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カテゴリ:自己開示・神化への道( 26 )

涙の理由は人生を包み込む愛にふれたということ

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人の一生を包み込む壮大な「何か」が確かにある。

今回はそう感じたことを書かせていただきます。

前回記事徳仁天皇と仁徳天皇をアップ後、

郵便屋さんからこれが届けられました。

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橿原神宮からのご案内です。

わたしは以前、

橿原神宮にご参拝したときに

芳名帳があったので記帳したのです。

それがきっかけで送られてきたのだと思います。

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橿原神宮は神武天皇がお祀りされています。

この封書が届けられたころ、

徳仁天皇は橿原神宮にて

親謁の儀に臨まれました。



何と申し上げればよいのかわかりませんが、

壮大な「はたらき」の中に

わたしたちはいるのだなあ、と感じました。

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神武天皇御陵(筆者撮影)


わたしはなぜ

仁徳天皇のことを思い浮かべると

涙がでてくるのかが分かりませんでした。

( ;∀;)ナンデ?

普通、

こういうことを人に伝えると

変人だと思われることまちがいないのですが

自分でも理由が分からなかったのです。

しかし、

下の動画を見たときにわかったのでした。


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『仁徳天皇 民のかまどにみる聖帝物語』より

仁徳天皇の皇居は

高津宮だったことを知ったのです。

高津宮➡「アッ!」\(◎o◎)/!


わたしは先天性の疾患がありまして、

子供の頃はあらゆる大学病院に

連れられては原因不明と言われ続けた

親泣かせな子どもだったのです。

ある夏、

母は新聞記事を読んで、

ここへ行けば何かわかるかもしれないと感じ、

高津病院に

わたしを連れて行ってくれたのです。

そこではじめて病名が分かったのでした。

しかし生涯治療法はないとのことで

一生付き合っていくしかないと言われたのです。

それ以来、

30年以上高津病院にお世話になっています。

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高津宮周辺


高津病院の真向かいに

高津宮があることは知っていましたが、

一度もご参拝したことがなかったのです。

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『仁徳天皇 民のかまどにみる聖帝物語』より

まさかここが

仁徳天皇の皇居だったとは

夢にも思いませんでした。

ですから驚きはひとしおだったのです。

詳細は前回記事徳仁天皇と仁徳天皇にて。

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難波神社(筆者撮影)


仁徳天皇を思うと

なぜ饒速日が浮かぶのでしょう。

そしてニギハヤヒを思うと

なぜか

神武天皇が浮かび上がってくるのです。


だから橿原神宮からの手紙が届いたとき、

絶妙なタイミングにハッとさせられました。

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神武天皇も仁徳天皇も、

伝説上の天皇と言われていますが、

わたしたちの想念に存在しておられます。

想念の世界が実在ですから、

いないことにはならないとわたしは思います。

饒速日は病気平癒の神様です。

わたしは二年前まで地元の

でんぼ(できもの)の神さん

としか知らなかったのです。

十種の神宝で死者をも蘇らせるほどの

霊力をお持ちだったのがニギハヤヒです。

この神様は

病気を治してくださる神様でもあるのです。

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石切神社 饒速日命(筆者撮影)

大人になってから、

別の病気で二度手術をしました。

最初にかかった病院は、

生駒山から遠く離れたところだったのですが、

5回転院を繰り返すことになり、

結局は生駒山のふもとにある

石切生喜病院で

手術していただくことになったのです。

それも、

二度とも偶然を重ねて

石切の同じ病院に導かれたのです。

ここの病院は石切神社のすぐ近くにあります。

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阪神高速東大阪線水走(筆者撮影)
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阪神高速水走(みずはい)出口付近

2人目を妊娠したときは、

医師に開口一番「あんた、死ぬよ」

と言われました。

そこで高津病院の先生と産婦人科の先生が

情報を共有してくださいました。

子どものころから高津病院の先生には

出産のときが一番危ないと

聞かされていました。

そして先生の言う通りにしておかないと

脚を切断するよと子供の頃から

毎回聞かされていたのです。

だから遮光器土偶の欠損は

他人事ではありませんでした。

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アラハバキとは、

アラー=太陽神

ハバキ=脚

という意味があるのだそうです。

そんな偶然が重なっていたことに

気づいたのはごく最近だったのです。

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人生ほど不可思議なものはない。

けれど誰しも、

壮大なはたらきの中に抱擁されている。

そのはたらきとは神といえる存在

だといえるのではないかと思います。

そのことに気づかずに、

自我でもがいて生きているのが人間で、

自分を捨てて、

なるようになるとゆだねてみれば

壮大なはたらきの流れに乗ることができる。


そしていつだって、

わたしたちは確かに守られている。

たとえ一生気づかなくても。

ただ、そのことに触れたとき、

心の底からの感謝が涙となって

魂は気付くのです。


わたしの先天性疾患は

神様からの贈り物だと思っています。

もし五体満足で生まれて来たなら、

きっとこのブログを開設することは

ありませんでした。



母は未だにわたしの病気を気にして

眠れない夜を過ごしていると言います。


けれども、

わたしは一度たりとも母を責めたこともなく、

自分の身体が嫌だと思ったこともありません。

むしろ心から母に感謝していること、

自分でこの身体を選んで

生まれてきたことを常々伝えています。

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難波神社(筆者撮影)

仁徳天皇から

感じたことを書かせていただきましたが、

饒速日はきっと

仁徳天皇のように国民を大切にし、

治水をはじめとした国土開発、

稲作りに励んでくださったのだろうと

思いを馳せて記させていただきました。




今回も最後までお目通しいただきありがとうございました。

わたしの夢は、世界から病気をなくすことです。

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by new-jomon | 2019-11-27 22:58 | 自己開示・神化への道 | Comments(0)

【ニギハヤヒ命】に導かれて②「終戦の玉音放送」の原稿を書いた昭和の裏天皇。


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G20以来、明らかに日本のスタンスに変化が見られるようになりました。アメリカは

「日本はもう、アメリカの属国ではないのだから

自立しなさい」


と意思表示したのでしょう。アメリカもまた、これまでの世界の覇者としてのスタンスから自国第一の守りの政治に転換しました。

戦後の日本は、アメリカ様のしもべとなり、政治はアメリカ様の仰せの通りに動かして参りました。それがもう、

「自分で考えて国造りしていきなさい」


とアメリカ依存を脱却する道を余儀なくされたのです。

G20が日本で、しかも大阪で開催されたということは大変示唆に富んでいます。世界の首脳が次の文明の拠点に集まって、イノベーション(新たな価値観の創出)とSDGs(持続可能な社会の仕組み)を議題にこれからの国際社会の進むべき指針を話し合われたからです。

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ふり返れば戦後の日本はどん底からよくぞ這い上がって来れました。アメリカ様の言いなりとはいえ、アジアで唯一先進国となったのですから。

あの戦争は負けたのではなくて、日本は自ら戦争に終止符を打ったのだと思います。かつて日高見国が朝廷軍と20年にわたる戦に自ら終止符を打つためにアテルイが降伏したように。アテルイは負けたのではありません。自ら戦を降りたのです。子や孫たちの代まで戦をもちこませないために、自ら首を差し出したのです。律令国家に反発していた日高見国はその後、日本になりました。

もっとさかのぼれば、ナガスネヒコが守ってきた日の本の国を奪いに神武天皇が攻めてきた際も、ナガスネヒコの主君ニギハヤヒは神武天皇に国を譲りました。だからナガスネヒコは戦に負けたのではなくて、戦をやめたのです。そして日の本の国は神武天皇の国になりました。

昭和天皇は、終戦の詔勅(玉音放送)で国民に戦を終える宣言をされました。それから日本はアメリカの属国になりました。それは負けたのではありません。諸外国は日本が負けたと思っていますが、本当はアメリカに勝ちを譲ったのです。

しかし日本人自身が自虐史観を植え付けられているためにそのことに気づいていません。

もしも日本がアメリカと同様に破壊殺傷の手段を使って世界を征服したならば、国レベルの大きな因縁を生じることになってしまいます。武力で世界を制圧するという方法論は、日の本の神々の御神意に沿うものではなかったのです。戦いを止めることが神々の御神意だったということは、過去記事に書かせていただいた通りです。

龍神様は強いからこそ戦わない。本当に強い人は相手と戦わず受け止められる人。



戦いを終わらせるために自ら降伏することができたのは、日本人特有の精神性にあったのかもしれません。なぜなら精神的に成熟していなければ勝ちを譲ることができないからです。

昭和天皇が読み上げられた終戦の詔勅(玉音放送)の原稿は安岡正篤先生が作成されました。このような文章をどうして安岡先生は書けたのでしょう。安岡先生が天才だったからだけではありません。安岡先生はニギハヤヒの御神意を降ろされたのだと思います。ニギハヤヒは神武天皇以来、天皇の補佐役として裏で支えてこられた神様だからです。

安岡先生が、神武東征孔舎衙坂古戦場に住んでおられたことは偶然ではありません。安岡先生はニギハヤヒこそ日の本の皇祖神であることをご存知だったはずです。だからこそニギハヤヒが祀られている神社に安岡先生の碑がご奉納されていたのです。

そしてGHQと対等に交渉されたこと、戦後の高度経済成長期に日本人が拝金主義に暴走しないように、日本の上に立つ方々に精神的指導をなされたのです。金鵄の役割として。

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どうか今一度、以下に挙げる「終戦の詔勅」の現代語訳のお目通しを願います。


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「終戦の詔勅」の原稿


昭和天皇 終戦の玉音放送 


(昭和20年8月15日)



私は


深く世界情勢と


我が国の現状を考え、


非常の手だてをもって


事態を収拾しようと思い、


私の忠義で善良なる


臣民に告げる。


私は帝国政府に


米国、英国、中国、ソ連の


4か国に対し、


共同宣言(ポツダム宣言)を


受諾することを通告させた。


そもそも帝国臣民の


安らかな生活を図り、


世界の国々と共に


栄えていくことは、


歴代の天皇が残してきた


手本であり、


私もそのように念じてきた。


先に、


米英2国に宣戦布告した理由も、


実に我が国の自存と


アジアの安定を願ったためで、


他国の主権を排し、


領土を侵すようなことは


もとより私の意志ではない。


しかし、


交戦は既に4年を経た。


私は、


陸海将兵は勇戦し、


閣僚たちも職務に励み、


一億国民も努力し


それぞれ


最善を尽くしたと思っているが、


戦局は必ずしも好転せず、


世界の情勢もまた


私たちに不利である。


そればかりか


敵は新たに残虐な爆弾を使用して


罪のない人びとを殺傷し、


その悲惨な被害の及ぶところは


計り知れない。


それでもなお、


交戦を継続すれば、


ついには


わが民族の


滅亡を招くのみならず、


ひいては人類の文明をも


破却させることになってしまう。


そのような事になれば、


私はどうして


多くのわが子とも言える


臣民を保護し、


歴代天皇の御霊の神殿にて、


私の誤りの責任を


謝することができようか。


これが私が帝国政府に


共同宣言に応じさせた


理由である。


私は、


我が帝国と共に


終始アジアの解放に


協力した盟邦諸国に対し、


遺憾の意を表さざるを得ない。


帝国国民においては


戦場で死亡したり、


職場で殉職したり、


不幸な運命で


亡くなった人々や、


その遺族を考えると


悲しみに堪えない。


さらに戦場で傷を負い、


災禍を被り、


家や職場を失った者の


厚生にいたっては


私が深く


胸を痛めるところである。


思うに、


今後我が帝国の受ける苦難は


もとより尋常なものではない。


私の臣民の窮状も


私は良く理解している。


しかし、


私は時運(時の流れ)の


赴くところ(従い)、


耐えがたきを耐え、


忍びがたきを忍び、


将来のために


平和を実現しようと思う。


私はここに


国体を護持し得て、


忠義で善良な


臣民の良心を信じ、


常に臣民と共にある。


もし、


感情の激するままに


みだりに争い事をしたり、


同胞同士が互いに


手をけなし、


陥れたりして


時局を混乱させ、


そのために


道を誤り、


信義を世界に失うようになれば、


私が最も戒めることだ。


どうか、


挙国一家して


それぞれが子孫に伝え、


固く神州(神国)の


不滅を信じ、


私は国家の再生と


繁栄を念じ、


そこに至る道は


遠いと心に刻み、


持てる力を


将来の建設に傾け、


道義心をあつくして、


志を固くして、


日本の能力を発揮し、


世界の進運に遅れないように


努力しなければならない。


あなた方臣民には


私の思いをよく理解して


身につけてほしい。


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安岡正篤先生 刪修筆跡(けずって修正した筆の跡)


この終戦の詔勅には裏があります。
安岡先生が古代中国の先哲の教えから学ばれ引用された、大変重要かつ詔勅の核となる部分が、当時の内閣によって改ざんされてしまったのです。

そのことについて大変悔やまれていました。日本は神話が改ざんされているために、国レベルの公文書も改ざんされるという因縁があるのです。

記紀は呪詛。

日本が真に立ち直るためには、神話から正しく書き直さなければならないのです。


終戦の詔勅刪修について

*刪修(サンシュウ ) 不要な字句をけずり改めて、文章をよくすること。

以下、安岡正篤記念館名誉館長・林 繁之

(月刊『致知』1984年3月号より)引用。




「私も師のお側にあって45、6年になるが、


自分にその学問を語る資格はない。


ここでは、


人口に膾炙


(かいしゃ:世の人々の評判になって知れ渡ること)


