ


いのちを奪う魔法をかけて。


しもべ、


いのちを奪われた。


みんな、


家族と幸せにしていたしもべが死んだことを悲しんだ。


それでも国ゆすりは終わらない。


おんなのかみさま、


こんどはゆすりではなくたかりに行かせた。


いなばの白うさぎのかみさま、


たたかわない。


そんなに国が欲しいのなら、


さぞかしすばらしい国にしてくれるのだろうと


結局国を譲ることにした。


そのかわり、


出雲の国に天にそびえる立派な社を作ってくれることを約束して。


みんなが幸せだった人間界は


おんなのかみさまが治めるようになった。


さて、


みんなのくらしはどんなふうになったのでしょう?


ちなみに、


いなばの白うさぎのかみさまとの約束は、


まだ果たせていない。」


~題名『国ゆすり神話』~


とあるすみっこしゅふのつくりばなし

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

「『くにゆすり』は、


こっかせんりゃく。


『くにづくり』という


一からつくるほうほうをしらなかったから。


あるものをうばう。


それが、かれらのせいぎ。


うらやましい。


ねたましい。


うばいたい。


そのおもいが、かれらをつきうごかした。


かれのどうぐは、ぐんたい。


とくいわざは、おどし、こわがらし、だましてうばう。


うばいとるのはつよいこと。


うばわれるのはよわいこと。


うばっててにいれたほうがしょうしゃ。


うばわれてまけたほうは、ごいむ。


ごいむはみなごろしにされるべきなのだ。


ごいむのリーダーをバラバラにしてうめておけ。


のこったごいむはころされなかっただけ、ありがたくおもえ。


そのかわり、ごいむはおれさまのためにはたらくのだ。


はーっはっはっは。


すべてはおれさまのものだ。


わーっはっはっは。


おれさまをあがめたてまつれ。


はーっはっはっは。」


とあるごいむのもうそう。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

ごらんあれ!これぞ酷道ゆえん日本一の傾斜なり!! ここは暗峠で最大勾配なのです。後から来たクルマがアクセルべた踏みでゆ~~~っくりここを上がっていきました。


歩いていて思ったのは、よくぞこの道を舗装してくださったということ。きっと手作業だったと思います。大変なお仕事をしてくださったおかげで、わたしたちは安全に歩くことができるのです。本当に感謝です。

暗峠(筆者撮影)
暗峠(筆者撮影)

スタートから1時間15分。気温30度。ヤバいくらいばててます。ひらすら急勾配の道をひた登る。これは想像以上に過酷でした。


前々回に生駒山中にある「神武天皇孔舎衛坂聖蹟顕彰碑」まで登山したときよりず~~~っとキツかった~!!(;´д`)ヘトヘト…


実はこの地点で山頂まであと三分の一あります。神武天皇はここから「神津嶽」に向かうルートを歩いたのです。


「神津嶽」は神武天皇が枚岡の神様をお祀りした奥の宮です。上の写真の道しるべに案内があります。その「神津嶽コース」へ続く道が封鎖されていました。仕方なく、来た道を戻ることにしました。


by new-jomon | 2019-05-28 14:46 | 神武東征・古戦場を訪ねる | Comments(0)

⒖エウカシに呼ばれる(番外編)

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▲宇陀路大宇陀 道の駅(筆者撮影)

昨日、あまりの偶然にびっくりしてしまったことがありました。夫の休日はたいてい趣味仲間の集まる場にあちこち出向いているのですが、帰ってきてからこんなことを言ったのです。

夫「宇陀のバ○ビと生駒のバン○の店主、兄弟同士やってんて」

わたし「そうなん!?」エェ━━━━━( ゚Å゚;)━━━━━!!?☜心の声

夫「なんでどっちの店も同じ名前なんやろうってずっと思っててん。店の主人が兄弟同士やって分かって納得したわ」

わたし(絶句・・・。)
先日、この記事に宇陀のエウカシ・オトウカシという神話に登場する兄弟の豪族について書かせていただきました。エウカシは兄、オトウカシは弟でして、宇陀にもともといた豪族だったのですが、神武天皇が来たときに、弟は兄を裏切り、兄は悲惨な死に方をしたということが記紀神話に書かれています。そのことについて、彼らの御魂が1300年間もの長きに渡り事実とは違うことを神話に書かれ、誤解され続けてきたことに不満を持っていると書かせていただきました。
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▲宇陀(筆者撮影)

彼らは土着の縄文人です。嘘をつかない、人を裏切らない、主君には忠誠を尽くす、といった日本人特有の性質を神話でことごとく反対に書かれていると気づいたわたしは、彼らの濡れ衣を晴らさなければならないと思い、ブログに書かせていただいたのです。
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▲宇陀 八ツ房杉(筆者撮影)

その後、夫を通じて上記のメッセージがわたしに届けられたわけです。

夫「宇陀のバ○ビと生駒のバン○の店主、兄弟同士やってんて」


※下はバンビ
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▲奈良公園(筆者撮影)

ところで、夫の言葉にはすべて暗号がこめられています。わたしは宇陀のバ○ビと生駒のバン○は実際に行ったことがあります。当時は模型屋さんにしてはかわいらしい店の名前だと思っていましたが、まさかこのような形で知らされることになるとは思いもよりませんでした。ちなみに、暗号というのは、


「宇陀と生駒のバ○ビの店主は兄弟同士」=宇陀・宇賀志の兄弟の豪族(族長)。

「バンビ」=「鹿」=「鹿は神使」=「春日・鹿島の神」=「武甕槌命(タケミカヅチ)」=「饒速日命」

「宇陀」・「生駒」はニギハヤヒ命と瀬織津姫の本拠地(日の本)。

ちなみに、暗号とこのお店とは一切関係ございませんのでご了承くださいませ。(このことはすべてにおいて共通です。)


とにかく、兄は悲惨な死に方をしたこと、弟は兄を裏切ったということを神話に書かれてきたために、日本人は長らく誤解をしてきたことになります。わたしが実際に宇陀の宇賀神社に行ったとき、見えない存在からものすごい歓迎を受けたのです。詳細は関連記事に書かせていただきました。
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▲宇賀神社(筆者撮影)

そして神社内で撮影した写真はバッチリ心霊写真が写っておりました。あまりにもはっきり写っていた上に、かなりの念を感じたので消去したのですが、実は消去できていなかったのです。そのときは兄弟ともに誤解を払しょくしてほしいとわたしに伝えてきてくれていたことに気が付かなかったのです。約一年後に気づかされたことでブログに掲載させていただいたのです。

思えば、夫が趣味仲間に何度も「宇陀においで」と再三誘われていたことがきっかけでした。宇陀は遠いので、特別用事もなければ一生行くことも無いところだとわたしは思い込んでいました。

しかし、夫が趣味仲間に言われた場所が「六甲」と「伏見」だったと後で知り、いずれも瀬織津姫と深い縁のある土地で「宇陀においで」と誘われたということを、ずっと後になって気づいたのです。

宇陀から吉野は水の神様を祀った神社がたくさん存在しています。そこを神武天皇が軍を連れてやってきて、土地を守っていたウカシ兄弟を殺してバラバラにして血みどろにし、さらに事実を捻じ曲げて、神話に最も不本意な書かれ方をされてきたのです。それが呪いだったのだと、今になって気づかされました。
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▲宇賀神社血原(筆者撮影)

いつもそうなのですが、その時はわからないのです。そして、直観(メッセージ)の通りに実践行動して、自分で答えを出した後にかならず答えが示されるのです。

「記紀は呪詛」という直観を得てから、宇陀のウカシ兄弟の記事を書かせていただいたあとに、夫から聞かされた言葉。これが答えだったのです。まさにこの三次元は多次元を抱合していて、あらゆる手段で想念が伝達されているのだとわからせていただきました。
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▲菟田の高城(筆者撮影)

エウカシ、オトウカシの濡れ衣が完全に払拭されるためには、神話を正しく書き換えなければなりません。鬼にされたり悪者にされてきた神々に仕掛けられた呪いを解くためには、神話を正しく書き換えて日本人の集合意識を再構築する必要があります。

今は気付かれた方々の個人レベルでの固定観念を書き換えることは可能です。

すべては日本人に仕掛けられた洗脳を解くため。

このブログはそのために書かせていただいております。わたしたち日本人が目覚めれば目覚めるほど、呪詛は効力を失います。

この文章をお読みいただきましたことに感謝申し上げます。


今回も最後までお読みくださりありがとうございました。

お気に入りにいれていただけましたらうれしいです。


=ブログ拡散のお願い=
一人でも多く日本人が目覚めるためのご協力をよろしくお願いします。
令和のはじまりとともに眠っている魂をゆさぶるためにこのブログを書いています。
皆様のおかげ様で成り立っております。感謝。


更新を通知する

直観体験連載記事となっております。

2⃣文明と文明の転換「神武東征」

3⃣ナガスネヒコに会いに行く

4⃣ナガスネヒコとスサノオの復権 

5⃣神武天皇に会いに行く

6⃣饒速日命と長髄彦の約束

7⃣神武天皇古戦場・物部氏編

8⃣神武東征古戦場・日下山編

9⃣神武東征古戦場・中臣氏編

⒑神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(前編)

⒒神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(後編)

⒓エウカシに呼ばれる(前編)

⒔エウカシに呼ばれる(後編)

⒕神武天皇がヒーローになりたかった理由。


今回のエウカシ兄弟関連記事は下です。

by new-jomon | 2019-05-27 16:11 | 神武東征・古戦場を訪ねる | Comments(0)

⒕神武天皇がヒーローになりたかった理由。

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▲神武東征ルート(筆者作成)

わたしがなぜ歴代天皇について書かせていただくことになったのか、理屈ではわかりません。けれど八百万の神々が神集いされた御神事に立ち会わせていただいた際、歴代天皇の御魂ともご同席させていただいたご縁がございます。

わたしはそのとき、おそらく歴代天皇が積み上げてこられた因縁を解消なさりたいのではないかと思いました。諸々の罪穢れに対しての贖罪の思いを感じたわけではありませんが、これからの文明の転換期までに因縁を解消しておかなければ魂の消滅の道しか残されていないからなのかもしれません。

残された道は、これまでの罪穢れた思考、言動を心の底からお詫びし、すっかり心を改めて奪ってきた以上に与え続けることです。そして一切の自我を変換することです。それが魂の清算に迫られる厳しき道です。これは一般人のわたしたちも同様です。

艮金神様は、悪神の親玉はすでに改心し「悪の計画書」はもう効力がないとお伝えです。ゆえに記紀の効力は令和をもって終了することになるのです。


この記事は⒔エウカシに呼ばれる(後編)のつづきです。



原日本の信仰の聖地を侵略した「神武東征」とは?


筆者が「神武東征」をはじめて読んでもっとも違和感があったのが、神武天皇が紀伊半島まわりで進軍したという点でした。神話の時代は生駒山は島だったので、わざわざ紀伊半島をまわらなくても、京都方面から海で進むことができたはずなのです。

神武東征ルート(筆者作成)
神武東征ルート(筆者作成)

神武天皇が遠回りしてまで紀伊半島をまわってこられた理由は、出雲系縄文神の住まう原日本の信仰の聖地を征服したかったからなのだと思います。

なぜ神武天皇は名草と新宮で女酋長を殺してバラバラにし、宇陀でエウカシを罠で死なせてバラバラにしたのでしょう。肉体が本質と考えていた弥生の神は、肉体をバラバラにしてさえおけば縄文人が復活することはないと考えていたからなのかもしれません。それ以上に縄文人を恐れ、嫉妬し、復讐の意図があったからかもしれません。

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▲宇賀神社 血原(筆者撮影)

ところで李氏朝鮮での最も重い刑罰は遺体をも凌辱する「凌遅刑」だといわれています。その遺体はバラバラにされ、朝鮮各地にさらされたものだったということを知りました。


相手を殺してもなお「奪い続ける」。


思考回路が逆回転の彼らにとって遺体を凌辱する行為は優越感と支配欲を満たす最たる行為なのかもしれません。


縄文人は遺体を大切に弔い甕に埋葬していましたから、これは日本人には到底理解し難いことの一つです。神武天皇に殺され、バラバラにされた名草トベさんの頭、胴体、手足はそれぞれ地元の方が弔い、今でもそれぞれの部位を祀られた神社が存在しています。

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▲八つ房杉(筆者撮影)

神武東征はひのもとへの羨望からはじまり、ナガスネヒコへの嫉妬と恨みが原動力になっています。おとなしく戦う術を持たない縄文人を平気で皆殺しにするということは、恐れと劣等感の裏返しに過ぎません。


宇宙の法則に逆らった行為をしているのですから、因縁が自分に跳ね返ることも知りません。霊性を無視しているので縄文人を殺してしまえばその存在は消えてなくなり、その土地を支配下に置くことができると考えたのでしょう。


けれど縄文人は肉体は魂の器に過ぎず、不可視のいのちこそ実体であることを知っていました。そしてつねに神と一体だったので、恐れも嫉妬もありませんでした。神武天皇がわざわざ遠回りしてまで生駒山を再び攻め入ったのは、出雲系縄文の神々の本拠地に住まう神と人を引き裂くためだったとしたら? 