されている終戦の詔勅刪修


(サンシュウ )について


正確に記しておきたいと思う。


毎年8月15日、


終戦の日が近づくと、


マスコミはその秘話を語ってほしいと、


先生に面会を求めて止まなかった。


そのつど先生は決まって、


「“綸言(りんげん)汗の如し”という。


詔勅は、陛下のお言葉で絶対のものである。


これがひとたび渙発


(かんぱつ:詔勅を広く国の内外に発布すること)されたなら、


その起草にどういうことがあったかなど


当事者が語ってはならない」


といって決して語ろうとはされなかった。


その先生が、この詔勅には多少の誤伝があり、


私が刪修したと語られるなら、


「私の学者として後世より問われる悔いも残るので、


君たちだけには話しておく」


と、側近の者に一晩しみじみと語られたことがある。


先生はその刪修に当たって、


「義命の存する所」と、


「万世の為に太平を開かむと欲す」


の二点を挿入されたほか、


陛下の重いお言葉として


文章についても手を入れられた。


「義命」については詔勅の中で、


陛下が「堪へ難きを堪へ」よ、


とおおせられておられる


宸襟(しんきん:天皇のお気持ち)を拝察して、


それにふさわしい天子としての


重いお言葉がなくてはならない。


そこで「義命」という言葉を選ばれた。


出典は中国の古典である『春秋左氏伝』。


その中の成公八年の条に


「信以て義を行い、義以て命を成す」とある。


従って、


普通にいわれる大義名分より


もっと厳粛な意味を持っている。


国の命運は義によって造られて行かねばならない。


その義は列国との交誼においても、


国民との治政においても信でなければならない。


その道義の至上命令の示す所によって


終戦の道を選ぶのである。


「万世の為に太平を開かむと欲す」も


「永遠の平和を確保せむることを期す」


より強く重々しい。

これは宋初の碩学・張横渠(ちょうおうきょ)の有名な格言


「天地のために心を立て、


生民の為に命を立て、


往聖の為に絶学を継ぎ、


万世の為に太平を開く」


からそのままとったものである。


いずれにしても先生は、


終戦の詔勅の眼目は、


「義命の存する所」と


「万世の為に太平を開かむ」


の二つにあると考えられた。


わが国は、


何が故に戦いを収めようとしているのか、


その真の意義を明確にしておかなければならない。


従って、


内閣書記長官をしていた迫水氏には、


どのような理由や差し障りがあっても、


この二つの眼目は絶対に譲ってはならない、


とくれぐれも念を押されたのだが、


閣議の席で、


閣僚から二つとも難しくて国民には分りにくいから


変えてはとの意見が出されたのである。


結局、「義命の存する所」という一番の眼目を、


「時運の趨く所」という最も低俗というより


不思議な言葉に改められてしまった。


これは永久にとりかえしのつかない、


時の内閣の重大な責任といわねばならない。


「時運の趨く所」の意味は


いってみれば成り行き任せ。


終戦が成り行き任せで行われたということは、


天皇道の本義に反する。


時運はどうあれ、


勝敗を超越して「義命」という


良心の至上命令に従うことで、


はじめて権威が立つのである。


戦後、日本は大きく繁栄した。


しかしこの繁栄の基礎に、


「信以て義を行い、義以て命を成す」。


義命が存していたならば、


物が栄えて心が亡ぶと


識者が顰蹙(ひんしゅく)するほど、


人の心は荒廃せずに済んだであろう。」


(引用以上)


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善根寺春日神社(筆者撮影)

わたしは「終戦の詔勅」(玉音放送)の原稿をはじめて拝読した際、なぜか涙があふれて仕方ありませんでした。わたしは戦後生まれの親に育てられた昭和50年代生まれです。特別な感情などないはずなのに、なぜか号泣してしまっていました。自分は感情的になっているのかもしれないと思い、数日後に再度原稿を読みました。するとまた泣けて泣けて仕方なかったのでした。


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善根寺春日神社(筆者撮影)

深く思いを鎮めてみました。・・・これはニギハヤヒの思いだ!と思いました。そのとき「神武東征」の国譲りの際に、ナガスネヒコに語った言葉と同じだったのかもしれないと思えてきました。


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善根寺春日神社(筆者撮影)

ニギハヤヒは勝てたはずの理不尽な戦を止めることでひのもとの国の国譲りをしたのです。異質であることを受け入れて和合させることがこの地球が生み出された目的。和を重んじる日本人だからこそあえて苦難を甘受したのです。わたしはナガスネヒコは主君ニギハヤヒの真なる思いに触れ、涙を流したにちがいないと思いました。


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善根寺春日神社(筆者撮影)

勝利は敗者を生み、恨みを買う。それでは永遠に戦争を終わらせることはできない。勝てる戦争に自ら終止符を打つという選択はもしかしたら和合の精神を備えられた日本人にしかできないことだったのかもしれません。しかし諸外国は勝ちを譲るなど思いもしないことであるため、日本は負けたと認識されることは承知の上の道の選択だったのでしょう。

そして2019年。

日本は自立の道を歩みだすことになりました。

国は「これからは国は国民の面倒を見れないから国民も自立するように」

と宣言されましたが、

日本政府はどの道を選択されるのでしょう。




『日月神示』


マツの巻


第七帖



神の国


一度負けた様になって、


終ひには勝ち、


また負けた様になって


勝つのざぞ


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善根寺春日神社(筆者撮影)


雨の巻


第九帖


「三エスの神宝


(かんだから)と、


3S(スリーエス)の


神宝とあるぞ、


毒と薬で


うらはらであるぞ」


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善根寺春日神社 安岡正篤先生記念植樹(筆者撮影)


次回につづきます。


長文のおめどおしをいただきありがとうございました。

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【ニギハヤヒ命】に導かれて①昭和の裏天皇・安岡正篤。


by new-jomon | 2019-08-12 00:00 | 自己開示・神化への道 | Comments(0)

【ニギハヤヒ命】に導かれて①昭和の裏天皇・安岡正篤。



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昭和の黒幕・安岡正篤(まさひろ)先生のことについて書かせていただきます。

「自己開示・神化への道」シリーズ
この一連のブログには合氣道開祖と五井先生とのご縁についてのエピソードを書かせていただきました。

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その中で、安岡正篤(まさひろ)先生とのご縁についても書かせていただかなければならないと感じていました。ことに、終戦の日が近づくにつれその思いがますます強くなっていました。

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熊野本宮大社(筆者撮影)

わたしは20代後半に熊野が源流の代々神官をしておられる鈴木先生と出会い、数年間薫陶を受けて参りました。この方は前世の父でした。奇しくも熊野本宮大社で合氣道開祖と霊線がつながる以前のことでした。

当時わたしは東洋思想を独学で学んでいまして、老子の宇宙観に衝撃を受けたところでした。その直後、現代の老子のごとく生き方を実践しておられた鈴木先生に出逢ったのです。その中で鈴木先生から安岡正篤先生のことを教わりました。

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鈴木先生からは、皇族・歴代総理大臣・財界人たちはこぞって安岡先生の教えを学んでいたということを教わりました。当時のわたしは安岡先生を東洋思想家(陽明学者)としか存じませんでした。

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阪神高速 東大阪線 水走(みずはい)出口(筆者撮影)

なんと奇遇にも、安岡先生はわたしの生まれ育った土地とごく近いところで少年時代を過ごされていたことを知りました。そのときは既に安岡先生は神界へ召されておりましたが、なんともいえない親近感とご縁を感じたものでした。

鈴木先生に、わたしが安岡先生と同郷だということをお伝えしましたら、

「あなたが安岡先生の意思を受け継ぐように」

とおっしゃったのですが、当時のわたしにはそのことの意味がわからずスルーしていました。

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石切神社 ニギハヤヒ命(筆者撮影)

2017年7月、生まれ故郷にある石切神社に呼ばれてご参拝したときに、安岡先生の石碑があることに気づかされました。このときのわたしにはまだ、安岡先生と石切神社のご祭神・ニギハヤヒ命との関係を存じませんでした。

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石切神社 安岡正篤先生石碑(筆者撮影)

それから自分の生まれ故郷が神話の「神武東征」のクライマックス・神武天皇vsナガスネヒコの古戦場だったと気づかされていったのです。

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たまたま国道170号線沿いの飲食店の駐車場に降り立った時、直観がきて「ここはたしか孔舎衙(くさか)だったはず」と気付いた瞬間、撮った写真。

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そして、神武天皇vsナガスネヒコのクライマックスの図。

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神武東征図

神話で違和感がどうしてもぬぐえなかったのは、生駒山には「孔舎衙(くさか)」はあるけれども「孔舎衛(くさえ)」という地名はどこにもないことでした。わたしはこのことが気になって仕方なく、毎晩悩まされていたのです。なぜなら、当時のわたしは神話が書き換えられているなど思いもしなかったからです。しかし後になってから神話は為政者の都合で書き替えられたものだとわかったのです。
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神武天皇聖蹟孔舎衛坂顕彰碑(筆者撮影)



×「孔舎衛坂」(くさえ)

〇「孔舎衙坂」(くさか)


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孔舎衙小学校前(筆者撮影)

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東大阪市日下町(筆者撮影)

孔舎衙と日下は同じ地区に存在します。つまり、孔舎衙は日下。日下はひのもと。神話で孔舎衙(くさか)と書かなかったのは、孔舎衙=くさか=日下=ひのもとを封じておきたかったからではないでしょうか。日本書紀では「草香」と書かれてもいます。

難読地名は土地の記憶を消されないための先人の知恵だったのです。わたしはこの難しい地名をよく覚えていました。なんと安岡先生はこの孔舎衙小学校に通っておられたのです。

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安岡正篤先生旧宅(筆者撮影)

わたしは孔舎衙小学校前のバス停から安岡先生の旧宅に向かう途中、スマホの回線が切れて迷子になってしまいました。まあ、いいかと思い、十数分生駒山に向かって歩いていた時に導かれたのがここ、善根寺春日神社でした。ここはまったく知らない神社でした。

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善根寺春日神社(筆者撮影)

驚きました。ここは「孔舎衙坂」と書かれていたからです。ここを上がれば神武天皇vsナガスネヒコの戦った場所ということだからです。

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善根寺春日神社(筆者撮影)

ここはまさに

「神武天皇 御東征 孔舎衙坂 古戦場」

とありました。
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善根寺春日神社(筆者撮影)

しかも日本最初の春日神社だったのです。ということは、元春日の分社であり、地元の方々が守ってこられた神社だったのです。

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善根寺春日神社(筆者撮影)

安岡正篤(やすおかまさひろ)先生は、少年時代にこの近くに住んでおられました。安岡先生が明治四十三年四条畷中学に入学された頃、ここ善根寺春日神社の神官をされていた浅見晏斎氏に師事し「学校外で最も良き師に巡り会えた」と伝えられています。


安岡先生は昭和天皇の裏天皇としてのお役目を担っておられました。戦時中はGHQと直接交渉された日本人唯一の人でした。日本人白痴化政策の一環である3S政策を日本国民に知らされたのです。



「昭和史を裏で動かした謎の人物」


上の動画はアップしても削除されてしまうので、音声だけになっています。戦後生まれのわたしたちは何も知らされていません。この動画(音声だけですが)ぜひご視聴ください。元ネタは「やりすぎ都市伝説」です。これは必聴です。



終戦の玉音放送の原稿を書いた方は、安岡先生です。終戦の玉音放送の内容を、わたし達日本人は知っておかなければなりません。その内容は次回に続きます




今回もおめどおしをいただきありがとうございました。

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by new-jomon | 2019-08-10 23:12 | 自己開示・神化への道 | Comments(0)

【サムハラ龍王・スサノオ命】に導かれて その5「再臨!」

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わたしがはじめて合氣道の稽古中にスサノオ命の御神氣を感じたのは、一年前のことでした。その日は先生とふたりで稽古していたのですが、先生が道場の中央で「印」を結んでおられたのです。わたしは道場の隅で正座してその様子を見ていたのですが、なぜかどうしてか、


「このご神氣はもしかして・・・

スサノオ様!?」


と感じたのです。そのときは何でそう感じたのかわからなかったのですが、いまなら氣のせいではなかったと思います。

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熊野本宮大社(筆者撮影)


開祖は「わしは本宮の申し子じゃ」と日頃おっしゃっていたとおり、熊野本宮大社の御祭神は家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)であり、素戔嗚尊(すさのおのみこと) のことだからです。

合氣道は相手に攻撃の思いがあってはまったくうまくいきません。

相手を抱き参らせる。そして氣結びして一体となる。

これが合氣道です。逆に、攻撃した分、自分にすべて跳ね返る。作用反作用の法則がそのままあらわれるのです。

合氣道は勝負はしないので、受けと取りの役を交互にし、技も表と裏があり必ず両方稽古します。これは宇宙の真理を体現しているのです。

スサノオ命は強い神様ですが、暴れ回る乱暴な神様ではありません。横のつながりで連合体をつくって地方自治をしたのがスサノオの建国した倭国(和国)でした。ヤマタノオロチを退治したのも、クシナダ姫を助けるためでした。これは強きをくじいて弱きを救う日本魂の顕れです。

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素戔嗚命と八岐大蛇


一方、スサノオの姉のアマテラスは高天原から追放された弟が戻ってきた際、男装して武装し、軍隊を配備して待ち構えていた女神様です。

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右)武装するアマテラス像(東逸子画)


スサノオはヤマタノオロチを退治したあと、オロチのしっぽから出てきた「天の叢雲劔(あめのむらくものつるぎ)」を姉のアマテラスに献上しに行ったのです。それを姉は弟が高天原を奪いにきたと思い恐れたのです。

戦闘態勢になっているアマテラスに対して、スサノオは「他意はない」として、占い(誓約)で真意を確かめるよう提案するのです。ふたりの間に女神が産まれたらスサノオの真意の通りだとし、その結果三女神が産まれました。心の清らかなスサノオは潔白が証明されたのです。

スサノオ命は強いけれども戦争の神様ではありません。戦争の神様はアマテラスであり、その子孫の神武天皇です。だからこそ、国は昭和15年の紀元2600年記念に神武天皇を英雄の神として祀り、戦争へと突き進んだのです。

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神武天皇御東征の図

そしてアマテラスを最高神とした国家神道(神社本庁・日本会議)は、戦争を反対した出雲系の神道(大本)を弾圧したのでした。大本は艮の金神を祀り、スサノオ命を英雄の神としていました。

戦争時のスサノオのはたらきは欧米による支配からアジア諸国を解放させたことでした。

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橿原神宮(筆者撮影)

ところで、熊野本宮大社の御祭神は家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)であり、素戔嗚尊(すさのおのみこと) とされていますが、


けつみみこ・みけつかみ


このふた柱の御神名が似ていることに気づかされました。みけつかみとは、食べ物を与えてくださる神様で、伊勢外宮の神様です。

みけ‐つ‐かみ【食津神】

1 食物をつかさどる神。

大宜都比売神(おおげつひめのかみ)

保食神(うけもちのかみ)

宇迦御魂(うかのみたま)

豊受大神(とようのおおかみ)

若宇迦乃売神(わかうかのめのかみ)など。


2 宇迦御魂(うかのみたま)、

すなわち稲荷(いなり)の神の異称。


つまり、みけつかみとは瀬織津姫のことです。

ちなみに、河内ではきつねうどん(おあげの入ったうどん)を「けつね」と言います。
(稲荷=きつね=けつね=みけつ神)

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熊野本宮大社(筆者撮影)

スサノオと瀬織津姫は荒魂的性質です。鬼にされているのも同じです。

けつみみこ

みけつかみ

は同じはたらきをする神と考えられます。

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熊野本宮大社(筆者撮影)


熊野一帯はニギハヤヒの直系・玉置家が熊野の神社を統括しておられました。
現在は神社庁が宮司を任命しているため、玉置家と玉置神社は関係が絶たれてしまいました)

ニギハヤヒに捧ぐ

瀬織津姫は隠されてきた女神ですが、ニギハヤヒとつねに一体なので熊野本宮大社にも御神名を変えて瀬織津姫が祀られているのです。

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熊野本宮大社(筆者撮影)


わたしはかねてからナガスネヒコとスサノオの復権が必要だと感じていました。

神話ではナガスネヒコとスサノオはアンチヒーローにされています。日本にもともといた神様が悪役にされているのですから、その子孫である日本人は飛鳥時代から自虐史観が植えつけられていたのです。

神話を正しく書き直してナガスネヒコとスサノオの濡れ衣を払拭し、本当は日本人にとって尊い神様であることを知らさなければなりません。ニギハヤヒの直系である玉置家の方は

「ナガスネヒコが朝敵にされているのは

完全な誤解です」


とおっしゃっていました。わたしはナガスネヒコの正体は瀬織津姫だと感じています。


ナガスネヒコ=瀬織津姫=八大龍王

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八大龍王総本山の神紋



そして、ナガスネヒコの子孫が阿弖流為で、楠木正成公の氏神は瀬織津姫。

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建水分神社(筆者撮影)

つまり


ナガスネヒコ(瀬織津姫)ー阿弖流為ー楠木正成

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楠木家の家紋


そういえば、今朝見た夢は、「神のシンボル」というメッセージを受け取ったときにハッとして目覚めたんです。午前一時でした。

「神のシンボル!?」もしかして、スの神様?」

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12年前に合氣道開祖の直弟子の先生からマルにチョン=「ス」の神と教えられたこのシンボル。当時はこのシンボルすら知らなかったのです。そしてつい二年前にこのシンボルが『日月神示』に記された記号だと知ったのです。

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『日月神示』

「天の日月の神」

「ひふみの神」

「国之常立命」

「艮の金神」

とさまざまな御神名で表されています。そして2006年から2017年まで降ろされたのが『大日月地神示』です。

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神示が降ろされる、ということは激変の時代を迎えるということのようです。人間界が平和であれば神々様はただお見守りになられるだけだからです。『日月神示』が降ろされた時代も戦争がありました。

現在が宇宙レベルの激動の時代であることは、世界中の人々が認めざるを得ない状況です。この時代にどの高次元の存在と繋がっておくかが重要だと思われます。特に日本人は。

耳触りの良いメッセージよりも、我が子を叱ってくださる日本の神様こそ真なるメッセージだと感じます。

「日本人を目覚めさせない」意図を持った存在もありますから気を付けなければなりません。日本人はだまされやすいですから・・・。


艮(うしとら)は東北です。
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東北にはアラハバキといって祭ろわない神々、つまり、封印されていて表に出ておられない古い神様のことで、後から来られた神様に日本をお譲りになった神様です。古い神様とは自然の神様です。この神様はかつて縄文時代まで日本を中心とした大調和の文明を築いて来られました。

縄文時代の最末期の日の本の国の皇祖神はニギハヤヒ命。その妻は瀬織津姫でした。後から来られた神様にこの国をお譲りになり、日の本の国(日下国)は東に流れ、つがる(東日流)の地で、日高見国(日上国)を建国して縄文を守ってこられたのです。

神武東征・古戦場を訪ねる

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神武東征古戦場・東大阪市日下町(筆者撮影)

神話は為政者の創作ですから、元の神様は悪者にされたり、名前を書き換えられたりして封じられてしまったのです。なぜ封じる必要があったのか?それは、元の神と後から来た神とはシステムが逆回転だからです。

この天の川銀河は左回転に回転しています。太陽系も、惑星の公転もすべてが左に回転しています。この地球の自然の神様も左回転システムです。つまりすべてが循環するように仕組みをつくられたのです。

しかし後から来た神様は、右回転システムです。これまでの大調和の仕組みとはすべてが逆の仕組みを持ち込まれました。それゆえ、現在は逆回転システムの神様がつくられた世界の集大成をわたしたちは体験しているわけです。

循環しないシステムとはどんな世界なのかは、わたしたちが現在体験していることのすべてが答えです。

その世界をつくってこられたのがスサノオ命のお姉さまである、いちばんえらいおんなのかみさまです。

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宇宙の回転とは逆のシステムでは、この地球も自然界も人間界もどんづまりになってしまいました。地球自体がもうボロボロなのです。だからこの地球を救うためにもともとの古い神様が表に出られて、不調和になってしまった自然界を元に戻すためにはたらかれる時が来たのです。

瀬織津姫は日の本の国を夫婦で守ってこられた中心(主=ス)の神様なのに、神話に出てこないのです。しかし、神話には重要な登場人物として登場されていたのです。日の本の国の頭領「ナガスネヒコ」という縄文人として。


ナガスネヒコの正体は瀬織津姫だった!①

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縄文文明はニギハヤヒ命から神武天皇へ国譲りをされたときに終わったのです。しかし、ナガスネヒコ(瀬織津姫)は東北(艮)に御移りになられて、縄文を守ってこられたのですが、800年ごろに日本の天皇に滅ぼされてしまいました。それがナガスネヒコの子孫である阿弖流為でした。アテルイは日高見国の頭領でした。

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阿弖流為と母礼の塚(筆者撮影)

阿弖流為は奇しくも始祖ナガスネヒコが国造りしていた故郷(河内)で桓武天皇に処刑されてしまったのです。坂上田村麻呂が桓武天皇に阿弖流為の助命を強く懇願しても聞き入れられなかったのは、もうひとつの正統なるスメラミコトだと知っていたからです。皇族は古代より王の座を奪い合い、有能な次期天皇候補はことごとく粛清するのが彼らの流儀でした。

鬼といわれた真のヒーロー阿弖流為

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(アテルイとモレの塚)


しかし、ナガスネヒコ、アテルイの精神は絶えることなく再び河内の地に楠木正成となって息づいていたのです。その精神とは、真の太陽神に祀ろうこと。すなわち男神天照大神(ニギハヤヒ)に忠誠を尽くすことでした。そのシンボルが楠木家の菊水の家紋の証です。

悪党といわれた陰の立役者・楠木正成
後醍醐天皇と楠木正成公
新天皇と安倍総理が背負われた因縁。
新天皇と安倍総理は後醍醐天皇と大楠公。

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千早赤阪村・楠木正成公誕生地(筆者撮影)

本当の日本は日の本。

日の本の国の皇祖神はスサノオ命の息子であるニギハヤヒ。
平和を愛する天照大神(太陽神)の和魂(にぎみたま)。
水の神であるニギハヤヒの妻・瀬織津姫は天照大神の荒魂(あらみたま)。

水の女神・瀬織津姫は龍神。

この神のシンボルは菊水に龍。
見方を変えれば、水流に日の出。つまり太陽と水に住まう龍。

瀬織津姫からのミッション①八大龍王総本山へ

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そして、この神を氏神とする楠木家の家紋は菊水。太陽と水の神が一体になったシンボル。

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そしてこの神のシンボルは、阿弖流為の名前にも刻印されている。文字をシンボルとして。

阿弖流為と楠木正成

阿弖流為
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阿弖流為の始祖・ナガスネヒコは弓の名手だった。

ナガスネヒコの正体は水の神。

弓と水流。

神のシンボルが阿弖流為の名前に刻印されていたのです。消された水の神を記憶から失わせないために。
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東北で封印されていた神とは瀬織津姫。

東北は艮。

もっとも封じられ恐れられた艮の金神は瀬織津姫。
そのはたらきは、スサノオ命と同じ荒魂。
最も封じられてきたゆえに、鬼として恐れられてきた。

しかし、
もっとも恐れてきたのはいちばんえらいおんなのかみさまの系譜。
日本人にとっては鬼にされてきた神様こそが親神様なのです。

天の岩戸に隠された神々


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スの神は、主の神。

主の神は、シュメールの神。

シュメールの王はスサノオ。

シュメールの王はスメラミコト。

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シュメールのレリーフ


スサノオの系譜が元のスメラミコト(天皇)。
だからスサノオは牛頭天王。

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五字神社(筆者撮影)

牛頭天王と鬼子母神

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石切神社(筆者撮影)

牛はスサノオ。牛の親子はスサノオとニギハヤヒ。

神武東征古戦場・物部氏編

鬼門鎮護の神社にはスサノオ、ニギハヤヒ、瀬織津姫が祀られている。

京都の鬼門鎮護は賀茂神社。

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賀茂御祖神社(下鴨神社)(筆者撮影)


河内の鬼門鎮護は片埜(かたの)神社が担ってきました。
いずれも元の神様を祀っておられます。
元の神はスサノオ、ニギハヤヒ、瀬織津姫。

鬼にされたリュウさんと素戔嗚と阿弖流為

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片埜神社(筆者撮影)

スサノオと瀬織津姫は祟り神としてもっとも封じられてきた。
祟りとは、逆回転システムを元に戻す荒魂のはたらきの現象。
だから本当は祟りじゃない。

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五字神社(筆者撮影)


神話ではスサノオとナガスネヒコ(瀬織津姫)はアンチヒーローにされてしまった。
スサノオは狼藉の限りを尽くした乱暴な荒ぶる神として。
ナガスネヒコはいちばんえらいおんなのかみさまの子孫(神武天皇)に最期まで逆らった逆賊として。

スサノオと瀬織津姫が最強だった理由。
ナガスネヒコは英雄だった。

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神話は呪いのプログラミング。
もともとの神を悪神扱いにしたのは、
右回転システムの為政者にとって、左回転システムの神は脅威だから。
日本人の集合意識を構築するためのツールが神話。
なぜなら神話がその国を形成する集合意識の根幹だから。

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日本書紀

記紀は呪詛。

記紀はウソ。


日本人は1300年間もの長きに渡り、嘘を信じ込まされてきた。

記憶がよみがえる藤原京【洞察編その1】

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片埜(かたの)神社 (筆者撮影)


鬼は神だった。

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片埜(かたの)神社 (筆者撮影)

この記事を書かせていただいたきっかけは、夢を見たからです。
昨日の夜中、「神のシンボル」というメッセージを夢の中で受けまして、
目が覚めました。午前一時でした。
神のシンボルとは何やろ?
と思ったときに思い浮かんだのがこのシンボルでした。



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スの神様は再臨されます。

艮の金神として。

スサノオ命として。

瀬織津姫として。





『大日月地神示』



「い」の巻



この御魂、



そのかしこに在られます



伊邪那岐(いざなぎ)の大神、



伊邪那美(いざなみ)の大神、



百々(もも)の神々様の大前に、



今一つの役割をいたし



ここに在られます。



そがため



いかようにでも



お使い下さいませと



誓うことの(よし)



お聞き入れ下さいますよう、



かしこみかしこみ申す。



唄う役、



もの申す役、



これからの〇、(もと)



となる御魂でありますぞ。



お聞き入れ下さり、



誠ありがたき思い奉ります。



そのこと



皆の者に



伝え下さいますよう、



かしこみかしこみ申す。



 ウシトラの金神様、



いよいよ



人民界に



お降りなされましての



御活動ぞ。



いよいよ



すべてが明らかとなる



時節(とき)となりましたぞ。



この御魂に



多くの神々様



お移りなされての



ご活動、



それぞれに



分かるように



いたしておるから、



その覚悟良いか。



皆々



改心結構結構。



改心せずとも良い御魂



一つも無いぞ。



 この御魂でさえ、



日々改心いたしての



お役目であるがゆえ、



上下



ひっくり返ることと



なりますぞ。



これまで



隠れ御魂と



いたしておいた



この御魂、



多くの者には



分からぬように



いたしていたゆえ、



分からぬのも



無理ないなれど、



世に遣える御魂



あまりに少ないぞ。



食べ物気つけと申して



お聞き下さった人民



あまりに少ないぞ。



すべては



そがためにあったもの、



今からでは



大したお役も



出来ぬとはいえ、



みな



可愛い可愛い



人民ゆえに



改心結構ぞ。



改心出来た者より、



神の容れ物とさして、



天晴



お役目果たさせ、



末代



名の残る仕事さすぞ。



 天明の



生まれ変わりである



この御魂、



分かる者



一人もおらぬゆえに、



申しておいた



神一厘の仕組みと



なりますぞ。



これより、



〇 、(ス)の神様の



ご指示により



生まれる



神々様の神子(みこ)らが、



この世の



立て直した後の世を



生んでゆきますゆえに、



そのつもりで



おりて下されよ。



何もかも一つ



ということ、



〇 、(ス)の神様の



ご指示通りに



現れなさるぞ。



 スサナルの尊、



みな思うておる



神様とは



ちと違うぞ。



この神様、



地の大神様であり、



世の元からの



生き神様であるぞ。



そのこと



取り違え



いたしておりては、



人民靈人みな



大神様に



申し訳ないぞ。



早うそのこと



分かって下されよ。



これまで



世に出ました



神の話は、



ほとんどが



悪神様らの



お仕組みであったのぞ。



しかし、



これからは改心いたし、



まことの世の



礎と



成りなされたので



あるがゆえに、



靈人殿、



人民殿、



早う



改心結構であるぞ。



 一人でのお役



大変であるゆえに、



ここに縁ある者みな



仕組みてあったことで



あるがゆえ、



それぞれ改心いたし



神の容れ物と



成りなされて下されよ。



世に出ております



お偉いさん殿、



いつまでも



嘘は通らんぞ。



一日も早う改心結構。



金の世は



済みておるのじゃぞ。



金でこの世潰す



計画立てておった



神々様も



改心いたしたぞ。



ゆえにその仕組み



いつまでも



信じておる



靈人殿、



人民殿、



早う



目醒まして下されよ。



みな



大切なお役目に



いたすゆえに、



事分けて



聞かすのじゃから、



何事も



心配するでないぞ。



これが、



神一厘の仕組みて



あることの



始まりじゃ。


二〇〇六年六月七日 



天の日月の神 記す。

.