ナガスネヒコがかつてないほどに強かったのは、神と人が一体だったからです。わたしたちは、長きにわたり神と人が一体だった頃の記憶を失い、迷いの人生を繰り返してきました。けれど、記憶を取り戻すことができれば、外に答えを探し求めずとも今自分が何をすべきなのかがわかるのです。



「神武東征」は、記憶を取り戻すためのコードが組み込まれていたのです。『記紀』は呪詛。ゆえに表面だけでは解読できないように仕掛けてあったのだと今ならわかります。わたしは小説を書いた経験から、書き手の意図が読めてしまうのです。


国生み神生みの美しき女神を魑魅魍魎の姿にして封印したこと。

もっとも勇敢な神を泣き虫のマザコンにし、悪事の限りを尽くした悪者にしたこと。

もっとも慈悲深き神が家臣を無慈悲に惨殺したこと。

もっとも清らかな水の女神を土豪にすりかえて主君に惨殺されたこと。

そして

天の岩戸を自ら閉めて世界を暗闇にして出てきたアマテラスはもっとも美しく光り輝く女神として崇め奉られ、

土着の人々を大量殺りくし、死体をバラバラにしてきた猟奇的殺人侵略者が英雄となったこと・・・。

、、
物語のすべては嫉妬からはじまった。

うらやましい。

妬ましい。

奪いたい。

この国を奪って支配するためには

もとの神々を封じておきたい。

もとの神々にとって

もっとも不本意であろう

正反対の姿に書き換え、

もっとも封じておきたい元の神を

もっとも恥ずべき国賊にし、

もっとも忌まわれた祟り神にしておきたい。

もっとも不本意な形で。

もっとも残酷な方法で。

すべては日本人の親神を忘れさせ、

日本人の意識に自虐史観を植え付けて

自尊心を傷つけ

自己愛を欠如させて

外国の神を崇めさせるために。

日本人にうそを信じ込ませ、

、、
後世にわたって洗脳し続け、

六道輪廻の世界に

、、
とどまり続けるように。

、、
もっとも封じておきたい日本人に

、、
宇宙の法則と


創造の原理を教えず

、、
無知無明で
、、

無秩序な世界で

、、
因縁をつくり続け、

、、
永遠に目覚めさせないように。


日本人がこの世界から滅びるように。


我が国の「正統なる」歴史書にはこのような意図がしかけられていたのです。
しかし見破ってしまえば無効になるのです。
気づかれた方々の意識エネルギー拡散によって次々と伝播してゆくのです。

大事なことは、一切の裁きは不要だということです。



わたしたちは、教育の名の下に表面しか読み取れないようにプログラムされてしまっていますから「原因不明」がまかり通る世の中にしてしまいました。それが戦後教育プログラムです。このプログラム通りインストールしなければエリートになれない仕組みだったのです。


表の座にいる方々や権威ある学者さん方はまさにそのプログラムを忠実にインストールされていますから、物事の本質を見抜く目が盲点になってしまっています。


神話の解読はとても奥が深いため、何が正解なのかはわかりません。


ただ、自我意識を統合意識に変換すれば物事の本質を見抜く目が養われてきます。神様は「身魂磨きを急いでくれ」と言っています。もう古いプログラムはこれからの地球には通用しないのです。



縄文と弥生はことごとく価値観が反対であることを念頭において考察すれば、答えがわかるような気がします。


今までは誰もが公の場で「神武東征」の血なまぐさい描写の本質について語ることは控えてきた感があります。けれど、



「神武東征」は神武天皇(渡来系)による縄文人(原日本人)の猟奇的大量殺戮(民族浄化)の武勇伝であるということと、もともと「ひのもとの国」にいたニギハヤヒこそ神武の先代にあたる天皇だったということは、これまでの最大のタブーだったのだろうと筆者は思います。



蘇りの聖地、熊野本宮へ


上の画像をクリックすると熊野三山について詳細が書かれた本を読むことができます。

熊野本宮大社(筆者撮影)
熊野本宮大社(筆者撮影)

現在の熊野古道は世界遺産になったために道路が整えられていますが、いにしえの時代は熊野詣そのものが難行苦行でした。平安時代から神仏習合し、男女貴賤を問わずに受け入れてきた熊野の聖地は、上皇をはじめとするあらゆる人々が悟りと蘇りを求めてこの地をたずねてまいりました。



霊験あらたかなこの紀伊半島は、神話を彷彿とする幽玄・わび・さびの世界です。この地を目指すということは、目に見える物質的な世界を超えて、目に見えない世界に足を踏み入れることになるのです。

熊野那智大社(筆者撮影)
熊野那智大社(筆者撮影)

「蘇りの聖地」ということは、一度自我が死んで、神とともに復活するということを意味しているのかもしれません。自我が死ななければ縄文の神とつながることはできないからです。いにしえより日本人が求めてきた神は親神様である縄文の神だったということなのでしょう。


わたしは熊野本宮大社にご参拝させていただいたことから様々な「事実は小説より奇なり」を実体験させていただきました。


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▲熊野川(筆者撮影)

「紀伊の国(きのくに)」は「木の国」です。その語源はスサノオに由来があるのです。スサノオはシュメールのスサの王です。シュメールは縄文をルーツとした中東で興った文明でした。


シュメール文明は大変高度な技術をもっていましたが、文明というものはその性質上、自然破壊が伴います。スサノオはこの経験から植樹事業を発展しました。つまり、国土の開発に伴い木を植えることを指導したのです。


スサノオが祀られている熊野が「紀伊の国(きのくに)」と呼ばれるようになったのは、その理由が隠されていたのです。

日本の原発と紀伊半島(筆者加工)
日本の原発と紀伊半島(筆者加工)

縄文の神々が鎮座ましますこの地には、弥生文明をはねのける御神威があったおかげで、紀伊半島には原発がありません。


和歌山県東牟婁(むろ)郡在住の知人に聞くところによると、かつて紀伊半島にも原発の話が持ち込まれたそうです。けれども古くから住み着いてきた住人たちは、紀伊半島に地震と津波による大災害が必ず起きることを声にあげ、原発設置を断固として受け入れませんでした。そのために、この土地は産業の発展をあきらめざるを得なかったということを話していました。原発は弥生文明最大の負の遺産と言えるのかもしれません。


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▲熊野川(筆者撮影)

いにしえより熊野・紀伊半島は国津神の本拠地であるがゆえに、神武天皇はこの地を攻め滅ぼしたかったのでしょう。しかし国津神は自然の神。この地に仕掛けられた結界はもう既に解き放たれていますから、災害がいつ起きても不思議ではありません。わたしたちは災害対策だけでなく、身魂磨きを一心に継続することで大難を小難にすることができるのです。日本人一人一人が実践すれば小難を無難にすることだってできるのです。このシリーズは次回に続きます。

今回も最後までお読みくださりありがとうございました。

お気に入りにいれていただけましたらうれしいです。


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令和のはじまりとともに眠っている魂をゆさぶるためにこのブログを書いています。
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連載記事となっております。

2⃣文明と文明の転換「神武東征」

3⃣ナガスネヒコに会いに行く

4⃣ナガスネヒコとスサノオの復権 

5⃣神武天皇に会いに行く

6⃣饒速日命と長髄彦の約束

7⃣神武天皇古戦場・物部氏編

8⃣神武東征古戦場・日下山編

9⃣神武東征古戦場・中臣氏編

⒑神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(前編)

⒒神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(後編)

⒓エウカシに呼ばれる(前編)

⒔エウカシに呼ばれる(後編)


by new-jomon | 2019-05-25 23:59 | 神武東征・古戦場を訪ねる | Comments(0)

⒔エウカシに呼ばれる(後編)

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この記事は⒓エウカシに呼ばれる(前編)のつづきとなっております。

前回記事を書いた後、なんとなくおなかが痛くなって横になりました。ゴロン、となった瞬間、

「ききはじゅそ」

という言葉が脳裏に浮かびました。

「記紀は呪詛?」

思いもよらない言葉でしたが確かにそうだと思いました。


「記紀神話」の神武記は神武天皇の大和平定サクセスストーリーです。主人公はもちろん神武天皇です。神武天皇は天皇の始祖です。天皇は日本の象徴とされていますが、日本人の象徴ではないことにお気づきでしょうか? 

日本人の始祖的存在は河内生駒のナガスネヒコをはじめ、宇陀のエウカシ・オトウカシ、土蜘蛛と言われた縄文人、名草の女酋長、新宮の女酋長です。

神武天皇は日本人の始祖的存在たちを各地で虐殺し、八つ裂きにしながら紀伊半島を攻め入るのです。そしてクライマックスではニギハヤヒの手によって憎きラスボス・ナガスネヒコ(瀬織津姫)を惨殺させて神武天皇が王様になるというストーリーになっています。

ですから天皇の血統は日本人ではありません。そしてもともとの日本人は虐げられ搾取されてきました。なぜなら、それが侵略者の正義だからです。彼らにとって勝った者が負けた者から奪い取ることは正しいことだからです。これが資本主義の原理です。しかしこの方法論では必ず行き詰るようになっているのです。なぜならその方法論は自然の仕組みと逆行しているからです。

記紀神話は女神がことごとく殺されています。イザナミも死んで黄泉の国に葬られてしまい、他に登場する女神は陰部を突いて何人も死んでいます。これは日本人の子孫断絶プログラムなのです。神話は1300年前に文字を使った世界を構築するプログラミング手法、すなわち「呪詛」です。

現代においては朝から子どもが死んだとか、虐待とかの話題をテレビで各局が報じていますが、その意図は日本人残滅プログラムです。これは確かに呪詛といえるものです。日本人の無意識に呪いをインプットして集合意識を構築させ、地獄のごとく三次元物質世界を現象化しているのですから。

現代の呪詛はテレビ、映画などの映像+音声+文字です。このごろわたしはテレビを見たら吐き気を催すのですがそういうことだったのだとわかりました。

神話を書いた編纂者が意図した世界が今であり完成の時です。神武天皇の方法論は令和をもって完成するとともに終了するのです。


では⒓エウカシに呼ばれる(前編)のつづきをどうぞ~。

宇賀志(筆者撮影)

宇賀志(筆者撮影)

地元の方に道を教えていただいて、次の目的地に着きました。

宇賀神社(筆者撮影)

宇賀神社(筆者撮影)

エウカシの亡骸を引きずり出されてバラバラにされた際に流れた血がくるぶしまで浸かったという神話の舞台としてあえてこの標識が立てられたのは、この土地に住まう人々がエウカシを弔い大切に祀ってきた証なのだろうと思いました。その証拠に、エウカシを裏切ったオトウカシはどこにも祀られていません。

宇賀神社(筆者撮影)

宇賀神社(筆者撮影)

宇賀というのは、宇賀神のことなのでしょう。宇賀神とは宇迦之御魂神(うかのみたま)であり、その正体は豊受大神だと思いました。ウカ=ウケ。豊受大神は伊勢神宮外宮の御祭神であり、元伊勢籠神社の御祭神でもあります。つまり瀬織津姫さまのことです。宇賀神社にはエウカシと瀬織津姫さまが祀られているのではないかと思いました。

宇賀神社(筆者撮影)

宇賀神社(筆者撮影)