長文のおめどおしをいただきありがとうございました。

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by new-jomon | 2019-08-06 18:37 | 自己開示・神化への道 | Comments(0)

【サムハラ龍王・スサノオ命】に導かれて その4「解除!」

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12年前、開祖の直弟子の先生に教わっていたころのわたしには、武道と神様との関わりなどとても理解できなかったのですが、あるエピソードを思い出しました。


「ス」の神様のことです。


先生はいつもてのひらに「ス」の神様を意識して、てのひらからエネルギーが放射するようなイメージをしなさいとおっしゃっていました。そして相手と組んだときに「氣結び」して一体になることが大事だとおっしゃっていました。

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合気道の先生にはマル・チョン=「ス」の神様と教えられました。


わたしは当時、「『ス』の神様!?」と言われても頭の中では疑問しかなかったのです。しかし武道は理屈で考えたり理解しようとしてもうまくいかないので、「ス」の神様という神様がいらっしゃるのだな~と思うだけで深く考えることはしませんでした。


それから6年後、二度目の合気道場に入門してからのことです。ここの先生は五井昌久先生の教えを信仰されていまして、いつも稽古前に


合氣の神様、

ありがとうございます」


とお祈りされていたのですが、わたしも「合氣の神様、ありがとうございます」と思いながら手を合わせていました。


ある日、合氣の神様って、どんな神様なんだろうと疑問に思ったのです。その日の稽古が終わった後、ある物理学者の方のブログを読ませていただいたのですが、なんと、その学者様がたまたまアップされていたのが「サムハラ神社」でした。


わたしは「サムハラ」とは、変わった名前の神社だな~!?と思いましたが、サムハラ神社の所在地を調べてみると、なんと!大阪府柔道整復師会の近くではありませんか。そこは学生時代から20年来仕事でお世話になっているところだったので、びっくりしました。とても近いところにあったのに、全然知りませんでした。


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「サムハラ神社」は造化三神という、宇宙根源の神様をお祀りしておられまして、もしかしたら、ここの神様が「ス」の神様なのかな~?と思いました。


ところで「サムハラ神社の指輪がすごい」との評判があり、その指輪はとても強力な魔除けで有名なのだそうでした。


そして、たまたま翌日に柔道整復師会に用があったので、帰りに「サムハラ神社」にご参拝に行ってみることにしました。

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サムハラ神社(筆者撮影)

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サムハラ神社(筆者撮影)

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サムハラ神社(筆者撮影)

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サムハラ神社(筆者撮影)

そしたらなんと!境内に合気道場があったので、またまたびっくりしました。

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サムハラ神社(筆者撮影)

わたしは「合氣の神様」も「ス」の神様も、サムハラ神社の神様だったんだ、と思いました。

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サムハラ神社(筆者撮影)
造化三神とは、アメノミナカヌシ、タカミムスビノカミ、カミムスビノカミの三柱にして一なる根源神です

サムハラ神社(筆者撮影)

ここの神様は人間の願い事を持ち込むところではありませんので、ただただ謙虚に感謝をお祈りするのみです。


わたしは前日に知った「魔除けの指輪」が欲しくて社務所でおたずねしました。そしたら案の定、自分のサイズに合う指輪はありませんでした。f:id:ryu-chun:20181130001545j:plain

サムハラ神社(筆者撮影)

魔除けの指輪は自分のサイズに合うものでなければ効力を発揮しないらしいのです。そして指輪は職人さんの手作りなので、いつ入荷するかわからず、入荷待ちされる方が多数いらっしゃるため、なかなか手に入れることはできないそうなのでした。f:id:ryu-chun:20181130001853p:plain

サムハラ神社(筆者撮影)

その翌朝、不思議な体験をしました。わたしは神社から帰宅していつもどおりに寝たのですが、朝目覚める直前に


まだそのような物質(モノ)を必要とするのですか


という声(?)を聞いたのです。ビックリして目覚め、


申し訳ございません!まだ物質に依存しておりました。深くおわび申し上げます


と、とっさに心の中でひれ伏してお詫びしたのでした。


人間の顕在意識がはたらいていない「目覚めの瞬間」は特に神様からのメッセージを受け取りやすいので、これは明らかにわたしの行動に対しての戒めのメッセージでした。神様はすべてを見ておられるのだということを改めて分からせていただきました。


そして、合氣道の稽古の日に


合氣の神様ってどんな神様かと思ったら、サムハラ神社に行くことになって、ご参拝して参りました


と先生に申し上げました。すると先生は驚いて


開祖が「武産合氣(たけむすあいき)」をサムハラと呼んでおられた」


とおっしゃり、呪文のように「あめのむらくもくかみサムハラ龍王」と唱えられたので、「やっぱり!」と思いました。


先生からは開祖とサムハラの関わりをいろいろ教えてくださったのですが、当時のわたしには理解することができなかったので、いろいろシンクロがあったのだな~というくらいしか受け取れませんでした。これらは今からちょうど2年前の出来事です。


造化三神は根源神であり、艮の金神であり、「ス」の神であり・・・と様々な名称があるということを今になってわからせていただきました。

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さて、ついこの間の2019年7月26日(金)の朝のことです。

わたしはいつも家族が家を出た8時にはテレビを消すのですが、なぜかこの日は付けたままで、しかもなぜか、テレビの前に座っていたのです。


するとなんと!!!!8時から始まる番組の冒頭から「サムハラ神社」とテレビが言ったものですからビビりまして、ただちにスマホを立ち上げ、撮影体勢を整えておりました。


下はそのテレビの画像です。ナレーションとわたしの解説を交えて文字とともにお伝えさせていただきます。


サムハラ神社がテレビで話題になっていたのは、前述に書いた記事と同じく、入手困難の「指輪型のおまもり」にまつわる問題があったからでした。さて、その問題とは何でしょう。

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サムハラとは、アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カミムスヒの三柱にして一なる宇宙開闢の根源神です。(※神様は人ではないので3人とは言いません。)ここの神社では災いを除けるご利益があるとされています。

この三柱の神様は造化三神といって、性別も人格もない宇宙の法則そのものです。人格神はこの造化三神の法則によって生み出されました。いわば万物創世の神と申し上げてもよいかと存じます。
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この指輪型の御守りは「御神環」と申しまして、職人さんによる彫金の文字「サムハラ(漢字)」が刻印されています。この指輪はサイズが合っていなければ効力が発揮されないため、サイズ違いは御授与されないことになっているのです。
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ところが、この御神環がネットに出回っていることが明らかになったのです。初穂料3,000円である御神環が、ネットでは高額な値段がつけられていたのです。
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サムハラ神社の張り紙には、「本来結ばれるべき神様を切り離し、金銭に替える行いは悲しむべき事。神様に対して礼を欠く以ての外の行為であります」とお伝えされていました。
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サムハラ神社は警察や商業ビルが立ち並ぶ道路沿いにあります。敷地もそれほど広くありません。普段は行列ができるようなことはないのですが、今年の6月頃から行列ができるようになったらしいのです。御神環が目的だそうでした。

(みなさんが転売目的ではないと思いますよ。ほとんどの方は純粋にご自分の御守りとしてご授与していただきたいと思っていると思いますけど。でも、いつも貼り紙で「御神環」は入荷未定と書かれてあるので並んでも仕方ありませんけどね~?)
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行列は道路沿いに100メートル以上になった日もあったそうです。(ホンマかいな!?と思わず突っ込みたくなります。だって、並んでも仕方ありませんから。なんとなく違和感が・・・。)
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そこで、神社は今月から驚きの転売対策を講じられました。それは・・・?

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『「御魂抜きの神事」を行いました。これにより、暴利をむさぼるかのごとき高額をつけられた指輪型肌守はもちろん、すべての転売される当神社の御札、御守りは無効化されております。』
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転売された御守りからご利益を抜く「御魂抜き」は全国どこにあっても効果を発揮するとのことです。
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8月以降、御守り指輪「御神環」の御授与を休止。再開の時期は未定とのことです。(終わり)


たしかにサムハラ神社の指輪は強力な厄除け効力があるそうです。わたしも2年前、この指輪が欲しくて社務所に行きました。人間は神様の御神徳があれば、前向きに生きて行けるものです。ですからほとんどの方は純粋に御守りを御授与していただきたいと思っているのだと思います。

でもわたしの場合は神様に叱られました。それから指輪をいただきたいとは思わなくなりました。指輪は必要な方に行きわたるものなのだと思います。神様のご采配によって。

サムハラ神社の指輪を通じて人間の欲望とは何なのか。神様とは何なのか。いろいろ気づかせていただくきっかけになったのかもしれません。

ただ、どんなに人間が欲望を持ち込んでもサムハラの神様には人間のエゴはまったく通じません。法則の神様なので、自分が蒔いた種は自分が刈り取る、やったことは自分に跳ね返るだけですから。


サムハラと合気道開祖は深い関わりがあります。以下、八千代市合氣道連盟HP神示に現れた神々から引用させていただきました。
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天の村雲九鬼さむはら竜王(天之叢雲九鬼さむはら竜王)
一言で言えば、「気(エネルギー)の根源神」です。気によって、「いかなる業(ごう)をも、一瞬にして浄めてしまう神様」です。

植芝家の守護神で、合気道の守護神でもあります。天地の祖神(「主(ス)」の神、「ゝ(ポチ)」、皇大神即ち大天主太神、速武産の大神、 時として天之御中主神)又はその働きの現れです。

天地創造の力(エネルギー)の神です。

「また天叢雲九鬼(あめのむらくもくき)さむはら竜王大神(亦の名を速武産大神)が降臨され『我は植芝の血脈にくい入りくい込んでいるぞ』と言われたのです。 そして合気道の守護神であると言われたのです」

「この意義をよく考え思うべし、この守護神によりて、汝に武産の使命を気結びされたるなり」

「天の叢雲とは、宇宙の気、おのころ島の気、森羅万象の気を、つらぬいていぶくことをいう」

「九鬼とは、おのころ島に発生したすべての物の原子。即ち造物主の使命達成のために現れた九星(一白、二黒、三碧、四緑、五黄、六白、七赤、八白、九紫)の気である。 いざなぎの命、いざなみの命の島生み神生みの気も、すべてこの九鬼よりはじまる」

「さむはらとは、宇宙森羅万象の気をととのえて、世のゆがみを正道にもどすことをいう。 日月星辰も、人体もことごとく気と気の交流の結果生まれたものであるから、世界の気、宇宙の気を調整しなければ、やがては邪気を発して、風害、 水害、火災、戦争、病気、飢餓がおこる。 このすべての邪気を、天授の真理によってみそぎして、地上天国の極楽浄土を建設することを、さむはらという」 ちなみに、開祖は、『武産合気』と書いて『さむはら』と読ませたそうです。

『竜王』はこの神すべてにかかる名ですが、風水では竜は『気』を指し、龍神が雨乞いの神であることから、この神を「気(エネルギー)の根源神」として間違いないようです。

『さむはら』は聞き慣れない神名ですが、福岡県前原市に聖武天皇の御世725年にインドから渡来した高僧、清賀上人(せいがしょうにん)が 開創したと伝えられる雷山(らいざん)千如寺があり、身代わりの御守り『サムハラ』を授けています。

御利益は、十転化の功徳(悪を転じて善と化す。邪を転じて正と化す。愚を転じて賢と化す。貧を転じて富と化す。賤を転じて貴と化す。乱を転じて治と化す。危を転じて安と化す。 禍を転じて福と化す。迷を転じて悟と化す。痴を転じて仏と化す)です。

「宇宙森羅万象の気をととのえて、世のゆがみを正道にもどす」と開祖が言われたことと符合します。

『サムハラ』は、元はサンスクリット語の『シャンバラ(幸福を維持・用意・収集・養育するもの、静かで穏やかなこと、平和などの多くの意)』 ではなかったかという説もあります。

森信三先生は、「このサ・ム・ハ・ラは成熟を意味する梵語(サンスクリット語)のようです」と説明しています。

大阪市にサムハラ神社があります。ご祭神はサムハラ大神(天御中主大神、高皇産霊大神、神皇産霊大神の三神の総称)です。

この三神は造化三神と呼ばれ、宇宙創造の根源であり生成力を表わしているので、開祖の説明とも一致します。

加藤清正が、刀に『サムハラ』と彫りつけて朝鮮半島に出兵し、九死に一生を得たそうですが、日露戦争の頃にも『サムハラ』の護符は弾除けのご利益があるとして流行ったそうです。

開祖も『サムハラ』を身に着けていたお蔭で、日露戦争従軍時、奇跡的に何度も危機を逃れたそうです(「飛んでくる敵の弾丸がよう見えるようになった」と述懐)。

したがって、開祖には取り立てて説明の要らない身近な神様であったと思います。
(引用以上)
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サムハラ神社(筆者撮影)

わたしは「天の叢雲九鬼サムハラ龍王」の九鬼(くき)を「くかみ」と読ませていただいております。鬼の正体はもともといた神様で、本当は恐ろしい存在ではありません。そして日本は古来より鬼は「強い」という意味があります。そして九鬼は「最も強い」という意味がこめられています。

このサムハラ龍王は戦争を終わらせるために合気道開祖に和合の武道を大成するよう天命を授けられたのです。


さて、今回のサムハラ神社の指輪転売対策。「御魂抜き」=無効化。エゴにもとづいたお守りが解除となったわけですね。今回の現象から読み取れることは、

造化三神が動かれる時が満ちた


ということです。エゴの世界は仏教の六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)の世界です。六道は人間の自我想念が作り出した幻の世界です。

今回、サムハラ神社による「エゴ意識に基づく御神環は無効化された」という現象は

六道は無効化される

(幽界は消滅される)


ということなのでしょう。サムハラ龍王が動かれるそのこころは、


森羅万象の氣をととのえて、

六道を正道に戻す


ということなのだと思います。つまり、



自然界を秩序通りに仕組み直す


ということです。すなわち艮金神、国之常立命、瀬織津姫の復活がともないます。自然災害が引き起こされて地上を浄化されるということであります。


そういえば、今朝見た夢は、コトシロヌシとタケミナカタ(いずれも国譲りの際にはたらかれた出雲の神様)に国が戻されるという内容の夢でした。出雲がいよいよ動く!?


【サムハラ龍王・スサノオ命】については次回も書かせていただきます。



今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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【サムハラ龍王・スサノオ命】に導かれて その1「出現!」

【サムハラ龍王・スサノオ命】に導かれて その2「直達!」

【サムハラ龍王・スサノオ命】に導かれて その3「開示!」

龍神様は強いからこそ戦わない。本当に強い人は相手と戦わず受けとめられる人。


by new-jomon | 2019-07-31 20:33 | 自己開示・神化への道 | Comments(0)

【サムハラ龍王・スサノオ命】に導かれて その3「開示!」

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偉大な霊覚者である植芝盛平翁と五井昌久先生、そして安岡正篤先生にわたしは多大なる霊的サポートをいただいてまいりました。どなたも既に三次元を離れておられますが、今になってやっと気づかされたことを書かせていただけるようになりました。


いつもいつもそうなのですが、そのときはわからないのです。何年も気づかないのです。あとになってから「ハッ」と気付いて「そうだったのですね」と肚に落ちると同時に感謝が込み上げるのです。


サムハラ龍王とスサノオ命に導かれて・・・の記事を3回目に書かせていただきます。


以下の記事は1年くらい前に気づきを得て書いた記録です。三次元でおはたらきになられた霊覚者の方々は、肉体の有無、時代を超えて、神界でも天命をまっとうすべくおはたらきになっておられるのです。わたしたちはこの方々をお手本とさせていただくのがよろしいかと思われます。


合気道開祖・植芝盛平翁。

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宗教家の五井昌久先生。

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東洋思想家の安岡正篤先生。


三次元で同時代に肉体を持っておられた御三方は、実際にご交流があったのです。


わたしはその日の午前中、たまたま合気道の先生にいただいた五井先生の本を手に取っていまして、安岡先生のことが書かれていたことにはじめて気付かされました。

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そしてその日の夕方に芝桜を植えていたのです。


芝を植える。植芝・・・(゚д゚)ハッ!


まさか、植芝先生と五井先生と安岡先生が大変親しくされていたなんて。。。今の今までまったく存じませんでした。


そのことが詳しく書かれた記事を以下に転載させていただきました。

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左:植芝盛平翁 右:五井昌久先生。

<植芝先生と五井先生の出会い>


植芝先生と五井先生が初めて対面されたのは、昭和32年10月のことです。


五井先生は、火野葦平が書いた「王者の座」と言う小説や「合気道」という本を読まれ、その中にある植芝先生の述懐などで、植芝先生の悟りの境地を理解され、会いたいと思っておられました。


五井先生のお弟子の高橋英雄氏は、著「武産合気(たけむすあいき)」のなかで「五井先生みずからお会いしたい、と思われる人物は滅多にいない。私の知る範囲では、今迄に植芝先生だけだったと思う。」と書いておられます。


また、植芝先生は五井先生に実際にお会いする1ヶ月も前から、自分の会いたい人から迎えがくると仰っていたというエピソードもあります。


こうしてお二人は、五井先生の講演会場となっていた神田神保町区民館で初めて対面されたのです。


この時のことを、五井先生は


こうした神はかりによって、植芝先生と私が対面したのでありますが、「やあ、いらっしゃいませ」「やあ、今日は」といわぬ先から、二つの心は一つに結ばれて、私は植芝先生という人格、否、神格がすっかりわかってしまったし、植芝先生も、私のすべてがおわかりになったようでありました。 


・・・(省略)・・・



植芝翁は確かに神の化身であります。その神の化身は非常に謙遜があって、肉体身としては、自分の子供にも等しい無名の宗教者のところへ、ご自分のほうからお出掛け下さって、「これからは先生の働き時、私はお手伝いになりましょう」といわれるのですから、ますますそのお心が輝くのです。』と書いておられます。


また、上述「武産合気(たけむすあいき)」の中で高橋英雄氏は、その時の様子を『植芝先生はその時二時間ぐらい歓談されていたが、五井先生に「私は先生と会う日を待っていたのです。私のあとを完成してくれる人が必ずいる筈だ、とさがしていたのです。私は神の道をひらく役目で、その後は先生にやっていただくのですから、よろしく頼みます」とおっしゃっていた』と書いています。


また、この時、五井先生が「私は宇宙です」と申されると、植芝先生も「私も宇宙です」と答えられたと、なにかの本に書いてありましたが、不世出の霊覚者お二人の想像を絶する心境の高さを示すエピソードとして、私のなかでは非常に印象に残っています。


この初対面以来、昭和44年に植芝先生が亡くなられるまで、肝胆相照らすお二人の交流は続くことになります。上述の「武産合気」によると植芝先生は五井先生について


『「わしの正体を見破ったのは、五井先生お一人じゃ』と武道家的表現を使ったり、「わしをほんとうにわかってくれたのは五井先生だけじゃ」と、うれしそうに話してくださるのだった。』とあります。


また、五井先生は植芝先生について


植芝先生は、武道修行の極致から、霊覚を得られた方であって、私との初対面から「五井先生は祈りのご本尊であり、中心の神の現れである」といわれ、私が植芝先生を上座に据えるのを、自ら下座に坐られ、若輩の私に上座をすすめられたものであった。真理に徹しておられぬとなかなかそういうことをできるものではない。


植芝先生の肉体というのは、普通人の肉体ではなく、神霊そのものの体であって、宇宙の根源に統一できる体であった。だから、八方から槍で囲んで、同時に打ってかかっても、打ってかかったほうが、まるでわざと倒れるような格好で、一度に倒れてしまい、当の植芝先生は、小ゆるぎもみえぬそのままの状態で立っておられる。その状態はもう技というのではなくて、翁の肉体が透明になり切り、宇宙大に拡がってしまっている状態なのである。そういう真の姿を知っているのは私だけかもしれない。」と述べられています。

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<五井先生が語られる合気道

五井先生の弟子であり、植芝先生の合気道の弟子でもあった高橋英雄氏の著「武産合気(たけむすあいき)」の中で、五井先生は植芝先生の合気道について


この日の植芝先生の話や、合気道についての本から得た感じでは、合気道という武道の一種と見られる道は、空を行ずることが根幹であり、そこから生まれる自由無礙の動きであり、大調和、愛気の動きである、と思ったのです。空を行ずるという言葉をいいかえれば、自我の想念を無くするということであります。



植芝盛平翁は、この真理を、身をもって語り、身をもって実際に行じておられるのですから、私が偉大な人と思い、お会いしたいという気になったのです。』と語られ、


また、自著「日本の心」では、『翁が開かれた合気の道は、全く平和の道であって、真の武とは、戈を止めるという文字の示す通り、戦争や争いを止める道なのである。植芝先生こそ、正に世界において、はじめて武の奥義に達した人というべく、昇天して私と共に平和運動に働かれることも、すでに神界において定められた道であったのだろう。』と述べられています。


<植芝先生が語られる合気道


植芝先生はご自分の合気道について、前述「武産合気(たけむすあいき)」の中で


『「相手の目をみてはいけない。目に心を吸収されてしまうからです。相手の剣を見てはいけない。剣に気が把われてしまうからです。相手を見てはいけない。相手の気を吸収してしまうからです。真の武とは相手の全貌を吸収してしまう引力の練磨です。だから、わたしはこのまま立っとればいいんじゃ。」(省略)


私はうしろむきに立っていればいいのです。相手が打ってくれば、打とうという自分の想いで、自分自身を打ってしまい傷つけてしまうのです。私は宇宙と一つなのです。私には何物もない。立てば相手は吸収されてしまうのです。植芝の合気道には時間もない空間もない、宇宙そのままがあるだけなのです。これを勝速日といいます。」』と仰っておられます。

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<植芝先生が語られる合気道

「武産合気(たけむすあいき)」によれば植芝先生は、自分の合気道について『「植芝の合気道には敵がないのです。相手があり敵があって、それより強くなりそれを倒すのが武道であると思ったら違います。



真の武道には相手もない、敵もない。真の武道とは、宇宙そのものと一つになることなのです。宇宙に帰一することなのです。合気道においては、強くなろう、相手を倒してやろうと練磨するのではなく、世界人類の平和のため、少しでもお役に立とうと、自己を宇宙の中心に帰一しようとする心が必要なのです。合気道とは、各人に与えられた天命を完成させてあげる羅針盤であり、和合の道であり愛の道なのです」  (省略)



植芝の武産合気は、この木刀一振にも宇宙の妙精を悉く吸収するのです。この一剣に過去も現在も未来もすべて吸収されてしまうのです。宇宙も吸収されているのです。時間空間がないのです。億万劫の昔より発生した生命が、この一剣に生々と生きているのです。古代に生きていた私も生きていれば、現在の私もいる。永遠の生命が脈々と躍動しているのです。



合気道は至忠至孝の道であり、この世の経綸の業であります。即ち地上天国に向かい、国完成への大御神ご神業の主体たる、人としての分身分業のつとめであります。・・・(省略)・・・』と語られ、また、五井先生の著書「日本の心」では、


植芝翁の言葉をそのままお伝えすると、「合気とは、敵と闘い、敵を破る術ではない。世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我は即ち宇宙」なのである。私はこのことを、武を通じて悟った。



いかなる速技で、敵がおそいかかっても、私は敗れない。それは、私の技が、敵の技より速いからではない。これは、速い、おそいの問題ではない。はじめから勝負がついているのだ。



敵が、「宇宙そのものである私」とあらそおうとすることは、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。すなわち、私と争おうという気持ちをおこした瞬間に、敵はすでにやぶれているのだ。そこには、速いとか、おそいとかいう、時の長さが全然存在しないのだ。



合気道は、無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気ある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているのである。ではいかにしたら、己の邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?


それには、まず神の心を己の心とすることだ。それは上下四方、古往今来、宇宙のすみずみまでにおよぶ、偉大なる「愛」である。・・・(省略)


・・・真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。即ち絶対不敗とは絶対に何ものとも争わぬことである。勝つとは己の心の中の「争う心」にうちかつことである。あたえられた自己の使命をなしとげることである。


しかし、いかにその理論をむずかしく説いても、それを実行しなければ、その人はただの人間にすぎない。合気道は、これを実行してはじめて偉大な力が加わり、大自然そのものに一致することができるのである。」』と、書かれています。

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<植芝先生の神我一体>

 五井先生の著「日本の心」の中に、植芝先生が神我一体を体験された時のことが書かれています。


たしか、大正十四年の春だったと思う。私が一人で庭を散歩していると、突然天地が動揺して、大地から黄金の気がふきあがり、私の身体をつつむと共に、私自身も黄金体と化したような感じがした。それと同時に、心身共に軽くなり、小鳥のささやきの意味もわかり、この宇宙を創造された神の心が、はっきり理解できるようになった。その瞬間私は、「武道の根源は、神の愛(万有愛護の精神)である」と悟り得て、法悦の涙がとめどなく頬を流れた。


 その時以来、私は、この地球全体が我が家、日月星辰はことごとく我がものと感じるようになり、眼前の地位や、名誉や財宝は勿論、強くなろうという執着も一切なくなった。・・・( 省 略 )・・・


 夜、一時二時頃、庭に降りたち、自分は剣をもって立った。ところが不思議に、一人の幽体、白いものがパッと現れた。白い者も剣をもって私に向い立つ。こうして剣の修業がはじまった。


そしてターッと打ってゆこうとすると、その瞬間にパッと相手が入ってくる。相手の剣が自分の腹先にパッと入ってくる。少しも油断は出来ない。はじめは私の動作はおそかったが、修業しているうちに、幽体の相手が入ってくる瞬間に、相手の木剣を下へ切り落とした。すると白い相手は消えてしまった。



 なお三日間ぐらい続行しているうちに、相手をぐっとにらむと剣が消えてしまった。その時、自分を眺めると姿がない。ただ霊身だろうと思うが、一つの光の姿がある。あたりは光の雲でいっぱいである。といって自分の意識はある。木剣を持っている気持ちもある、が木剣はない。ただ一つの呼吸のみがある。これが二週間つづいた。



 新たに、日をおいて立つと、木剣も自分も光の雲もなく、宇宙一杯に自分が残っているように感じた。その時は白光の気もなく、自分の呼吸によって、すべて宇宙の極が支配され、宇宙が腹中へ入っていた。


 これが宗教の奥義であると知り、武道の奥義も宗教と一つなのであると知って、法悦の涙にむせんで泣いた。


 山川草木、食獣虫魚類にいたるまで、すべて大宇宙の一元の営みの現れである、と大神さまに敬けんな感謝が心からわいて、泣けてしまったのである


と、植芝先生は神我一体の時の体験を述べられています。

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<五井先生の神我一体>


 五井先生も、ご自身の神我一体の体験を「日本の心」の中で書いておられます。


自然はなんて、美しいのだろう。私は自然の美しさの中に半ば融けこみながら、世の中から病苦を除き、貧苦を除かなければ、この美しさの中に全心を融けこませるわけにはゆかないのだなあ、と自分の責任ででもあるような痛い声を心のどこかできいていた。



 私はその声に応えるように、「神様、どうぞ私のいのちを神様のおしごとにおつかい下さい」と、いつもの祈りを強くくりかえしながら歩いた。そのまま向岸へ渡る舟着場まで来て、土手を下りようとした瞬間「お前のいのちは神が貰った。覚悟はよいか」と電撃のような声がひびき渡った。


その声は頭の中での声でも、心の中の声でもなく、全く天からきた、意味をもったひびき、即ち天声であったのだ。それは確かに声であり、言葉である。しかし、後日毎朝毎晩きかされた人声と等しきひびきの霊言ではなかった。私はそのひびきに一瞬の間隙もなく「はい」と心で応えた。


 この時を境に私のすべては神のものとなり、個人の五井昌久、個我の五井昌久は消滅し去ったのである。しかし事態が表面に現れたのはかなり時日が経ってからであった。』

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五井先生はご著書「日本の心」の中で、神我一体となられた時の様子を次のように書かれています


『「私は例の如く就寝前の瞑想に入った。想念停止の練習により、私は直ちに統一することが出来る。その夜統一したと思うと、吸う息がなくなり、吐く息のみがつづいた。すると眼の前に天迄もつづいているかと思える水晶のように澄みきった太く円い柱が現われ、私は吐く息にのり、その太柱を伝わって上昇しはじめた。< 中 略 >


 七つ目の金色に輝やく霊界をぬけ出た時は、全くの光明燦然、あらゆる色を綜合して純化した光明とでもいうような光の中に、金色に輝く椅子に腰掛け、昔の公卿の被っていたと思われる紫色の冠をかぶった私がいた。“あっ”と思う間もなく、私の意識はその中に合体してしまった。合体した私は静かに立ち上がる。確かにそこは神界である。様々な神々が去来するのが見える。 < 中 略 >


 天の私(真我)に地の私が合体して停っているこの現実。霊的神我一体観が遂に写実的神我一体として私の自意識が今確認しているのである。


想念停止の練習時にはもう少し上に(奥に)もう一段上に自己の本体がある、と直感しながら今迄合体出来なかったその本体に、その時正しく合体したのである。吾がうちなる光が、すべての障害を消滅せしめて大なる発光をしたのである。


その時以来、私は光そのものとしての自己を観じ、私の内部の光を放射することによって、悩める者を救い、病める者を癒しているのである。


天とは人間の奥深い内部であり、神我とは内奥の無我の光そのものであることを、はっきり認識した。  ・・・・( 省 略 )・・・   」



瞑想してやや暫くした時、眼の前がにわかにただならぬ光明に輝いてきた。私は想念を動かさず、ひらすらその光明をみつめている。すると、前方はるか上方より、仏像そのままの釈尊が純白の蓮華台に結跏趺坐されて降って来られ、私のほうに両手を出された。私も思わず、両手を差し出すと、如意宝珠かと思われる金色の珠を私の掌に乗せて下さった。



私は思わず押しいただき、霊体の懐に収めた。その後、現象界でいう、おさかきのような葉を五枚下さって、そのまま光明燦然と消えてゆかれた。私は暫く釈尊をお見送りする気持ちで瞑想をつづけていると、今度は、やはり光り輝く中から、金色の十字架を背負ったイエス・キリストが現われたとみるまに、私の体中に真向うから突入して来て消えた。



その時、“汝はキリストと同体なり”という声が、烈しく耳に残った。私のその朝の瞑想は、その声を耳底に残したまま終わってしまった。


私は深い感動というより、痛い程の使命感を胸底深く感じていた。そのことが単なる幻想でないことを、私の魂がはっきり知っていた。“汝は今日より自由自在なり、天命を完うすべし”という内奥の声を、はっきり聴いていたからである。私は直覚的にすべてを知り得る者、霊覚者となっていたのである。


私はその日から表面は全く昔の私、つまり、霊魂問題に夢中にならなかった以前の私に還っていた。私はすべてを私自身の頭で考え、私自身の言葉で語り、私自身の手足で動き私自身の微笑で人にむき合った。私の眼はもはや宙をみつめることもなく、私の表情は柔和に自由に心の動きを表現した。



私はもはや神を呼ぶことをしなかった。人に押しつけがましく信仰の話をしなくなった。父母にも兄夫婦にも弟にも、昔の五井昌久が甦ってみえた。柔かな、思いやり深い、気楽で明るい息子が冗談をいいながら、老父の脚をさすり、老母の肩をもみほぐす毎夜がつづいた。」ということになったのであります。』