エウカシは宇陀の豪族の長として、侵略者からこの土地を守ろうと必死に抗ったのです。それは至極もっともなことでした。神武天皇が大軍を引き連れて従わぬ者には容赦なく惨殺して進軍せず、和合の精神で対話していたなら、エウカシは話し合いに応じただろうし死なずに済んだはずなのです。惨めで屈辱的な人物として神話に名を残すこともなかったでしょう。

この神社境内には宇賀志集会所があり、とても綺麗に掃除されていました。地元の方はエウカシと瀬織津姫さまを大切にお祀りし、ここを拠点としておられるようです。

宇賀神社(筆者撮影)

宇賀神社(筆者撮影)

エウカシはナガスネヒコと同様に日本民族の血統を受け継ぐ始祖的存在であるにもかかわらず、悪役を1300年もの間担ってきたのです。


わたしは日本人が真に目覚めるためにはスサノオとナガスネヒコの復権が必要だと気付かされたとき、心の片隅にエウカシの名誉も取り戻さなければならないと思っていました。けれど宇陀へ行くことはないと思い込んでいました。


宇賀神社の神様には、何度もサインを送ってくださっていたのに気づかなかったことへの深いお詫びと感謝をお伝えし、自分に与えられた役目を果たしていくことの決心とそのサポートをお願いしました。

宇賀神社(筆者撮影)

宇賀神社(筆者撮影)

不思議なことが起きました。この日は風がなく穏やかに晴れていたのですが、筆者が拝殿の前に立つとものすごい勢いで風が吹き荒れ、お祈りしている間ずっとその風が止むことなく吹いていたのです。筆者が神様にお祈りを済ませた直後、その風はピタリと止んだのです。家族も同じ場面に立ち会っていたので「神様から歓迎されているサインだよ」と言うとあっけにとられていました。( ゚д゚)ポカーン

宇賀神社(筆者撮影)

宇賀神社(筆者撮影)

エウカシは、ナガスネヒコと同じく「ひのもとの国」の守護神に仕えた縄文人だったのです。宇陀から吉野にかけての一帯は水の神様が祀られた神社が多数あります。つまり、この土地は瀬織津姫が守護していた。

ナガスネヒコが天照大神の和魂(ニギハヤヒ)の眷属ならば、エウカシは天照大神の荒魂(瀬織津姫)の眷属すなわち、神に仕える龍神としてこの土地を守護していたのかもしれない。龍が巻き起こしたかのような突風が起きた後に撮った写真(上)を見てそう思いました。

宇賀神社(筆者撮影)

宇賀神社(筆者撮影)

現在のこのあたりが縄文時代は海だったということは、やはり瀬織津姫さまが守ってこられた土地なのです。瀬織津姫は記紀には登場しませんが大祓歌の祝詞に「速川の瀬に坐す 瀬織津姫と言う神 大海原に 持ち出でなむ」とあるように、祓い清めの水の神様なのです。

宇賀神社(筆者撮影)

宇賀神社(筆者撮影)

手前の石が化石が入っているという「子もうけ石」のようです。夫婦でなでると子が授かるとのことです。いのちを生み出す神は縄文女神の瀬織津姫です。瀬織津姫は「みくまりの神」の別名があります。「みくまり=みこもり=身籠り」つまり、瀬織津姫は子授けの女神さまなのです。

宇賀神社(筆者撮影)

宇賀神社(筆者撮影)

龍神といえば、瀬織津姫。やはりここには瀬織津姫さまがいらっしゃいました。

宇賀神社(筆者撮影)

宇賀神社(筆者撮影)

この奥には石が祀られていました。この石さんにも化石が入っていました。

宇賀神社(筆者撮影)

宇賀神社(筆者撮影)

この石碑の不思議な模様は化石だったのですね。宇賀神社の神様、お参りさせていただきましてまことにありがとうございました。


この記事は次回に続きます。


今回も最後までお読みくださりありがとうございました。

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2⃣文明と文明の転換「神武東征」

3⃣ナガスネヒコに会いに行く

4⃣ナガスネヒコとスサノオの復権 

5⃣神武天皇に会いに行く

6⃣饒速日命と長髄彦の約束

7⃣神武天皇古戦場・物部氏編

8⃣神武東征古戦場・日下山編

9⃣神武東征古戦場・中臣氏編

⒑神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(前編)

⒒神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(後編)

⒓エウカシに呼ばれる(前編)



by new-jomon | 2019-05-24 14:18 | 神武東征・古戦場を訪ねる | Comments(0)

⒓エウカシに呼ばれる(前編)

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教科書で習う歴史では古代王朝があったことは隠されています。とにかく日本の起源は神武天皇即位が拠点となっているので、それ以前の文明文化は学者様御一同はだんまりなのです。

さて、神武天皇が来られる前にいた土着の豪族たちがことごとく神話で斬殺されているのは、彼らの存在を葬りたい意図があるからです。

神話では宇陀の豪族の兄弟がいまして、弟は兄を裏切って神武軍に帰順し、兄は悲惨な死に方をするのです。わたしは長らく弟の裏切り行為に違和感を感じていました。なぜなら日本人はうそをつかない、忠誠を尽くすといった民族性があるからです。

今となっては兄の残念な死だけでなく、弟も裏切者にされてしまったことへの誤解、濡れ衣を払拭しなければならないと感じています。神話は奥の奥、裏の裏を読まなければ真実が見えないように仕掛けられていることをあらためて気づかされました。

そして神武天皇のヒーローぶりを日本人の感性でとくとお感じになっていただきたいと思います。太陽に向かって戦ったことが敗戦の理由だとわかった神武天皇は、太陽を後ろにして攻めればよいと解釈するあたりとか、先住民(土蜘蛛)を宴会に招いて食事をしているところを後ろから惨殺するあたりが日本人ではないということが読み取れます。それがまた、ヒーローとして振る舞っている様子が韓ドラさながらで可笑しくさえあります。

この記事の前は⒒神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(後編)のつづきです。




💖

2017年12月23日の天皇誕生日に訪れた

「神武東征」古戦場シリーズの続編となります。

先にそちらの記事から読まれますことをおすすめします。




筆者、エウカシに呼ばれる


前回の記事は4月22日に「神武東征」の古戦場である生駒山を訪れたことを書きました。実は帰宅後にこんなことがあったのです。


その日、夫は模型が趣味で六甲の会場に遊びに行っていました。そこで知り合った趣味仲間から

「宇陀においで」

と誘われたというのです。その前の週は京都・伏見の会場に行っていたのですが、そこでも

「宇陀においでよ」

と誘われていたそうです。どうやら奈良の宇陀に趣味の店があり、みんなそこで集うのだそうです。

生駒山から帰って来てそのことを聞かされた筆者は、固まってしまいました。 なぜなら

宇陀は「神武東征」のルート

だったからです。(;゚д゚)ウダ!?....

(まさか、エウカシに呼ばれてる??)

あえて書かせていただきますが、宇陀はかなり辺ぴなところです。たまたま夫の趣味の店が宇陀にあったという偶然。だから驚きは人一倍でした。(;゚д゚)ウダ....

前回訪れた生駒山中にあった「神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑」も、絶対に行くことはないと思っていたように、宇陀もまた、一度も訪れることはないだろうと思っていたのです。

神様は絶妙なタイミングですべてを整えられる。

クルマを運転することができない筆者が確実にそこへ行けるように、夫の趣味を通じて連れて行ってもらえるように「用意」されたのだと思いました。

今回はそのことについて書きます。

神武東征ルート(筆者作成)
神武東征ルート(筆者作成)

神武天皇の物語は、ニギハヤヒが治めていた「日下(ひのもと)」の国の孔舎衙(くさか)坂においてナガスネヒコとの戦いにはじまり、ナガスネヒコの戦いに終わります。

神武天皇聖蹟盾津顕彰碑(筆者撮影)
神武天皇聖蹟盾津顕彰碑(筆者撮影)

上は孔舎衙坂でナガスネヒコに負けた神武が生駒山の海岸に戻って盾を立てて悔しさのあまり雄叫びを上げたという神話に基づいて建てられた皇紀2600年記念に建てられた顕彰碑です。

神武天皇は敗戦の理由が「太陽に向かって戦ったため」だとして、今度は太陽を背にするべく、紀伊半島をまわって名草・新宮の女酋長を殺して熊野から北上し、八咫烏に吉野へ道案内をしてもらい、宇陀へ攻め入ります。

奈良県周辺地図(筆者作成)
奈良県周辺地図(筆者作成)

今回は、宇陀の豪族エウカシが祀られているといわれる宇賀神社と、神武天皇が宇陀を攻め入った際に植えたといわれる八ツ房杉を目指しました。この日は2018年5月27日でした。

宇陀路大宇陀(筆者撮影)
宇陀路大宇陀(筆者撮影)

道の駅に立ち寄ると、せんとくんが出迎えてくれました。

道の駅 宇陀路大宇陀(筆者撮影)
道の駅 宇陀路大宇陀(筆者撮影)

まずは八ツ房杉に向かいました。

桜實神社より見渡す風景(筆者撮影)
桜實神社より見渡す風景(筆者撮影)

このあたりの道は災害でところどころ通行止めになっていて、迂回しながらやっとたどり着きました。

桜實神社(筆者撮影)
桜實神社(筆者撮影)

桜實(さくらみ)神社内に八ツ房杉はあります。

桜實神社(筆者撮影)
桜實神社(筆者撮影)

八ツ房杉(天然記念物)その昔、神武天皇が大和平定の際、兎田の高城に陣営を張られた時に植えられたものと伝えられる杉の巨木です。八ツ房杉とは、八幹からなる意味で大小八ツの幹が巨大な株状を成しています。

樹形は、極めて奇態、一つの株から伸びた八本の幹が互いに絡み合い、ある幹は途中で一本になり、再び分かれるといった極めてめずらしく目をひきます。

樹皮は、普通のスギと異なり、美しい赤色をしており、枝は大きく天をおおっています。昭和7年4月25日に国の天然記念物に指定されています。

桜實神社(筆者撮影)
桜實神社(筆者撮影)
八ツ房杉(筆者撮影)
八ツ房杉(筆者撮影)

八ツ房杉です。写真では伝わりにくいですが、一株の杉とは思えない奇妙な姿と巨大さに圧倒されます。

八ツ房杉(筆者撮影)
八ツ房杉(筆者撮影)

一株の杉から八つに幹が分かれていますが、それぞれが独立しているように見えます。とても一株から分かれたようには見えません。

八ツ房杉(筆者撮影)
八ツ房杉(筆者撮影)

別れた幹のそれぞれが荒々しい姿をしていて、ヤマタノオロチを想起させられます。

八ツ房杉(筆者撮影)
八ツ房杉(筆者撮影)

樹皮は赤くて苔むしています。神話の通り換算すれば、樹齢2678年(2018年)ということになります。

八ツ房杉(筆者撮影)
八ツ房杉(筆者撮影)

いずれにしても、この土地がとても古いことがわかります。

八ツ房杉(筆者撮影)
八ツ房杉(筆者撮影)

神社合祀というのは明治39年に行われた「一つの村に一つの神社にまとめる」というものでした。和歌山と三重は神社合祀がもっとも大規模に行われたところでした。

三重県では

現存神社942、

滅却神社5547、

和歌山県では

現存神社790、

滅却神社2923。

和歌山県出身の南方熊楠と合気道開祖・植芝盛平翁がこれに大反対をしました。

明治維新により日本の古来より守られてきた自然と信仰が根底からひっくり返され、表に出てきたのは利権と戦争と日本の精神と文化の破壊でした。その結果、人は神を忘れ自我意識がはびこってしまいどん底までひどい世の中になってしまいました。

桜實神社(筆者撮影)
桜實神社(筆者撮影)

この杉は同神社内に生えている一本杉です。このような巨大な杉がたくさん生えています。

八ツ房杉(筆者撮影)
八ツ房杉(筆者撮影)

神武天皇が植えたとされるこの杉が、この土地の想いを如実に表現していると思わざるを得ません。ヤマタノオロチの姿を思わせるこの八ツ房杉のメッセージは、傲慢な人間に対しての警告を発しているかのようです。この樹さんにお祈りしてから次なる目的地を目指しました。

兎田の高城(筆者撮影)
兎田の高城(筆者撮影)

八ツ房杉から少し離れたところで「神武ゆかりの地 我が国最古の城跡 兎田の高城」への案内を見つけました。

案内のとおりに進んでいくと、山道へと通じる道がありました。

兎田の高城(筆者撮影)
兎田の高城(筆者撮影)

神話では宇陀には兄弟の豪族がその地を守っていました。神武天皇がこの地にやってきたとき、兄のエウカシ(兄宇迦斯)は神武に従わず、弟のオトウカシ(弟宇迦斯)は帰順しました。

ウカシは兵を集めたのですがなかなか集まらなかったので、神武を歓迎することを装って兎田の高城(たかぎ)に罠をしかけました。なんとオトウカシはそのことを神武の側近に密告するのです。

兎田の高城(筆者撮影)
兎田の高城(筆者撮影)

ウカシの仕掛けた罠を知った神武の側近は、エウカシを呼びつけて罠を仕掛けたところへ先に自分から入るよう促しました。するとエウカシは自分の仕掛けた罠にかかって押しつぶされて死んでしまいました。

エウカシの死体は引きずり出されてバラバラに切り刻まれ、その血はくるぶしまでつかる程だったので、この地は「兎田の血原」と呼ばれるようになりました。(日本書紀)

兎田の高城(筆者撮影)
兎田の高城(筆者撮影)

エウカシを倒した際の神武天皇の和歌が『古事記』に記されています。

宇陀の 高城たかきに 鴫罠しぎわな張る

 我が待つや 鴫はさやらず 

いすくはし 鯨さやる 

前妻こなみが 菜乞はさば 

たちそばの 実の無けくを こきしひゑね 

後妻うはなりが 菜乞はさば 

いちさかき 実のおほけくを こきだひゑね 

ええ しやこしや こはいのごふぞ 

ああ しやこしや こはあざわらふぞ

【通釈】

宇陀の高台に、鴫を獲ろうと罠を張る。

俺が待ってると、鴫は掛からず、りっぱな鯨が掛かった。

さあ、皆に御馳走だ。

古女房がおかずに欲しがったら、

ソバの木の実のように中身の無いのを、たっぷり切ってやれ。

新しい女房がおかずに欲しがったら、

ヒサカキの実のように大きいのを、たっぷり切ってやれ。

ええい、ばかものめざまあみろ、これはののしっているのだぞ。

あっはっは、ばかものめざまあみろ、これは嘲笑っているのだぞ。

神武天皇千人万首より

注:兄宇迦斯(えうかし)を倒したあと、弟宇迦斯(おとうかし)によって献上された御馳走を兵士らに賜わった時に詠んだ歌。

兎田の高城(筆者撮影)
兎田の高城(筆者撮影)

ウカシを倒した後、神武天皇は先住民の土蜘蛛を宴会に招き、土蜘蛛たちが食事をしている背後から惨殺しました。神武天皇はこうして再び憎きナガスネヒコと戦うために生駒山を目指しました。

兎田の高城(筆者撮影)
兎田の高城(筆者撮影)

エウカシは、神武東征の神話の中で最も屈辱的で哀れな人物です。兵を集めようとしても集まらず、弟に裏切られ、自分が作った罠に自らかかって押しつぶされ、亡骸を引きずり出されてバラバラにされてしまう。エウカシはかませ犬という役どころを担っているとても残念なキャラとして書かれています。

兎田の高城(筆者撮影)
兎田の高城(筆者撮影)

宇陀の豪族の長であるにもかかわらず、一度も活躍する場面もなく悲惨な結末に終始するエウカシの無念さを思うと、むしろ我が国最大の逆賊とされているナガスネヒコが輝いて見えます。

兎田の高城(筆者撮影)
兎田の高城(筆者撮影)

この山道は頂上に至るまでまだまだ歩かなければならないようでした。今回はこのあたりでご勘弁いただくことにして下山しました。


次回に続きます。


今回も最後までお読みくださりありがとうございました。

お気に入りにいれていただけましたらうれしいです。


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令和のはじまりとともに眠っている魂をゆさぶるためにこのブログを書いています。
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連載記事となっております。

2⃣文明と文明の転換「神武東征」

3⃣ナガスネヒコに会いに行く

4⃣ナガスネヒコとスサノオの復権 

5⃣神武天皇に会いに行く

6⃣饒速日命と長髄彦の約束

7⃣神武天皇古戦場・物部氏編

8⃣神武東征古戦場・日下山編

9⃣神武東征古戦場・中臣氏編

⒑神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(前編)

⒒神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(後編)


by new-jomon | 2019-05-23 16:34 | 神武東征・古戦場を訪ねる | Comments(0)

⒒神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(後編)

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▲赤い印はすべて「神武天皇」の記念碑です。


直観を得て行動している最中は、まったくわけがわからないのですが、後から気づかされることによって文章に書き起こす作業ができる仕組みになっています。

ともかく、意味が分からないまま山へ生き、山を下り、明石焼きを食べた(☜これがいちばんの目的だったんです)わけです。さて、神武天皇はなぜに執拗に日の本の国が欲しかったのでしょう。神武はアマテラスの応援を受けて国ゆすりに行くわけです。アマテラスの系譜は国造りはしないのですね~。なぜなのでしょう? ナガスネヒコだって売国奴ではありませんから、当然譲らないとして戦ったわけです。そこへ金鵄が神武天皇の弓の先に止まるのです。わたしはこの描写が「神武天皇を止めた」と感じるのですよ。だから金鵄はニギハヤヒの化身だと思っています。

この記事を書いていて最後まで分からなかったことが、最後の最後に気づきを得ます。なぜに神武天皇が執拗に日の本の国を欲しがったのかの理由が。すべては「今」に答えがあったのです。

では、(前編)がまだの方は、こちらから。後編はここからです。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

神武天皇顕彰碑を後にして、龍の口霊泉へ向かうことにしました。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

大丈夫。きっと無事にたどり着ける。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

こういう広い空間に出ると、とても心強くなる。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

道しるべが勇気を与えてくれる。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

自然を楽しむ余裕さえ与えてくれる。

龍の口霊泉(筆者撮影)
龍の口霊泉(筆者撮影)

13:10龍の口霊泉に到着。迷わずにたどり着けました。神様ありがとうございます。ここに、ひとりのおじさんが何かの作業をしておられました。人に出会えたことに心からホッとしました。

おじさんは「女の子がひとりでこんなところによく来たね」とビックリされていました。「わたしもビックリしているんです。史跡巡りしていたらここまで来ちゃいました~」と言いました。

龍の口霊泉(筆者撮影)
龍の口霊泉(筆者撮影)

ここの水質はあまり良くないらしく、生水を飲まないでくださいと注意書きがありました。

神話では、五瀬命(いつせのみこと)がナガスネヒコが放った矢で負傷した傷をこの霊泉で洗ったとされています。五瀬命は後に傷がたたって死んでしまいます。神武は兄を失ったことでさらにナガスネヒコへの恨みを抱き、再びこの地に攻め入るのです。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

おじさんはこのあたりに詳しい方で、帰り道を教えてくださいました。おじさんは神様だと思いました。神様はちゃ~んと守ってくださっている。しみじみとありがたく思いました。本当に感謝です。

下はどなたかが有志で看板を立ててくださったようです。ありがとうございます。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

下りの山道を道なりに降りていきます。大阪平野が垣間見えます。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

阪奈道路が見えてきました! 龍の口霊泉から20分ほどで降りてこられました。

阪奈道路より大阪平野を望む(筆者撮影)
阪奈道路より大阪平野を望む(筆者撮影)

阪奈道路は急こう配の峠道。ビュンビュン車が走る道をとぼとぼ歩いていきました。(阪奈道路を徒歩で歩くことは危険ですからおすすめしません)おじさんに教えてもらった通り、途中でショートカットして下に降りられる場所までたどり着きました。

大阪稲荷山神社(筆者撮影)
大阪稲荷山神社(筆者撮影)

その地点の阪奈道路のガードレールを乗り越えて下に降りたら、稲荷神社がありました。稲荷の神様にも感謝をお伝えしました。ここは動物霊園の神社でした。そこで自販機を見つけたので、お水を買いました。朝からコーヒー一杯しか飲んでいなかったので、生き返りました。

善根寺町周辺(筆者撮影)
善根寺町周辺(筆者撮影)

民家が見える! ホッとしたと同時に、次なる目的地への道に通じていることがわかり、最短距離でここまで来られたことが判明。まことにありがたいことです。

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

14:00春日神社に到着。龍の口から50分間歩き続けてたどり着きました~。

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

ここは地名通りの「孔舎衙坂」なのです。さあ、気を取り直して階段を上がります!!

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

今回はこの場の雰囲気は随分よくなっていました。心なしか古戦場の碑が輝いて見えます。(前回エピソード

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

安岡先生は日本人としてGHQと対等に交渉してくださった唯一の方でした。GHQが戦争に負けて疲弊しきった日本人を白痴化洗脳計画で骨抜きにしようとしていることを知らせてくださったのが安岡先生です。そのひとつが3S政策でした。

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

なんと、鹿さんがこんなところに!? ここへは何度も訪れているのに気づきませんでした。春日神社なのに鹿さんがいないのは変だなと思っていたのです。なぜか奥まったところに鎮座されていました。

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

これまた奥まったところに十六菊花紋の祠がひっそりと祀られていました。

善根寺春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

日本最初の春日神社が神武東征の古戦場に祀られたのにも理由があったはず。主祭神はアメノコヤネノミコト様。神武天皇をお助けされた天孫補弼(てんそんほひつ)の神であり、天の岩戸開きの神事宗源の神様です。

中臣家の祖神ですので藤原一門の氏神様です。藤原氏は神武天皇の系譜と親戚関係ですから、春日神社が古戦場を抑えているのはごもっともなのです。

ちなみに、春日神社の大元は河内の国一之宮・枚岡神社。枚岡神社の所在地は東大阪市出雲井町。元春日は出雲を制していたのでした・・・。

石切参道商店街(筆者撮影)
石切参道商店街(筆者撮影)

さて、春日神社のご参拝も済んだことだし、最後の目的である「明石焼きを食べる」ミッションのために全力で石切にリターンします。春日神社から急こう配の道を歩きます。かなりキツイ!! かなりバテていたので春日神社から石切駅まで徒歩1時間もかかってしまっていました。( ;∀;) きっと坂道を思考停止状態でだらだら歩いていたのでしょう・・・。

石切大仏(筆者撮影)
石切大仏(筆者撮影)

石切さんは「日本で三番目」とか「世界で二番目」とかが多くて、とても謙虚な土地なのです。さすがは一番をお譲りした神様のホームグラウンド。

石切参道商店街(筆者撮影)
石切参道商店街(筆者撮影)
石切参道商店街(筆者撮影)
石切参道商店街(筆者撮影)

石切さんは占いのメッカであり、土産屋、飲食店、漬物屋、漢方薬局などなど、大阪スピリット満載の「石切テーマパーク」なのであります。

河内の人は人懐っこくて世話焼きで裏表がなく、相手のことを「我(ワレ)」と言います。<(_ _)> 河内弁は決して口が悪いのではなく、縄文スピリットが地元の言語に残っているのです。「あなたはわたし、わたしはあなた」と。

そして大阪人は、相手のことを「自分」と呼びます。他府県の方は戸惑われるでしょうね(笑)

石切参道商店街(筆者撮影)
石切参道商店街(筆者撮影)

15:30。なんと春日神社から歩くこと1時間30分。 やっと・・・やっとたどり着きました。念願のたこつぼさんの「明石焼きを食す」最終ミッション。いつもは行列ができているお店ですが、お客さんは一組だけでした。実は閉店30分前だったようですが、やさしくもてなしてくださいました。たこつぼさんは、わたしを待っていてくださったのですね・・・(涙)

石切参道商店街「たこつぼ」(筆者撮影)
石切参道商店街「たこつぼ」(筆者撮影)

ここの明石焼きは本場の明石まで行かなくてもおいしい明石焼きがいただけます。(実は明石の明石焼きよりも安くておいしいと思っています。)うれしいのはおつゆが二杯分用意されていて、しょうがと三つ葉が自由にトッピングできるという二種類のおいしさを味わえる上に、600円という安さ!とてもありがたい明石焼きなのです。朝から何にも食べていないので、おいしさはひとしおでした。