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五井先生はご著書「日本の心」の中で、


植芝先生は、力による武道から、遂に神我一体の境地を経て、宗教道と全く一つである合気武道を創設されたのであり、私は、はじめから自己の弱小を悟って、すべてを神に任ね、そこから神我一体の境地に至り、神様の器になり切ったのであります。



 修業の道は全く異なった形をとりながら、行きついたところは、全く一つの境地であったことが、植芝先生と私を今日の結ばれにもっていったのでありましょう。』と書かれています。



 五井先生が植芝先生を讃えられた詩をご紹介します。


神 の 化 身


―  植芝盛平翁を讃う ―


其の人は確かに神の化身だ


其の人は肉体そのまま


宇宙になりきり


自己に対する相手をもたぬ


 宇宙と一体の自分に敵はない


其の人は当然のように


そう云い放つ


五尺の小身


八十路に近い肉体



だがその人は


宇宙一杯にひろがっている自分を


はっきり知っている


  如何なる大兵の敵も


 どのような多数の相手も


 そのまま空になりきっている


 其の人を倒す事は出来ない


 空はそのまま天御中主


天御中主に融けきったところから


その人は


守護神そのままの力を出だす


この人の力は



すでにすべての武を超えた


大愛の大気のはたらき


鋭い眼光と慈悲のまなざし


その二つのはたらきが


一つに調和し


その人の人格となって


人々の胸を打つ


その人は正に神の化身


大愛絶対者の御使人


私はその人の偉大さを


心に沁みて知っている

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安岡正篤先生と五井先生のご交流>


東洋思想家の安岡正篤(まさひろ)先生は五井先生を「霊覚のある、しかも法力のある無欲な宗教家の第一人者は五井先生でしょう」と評されていました。



五井先生は自然である。宗教家にありがちな臭みがない。尊大ぶったところがない。巧(たく)んだり構えたりするところがない。実に自然である。だからお話をしていてもとても気持がいい

(「白光真宏会ホームページ」より)


以下、五井先生について引用させていただきました。


「謙虚になって、皆に尽くさなきゃならない。本当に謙虚であれ」
 

と五井先生は語っています。


「何の不安も無いか、何の高慢なものも無いか、何の妬(ねた)みの心も無いか、そういうものがあるかないかをよーく自分で把握しなきゃだめ」



謙虚に、謙虚に、肉体の身を全部見直して、心の隅から隅から考えても、ちっとも不安が無いか、何の不安も無いか、何の高慢なものも無いか、何の妬(ねた)みの心も無いか、そういうものがあるかないかをよーく自分で把握しなきゃだめ。自分の心を断ち切って、探って探って、果たしてあるか、ないか。



 あってもいいんだ。あったっていい。全部なくなりっこないから。あったら
『ああ、神様勘弁してください。神様の心が自分に入っているのに、まだ神様まで到達できない。ごめんなさい』って言いながら、世界人類が平和でありますように、どうか私が立派な人間になりますようにって、やらなきゃだめですよ


(動画「五井先生の珍しいお叱り1」より)



 五井昌久先生は、「内観・瞑想」の大切さを次のように説いている。以下、要約。



「内観瞑想によって、この肉体身と肉体想念の不浄さ不完全さに気づき、肉体の自己の想念意識から離れて、本心すなわち、〈直霊・真我〉を黙想して悟りを得よ」


 直霊・真我とは、良知のことである。


自らの情けなさを思い知るからこそ、心底謙虚な人間になりたいと思うし、少なくともその瞬間は謙虚な気持ちになれるのである 以上。


わたしはこのような境地に到達された偉大な先達からのサポートをいただいてきたことに、やっと気づかせていただいたのが一年前だったのです。ただただ深い感謝です・・・それ以外にありません。


【サムハラ龍王・スサノオ命】については次回も書かせていただきます。




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【サムハラ龍王・スサノオ命】に導かれて その1「出現!」

【サムハラ龍王・スサノオ命】に導かれて その2「直達!」


by new-jomon | 2019-07-30 02:07 | 自己開示・神化への道 | Comments(0)

【サムハラ龍王・スサノオ命】に導かれて その2「直達!」

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サムハラ龍王・スサノオ命・合氣道開祖との関わりについて書かせていただいております。

先にこちらの記事から読まれますことをおすすめしております。



今から12年くらい前のことです。

熊野本宮大社にご参拝したときになぜか突然涙が流れたのです。

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熊野本宮大社(筆者撮影)

そのとき、リュウさんを主人公にして小説を書こうと決心しました。なぜか書きなさいといわれたような気がしたんです。


12年たった今、12年前に自分の身に起きた現象の意味がやっとわかるようになったことがたくさんあります。


HPで暗号解読を書き進めていくうちに、熊野本宮大社と自分に関わることの点と点がつながって明確な線となって気づかされていったのです。


リュウさんの生きざまを書くということは、戦いの人生を書くということです。波動拳をはじめとする神通力を駆使する彼の人生を、どうして書けたのか今ならわかるような気がします。


小説では直観で「役行者(えんのぎょうじゃ)と空海の神通力を融合させたのが波動拳の原形」と書きましたが、この二人の超能力者は、筆者の生まれ育った生駒山で修行をしていたということが昨年わかりました。直観って、当たるものなんだな~と思いました。


直感を受信した熊野本宮大社は古より修験者をはじめとする求道者たちが目指す悟りの聖地です。熊野三山のなかでも、本宮は熊野古道、大峰奥駆道を難行苦行の修行の道としてたどり着く最終目的地なのです。

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大峯奥駈道 吉野山金峯山寺から大峰山寺、玉置神社を経て本宮へ 役行者が開いた難行苦行の修行の道

熊野本宮大社合気道開祖・植芝盛平翁と密接な関係がありました。(このことは去年はじめて知りました。)和歌山県田辺市出身の開祖は熊野本宮に百数十回もご参拝しておられたのです。


そもそも開祖は男の子に恵まれなかったご両親が男の子の誕生を熊野本宮に祈願して授かったのが植芝盛平翁でした。ゆえに開祖は「わしは本宮の申し子じゃ」とおっしゃっていたのでした。

http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/000200/nagomi/web/nagomi03/specialfeature-p4/

▲【特集】世界遺産登録から3年 再発見、世界遺産「高野・熊野」

開祖は幼少時から武道を研鑽され数々の武勇伝を残されています。


最終的には勝負をするための武道ではなく「自分に向けられた攻撃を止めるための平和の術」として信仰と武道の精神を融合させた合気道を完成されました。


わたしは熊野本宮で小説を書くことを決心したものの、戦いの世界観を書くにはあまりにも知識がなかったので100冊ほど様々な書物を読みました。


その中で、リュウさんの師匠と弟子の修行風景を書くために合気道開祖とその高弟である塩田剛三師範の修行エピソードが書かれた本を長編小説に盛り込んで書きました


その後なんと、「三年かけてでも良き師に出会いなさい」をモットーにしておられる78歳の合気道の先生に出会ったのです。


驚くべきことに、その先生は開祖の直弟子であり、塩田剛三師範の後輩だったのです。先生の門人にピストルの弾を抜刀術で真っ二つにされるテレビにも出られた有名な居合の達人もいらっしゃいました。

先生は、素人のわたしに


あんたがこの町で合気道場を開いて指導者になりなさい


とおっしゃったものだからびっくりしました。丁重に辞退させていただいたのですが、先生は断固として


「これは大先生(開祖)の思し召しなんや」


とおっしゃったのです。

本当にびっくりしましたよ。でも、こういうことが本当にあるのです。

結局先生の熱意に圧倒されてわたしは地域の武道場を借りて合気道場開設・代表者になりました。先生はわたしに無試験で5級の免状を持ってこられました。


そして袴をはきなさいと命じられました。素人のわたしは袴をはいて開祖の写真に向かって拝礼の号令係をつかまつりました。


それから不思議なのですが開祖からのメッセージを受け取るようになりました。開祖は武道にまつわることは一切語られず、ひたすらに世界平和についてのメッセージをお伝えされていました。


そのとき、なぜか開祖と一緒に五井先生も出てこられたのです。


わたしは五井先生を存じませんでしたが、開祖とともに世界平和にご尽力されておられるご様子でした。

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植芝盛平翁と五井昌久先生。

わたしは当時何も知らなかったので、開祖と五井先生が生前、肝胆相照らすご交流をされておられた仲だったとは今まで全く存じませんでした。


先生はわたしを指導者にするつもりだったらしく、進級試験を受けるように何度も稽古をつけてくださいましたが、わたしは合気道のお世話役と子供さんの稽古相手に徹する覚悟でお役目を引き受けましたので、昇級試験は受けませんでした。ゆえに生涯最下級です。


先生はわたしに武道関連本や古事記などの本、開祖のDVDを持ってこられて「勉強しておくように」とおっしゃいましたが、なぜかまったく読みませんでした。



道家の方々が実践される滝行、座禅、瞑想なども一切やりませんでした。先生もかつて開祖に連れられて滝行をしたとおっしゃっていました。合氣道仲間は今度滝に打たれに行こう、という話で盛り上がっていましたけれど、わたしは心の中で誘わないで~と思っていたくらい、修行は今世ではもうやらないと決めていたのです。(過去世でさんざんやった感はあります)


当時のわたしはまったく無知でしたので開祖が神道大本)と関わりが深いことも、出口王仁三郎師の側近だったことも知りませんでしたので、白黒の映像で開祖が祝詞を奏上する姿を拝見してもよくわかりませんでした。


先生はご自身が開祖に教わったように教えてくださいました。いつも手のひらの中心に「ス」の神様を意識するようにとおっしゃいました。「氣」の稽古が多かったです。


「ス」の神様のことを、当時知る由もありませんでしたが、昨年から神様に導かれるようになってからというもの、今は「ス」の神様のご存在をわからせていただけるようになりました。


それから門下生が20名くらいになったころ、稽古中に「これで終い!」と開祖の声(?)がしましたので、それをきっかけにお役割を終えさせていただいたのでした。


これで武道を卒業させていただけると思っていたのですが、それから6年後、再び別の合気道場に入門することになったのです。


そこは友人が稽古している道場で一年くらい前から来るよう何度も誘われていた道場でした。


そこの稽古は大変変わっていて、合気道の技をほとんどせず、指先一本から発する氣で相手を倒すことをやっていました。


この技は自我意識があったらできない技でした。


「宇宙意識に到達していなければできません」


と先生はおっしゃっていました。

無我でありながら、深い感謝の思いがなければ決して技を極めることはできず自己の内面が技として現れるものでした。わたしは先生の氣と同調すれば技を極めることができました。

ここの合気道の先生は


八段の有段者でもできない最難関の稽古をやっています


とおっしゃっていました。

なんとここの先生は五井先生の教えを実践しておられたのです。今から二年前、わたしは先生に五井先生の本をいただきました。わたしは以前合気道のお世話役をしていたころに、開祖とともに五井先生が世界平和のメッセージを送ってくださっていたことをこのときでさえ気づかずにいました。

これは五井先生の教えが刻印された「ピースポール」。


五井昌久先生の著著「日本の心」では、『翁が開かれた合気の道は、全く平和の道であって、真の武とは、戈を止めるという文字の示す通り、戦争や争いを止める道なのである。植芝先生こそ、正に世界において、はじめて武の奥義に達した人というべく、昇天して私と共に平和運動に働かれることも、すでに神界において定められた道であったのだろう。』と述べられています。


わたしはこの一文を読んで、「ああ、あのとき開祖と五井先生はたしかにサポートしてくださっていた。なんとありがたかったことだろう・・・。」と深く感謝したのであります。


これらはすべて神様の神はかりだったのだなあ、と今ならわかります。


当時、合氣道の稽古中にわたしは空間が小さな粒粒で満たされているという不可視の空間を視覚化する体験をしました。自分はとうとう頭までおかしくなってしまったのだろうかとショックで誰にも言えませんでした。脳の病気ではなかろうかと思うと怖かったのです。


けれどそれは脳の病変ではなく、すべては愛で満たされていて、空気でさえ愛だったと後になってから気付かされたのです。

同時に、今まで考えもしなかった「色即是空、空即是色、天上天下唯我独尊」の意味が理屈を超えてわかったのでした。


わたしは去年から「ストリートファイターシリーズ」に神様が隠されていたことに気付きはじめ、HPにその体験と気づきを書くようになりました。


HP(ひのもと復活!新しい地球へ

神様はヒントは与えてくださいますが、答えは自ら出した後に示してくださいます。このあたりのことはHPに書きましたが、ストリートファイターシリーズに隠されていた『日月神示』に記されていた「五度の岩戸閉め」を洞察し、原因を突き止めることを知らず知らずのうちに実践してゆくことになっていったのです。


日月神示』は大本教と関わりが深く、植芝盛平翁の信仰がここにあったことを、わたしはこの時初めて知りました。


結局、わたしがストⅡのリュウさんを見て落雷のごとく衝撃を受けたのは、26年後の未来のミッションを受け取っていたのかもしれないと今は思うのです。

実は小説よりも奇なり」というのは本当です。想像を超えた体験の連続ですが、これは本人にしかわかりえないことです。誰もが個々様々に体験されているように。


自分で答えを出した後、日本神界の神々様、封印されていたアラハバキの神々様、歴代天皇様と同時空間でご交流させていただく体験をしました。


わたしは霊感はありませんので、全く見えない触れない聞こえませんでしたが、御神業師様は


高次元の方々と周波数が著しく違うと、肉体や精神に何らかの不調和を起こすことがあります


とおっしゃいました。

わたしは全く変化がありませんでしたので「なんだ、神様ってもっとモワーッとかギラギラとかしているのかと思ったのに、何にも感じないんだ」と少し残念だったりしましたが、本当は常に密接に実在されておられたのです。わたしたち人間が神様をあまりにも切り離しすぎていたせいで感じることができなくなってしまっただけなのです。


高次元には神様以外にも天使や宇宙人などがたくさんご存在されておられます。どの御存在も人間をサポートしたくてずっとお待ちになっておられます。そして人間の波動が高次元の方々とご交流できる周波数まで上げなければ同調することができません。要するに人間の自我があったら高次元の方々とは同調できずお役割不可となってしまうのです。


『波動の法則』の足立育朗さんがおっしゃるには


役割をされる人間が非常に少ないのです。たくさんの高次元の方々が、役割をされる人間をお待ちになっておられます


とのことです。

HPやブログを書き始めた時にはまったく予想もしなかったことを、今こうして書いています。そもそも26年前にリュウさんを見た時に衝撃を受けた自分自身が基地外だと思っていましたから、わたしのことを基地外だと思ってくださってもかまいませんよ(笑)

いずれにしてもこういうことは、人に言えることではありません。こういう話は受け入れられないのは当然ですから。でも、今はこういう話も興味を持って下さる方も増えてきました。それだけ地球の周波数が上がっているのだと思います。


一方で、世の中を見渡してみると、世界の動向はますますエゴの方向へ突っ走っていることも明らかです。一個人ができうることは自分のエゴを極力減らすこと、感謝を深めることです。自分の周波数をエゴに同調しないように、日々ポジティブでいることです。