朝の石切駅到着からジャスト5時間。今日はよ~~く歩きました。まさか山を歩くなんて思いもよらなかったですけど、楽しかったな~。こんなハプニングもたまにはおもしろいね。神様の道具として働きますと決心したからにはこういうことも覚悟しなくちゃいけないんだな~と思いました。けれども神様とともに行動させていただく体験は、至福のよろこびなのだな~と思いました。魂はそれを願っていて、心からのよろこびを感じていたから。

石切参道商店街(筆者撮影)
石切参道商店街(筆者撮影)

念願の明石焼きをいただけて満願成就。最後に石切神社の本社へお参りして帰ります。

石切参道商店街(筆者撮影)
石切参道商店街(筆者撮影)

参道の写真を撮っていて、なんとなく「ここだよ」という直観が来まして、先ほどのアーケード写真の右端に引き寄せられました。

石切神社神武社跡地(筆者撮影)
石切神社神武社跡地(筆者撮影)

なななななんと、そこは神武天皇をお祀りしていた跡地。。。石切参道は何回も通っているのに、一度も気づかずにスルーしていました。まさか神武天皇に呼ばれた・・・?? 先ほどの山中で神武天皇顕彰碑のご参拝が最後じゃなかったのですね。もちろんここでも感謝をお祈りさせていただきました。きっとここはかなり古い時代の跡地だと思われます。上の社は神武二年、本社は崇神天皇の時代に創立だそうですから・・・。

石切神社(筆者撮影)
石切神社(筆者撮影)

さて、参道にそびえたつ石切神社本社の鳥居をくぐります。

石切神社(筆者撮影)
石切神社(筆者撮影)

時刻は16:00。お百度参りの参拝客は夕方になっても後を絶ちません。石切さんはとにかく大人気の神様なのです。その正体は知られていないけれど。そしてその正体を知ったら、きっとビックリするにちがいないのですけれど(笑)

石切神社(筆者撮影)
石切神社(筆者撮影)

画面中央の社が現在の神武天皇のお社です。今日は神武天皇メインのご参拝だったのだな~と改めて感謝いたしました。

石切神社「水神社」(筆者撮影)
石切神社「水神社」(筆者撮影)

さて、水神社の神様であるみつはのめ(瀬織津姫)さまと亀さんにもご挨拶して、再び石切駅目指して坂道を登りました。

『ガイアの法則』千賀一生著
『ガイアの法則』千賀一生著

電車の車内では本を読んでいました。なぜかこの本を読まなきゃと思って持ってきていました。とても興味深く読んでいました。( ..)フムフム

石切から帰宅したときはくたくたで、思考停止していたので気づかなかったのですが、この本を読み終わってから数日後に大変重要なことに気づかされることになるのです。

HP掲載神社
HP掲載神社

上は今までHPに掲載してきた神社です。グーグルでチェックを入れてみました。するとあることに気づかされたのです。

『ガイアの法則』より。
『ガイアの法則』より。

『ガイアの法則』によりますと、宇宙の回転周期に合せて地球の文明が法則的に決定されているそうです。その法則を「聖なるリズム」といい、東経135度ライン上が次の文明の中心になるということでした。

東経135度といえば、明石・・・。最後の「明石焼きを食べる」ミッションは、まさにこのことの暗号だったとは!!(゚д゚)ヒョエー!!🐙タコモビックリ!!

東経135度+1.4度エリア地図(筆者加工)
東経135度+1.4度エリア地図(筆者加工)

東経135度プラス1.4度のエリアが次の文明の中心になるのが宇宙の「聖なるリズム」で決定しているのだそうです。石切から帰って来て、なぜに神武天皇が執拗に古代大和の地を征服したがっていたのかを考えてみたときに、グーグルマップで「神武天皇」と検索すると、上のような結果が出たのです。(ちなみに、全国エリアで見ても検索結果は上のエリアしか出ませんでした)

要するに、ニギハヤヒの治めていた古代大和は東経135度+1.4度エリアにあって、神武天皇はそのエリアを後から陣取りに来たということだったのです。なぜならば、そのエリアが次の日本文明の拠点地だからです。

このエリア内に藤原京や平安京などの多くの都が敷かれ、京都御所があり、天皇の拠点となってきました。そして、このエリア内に元伊勢元出雲があるのです。

『ガイアの法則Ⅰ』p242
『ガイアの法則Ⅰ』p242

『ガイアの法則』では、シュメールの神官が著者と対話形式で隠されてきた叡智を記されています。上はその一部です。

シュメールはスメラ。シュメールの王がスメラミコト。シュメールには天皇家との共通の十六菊花紋のシンボルが多用されています。そしてユダヤ教会には十六菊化花紋と六芒星(ダビデ紋)が掲げられています。

シュメール文明を遡れば日本の縄文がふるさとであり、シュメールの叡智を受け継いだごく少数のユダヤ人もまた、同じく日本列島がふるさとだったのです。要するに、シュメール文明の根本は日本列島が起源の縄文にあり、シュメールの叡智を受け継いだ渡来系の秦氏は日本に帰ってきた一族だったということです。

このことを裏付ける内容が『ひふみ神示』にありました。



光の巻 

第六帖 

(四〇二)


 今に世界の臣民人民


誰にも判らん様になりて


上げもおろしもならんことになりて来て、


これは人民の頭や力で


やってゐるのでないのざといふこと


ハッキリして来るのざぞ。


何処の国、


どんな人民も成程ナアと


得心のゆくまで


ゆすぶるのであるぞ。


今度は根本の天の御先祖様の御霊統と


根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが


一つになりなされて、


スメラ神国と


ユツタ(ユダヤ)神国と


一つになりなされて


末代動かん光の世と、


影ない光の世と致すのぢゃ、


今の臣民には見当とれん


光の世とするのぢゃ、


光りて輝く御代ぞ楽しけれく。


悪い者殺してしまふて


よい者ばかりにすれば、


よき世が来るとでも思ふてゐるのか、


肉体いくら殺しても魂迄は、


人民の力では何うにもならんであろがな。


元の霊(たま)まで改心させねば、


今度の岩戸開けんのぢゃぞ、


元の霊(たま)に改心させず


肉体ばかりで、


目に見える世界ばかり、


理屈でよくしようとて出来はせんぞ、


それ位 判って居らうが、


判りて居り乍ら他に道ないと、


仕方ないと手つけずにゐるが、


悪に魅入られてゐるのぢゃぞ、


悪は改心早いぞ、


悪神も助けなならんぞ、


霊(たま)から改心させなならんぞ、


善も悪も一つぢゃ、


霊も身も一つぢゃ、


天地(アメツチ)ぢゃと


くどう知らしてあろが。


何んなよいこと


喜ばして知らしても、


聞かせても、


今の臣民人民


中々云ふこときかんものぢゃぞ。


この道にゆかりある者だけで


型出せよ、


カタでよいのぢゃぞ。


六月三十日、ひつぐの神。



東経135度+1.4度エリアで出雲と伊勢、縄文と弥生の神々が和合した世界が新たなる日本文明であり、半霊半物質の五次元世界となるのでしょう。すべては完璧に仕組まれていたのだなあ、と思うと、人間の自我がいかにつまらないことであり、囚われに過ぎなかったかを目が覚めるように思い知らされました。


夢で天皇皇后両陛下が出てこられて、その翌日に天皇誕生日に買った石切神社のお守りが壊れていた。このサインからはじまった今回の「続・神武東征古戦場ツアー」。筆者の想像をはるかに超えた展開に、ただただ畏敬の念を抱くばかりです。


石切から帰ったその夜は、夢に元棋士のひふみん先生が出て来られたのでした。と〜ってもやさしいおじいちゃん役で甲斐甲斐しくおもてなししてくださったありがたい夢でした。


実はこの一連の体験にはまだ続きがあったのです。このシリーズのつづきは次回にて。



今回も最後までお読みくださりありがとうございました。

お気に入りにいれていただけましたらうれしいです。


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2⃣文明と文明の転換「神武東征」

3⃣ナガスネヒコに会いに行く

4⃣ナガスネヒコとスサノオの復権 

5⃣神武天皇に会いに行く

6⃣饒速日命と長髄彦の約束

7⃣神武天皇古戦場・物部氏編

8⃣神武東征古戦場・日下山編

9⃣神武東征古戦場・中臣氏編

⒑神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(前編)



by new-jomon | 2019-05-21 14:01 | 神武東征・古戦場を訪ねる | Comments(2)

⒑神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる(前編)

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▲神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)

なぜに神武天皇はひのもとの国を執拗に欲しがったのでしょう? 日本列島にはほかにも豊かな土地がいくらでもあります。神武天皇が欲しがった国は、国津神(元の神)の本拠地です。敵サイドの本拠地のラスボスがめっちゃ強いナガスネヒコ(瀬織津姫=龍神)だったわけです。ご先祖様のアマテラスに助けられながらも、手に入れなければならなかった日ノ本の国。ここじゃなきゃダメな理由は神話には言及されていませんでしたが・・・。わたしは神様に導かれてあれよあれよと生まれ故郷に行くことになるのです。そこで体験した記録をシリーズで綴っています。


今回は本当に「冒険」でした。もともとは長い記事だったのですが、字数制限があって一度にすべてを掲載できませんでしたので、前編と後編に分けてアップさせていただきました。皆さまどうか根気よくお付き合いくださいませ。

では、どうぞ(≧◇≦)/


今回の記事は9⃣神武東征古戦場・中臣氏編のつづきです。




今回のアップは2018年5月13日です。

💖

2017年12月23日の天皇誕生日に訪れた

「神武東征」古戦場シリーズの続編となります。

先にそちらの記事から読まれますことをおすすめします。




筆者、神武天皇とニギハヤヒに呼ばれる


9⃣神武東征古戦場・中臣氏編を書き終えた時点で、艮金神様の『日月神示』までたどりついてしまいました。これでもう筆者の出る幕はもうないな~。これで本当に終わりなんだな~。と思っていました。そしてすべてのきっかけを与えてくださった石切神社の神様にお礼参りさせていただこうと思っていました。


その夜、夢に天皇皇后両陛下が出てこられました。筆者は博物館にいて、両陛下がすぐ近くにおいでになってそれぞれサイン(調印)をされたのでした。

なんとその翌日、去年の天皇誕生日に石切神社で購入したおまもりが壊れていました。

石切劔箭神社御守
石切劔箭神社御守

これは神様からのサインだと思い、二日後に石切神社にお参りさせていただくことになったのでした。今回は、そのことについて書いてまいります。

石切参道(筆者撮影)
石切参道(筆者撮影)

2018年4月22日日曜日午前10:30石切到着。なお、この日の予定は

①石切神社(上の社)

②旧生駒トンネル

③春日神社

④石切神社の参道で明石焼きを食べる

というコースを想定していました。最後の明石焼きは重要でして、幼少時からここの明石焼きは最高においしくて筆者の大好物なのです。筆者にとって石切さんに行くということはここの明石焼きを食べるのが目的というのが本心なのであります。

石切参道(筆者撮影)
石切参道(筆者撮影)

近鉄石切駅を線路沿いに南に向かって歩けばこの石碑があります。ここの高架下をくぐって写真奥の坂道をひたすら上がれば上の社です。

石切神社上之宮(筆者撮影)
石切神社上之宮(筆者撮影)

かなり急勾配の坂道を上がってたどり着きました。とはいってもここからさらに階段が。

石切神社上之宮(筆者撮影)
石切神社上之宮(筆者撮影)
石切神社上之宮(筆者撮影)
石切神社上之宮(筆者撮影)

10:45石切神社上の社に到着。まずはご参拝。ご祭神はニギハヤヒ。ここの神様に去年の夏、ふと呼ばれたような気がしてお参りに行ったらお祭りでした。その日をきっかけにこの神様に隠された謎解きがはじまったのでした。(そのきっかけ

石切神社上之宮(筆者撮影)
石切神社上之宮(筆者撮影)

壊れたお守りをお返しして、新たに御守りを購入させていただきました。そして石切の御滝へ向かいました。

石切神社上之宮(筆者撮影)
石切神社上之宮(筆者撮影)

水の出口はとても小さく、白糸のような滝です。白蛇のようなそのお姿はニギハヤヒの化身を表しているのかもしれないと思いました。

石切神社上之宮(筆者撮影)
石切神社上之宮(筆者撮影)