著しく不調和に陥ってしまった日本人が自我意識から目覚めて地球を救うことをしなければ、大峠を越すことはできません。タイムリミットが迫っています。


人間が神々と一体となって、神々の手足となってこの三次元で役割を実践することが、宇宙の計画のようです。しかし人間は生まれたときから洗脳され続け、無知と自我と欲のために役割を忘れて記憶喪失になってしまいました。


気づいた人から自我意識を統合意識に変換し、身魂磨きをして神様に使っていただけるように努めなければならないのですが、このことをわかる人はとても少ないとのことです。


どこまで行っても「これでよい」ということはありません。気づけば気づくほど、謙虚になり感謝を深めてゆくのです。


わたしもこれからが本番だと感じています。次なるテーマは「和合」がキーワードです。これまでは個人レベルの意識変換でしたが、次は「家族との和合」の方法をお伝えすることができればと思っています。

今回もおめどおしいただき、まことにありがとうございました。


【サムハラ龍王・スサノオ命】のお導きについては次回も続きます。


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【サムハラ龍王・スサノオ命】に導かれて その1「出現!」

龍神様は強いからこそ戦わない。本当に強い人は相手と戦わず受け止められる人。




by new-jomon | 2019-07-27 18:43 | 自己開示・神化への道 | Comments(0)

【サムハラ龍王・スサノオ命】に導かれて その1「出現!」

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「瀬織津姫からのミッション」は続いております。

直観ー実践行動ー記録を(1)~(18)までアップしてまいりましたが、

7月にこれまで書き綴ってまいりました記事とは別の

「お導き」

がございまして、別シリーズとして書かせていただきます。


(瀬織津姫のミッションの続編は後日書かせていただきます)


2019年7月20日。

この日、わたしは人としてのスサノオ命様と出会わせていただきました。

ちょうど19年前のその日、富士山で

素戔嗚命「復活の儀」が執り行われておりまして、

素戔嗚命に仕掛けられた封印が解除された日だったのでした。

さて、それからちょうど19年後に

わたしはスサノオ様と天王寺でお会いする約束を交わすことになったのです。
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その翌朝、不思議な夢を見ました。


わたしはなぜか「サムハラ神社行き」の最終電車に乗っていました。

(実際はそんな電車は存在しません)

終点(サムハラ神社付近)で降りたのですが、目的地は天王寺だったので、

駅員さんに

「天王寺に行きたいのですが、どうしたらいいですか?」

とお尋ねしましたら、

駅員さんはバスの運転手さんたちに掛け合ってくださって、

「このバスに乗ったらええよ」

と、最終便のバスに乗せてもらって天王寺へと向かったのでした。

夢はここで目覚めました。

「なんでサムハラ神社が夢に出てきたんやろ?」

そのときのわたしはまったく意味がわかりませんでした。
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サムハラ神社の神様は、宇宙開闢の三柱にして一なる根源神。

(あめのみなかぬし、たかみむすび、かみむすび)

その次の朝も夢を見ました。

博物館?美術館?骨董屋?みたいなところにわたしはいました。

夢の中に出てきた知らない人がわたしに

「合氣道の四方投げってどうやるの?」

と聞いてこられたものですから、わたしは

「こうやったかな~~~?」

と言いながらダンスのように両手を組んでゆらゆらしていました。

そんな様子を見ておられた合氣道開祖の植芝盛平翁が

なぜか上座にお座りになっていて、

「あんたの合氣はたわむれぢゃのう」

と言ってわたしを笑っておられました。

そこで目が覚めました。ちょうど午前4時でした。


ところでわたしは合氣道の技はまったくできませんが、

熊野本宮大社で開祖と霊線がつながってからというもの

合氣道を通して不思議な体験をさせていただいてまいりました。

ちなみに、合氣道開祖とサムハラ神社はとても深い関わりがあります。

その詳細は一度に書ききれませんので、後でリンクを貼らせていただきます。

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さて、「天王寺」は大阪の中心地です。

それにしてもなぜ待ち合わせ場所が天王寺だったのでしょう?

いや、天王寺でなければならなかったのです。
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てんのうじ。

ごずてんのう。

スサノオ命・・・。


さて、天王寺には「あべのハルカス」という、日本一高い商業ビルが建っております。

そのビルの中に美術館があります。

ちょうど今の期間は「ギュスターヴ・モロー」展が開催されておりました。

わたしは大阪駅から大々的に貼り出されていた

「ギュスターヴ・モロー」展のポスターを横目で見ていました。

わたしは神秘的なモローの絵が好きでしたので、

「見に行きたいな~」

と思いながら天王寺行きの電車に乗っていたのです。


そして待ち合わせの場所はハルカスの19階。

モロー展の美術館はハルカスの17階でした。

「サムハラ龍王」「天王寺」「合氣道開祖」「モロー」

これはすべてお導きだったのです。

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ギュスターヴ・モロー展

代表作はポスターの『出現』


モローは三次元に存在しない世界観ばかりを描いた「象徴主義」の画家です。

分かりやすく言うと「神話」「聖書」を主題にした絵を専門に描いたのです。

モローは

「私は見えないもの、感じるものだけを信じる」

という有名な言葉を残しています。

ご興味のある方は、ぜひ「あべのハルカス美術館」へ。


追記

スサノオ命は、とてもとってもやさしくて力強い神様です。

魂の奥底からお慕い申し上げてきた神様です。

日本人はみな、この神様を思い出したらすぐにわかられます。


日本は、

これからの大難を超えてゆく先駆けの国となります。

これはお役割なのです。

なぜなら「日本は雛型」だからです。

日本に起きたことは世界でも起きるしくみです。

日本は必ず大難を迎えることになっていますが、

スサノオ命様がお救いになられます。

これは筋書通り決まっているのです。

かつて「ヤマタノオロチ」を退治された筋書きを、

もう一度再現なさるのです。

これは神界において必ず成し遂げられることになっています。

日本に降りかかる大難は、明確にはわかりません。

明確なのはこの国の救世主の神様はスサノオ命様なのです。

日本人は長きに渡りこの神様を荒ぶる神、悪神、鬼としての集合意識を構築してしまいました。

日本人の親神さまであるスサノオ様を誤った認識をしてきたこと

このことに一刻も早く気づいて意識を変換し、

心の底からお詫び申し上げ、

すべての罪穢れを背負い

長きに渡り陰ながら日本と日本人を守りつづけてくださった

スサノオ命様に感謝し、

日本人がもとの日本人としての在り方を思い出して

親神様にまつろうこと。

まつろうとは、周波数を合わせること。


スサノオ命様がこの国を御救いになられるためには、

日本人ひとりひとりが目覚めておかなければなりません。


スサノオ命様がもう一度ヒーローの神としてこの国を厄災から守られることは

正しい神話に書き直すために必要なのです。

記紀神話は書きなおされる。

大難をくぐりぬけたあとの新しい地球を創造するために。



【サムハラ龍王・スサノオ命】については次回も書かせていただきます。



今回も最後までお読みいただきましてありがとうございました。

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by new-jomon | 2019-07-27 18:33 | 自己開示・神化への道 | Comments(0)

清和天皇の御末裔に会う。


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昨日は自治会の副会長さんとあることで打ち合わせしてきました。わたしは3年前に2年間役員をしていたことで副会長さんと一緒にボランティアをさせていだいたご縁があります。


この副会長さん、会ってすぐおっしゃったのは、


「わたしは第56代清和天皇の末裔です」


とのこと。存じておりましたとも。最後の役員会でわたしとふたりになったとき、


「〇〇さんには言っとくけど、わたしの先祖は清和源氏なんです」


とお聞きしていましたから。清和天皇の御子孫が臣籍降下なさったのが清和源氏の始祖・源満仲公なのです。
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源満仲公像(筆者撮影)

副会長さんは、お公家さんなのです。なんでまたこのタイミングで天皇と藤原の血筋の方とご縁ができたのだろうと不思議に思います。副会長さんは長いことご自分の出自にまつわるエピソードを話しておられました。公家の位は子爵で、つちかどの宮様の血筋。五摂家の九条家の方とも縁戚関係があるのだそうです。

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そしてこの方のご先祖は「宮」の神様なのだそうで、日光東照宮、大宰府天満宮、能勢妙見宮の三か所だけが「宮」の神様として認められているのだとか。ちなみにこの方は能勢妙見宮で北斗七星の北辰信仰なのだそうです。
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源満仲公像(筆者撮影)

「公家は決してトップの役職につかない。表に出ないで水面下で人を動かすのが公家のやり方だ」


とおっしゃっていました。だから自治会の副会長も4年目を務めておられ、役場では先生といわれているのだと。町民の懇請にはてこでも動かない公務員も、公家の言うことなら聞くのだなあ、公僕は公家の僕(しもべ)だからなあ、と心の中で思いました。


摂津の国の御殿様の御末裔でもあるので、1000年間代々この地元を統括してこられたのですが、明治の時代に日本政府によって、これまでのやり方をすべて変えられてしまい、行政に土地をゆだねることになったのだそうです。


それまでは平民(この方は平民と言う言葉を常に使っておられました)は小作人として農業さえしていれば御殿様に守られていたのが、土地の歴史を知らない役人に土地の管理者が変わってしまってからというもの、「平民に(土地を守ることを)やらせてみた結果がこれだ」というようなニュアンスでした。


そして、わたしは「手を見せて」と言われたので手を出しました。手相を見ておられました。「名前を書いて」と言われたので名前を書きました。名前を見て性格を言われました。どちらも散々なことを言われましたよ~涙。えらい言われようでした。救いようがないようなダメ出しでした。親からもらった名前やのに、えらいケチョンケチョンに断定されました。わたしの手相は、先が見えないんですって。


この方は、安倍清明の陰陽道をお父さんの代まで学んでいたそうです。この方はお父さんから陰陽道を教えてもらっていないけれど、「血でわかる」とおっしゃってました。(^^;)


この方はことあるごとに「平民平民」としつこくおっしゃるので、主人の本家のおじが「うちは平民ではない。士族だということを忘れてはいけない」と念を押して言っていたのを思い出しました。公家の下はすべてしもべなんでしょうけど。(^^;)


副会長さんは


「わたしは公家」


ということをことあるごとにおっしゃていたので、公家と平民とを分けたがるのはやはり公家の血筋の方ゆえなのだなと思いました。そして


「うちは後醍醐天皇にお遣えしていたので南朝です」

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とおっしゃいました。後醍醐天皇と取り巻きの公家は上の図です。(小河ドラマ『楠木正成』より)そしてわたしの出身を聞かれたので「小楠公の四條畷神社の近くです」と言うと、主人のことを聞かれました。


「両親は京都出身で、親戚は全員京都です」


と言うと、京都市内なのかと聞かれたのでめんどくさいので、


「本籍は左京区銀閣寺町です。親戚の方に公家の血筋の方がいます」と言いました。


(夫いわく、この公家の出の親戚はホンマにコワい人だったそうです。何がコワいかと言うと、いけずなところがハンパなく凍り付くコワさなのだと。普通の京都の人のいけずなんて、いけずのうちに入らないほどです。真性のいけずは血のなせる業だと思います。ああ、コワ!


このことを言うと目が変わり、


「やはりご縁があったんです。『選ばれし者』は引き合うようになっているんです」


と、おっしゃいました。(選ばれし者!?(@_@)?「公家=選ばれし者」ですな?)


ところで「京都出身」と言うことができるのは、京都市内に在住であったことが必須条件です。そして行政区分によって暗黙の格付けがなされます。最も格上が中京区、次に左京区、その次に右京区なのだそうです。つまり、京都の人のプライドはいかに天皇に近い(所に住んでいる)かというところにあるようです。



京都といえば、この方は


「祇園祭をはじめたのはうちのご先祖です」


とおっしゃいました。清和天皇の時代、疫病とか災害が多くて、富士山の噴火もあったそうです。清和天皇は祟りだと恐れたので、祇園祭をすることで祟りを鎮めたとおっしゃっていました。


ところでこの方は、今の天皇は北朝だとおっしゃっていました。わたしは今年の3月に楠木正成公の生誕地に行ってきたのですが、そのとき昭和天皇の記念碑があったので、昭和天皇は南朝だと思っていました。秩父宮、竹田宮様の記念碑もありました。夫いわくこの方々は北朝なのだとか。
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楠木正成公生誕の地(筆者撮影)
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昭和天皇の御手植え楠(筆者撮影)

公家はしきたり、ならわしを重んじるので日本の仕組みを踏襲して来たことを明治になってからぜんぶひっくり返されてしまった。とおっしゃっていました。お公家さんはお公家さんで不満がおありなのです。だから昭和の時代、皇太子のお妃(美智子さま)が平民だったことに不平不満があったのです。平民が天皇・公家のしきたりなど分かるはずもない。何も知らない平民が入内するなどもってのほか。しかも子育ても乳母が育てるのが習わしだったのが、平民と同じように母親が育児をするのもいかがなものか。というのが公家の方のお考えなのです。


わたしはその考えは一理あると思います。天皇は国民ではないので、一般人の家庭と同じような育児では務まらないのです。親子では甘えとエゴが介入しますから。祇園祭でもお稚児さんがいますが、お稚児さんの期間を務められる男子は、母親であっても触れられない、会話も許されないのです。それが天皇たる人格に育て上げる知恵なのかもしれません。


お公家さんとは一対一で3時間以上もしゃべることになってしまいましたが、公家の方の考え方、ご先祖の話がほとんどでした。(さすがに疲れました)自治会のことで打ち合わせするはずだったのですが・・・。またお世話になりますので、お付き合いさせていただくことになります。


しかし、公家の血筋の方は時代が変わってもマロはマロなのだということはよくわかりました。今は公家は政治に一切かかわっていないとおっしゃっていました。だから参議院議員でマロの人はもういないと。


「政治家は政治家でなくなった時点でただの人だが、公家はずっと公家、生まれた時点で何もしなくても公家は公家」


だとおっしゃっていました。だから公家が政治家を動かすのだと。
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『小河ドラマ・楠木正成』より。

そして「勲章を欲しがるのは平民だからだ。公家は勲章を与える立場だからそんな物いらない。うちは天皇を誰にするかを決めてきた立場。勲章なんかもらっても何の意味もない。何であんなもの欲しがるのか」


とおっしゃっていました。


わたしは思いました。今のこの時期は、それぞれの血筋の方もこれからの世の中の変化、地球の変化に柔軟に対応していかなくてはならないと感じておられるということ。かつては敵対関係にあった血筋であったとしてももやは対立している場合ではないということ。もともとはひとつなのだから一丸となってこれからの日本を建て直していかないと感じておられるということを実感しました。


そう、この方も「もともとはひとつ」だとおっしゃっていました。分かれたものが元に戻っていくのだなあ、とわたしは思いました。


今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

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by new-jomon | 2019-06-27 15:41 | 自己開示・神化への道 | Comments(0)

ニギハヤヒ命に捧ぐ

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わたしは一連の記事でニギハヤヒノミコトについて書かせていただいてまいりました。本当に恐れ多いことですが、自分の中で最もやりたいことは、この神様についてのことを書かせていただくことだったのです。