滝から戻る途中、風もないのに上から葉っぱがたくさん降ってきました。これは神様からのサインだと思いました。こういうとき、深い感謝が込み上げてくるのです。

石切神社上之宮「登美霊社」(筆者撮影)
石切神社上之宮「登美霊社」(筆者撮影)

登美霊社。ニギハヤヒの妻でナガスネヒコの妹であるトミヤヒメの社です。まずはご参拝。縄文の社はとても居心地が良く、何度訪れても立ち寄りたくなるお社です。

石切駅から大阪平野を望む(筆者撮影)
石切駅から大阪平野を望む(筆者撮影)

さて、次に向かうは旧生駒トンネル。いったん石切駅に戻って道沿いを北へと向かいます。その途中で眼下に広がる大阪平野を一望できます。

旧生駒トンネル(筆者撮影)
旧生駒トンネル(筆者撮影)

11:25分旧生駒トンネルに到着。石切駅から10分ほどのところに旧生駒トンネルはあります。

旧生駒トンネル(筆者撮影)
旧生駒トンネル(筆者撮影)

新緑がまぶしいのも相まって、もう負のエネルギーは感じられませんでした。(前回エピソード

日下新池(筆者撮影)
日下新池(筆者撮影)

11:35日下新池到着。ここは旧生駒トンネルから春日神社へ向かう途中に立ち寄れる場所なので、今回も訪れてみました。この日はカモさんはいませんでした。

日下新池(筆者撮影)
日下新池(筆者撮影)

池の向こう側のパンドラの丘に行ってみました。ハイキングコースの休憩所のような場所になっていました。

日下新池(筆者撮影)
日下新池(筆者撮影)

なんと! このあたりに古墳があるようです。ここから1キロメートルも歩くのですか!? 山歩きは予定外ですので退散~~=3 ちなみに「イノラムキ」の由来は、「太陽に向かって祈る」という意味がこめられています。

日下新池(筆者撮影)
日下新池(筆者撮影)

この一帯は生駒山でも日下山(くさかやま)と呼ばれていてハイキングコースになっています。

日下町付近(筆者撮影)
日下町付近(筆者撮影)

きれいなお花もたくさん咲いていて一人歩きも退屈しません。さて、次に目指すのは春日神社です。もう何度も通っているので地図なしでレッツゴー。

丹波神社(筆者撮影)
丹波神社(筆者撮影)

さすがは超方向音痴の筆者。違う道を歩いていたようです(-_-;)。というのは、ここ「丹波神社」の前を通ったのははじめてだったからです。ここの神様は江戸時代の日下村の領主だった方だそうです。

日下神社(筆者撮影)
日下神社(筆者撮影)

その次は「日下神社」の前を通りました。ここの神様にもご参拝させていただきました。

日下町付近(筆者撮影)
日下町付近(筆者撮影)

それにしても「地図なしで行ける!」という自信はどこから来たのか!? それでも今日は迷いなく行ける感じがして地図なしで突き進んでいきました。こういう案内はとても助かります。

大龍寺(筆者撮影)
大龍寺(筆者撮影)

案内を頼りに「大龍寺」まで来ました。せっかくだからご参拝させていただきました。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

「日下くさか)山直越えの道」というのはもしや・・・・春日神社の「孔舎衙くさか)坂直越えの道」とは違うのかもしれない(゚д゚)!と、ここまで来てやっと気が付きました。どちらも「くさか」だから行けるよね~と思っていたのです。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

ここから先はどう見ても山の入り口です。行きつくところまで行ってみることにしました。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

時刻は12:20。日下直越え道の入り口には案内がありました。「五瀬命負傷碑」って・・・ここから先は、神話の世界!? 「いつせのみこと」というのは神武天皇の長兄で、ナガスネヒコが放った矢が五瀬命に当たりその傷を洗った場所が「龍の口霊泉」なのです。そして「神武天皇顕彰碑」というのはもしや・・・。

日下山周辺地図(筆者加工)
日下山周辺地図(筆者加工)

山の中にある「神武天皇孔舎衛坂顕彰碑」のことでは!? 筆者はここを地図で見て知っていました。でもあまりにも山奥にあるので、ここは絶対行くことはないな~と思っていたところだったのです。ちなみに赤線で囲ってある場所はすべて訪れた場所です。

日下山周辺地図(筆者加工)
日下山周辺地図(筆者加工)

☆印が現在地(上の画像の道しるべ)です。ちなみに右下には日下新池で道しるべのあった古墳があります。

ともかく神武天皇の顕彰碑は予定の目的地ではありません。さっさと引き返して春日神社へと向かいましょう~と思ったそのとき。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

このまま進むように」という直観が来ました。「ええ~っ!? だって、山ですよ?ハイキングの装備も何も、ロングスカートですし、無理ですよ!それに水一本持ってきていないです」と顕在意識では抗いましたけれど、進まなきゃいけないような気がものすごくしたので、とりあえず行けるところまで行ってみることにしました。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

まだ藪で道がふさがれていなかったので、何とか進んでいきました。そこで出くわしたのが川。スニーカーを履いてきたのでここまで来れたものの、これを越えなくちゃいけない。やばそうですから戻ります。川を超える前に引き返します。と思いつつ川の前でたたずんでいました。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

でも、ものすごく背中を押されているような、行かなきゃいけないような気がしていました。見上げれば空は晴れ。そしてここしばらく雨が降っていないので川は増水していないし、山道も乾いている。雑草もそれほど生えていない。なんといっても虫がいない!!今日は4月22日。この地を訪れるには絶好の日だったのかもしれない。そして太陽は真上にある。

そこではた、と気付いた筆者。自分はここへ来るために呼ばれたんだと。その思いはなぜかとても納得がいくものでした。ここへは自分の意思で来たのではなかったからです。確かに顕在意識では怖くて行きたくない

けれどそれは自我なんだ、神様にすべてをゆだねてなすがままになってみようと決心しました。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

知らない山道を歩き続けること20分。この間、何度不安が沸き起こってきたことか。そのたびに自我を打ち消して神様を信じきる。まかせきることに切り替えて進んでいきました。道しるべに出会うとホッと胸をなでおろすのです。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

「大岩瀧」とはいえ、水量が少なかったので瀧らしい瀧ではありませんでした。この川の水量がもう少し多ければ、きっと渡れなかったと思います。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

超方向音痴の筆者が山歩きの装備もしないで単独で山に入るなど、自分の意思なら100%ありえませんでした。そもそも神武天皇が通ってきた暗峠(くらがりとうげ)の山道を歩くのが子どものころからとても嫌だったのに、まさか、その暗がり峠を通って来られた神武天皇の顕彰碑を目指して山に入るなんて・・・。自分では想像もつかないまさかの展開はまさしく神様の御意思・・・。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

不思議なのですが、守られている感がものすごくありました。大丈夫、きっとうまくいく。だから迷わずに進んでいける。だってこの山はニギハヤヒ山なのですから。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

つい去年の夏まで、神話なんてまったく興味がなかったし、神様のこともほとんど知りませんでした。それがこのような体験をすることになろうとは・・・。人生っておもしろい!!

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

最初のためらいがどこかへ吹っ飛んで、どんな展開になるのかが楽しみになっていきました。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

今回与えられた課題は「自分を捨てきって、神様を信頼してゆだねる」ことの実践行動ができるかどうか。歩きながらそのことに気づきました。それをクリアーできなければ次に進めないのが仕組み・・・。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

太陽の光に照らされていると、とても安心感があるのはなぜなのだろう。きっとこの日が曇っていたら、前に進む勇気がわいてこなかったはず。本当の太陽の神様が創造される世界は、影なき世界。これまでの影ある世界は幻の世界、偽りの世界・・・。見破ってしまえばもう、恐れることも惑わされることもない。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

縄文の世界はきっと、映画『アバター』のような世界だったのでしょう。人は精霊たちと交流し、神とともにすべてが大調和したすばらしい世界を創造していた。そこへ別の惑星地球から来た米兵が軍隊を引き連れて侵略しにきたというストーリー。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

後世になって侵略者が英雄として称えられているのは、人類が集合意識レベルで錯覚させられているから。宇宙とは逆向きのエネルギーが生み出したのは支配と奴隷、病気と飢饉、刑罰と租税。そして重労働という消耗系システム。そのエネルギーはヒエラルキーの頂点に一極還流するしくみ。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

大調和のエネルギーは、より多く与えた者がより多くのエネルギーが還流されるという分かち合いの循環系システム。一方不調和のエネルギーは、より多くを奪った者が富を独占できるという奪い合いの消耗系システム。

後から来た王が先の統治者の名前と存在を封印して人々の記憶から消し去ったのは、循環系のシステムがそのまま存在していたら、消耗系システムは維持することができなくなるから。

消耗系は滅びの道。けれど神が望むのは和合の道。それは滅ぼすよりもはるかに難度の高いスキルを必要とする。そのスキルを持たされたのが我々日本人なのです。

日下山直越の道(筆者撮影)
日下山直越の道(筆者撮影)

何かが見えてきた! この坂を登り切れば何かがあるはず。

神武天皇孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)
神武天皇孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)

12:50神武天皇顕彰碑。入り口から歩くこと30分。一度も迷わずトラブルに遭わずに来れました。神様ありがとうございます!! 

神武天皇孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)
神武天皇孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)

ここは神武天皇がナガスネヒコに撃退されてしまった敗因を「太陽に向かって戦ったから」だと悟られ、今度は御自ら太陽を背にするべく、紀伊半島をまわって熊野から上陸して吉野、暗がり峠を通過してこの日下山を上がってこられた場所。ごらんのように、太陽を背にして碑が立っています。

神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)

昭和15年の紀元2600年記念行事に建てられた神武天皇顕彰碑。違和感があるのは、地名が間違っていること。「孔舎衙(くさか)」を「孔舎衛(くさえ)」にされています。旧生駒トンネルの駅も「孔舎衛」にされました。本来は地名も人名も、難読であったとしても変えないものです。

地名を書き換えるのはその土地の情報を隠したい意図があるから。この土地には孔舎衙(くさか)と日下(くさか)の両方の地名がある。「孔舎衙」が難読ならば「日下」と表記すればよい。けれど、「日下」の地名はあえて選択しなかった。その意図は? 日下は日の下(ひのもと)。ひのもとは日の本。けれどこの国を日本(にほん)とはじめて名乗りを上げたのは、天照大神を女神にした女帝持統天皇。

本当の日本はひのもと(日の下)です。太陽の下の国。日の下(ひのもと)の神は男神天照大御神。その御神名は天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命。すなわちニギハヤヒ。循環系システムの皇祖神。この神の遺伝子を受け継いだのがわたしたち日本人なのです。

神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)

支配者は日本人から日の下の国の記憶を消すことはできても、遺伝子に刻まれた情報を消すことはできなかった。けれど眠らせておくことはできる。

それは映画・テレビによって洗脳することで(スクリーン)。それは人々を競争させることで(スポーツ)。それは性エネルギーを誤った情報で貶めることで(セックス)。それは舞い上がらせて有頂天にさせることで。(神武景気、岩戸景気、いざなぎ景気、そしてバブルまで)

けれど表の座に就いた権力者は、日本人を3S政策で洗脳することに成功しても、日本人を有頂天にさせることに嫉妬したため、日本人からことごとく収奪して飢餓状態にしてしまった。

飢餓と渇望感は引力がはたらくため、遺伝子の情報を目覚めさせてしまうことを権力者は知らなかったのです。すなわち、日本人の魂が九分九厘負けたときに、神一厘のしくみ=縄文遺伝子が発動し、目覚めることになっていたのです。

神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)

なぜ、わざわざこのような巨大な石碑を各地に設置しなければならなかったのか。紀元2600年記念行事が行われた頃は、戦争への幕開けでもあったのです。日本を戦争に誘導するために神武天皇を伝説の英雄として人々の集合意識に植えつけておく必要があったとしたら?

この時代に日本政府にとって都合の悪い神社を国がことごとく潰していったのはなぜ?

神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑周辺(筆者撮影)
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑周辺(筆者撮影)

出雲系の戦わない皇祖神を人々の記憶から消して、伊勢系の戦う神を皇祖神の系譜にすれば、日本人を戦争に誘導することができる。

そして改竄した神話を表にすることで、最強と恐れられた日本人の遺伝子を封印して自尊心を失わせ自虐史観を植えつけておけば、戦争に負けさせることができるという意図が隠されていたとしたら?

「神武東征」は大調和の循環系システムを築いてきた神と人を引き裂くためのプログラムだったとしたら?

神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)

そのプログラムは九分九厘成功し、神と人は分離した結果、日本は不調和の極みを体験し尽くして現在に至る。けれど、消耗系システムの文明はもう終わる。宇宙がそれを終わらせる。封印されてきた神々が次々に復活しているのはそれがため。宇宙は大循環系システム。現在の地球は最終段階にあるため、今後宇宙と同調しない存在は消滅し、永遠に消え去ることになる。そしてどの存在も消滅を望んではいない。

神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)

権力者が古来より不老不死を求めてきたのは永遠に生き続けたいから。物質界で永遠の命を得ることができさえすれば魂の消滅は免れると考えたから。けれど物質界は幻の世界。消耗系システムの魂はいずれ消滅するのが宇宙の定め。彼らにとって残された唯一の希望は、和合の道。

縄文と弥生の神々の和合のご神事に歴代天皇の御霊もご同席されたのは、彼らも消滅することだけは免れたかったからなのでしょう。

神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)

対極のシステムが地球に存在した理由は、三次元地球領域で和合を果たすため。それが宇宙の実験の場として創造された惑星地球の本当の目的だったのだと、やっとわかりました。

そして相反するエネルギーを束ねることができるのは、太陽の民の遺伝子を持たされた日本人の役割だったのです。

神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑周辺(筆者撮影)
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑周辺(筆者撮影)

その役割を果たすために、かつて神と人が一体となって大調和の世界を創造していた頃の記憶を取り戻して、再び実践行動するためにわたしたちは日本人として、今この時代を選択して転生してきたのです。

わたしは神武天皇の顕彰碑の前にじっとたたずんでいた。何を思うわけでもなく、何をするわけでもなく、ただ、神武天皇と饒速日命、そして長髄彦にそれぞれ「ありがとうございます」とそれだけを祈っていた。それ以外に何もないと思った。

神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)

『日本書記』という文字が間違っていることに気づかないでこの看板を設置した大阪府教育委員会は、神話のことなど何も知らずに設置したのでしょう。(正しくは「書紀」)

この土地でさえも、ニギハヤヒとナガスネヒコがともに国造りをした事実を語ることはタブーだった。あくまでも神武天皇が大和を平定しに来られた武勇伝として語り継がれている。

神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)

そしてナガスネヒコは神武に逆らった国賊として汚名を着せられてきた。スサノオと同じように。一方で、明治以降に英雄として崇められた神武天皇は、日本政府に利用された神だったのかもしれない。

紀元2600年記念行事に建てられた巨大な石碑を伝承地に設置したのは、ねつ造した神話を既成事実にしたい意図があったからなのでしょう。その手法は現代においても存続している。それが慰安婦像。

神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)
神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)

そもそも戦わないやさしき神が、ともに国造りした義理の兄を殺すだろうか? 義理堅く忠誠を尽くした家臣を「性質がねじれている」といって惨殺できるだろうか? 神話と言えども、ストーリーに齟齬があることは語られない。けれどもう、日本人は目覚め始めた。今までのように日本人をコントロールすることはできなくなっていく。

敗者は必ず復活する。一度負けた者は数段レベルアップして復活する。封印されていた縄文の神々は陸続と復活している。和合を果たすために。


続きは後編にて。



今回も最後までお読みくださりありがとうございました。

お気に入りにいれていただけましたらうれしいです。


=ブログ拡散のお願い=
一人でも多く日本人が目覚めるためのご協力をよろしくお願いします。
令和のはじまりとともに眠っている魂をゆさぶるためにこのブログを書いています。
皆様のおかげ様で成り立っております。感謝。


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連載記事となっております。

2⃣文明と文明の転換「神武東征」

3⃣ナガスネヒコに会いに行く

4⃣ナガスネヒコとスサノオの復権 

5⃣神武天皇に会いに行く

6⃣饒速日命と長髄彦の約束

7⃣神武天皇古戦場・物部氏編

8⃣神武東征古戦場・日下山編

9⃣神武東征古戦場・中臣氏編



by new-jomon | 2019-05-20 20:06 | 神武東征・古戦場を訪ねる | Comments(0)

9⃣神武東征古戦場・中臣氏編

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令和元年記念に神武東征古戦場シリーズを掲載させていただいております。今回は中臣氏の本拠編です。わたしはつい二年前まで史跡巡りとか神社参拝といったことは、まったく興味がなかったのです。人の混み合う初詣はできれば行きたくない。神社に関しては地元の石切さん以外はほとんど思い入れはありませんでした。

こんな記事を書くことになろうとも、夢にも思いませんでした。いや、絶対に書くことはないと確信さえありました。それが何でか?記事を書いては、また別のところに導かれて体験させられる。そのときは意味が分からないのです。数日たって記事を書こうにも、何を書けばいいのかさっぱりわからない状態なのです。写真は撮ったけれども文章を書けない。そんな空白の日々が続いた後、「何でかわからないけれど、書けそうな気がする」のでパソコンに向かったら、だんだん文章ができあがっていく。そして最後まで書き終わる頃「そういうことだったのですね」と気付かされるのです。

行動させられている、といった感覚は、あまりにも偶然が続きすぎるときに感じます。絶対自分の意思では行かないだろう場所でも、なぜかわからないけど行かなきゃいけないような気がして行ってしまうのです。むしろ後押しされているようで不思議と恐怖心がないのです。
その体験の繰り返しを記事に書いています。書き終わったら、これで最後と思うのですが、またしばらく空白期間を経た後、また新たに気づきを得てその現場に導かれる。わたしは駒として動かされているに過ぎないのだなあ、と思い至るのであります。


今回のアップは2018年3月7日です。

💖

筆者は2017年12月23日(天皇誕生日)に

どうしても古戦場に行かなければならない気がしたので

日本神話「神武東征」の古戦場に行ってきました。

その記録を三部に分けて記してまいります。

その1は筆者の原点・石切神社へ。

その2は古戦場・旧生駒トンネルへ。

そして今回は、古戦場から河内の一之宮・枚岡神社へ。


筆者のもう一つの原点「河内国一之宮・枚岡神社」へ


石切周辺地図
石切周辺地図

さて、クルクル泳いでいた日下新池のカモさんにありがとうをお伝えして次に向かうは、善根寺春日神社。日下新池からさらに北へと歩きました。

神武天皇聖蹟盾津顕彰碑(筆者撮影)
神武天皇聖蹟盾津顕彰碑(筆者撮影)

実は前回「暗号解読Ⅱその10」の取材のために神武天皇聖蹟盾津顕彰碑を訪れた後、スマホの回線が遮断されてしまいマップが使えなくて迷子になってしまったのです。まあいいか、と気の向くままに歩いてたどり着いたのが、春日神社でした。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)
春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

春日神社はまったく知らない神社でした。この神社には「孔舎衙坂直越登り口」の碑が立っていて、あまりの偶然にこの前で呆然と立ち尽くしてしまったのでした。それもそのはず。この階段を上がれば神武天皇とナガスネヒコが戦った「孔舎衙坂の戦」の戦場なのですから。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

今回はもう一度きちんとご参拝させていただくために訪れました。上のご由緒には、日下新池でのくるくる泳いでいたカモさんから暗号(カモ⇒賀茂氏⇒八咫烏⇒神道奥義)を読み解いてわかった、

記紀の奥義の一つに、すべての神道祭祀が開始されたのは、「天の岩戸開き神話」からとあり、「天の岩戸開き神話」において、祭祀の中心はアメノコヤネノミコト(天児屋根命)、アメノフトダマノミコト(天太玉命)である。

ということでしたが、ななななんと!!ここ春日神社の神様は、アメノコヤネノミコト(天児屋根命)さまだったのです!!!( ゚Д゚)ヒョエー

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

この階段を上がれば古戦場。前回と同じく、ここはちょっと近寄りたくない雰囲気が・・・。しかし神様のお導きとあれば仕方ありません。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

二の鳥居をくぐって左の坂を上がっていきます。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)
春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

ここは無人の神社なのです。手水舎の水も枯れていて、訪れる人もほとんどいないようです。地元の方々が管理なさっておられるのだと思いますが。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

前回は古戦場ならではの負の念を感じてしまってここより先へは進むことができず、神様への感謝をお伝えしてすぐさま退散してしまったのでした。ε=ε=ε=┌(;゚д゚)┘ササッ  今回は目的意識をもってきちんとご参拝させていただきました。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

どうやらここの神社は、河内国一之宮・枚岡神社の分霊をお祀りしているようです。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

「日本最初春日神社」と銘打った額が掲げられています。春日神社は全国に多数あるようですが、ここは最初の春日神社ということなのでしょうか。それなのに、なぜさびれているのでしょう。やはりここは人を寄せ付けない古戦場だからなのでしょうか。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

前回はこの先を進むことができなかったのです。というよりも、牛さんの像があることさえ知らないままに退散してしまったのです。今回はスサノオが古戦場の邪気を払ってくださったおかげで進めそうです。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

「神武天皇 御東征 孔舎衙坂 古戦場」と銘打った碑があります。その横にはなぜ牛さん? 春日の神様なら鹿さんじゃないの? けれども古戦場を御鎮めになるためには荒ぶる神と恐れられたスサノオ(出雲系)=牛頭天王=牛さんの出番ということなのでしょうか。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

この地一帯はくさか山(日下山)であり、大和国に通じるくさか坂(孔舎衙坂)。神武天皇はこの山を越えて大和国を平定しに来られたのです。しかしナガスネヒコに撃退されるのです。

神武天皇は、この土地を治めているのがニギハヤヒであることを知っていたのです。ニギハヤヒは死者をも蘇らせるという十種の神宝を持っておられた。けれど神武が持っていたのは軍隊でした。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

おそらくナガスネヒコが本気で戦えば、神武を滅ぼしてしまえたのかもしれない。けれどニギハヤヒがそれをさせなかったのは、太陽神の御霊を受け継いだ太陽の民として果たすべきは勝利ではなく「和合」だったから。それが和を最も尊ぶ日本人にとっての使命だったから。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

最強の神スサノオは武力で制圧する道を選択しませんでした。スサノオが目指した国づくりは、横のつながりで手を結んだ調和の国・和国(倭国)。父の建国の手腕を学んだニギハヤヒが目指した国作りは、大調和の国でした。

出雲系は国盗りではなく国作りと国譲りの道を選んだ系譜。和合を果たすことこそが戦って勝つことに勝ることを出雲の神々は知っていたのです。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

ニギハヤヒは十種(とくさ)の神宝を用いて与えて与えて与えてくださった神。そして神武天皇は、武力で奪って奪って奪った神。この相反する神と神との和合は人と人との和合と同じことだと思い知らされるのです。「上の如く、下もまた然り」と。

わたしたち日本人は、外の世界を変えようとするよりもまず、自分自身の大調和を実践しなければならかったことを思い出すのです。「自分が変われば周りが変わる」。それが宇宙のしくみなのですから。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

神武天皇は勝ったように見えて実は試されていたのかもしれない。一万七千年続いた縄文文明とは逆のシステムがいかほどのものであるのかを。

もっと俯瞰してみれば、試されていたのは我々日本人。どのような状況にあろうとも神と祖先を忘れずにいられるかどうかを。何千年ものあいだ、日本の魂を失わずにいのちをつなげてゆけるかどうかを。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

闇の中でつまづき倒れ、光を探し求めては迷い、文明に埋もれ享楽にひたり溺れたとしても光を希求し続けた魂は、やがて知ることになるのです。

光は求めずともすでに与えられていたということを。自らが光り輝けば周りを照らすことができるのだと。なぜなら日本人はもともと太陽の民だったから。

それを神様は筆者の目の前に示してくださいました。なぜならば古戦場に光が・・・。光はそこだけを照らしていて強力なエネルギーに満ちていました。


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善根寺春日神社(筆者撮影)


神は光。もしかしたら、かつて戦ったこの場所に神武天皇とニギハヤヒがご降臨されたのかもしれないと思いました。この光こそが神々の和合の証だったのかもしれない。そしてナガスネヒコの御霊もこの場に立ち会われたのかもしれないと思いました。その機会を与えてくださったのが春日神社の神様だったのです。