何で神様のことを書かせていただくようになったのだろうと改めて振り返りますと、「思い出したから」という一言に尽きると思います。


わたしは霊能力も超能力も霊感もなく、霊媒体質でもありませんので特別な能力はありません。ただ、たまたま生まれ育った土地が神話に出て来るニギハヤヒの本拠だったことをつい2年前に知ったことがきっかけで様々な体験をしてきただけです。


わたしは二年前までまったく神様に興味がなく、神社参拝もほとんどしませんでした。むしろお正月の初詣は行きたくないとさえ思っていたくらいです。そんなことですから、御守りもお札も自分には必要ないと思うくらいまったく興味がありませんでした。なぜかというと、神道も宗教だと思っていたからです。


わたしは13年ほど前に、老子の「道徳経」を読んで衝撃を受けた後に、ある神官の方と出会いました。この先生はまさに現代の老子のような方でした。熊野に源流がある代々神官を務めてこられた方で、鈴木という苗字でした。ずっとあとで知ったのですが、鈴木氏の神官の家系は物部氏の分流だったのです。鈴木先生はわたしに


「やっと出逢えた。あなたはわたしの前世の娘です」


とおっしゃったのですが、それが何の疑いもなくわたしもそうだと感じたのです。


鈴木先生は宗教弾圧を受けておられました。わたしは最初そのことの意味が分かりませんでした。鈴木先生は先々代の神官、つまりおじいさんと霊線がつながっていろいろ教わったのがきっかけで、神道界の在り方自体が本来とは異なることがわかったのだそうです。


おじいさんは霊的存在になってはじめて、宇宙の法則どおりの世界の仕組みがわかったのだそうです。宗教界が教えてきたことはすべて「嘘」だったということを鈴木先生のおじいさんは孫の鈴木先生に伝えてこられたのだそうです。今まで人間がつくって来た「宗教」は嘘。しかも本来宗教ではない神道まで例外ではなかったのだと。


鈴木先生は相当悩まれたそうです。それはそうだと思います。代々神官の家系でありながら、神道さえも「嘘」だとおじいさんに知らされたことで、ご自分が築いてこられたこれまでの価値観、人生観、宗教家としての立場のすべてがひっくり返されることになったのですから。


鈴木先生は、おじいさんから宇宙の法則どおりの仕組みを教わったのですが、それはご自分が所属しておられる神道の組織の在り方とも異ってしまうため、今までお世話になって来た組織の神官の方々に迷惑がかからないように組織から出られたのです。


知らされたこの世の仕組みはある法則においてすべてが秩序通りに仕組まれているということ。しかし人間の都合によってその秩序が乱され、現代社会は乱された秩序の上に成り立ってしまい、さらに価値観の多様化ということが正当化されてしまいました。すべては無知ゆえの結果だとはいえ、誰も法則や秩序のことを教えられる人がいなくなってしまったのです。


わたしは鈴木先生から数年間にわたって薫陶を受けてまいりました。なぜかわからないのですが、先生の教えのすべてが「わかる」のです。わたしは学校の勉強はよくわからなかったのですが、先生の教えは一を聞いて十を知るというくらいわかったのです。


そんな中、実の父親が亡くなりました。しばらくしてから亡くなった父が夢に出てきました。父はわたしにこう言いました。


「あの先生は本物だから、今後なにかあったら先生に相談するように」と。


わたしは鈴木先生が前世の父だということは本当だったのだとこのときわかったのです。


実の父は宗教嫌いでした。宗教に入信したら絶縁するとさえ言っていたくらいです。わたしの夢に父が出て来て言ったことを鈴木先生にお伝えしました。そして父が宗教嫌いだということもお伝えすると、先生は


「お父さんは正しい」


とおっしゃり、


「宗教家は詐欺師だ。詐欺師が言うのだから本当だよ」


とことあるごとに言っておられました。


わたしは鈴木先生からいろいろ教わっているけれど、日本の神様のことを知らなかったので伺ったことがあります。しかし先生は、


「日本の神様のことについてはよく知らない」


とおっしゃったのです。熊野が源流の代々神官を務めてこられた血筋の方だというのに、変だな?と思いましたが、まあいいかと深く詮索することはありませんでした。


二年前、子どものころから遊び場所だった石切神社に呼ばれたような気がして行ってみたら、そこの神様が「にぎはやひのみこと」だとはじめて気づかされました。それまでここの神様は「でんぼの神様」としか知らなかったのです。


ニギハヤヒの命はもともと地元の神様だったのですが、アマテラスの子孫である神武天皇にその土地を譲られた神様です。神話を初めて読んでみると、鈴木先生に教わった法則に反し秩序が著しく乱されていることに気づかされました。


そしてそのときに、自分が生まれ育った土地がニギハヤヒとナガスネヒコの本拠地で、神武天皇とナガスネヒコが戦った古戦場だったということにはじめて気づかされたのでした。



神話には知っている地名が出てきます。その地名が明らかに改ざんされていることに気づき始めたことから神話のストーリーそのものがねつ造されていることに気づいたのです。なぜなら太陽の神様がおんなのかみさまであること、皇后が天皇になってしまったことが秩序を逆転させてしまっていたことに気づいたからです。しかしそのことを認めたら神道界が根底から覆ってしまいます。なぜなら神道は神話にもとづいて神様を祀っているのですから。そして天皇制自体が問われることになります。


わたしはこのときはじめて、鈴木先生が「日本の神様のことはよく知らない」とおっしゃった理由がわかりました。現在において神道の組織は女神のアマテラスを頂点にした国家神道となっており、神社庁の傘下に全国の神社が位置付けられ上納金を納める仕組みとなっています。その資金は20年ごとに行われる式年遷宮のために使われるのです。ちなみに神社庁とは国の公的機関ではなく、一宗教法人です。


わたしは鈴木先生が神道の組織から脱退して、代々鈴木家が守って来た神社を他の方に任せたとお伝えされた理由がやっとわかりました。先生は、


「このままでは日本人は滅びてしまう。だからあなたが人々にこのことを伝えて欲しい。これから本当のことを伝えていくのは宗教家ではなくあなたのような一般の人だ」


とおっしゃいました。


わたしは先生に教わったことをまず自分自身が実践しました。これは日常生活上のことであり家族との関わりについてのことです。けれどこのことを人に伝えても現代の価値観に染まっているため、たいていは受け入れてもらえません。しかし秩序に反している方の家庭はたいていが不和に陥っていました。だから何とかお伝えしたいのですが、このことをわかってもらうにはどうしたらよいかを考えました。


わたしは神話がねつ造されていること、神様の系図が書き換えられ立場と順序が逆転していること、歴代天皇が秩序に反してきたことを、先にお伝えした方が良いかもしれないと思い、書きづづってまいりました。これはなんのしがらみもない一般人だからできたことだと思います。


すると偶然にも、平成の御代に天皇になり代わって御神事をされてこられた日本神界の神々を統べる神業師様と出会ったのです。それが一年半くらい前です。その方は、


「わたしは神社とも宗教とも無関係で、既存の神社の在り方ともまったくちがいます」


とおっしゃっていました。この方は艮の金神様の御意思の通りに動いておられたのでした。そしてこの方も血筋の方でした。


わたしは何も知らずに神業師様の御神事に導かれ、八百万の神々、歴代天皇の御魂とご同席させていただきました。神業師様は、普通の人はこの場に来ることはできませんとおっしゃったのですが、そのときのわたしはなぜ自分がそこに導かれたのかよくわかりませんでした。


けれど、わたしはその数週間前に神武東征の古戦場、昭和の裏天皇・安岡正篤先生の旧宅、ナガスネヒコ本拠の碑を訪れていて、なぜか大神(おおみわ)神社の三輪山とアテルイの首塚に行かなければいけないと感じていました。


神業師様は御神事の数日前に、青森のキリストの墓、東北で封印されていたアラハバキ神三柱の封印を解除され、熊野にご参拝後、大神神社(三輪山)に参られその翌日にわたしと初対面させていただいたのでした。


そしてわたしはその方から大神神社のご神水をいただいたのです。そして驚くべきことに、その場にアラハバキ神三柱を召喚されたのです。八百万の神々、歴代天皇の御魂もご同席されておられる空間に。


そして神武天皇とナガスネヒコ、ニギハヤヒのこと、三輪山のこと、アテルイの首塚のことなど、わたしが今まで直観を得て行動してきたことと同じことをおっしゃったのでした。


そして国之常立命、大国主を神降ろしされ、この二柱がアマテラスに大変お怒りになっていたこと、


素戔嗚命の復活の儀にて長きにわたって仕掛けられてきた封印から解除され、素戔嗚命に呪いが仕掛けられていたことを知らされたのでした。


あとで分かったことは、素戔嗚に仕掛けられた呪いとは呪詛です。呪詛とは記紀神話のことです。


わたしはかねてから記紀神話は飛鳥時代の集合意識を構築するプログラミング(呪詛)であることを洞察していました。だから日本の神話を正しく書き換える必要があると感じていたのですが、神業師様も同じことをお考えだったのです。


そして、天の岩戸開き神事はすべての神道開始における神道奥義であり、天の岩戸開き神事のやり直しが必要だということを知らされました。わたしはそのことに深く納得しました。


そして神界を再構築して神々の統廃合が必要になっていくとおっしゃっていました。


たまたま今年の夏至の前日にユーチューブで「夏至と玉置家」という動画が上がっていました。占星術家マドモアゼル・愛先生の20年前の体験談でした。愛先生は、熊野にある玉置神社のもともと代々神官をされていた玉置家のおばあちゃんに大変なおもてなしを受けて、実際に会話されたことを話されていました。




玉置家は、熊野の神官を代々任命してこられたという、熊野の神官の中で最も格上の家系だったのです。しかし神社庁によって神社を統括されるようになってからは、玉置神社は玉置家ではない方が神官をされるようになったのだそうです。だから今は玉置家と玉置神社とは関係がないのだそうです。しかし、玉置家のおばあちゃんは、


「玉置家はニギハヤヒの直系です」


とはっきりおっしゃったそうです。熊野古道を含めた熊野全域は玉置家の領地だったのだそうです。


玉置家のおばあちゃんは、

ニギハヤヒは神武天皇よりも前の天皇であったこと、

ニギハヤヒはお金と軍事面でアマテラスを裏から支えたこと、

ニギハヤヒはケチなことがきらいな神様であるということ、

ニギハヤヒは富士山と深い関係があること、

そして神武天皇と戦ったナガスネヒコが朝敵にされているのは完全な誤解である

ということをおっしゃったそうです。


なぜ、わたしは夏至の前日にこのことを知らされたのでしょう・・・。


*** *** *** ***


わたしは現在、人と地球をきれいにするある日用品を考案しています。わたしはある大阪の業者さんと打ち合わせをすることになったのですが、日取りは業者さんご希望の22日でした。22日といえば夏至です。


会社は自宅からずいぶん遠いところにありました。なんと最寄りの駅はここでした。
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加美駅(筆者撮影)



かみ・・・。どうやらわたしがここへ来ることになっていたのは神の導きだったようです。そして会社から十数分歩いたところには・・・。

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勝軍寺(筆者撮影)


聖徳太子&蘇我馬子vs物部守屋公の古戦場、勝軍寺が。

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勝軍寺(筆者撮影)


ここには推古天皇の摂政を務めた、

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勝軍寺(筆者撮影)

聖徳太子、

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勝軍寺(筆者撮影)

空海さん、

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勝軍寺(筆者撮影)

役行者さんがいらっしゃり、

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勝軍寺(筆者撮影)


仏教派の聖徳太子側と戦った、

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勝軍寺(筆者撮影)


神道の宗家・物部守屋公の首を洗ったと伝えられている守屋池がありました。

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


そのすぐ近くには物部守屋公の墳墓がありました。ここは明治時代に整備されたとのこと。

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


物部守屋公が中央主権・国家神道である神社庁の玉垣を筆頭に、

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


日本の名だたる有名神社の名が刻まれた玉垣の数々に囲まれているのは、

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


奉じられているのか、封じられているのか・・・。

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


ここは、

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


アマテラスを最高神とする国家神道の神社と

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


物部氏の始祖である

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


ニギハヤヒ命を

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


祀る神社が

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


両輪のごとくに

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


その名を連ねています。

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


物部氏を滅ぼして神道を牛耳った藤原氏と

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


ニギハヤヒを封じた鬼門封じの神社、

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


神社庁に加入せず、ニギハヤヒの神名で祀る神社、

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


ニギハヤヒの神名を隠して祀る神社の数々。

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


ここが神社の総本山であることは明白。

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


なぜ伊勢神宮ではなく物部守屋公墳墓に全国の有名神社の名を連ねているのか。秩序を逆転させた神話に基づいている国家神道はニギハヤヒを封じておかなければ成り立たない。奪い合いの世界を構築するためには、与え合いの世界をつくってきた神を封じておかなければならないから。それは裏を返せばニギハヤヒは最も崇敬を集めているということでもあるのです。

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物部守屋公墳墓(筆者撮影)


なぜニギハヤヒは夏至の日にわたしをここに導いたのでしょう。いつものように偶然を装ってメッセージを暗号化して。

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加美駅(筆者撮影)

わたしはニギハヤヒが大好きなのです。この神様のお役に立てるのなら喜んではたらかせていただきたいと思うのです。ナガスネヒコが最後の最後までニギハヤヒに忠誠を尽くしたように。


わが国で最大の国賊にされてきた家臣のナガスネヒコの正体がニギハヤヒの妻神であり、もっとも封じられてきた瀬織津姫だと直観してからというもの、なぜか瀬織津姫が艮金神で、ニギハヤヒは国之常立命なのかもしれないと感じるのです。この両神が一体となったとき、逆さまになってしまった世界がもとに戻されるのではないかと。

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出雲大神宮(筆者撮影)

なぜそう感じるのかというと、日月神示、大日月地神示を降ろされたのは艮金神であり、国之常立命だからです。わたしは鈴木先生を通してニギハヤヒの教えを教わっていたのかもしれないと思うのです。わたしはこのことを人に伝えてゆかなければならないと改めて思いました。そしてわたしがご神事で神業師様にご降臨された国之常立命様のお言葉を聞かされたのは偶然ではないと感じています。




夏至を過ぎて、このことを書かせていただいたのも、何らかの意味があったのでしょう。夏至から数日間は宇宙から強力なエネルギーが降り注ぎます。この期間中に大阪でG20が開催されます。

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新たな文明の拠点エリアで開催されるということが神計らいであることは明白です。今後はさらにニギハヤヒと瀬織津姫の神力が増していくと感じています。




今回も最後までお読みいただきありがとうございました。

日本人を目覚めさせるためにこのブログを書いています。

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by new-jomon | 2019-06-24 14:11 | 自己開示・神化への道 | Comments(0)

新時代に必要なしくみを開示し、次世代型のモノを生み出し広めていきます。


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