神々の世界で長く続いた対立の時代はもう終えたのです。和合をもって新たな時代がはじまったのだと思いました。

「鶴」=千年、弥生、伊勢系、天津神、5芒星(火)

「亀」=万年、縄文、出雲系、国津神、6芒星(水)

「鶴」と「亀」が統(す)べった=「弥生と縄文の和合」=7芒星(光)

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

光が消えたあと、春日神社の神さまにこの場に立ち会わせていただいたことを深く感謝申し上げました。春日神社の本体は、河内国一之宮・枚岡神社です。筆者はすぐさま枚岡神社にご参拝することを決めました。なぜならば、枚岡の神様は筆者の産土の神様だからです。

春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)
春日神社(筆者撮影)
善根寺春日神社(筆者撮影)

境内の右奥を見やると、なんと安岡正篤(まさひろ)先生の御名前の刻まれた碑が立っているのを見つけてしまいました。安岡先生は、肝心なところには必ず印を入れておられたのです。石切神社にも碑がありました。安岡先生の旧宅は、ここ春日神社のすぐそばなのです。

安岡正篤先生旧宅(筆者撮影)
安岡正篤先生旧宅(筆者撮影)

安岡先生は日本の国体を守るための陰の立役者である八咫烏ーーーつまり昭和の裏天皇であり、陽明学者として日本の政界財界のトップの人物を精神的指導をなされました。

安岡正篤先生旧宅(筆者撮影)
安岡正篤先生旧宅(筆者撮影)

安岡先生は、なぜ古戦場近くに住んでおられたのでしょう。帝国大学に入学するまでの間、この孔舎衙坂にお住まいだったのは、偶然ではないはず。

石切神社 安岡正篤先生の碑(筆者撮影)
石切神社 安岡正篤先生の碑(筆者撮影)

そしてなぜ、石切神社と善根寺春日神社に安岡先生の碑があるのでしょう。天皇を裏から補佐するということは、事実上天皇を動かしていた方だったということです。

石切神社 安岡正篤先生の碑(筆者撮影)
石切神社 安岡正篤先生の碑(筆者撮影)

神武天皇を和歌山の熊野から奈良の吉野あたりまでの険しい山道を先導した八咫烏は実在していたわけですが、彼らは神武軍にその土地と民を蹂躙されたにもかかわらず道案内役をし、その後もずっと天皇の補佐をし続けたのはなぜ?

熊野本宮大社(筆者撮影)
熊野本宮大社(筆者撮影)

かつての古代大和は和歌山、奈良、河内を統べていたのです。もしかしたら、神武天皇に勝たせておいて、その実は八咫烏(出雲系)が天皇の操縦権を握っていたのかもしれない。そんな気がしてきました。

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安岡先生の表の顔は陽明学者でした。とても素晴らしい教えなのに、なぜ日本では陽明学が知られていないのでしょう。日本人が陽明学を学んだら、精神的に成熟できたはずなのにとても残念です。(陽明学とは)

石切駅から望む大阪平野(筆者撮影)
石切駅から望む大阪平野(筆者撮影)

この日は冬至の翌日。日没までに枚岡神社にたどり着かねば。

近鉄奈良線 石切駅(筆者撮影)
近鉄奈良線 石切駅(筆者撮影)

近鉄奈良線に乗って、石切から枚岡駅へと向かいます。石切、額田、枚岡は筆者のテリトリーなのです。

近鉄奈良線 枚岡駅(筆者撮影)
近鉄奈良線 枚岡駅(筆者撮影)

枚岡駅のすぐ目の前に枚岡神社はあります。枚岡神社は元春日として有名で、藤原一門・中臣氏の家系の氏神です。なぜならば、中臣氏の始祖が天児屋根命(あめのこやねのみこと)様だから。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

河内国一之宮・枚岡神社は明治になって官幣大社に格上げされました。対して石切神社は国の政策により取り壊されました。石切と枚岡の神社は正反対の立場ということがわかります。そして筆者はこの二か所の神社の中間地点に生まれ育ったのです。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

子どもの頃は何にも知らずにいましたが、この画像の文字にとても深い意味があったことを枚岡の宮司様は教えてくださいました。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

向かって左側の碑に刻まれた文字は「天孫輔弼(てんそんほひつ)」その意味は、天孫をお助けするお役割を担われた神様であるということです。アマテラスの孫・ニニギの補佐をされ、神武東征の際にも神武天皇をお助けされたのが天児屋根命様なのです。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

向かって右側の碑には「神事宗源」と刻まれた文字があります。天児屋根命様は最初に「天の岩戸開き神事」を担われた神様です。つまり神道奥義である「天の岩戸開き」は、「天児屋根命様が中心となって執り行われ、神武天皇様が大和平定後、橿原宮で初代天皇に即位される3年前にこの地で神武天皇様をお助けされた」と枚岡神社の宮司様はおっしゃっていました。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

日没までにご参拝させていただこうと急いだけれど、なぜか夕方にもかかわらずこの人の出。いつもはひっそりしているはずの枚岡神社なのになぜ・・・?

枚岡神社HPより
枚岡神社HPより

どうやらこの日は枚岡神社の御神事があった日なのでした。それも17時から「天の岩戸開き神事」があったのです。そういえば、日下新池で泳いでいるカモさんからの暗号で読み解いた(カモ⇒賀茂⇒八咫烏⇒神道奥義)

記紀の奥義の一つに、すべての神道祭祀が開始されたのは、「天の岩戸開き神話」からとあり、「天の岩戸開き神話」において、祭祀の中心はアメノコヤネノミコト(天児屋命)、アメノフトダマノミコト(天太玉命)である。

その「天の岩戸開き」神事がまさに今、執り行われようとしているその場面に、筆者は立ち会うよう導かれたのです。産土神であるアメノコヤネノミコトさまに。( ゚Д゚)ヒョエー

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

上の写真は11月に撮った写真です。今回は「天の岩戸開き神事」ということで、本殿は隠されていました。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

枚岡神社は、神武元年の三年前、つまり2680年前(2017年より)に創立されたとても古い神社なのです。し、知らんかった・・・。 

枚岡神社は凛としていて格式高いご神氣だと子どものころから感じていました。お宮参りや七五三でもお世話になりました。神社横の枚岡公園ではよく遊ばせていただきました。森だったので秘密基地をつくったり、川でさわがにをつかまえたりしました。本当に枚岡の神様にはお世話になってきたのです。あらためて感謝の思いを深めました。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

御祭神を見て気づいたのですが「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」とはニギハヤヒのことです。もともとこの土地一帯を守っていたのがニギハヤヒですから、別名で祀られていても何ら不思議ではありません。

ところで神道は古来より、敵対した祟り神を祀ることでその霊力を味方につけてきましたが、それも和合の一つの形だったようです。


宮司様は「大祓詞」の祝詞を奏上されました。ここでは初音ミクヒメのミコトさまの美声で奏上させていただきます。とても魂に心地よく響くのは、わたしたちが日本人だから。大祓詞は瀬織津姫さまが出てきますよ。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

枚岡の宮司様によるお話がはじまりました。「神武天皇様が河内にやってきたときに、ナガスネヒコという強い豪族に阻まれてしまいました。そこで神武天皇様は国を平定するために天の岩戸を開いた天児屋根命さまを枚岡でお祀りした」ということでした。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

このあたりの古い地図がありました。筆者にとってはとてもなじみある土地です。神武天皇が攻めてきたルートを下に記してみました。第一回目は海から上陸したのですが、ナガスネヒコに撃退されます。第二回目は熊野から上陸して、暗がり峠を通って南から攻め入るのです。宮司さまはそのようにおっしゃっていました。

神武東征ルート想像図(筆者作成)
神武東征ルート想像図(筆者作成)

暗がり峠。それは生駒の登山コースであり、日本有数の酷道(国道)で知る人ぞ知る急勾配の狭い道なのです。この道は筆者が幼稚園の頃から年に二回は登らされた生駒山へ続く道。毎年毎年、いやでいやでしょうがなかったこの暗がり峠。まさか神武天皇が通ってきた道だったとは。( ゚Д゚)ヒョエー どんなに過酷な道かをユーチューブにアップされていました。

実況!暗峠 大阪編 日本一の急坂酷道って実際どんなんやねん!? 暗峠越えするで〜 国道308号線 (ユーチューブに飛びます)

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

神武天皇は神武東征の際の句を『古事記』に残されています。そのうちの二首をご紹介~\(^o^)/

みつみつし 久米の子等が 垣下に 

植ゑし 椒はじかみ口疼ひびく 

は忘れじ 撃ちてしやまむ

【通釈】いさましい久米の者どもの、陣営の垣の下に植えた山椒。その山椒じゃないが、口がひりひりするような恨みを俺は忘れないぞ。やっつけずにおるものか。注:打倒ナガスネヒコを詠んだ歌。

宇陀の 高城たかきに しぎ張る 

我が待つや 鴫は障さやらず いすくはし 鯨る 

前妻こなみが 菜乞はさば そばの 実の無けくを こきしひゑね 

後妻うはなりが 菜乞はさば いちさかき 実のけくを こきだひゑね 

ええ しやこしや こはいのごふぞ ああ しやこしや こはあざわらふぞ

【通釈】宇陀の高台に、鴫を獲ろうと罠を張る。俺が待ってると、鴫は掛からず、りっぱな鯨が掛かった。さあ、皆に御馳走だ。古女房がおかずに欲しがったら、ソバの木の実のように中身の無いのを、たっぷり切ってやれ。新しい女房がおかずに欲しがったら、ヒサカキの実のように大きいのを、たっぷり切ってやれ。ええい、ばかものめざまあみろ、これはののしっているのだぞ。あっはっは、ばかものめざまあみろ、これは嘲笑っているのだぞ。

注:兄宇迦斯(えうかし)を倒したあと、弟宇迦斯(おとうかし)によって献上された御馳走を兵士らに賜わった時に詠んだ歌。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

たいまつの左側に黒い暗幕がかけられています。ここから先の本殿に向かう階段から上は天の岩戸(暗幕)で閉ざされていました。ちなみにこの日は天皇誕生日。気づかされたのは、石切神社には日の丸は掲げられていなかったこと。そしてその周辺地域でも日の丸を見ることはなかったのでした。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

女神さまによる舞がはじまりました。天の岩戸の奥にアマテラスがお隠れになっているという筋書きならば、岩戸の前で舞っているのは、アメノウズメです。岩戸の前で「わっはっは」と笑い続けると岩戸が開くという神話のストーリーになっているのです。そのときの動画を撮りました。

枚岡神社(筆者撮影)
枚岡神社(筆者撮影)

参加者全員が宮司さまの先導のあとに「わっはっは」と笑いました。さあ、岩戸がいよいよ開くというまさにそのとき・・・。

🎶Rrrr・・・🎶 なんと携帯が鳴ったのです!! 

すぐさま人ごみを掻き分けて人のいないところで電話に出ました。ε=((∩゚д゚)モシモーシ「身内の危篤。至急帰れ」との電話でした。それを聞いた筆者は振り返らずダッシュで駅へ直行しました。

電車に乗っていて「天の岩戸開き、見られなかったな~」と思いました。そのときは残念に思いましたが、今思うと「見せてもらえなかった」ということだったとわかります。なぜならば、あまりにも絶妙なタイミングで「はい、そこまで」という合図として電話が鳴ったから。(ちなみに身内は翌日に亡くなりました。時代の終焉を示唆されているようでした。)

枚岡神社の天の岩戸から出てきたのは、おそらくオオヒルメ(現在のアマテラス)だったのでしょう。けれど筆者には、二度目の天の岩戸開きはオオヒルメではないということは明確に知らされていました。だから見せてもらえなかったのだと思います。

弥生文明はもう終わるのです。終わりのはじまりは、よろこびの時代の幕開けなのです。




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2⃣文明と文明の転換「神武東征」

3⃣ナガスネヒコに会いに行く

4⃣ナガスネヒコとスサノオの復権 

5⃣神武天皇に会いに行く

6⃣饒速日命と長髄彦の約束

7⃣神武天皇古戦場・物部氏編

8⃣神武東征古戦場・日下山編


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by new-jomon | 2019-05-14 14:11 | 神武東征・古戦場を訪ねる | Comments(0)

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